少しくらい得意げにさせて

「幹奈様遅いなー」


 頭の後ろで手を組んで壁に背を預けながら、冷良は独りごちる。

 毎日恒例の剣術修行。夏祭りの準備に賓客の対応が加わり、忙しさを増した幹奈の時間を更に奪うのは心苦しく、冷良は数日の休止を提言した。

 だが、修行は休みを挟めば挟むほど遅れを取り戻すのに時間がかかると逆にさとされ、結局はいつもと同じ時間、場所で修行を行うことになっている。


「…………」


 いつも何となく夕暮れの空を向いている視線が、ここ数日は地面から離れないでいる。

 ……正直、今は修行どころではない気分というのが本音だ。瓊瓊杵が現れ、咲耶姫が幹奈の頬を叩いてしまった日から、ずっと二人の仲はぎくしゃくしている。ただでさえ幹奈が祭りの準備で咲耶姫の傍を離れがちだというのに、いざ顔を合わせてもお互い必要以上に事務的で親しみなどまるで感じられない。

 主従として正しい姿と纏めてしまえばそれまでのことだ。何か間違いがあるのかと問われれば冷良も返答に困る。

 それでも冷良は知っている、咲耶姫と幹奈が立場としての主従を超えた、言葉に出来ない絆で結ばれていたことを。その温かさを。

 だからこそ、今の状況を何とかしたい。

 ――どうやって?


「ああ、駄目だなあ……」


 どれだけ現状をうれいても、結局思考はそこで止まってしまう。

 願いばかりでじつが伴わない、無力な自分が情けない。

 もしかしたら、咲耶姫が抱えているのもこんな感情なのだろうか。そんなことを考えていると、濃くなった暗がりの向こうから急いで駆け寄ってくる足音が一つ。


「ごめんなさい冷良! 夏祭りの打ち合わせが長引きました!」


 夏祭りの打ち合わせということは奉神殿の外、幕府の担当者の所へでも出向いていたのだろう。息を切らした様子を見る限り、打ち合わせが終わるなり全力で駆けつけてきたらしい。距離としては決して短くない筈なのに。


「あの、幹奈様、今日は本当に休んだ方がいいんじゃ? 反復練習くらいなら僕一人だけでもやれますよ?」

「いいえ、私から振った約束です。既に半分は破ってしまったようなものですが、だからこそ残った分の約束だけでも果たさなければ」


 責任感の強い幹奈らしい意見だ。こうなったら冷良がいくら固辞しても引き下がってはくれまい。


「……幹奈様が大丈夫なら」

「よろしい。では、今日は打ち合いから始めましょう。冷良、構えなさい」

「分かりました……けど、本当に大丈夫ですか?」


 幹奈は一目で疲労困憊なのが分かるくらい息を荒くしている。いくら冷良が未熟とはいえ、いや、未熟だからこそ寸止めが出来ない(当然ながら幹奈は出来る)相手と手合わせをするのは危険ではなかろうか。師匠とはいえ幹奈も女性、冷良としては万が一を危惧せずにはいられない。


「冷良、あまり退魔士を舐めてはいけませんよ」


 はて、退魔士についてなら人並みには知っているつもりだが。都を歩いていればよく見かけるのだし。

 と、内心で首を傾げる冷良の前で、幹奈は一気に大量の空気を吸い込んだ。そしてゆっくり研ぎ澄ますような高い音を立てながら吐き出す。

 その一連の工程だけで、あれだけ乱れていた幹奈の呼吸が整ってしまった。


「古来より、妖は人の虚を突いて襲い来る脅威でした。妖と戦う退魔士にとって、虚を突かれないことが何よりの優先事項。しかし、虚を突かれて乱れた息を素早く整えることもまた、非常に重要な技能なのです」


 そう説明して刀を抜いた幹奈の構えもまた呼吸の乱れなど一切感じさせず、静かながらも重い圧で冷良に緊張を強いてくる。まるでこちらの心配をしている暇などないぞと言わんばかりだ。

 気を引き締めた冷良は氷の小太刀二本を作り出し、既に身体が覚えた構えを取る。

 基本的に先手は冷良だ。短い得物を生かすべく大きく踏み込み、懐に入り込む動きで脇腹へ向けて小太刀を突き出す。

 だが、そんな当たり前の定石を易々と許すほど幹奈は甘くない。下がるのではなく突き出されようとする小太刀を弾き、そもそも懐に入らせない。

 そのまま返す刃で体勢が崩れた冷良の胴を狙うが、そちらはもう片方の小太刀に阻まれる。

 冷良は受け止めた反撃を上へと流し、大きく空いた幹奈の懐に身体を潜り込ませようとするが、不意に頭が衝撃を受けた。


「あでっ!?」


 状況不明、咄嗟に後ろへ跳び、やって来るであろう追撃から逃れる。そこで先程頭が受けた衝撃の正体が、上へ流した刀の柄で打ち据えられたものだと理解する。


「ふむ、正体不明の攻撃を受けた場合は一旦下がって観察、追撃への警戒も怠っていない。しっかりと覚えていたようですね」

「えっへん!」

「動きもなかなかどうして、見れるようになってきました。正直もっと時間がかかるものと考えていましたが……意外です」

「昼間は巫女の仕事で忙しい分、夜は幹奈様との修行が終わった後もたっぷり型を反復してますからね。半分妖だからか、夜目も効きますし」

「その心意気は感心しますが……」


 すぅっと細められた幹奈の視線が冷良を射抜く。


「実は紅から『冷良さんは時々酷く眠そうだったり疲れたりしている日があるのですが、一体何をなさっているのでしょう?』と相談されたことがありまして」


 ぎく。


「まさか、鍛錬にかまけて本分である巫女の仕事を疎かにしているようなことは……ありませんよね?」


 珍しいことに、幹奈の口元に薄っすらとだが笑みが浮かぶ。

 だが、細められた目はそのまま、背後にいかつい鬼の面が見えてきそうだ。

 ――返答を間違えれば回避不可の手酷い一撃が飛んでくる!


「あ、あはは、やだなあ、そんなことある筈ないじゃないですか。眠かったり疲れたりしてるのは……あれです、時々ちゃんと眠れない日があるんですよ」

「それはそれでいけませんね。あまりに酷いようであれば、一度お医者様に診てもらってはいかがでしょう? 良ければ私が懇意こんいにしているお医者様を紹介しましょうか?」

「そ、そうですね、本当にやばいと思ったら相談させてもらいます」


 目を逸らしては駄目だ、多分攻撃への警戒を緩めても。極度の緊張状態で相手の一挙一動に集中しなければならないとは、中々いい精神修行になりそうだ。

 そのまま精神をやすりでごりごりと削られるような時間が続いたが、やがて幹奈の口元に浮かんでいた笑みと細められた目が元に戻り、詰め寄る上司ではなく剣術の師としての表情が表に出てくる。


「……とにかく、自身の限界は見誤らぬように」


 それは誤魔化しを真に受けての心配なのか、事実を見透かした上での忠告なのか。

 いずれにせよ、しっかり時間に気を配ろうと心に誓う冷良だった。


「さて、本題に戻りましょうか。冷良、あなたの成長速度は著しい。しかし、これだけは胸に刻んでおきなさい、あなたはまだ素人を抜け出しただけの三流なのだと」


 三流。

 理屈は分かるが、あまりに響きの悪すぎるその単語が岩のように冷良へのしかかる。


「まず、の剣士にはありがちですが、攻撃が単調です。次の一手という発想が頭から抜けているのです」


 二段目。


「い、一応反撃にはちゃんと対処してますよ?」

「あなたの場合、なまじ目が良いおかげで場当たり的な対処で間に合ってしまうのが問題ですね。剣士との一対一ならいざ知らず、複数戦、手数の多い相手、そもそも攻撃手段が多種多様な妖が相手だと、すぐに『見えていても対処できない』状況に追い込まれます。だからこそ、素人を脱して三流になったからといって慢心など――おや、どうかしましたか?」


 三段、四段目。

 言葉の重しを連続で食らい、あえなく地面に膝をつく冷良だった。達成感なんてばきばきにへし折れ、慢心など抱く方が難しいほどの言葉攻めだった。


「……いや、僕もまだまだだって理解してはいるんですよ。ただ三流って……絵巻物に出てくる雑魚その一みたいな響きがあってですね。男としては少々こたえるといいますか」

「では二流にしましょうか? 達人級と比べれば誤差のような範囲ですし」


 違う、そうじゃない。二流でも三流でも雑魚臭は全く変わらない。


「さて、諸注意はこのくらいにして……早く構えなさい冷良。問題点が自覚出来るようになるよう、今夜はひたすら立ち回りで追い込まれる体験をしてもらいましょう。


 しれっと放たれる追撃の一言。

 要約すると、へし折られた鼻っ柱を粉々に砕きまくると。

 それ一体どんな拷問? というか、元から鼻っ柱も大して伸ばしてはいないのに。自分の身の程はちゃんと弁えているつもりだったのに。どうしてこうなった。

 なお、幹奈の表情から他意は感じられない。純粋に師として弟子を正しく導こうという気概に満ち溢れている。ありがたい心遣い、泣きたくなりそうだ。

 そうして半ば自棄っぱちになりながら、冷良は幹奈に挑みかかるのだった。

 そして最初の宣告通り斬られまくった。寸止めなので痛みどころか巫女服にほつれ一つ出ていないが、ちっぽけな男の矜持などぼろぼろである。

 肝心な立ち合いの感想はというと、不思議な感覚の一言に尽きる。今までのように隙を突かれて攻撃を食らうのではない。むしろ、わざわざこちらが見切りやすいように動きを少し緩やかにしている節すらある。

 だが、数回刀を打ち合わせると決まって幹奈の刃が身体に届いている。見えてはいるのだが、体勢が悪くて防御も回避も間に合わないのだ。

 攻めれば攻めるほど追い詰められる。今までにない感覚は、身体だけでなく精神面も大きく疲弊する。冷良は普段よりも早い時間で地面にへたりこんだ。


「これが戦いの流れを意識するということです」

「はあ……はあ……な、なんとなーく言わんとすることは分かったような気がしますけれども……」

「まあ、こればかりは数を重ねて身体に叩き込むしかありません。さて、どうします? そろそろいい時間のようですが」


 幹奈が見上げた空は既に白味を殆ど失い、月が自身の存在を主張し始めていた。退魔士の幹奈や半妖の冷良ならともかく、一般人なら篝火が必要になる頃合いだ。

 だが、冷良は軋む身体に鞭打って立ち上がる。


「……もう少しだけお願いします」

「その意気や良し。ですが、明日も仕事はあるのですからね?」

「ち、ちゃんとやりますよ? 勿論」


 嘘を言ったつもりはない。目も泳いでいない……筈だ。

 幹奈は呆れか意識の切り替えか分からない小さな息を吐き、刀を構える。


「後少しですからね」

「ありがとうございます」


 冷良も氷の小太刀二本を構え、再び幹奈へと攻め入った。

 と、そこに割って入る足音が一つ。

 ぎょっと幹奈が目を剥いた。その視線を追って、同じく冷良も目を剥いた。


「奉神殿の中で剣戟の音が聞こえてきたかと思えば、これはこれは」


 そこに立っていたのは、爽やかながらも何故か嫌味ったらしく見えてしまう笑みを浮かべていた瓊瓊杵だった。

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