お前は女を吸い寄せる香りでも分泌しているのかな?

「酷い……」


 幹奈から聞かされた神話に対する冷良の感想は、その一言に尽きた。

 顔の美醜びしゅう。それを重視する比重は人それぞれだろう。

 そして冷良にとっては『そんなこと』である。そんなことで、大勢の神が寄ってたかって一人の女神を笑い者にした。

 冷良は半妖なので信仰への理解が薄いが、それでも神々への敬意は深い方である。

 だからこそ、初めてだった。神々に対してこれほどまでに明確な不快感を抱いたのは。

 幹奈も、神々への批判が込められた冷良の呟きをとがめはしなかった。


「ちなみに、散瑠姫様は大山津見様の元へは戻らず、自らの神域に身をくらませて今も行方知れずとのことです」

「……咲耶様と瓊瓊杵様はその後どうなったんですか?」

「姫様と散瑠姫様の姉妹中は大層よろしかったようです。これだけ言えば、後の想像は容易でしょう?」


 瓊瓊杵が申し込んだ婚儀によって、大切な姉が傷つけられ、あまつさえ行方不明となった。仮に神々のしがらみがあったとしても、咲耶姫が大人しく瓊瓊杵と婚姻を結ぶとは思えなかった。

 今から思い返すなら、瓊瓊杵に対する咲耶姫の言動も納得がいくというものだ。


「むしろ、どうして瓊瓊杵様は咲耶様に会いに来たんでしょう?」

「分かりません。私が巫女頭になる前から四十年に一度程度の間隔でここを訪れているようなのですが、巫女を誘惑するか都を適当に散策するか、あるいは姫様にちょっかいを出して怒らせるばかりで、明確に目的を語られたことはないとのことです」

「……どの道、咲耶様にとってはいい迷惑なんでしょうね」


 悠久の時を生きる神々の時間感覚は、人間のそれとは全くことなる。人間にとっては一生を過ごすのに十分な年月でも、神からしてみれば頻繁と言えるていどの年月なのかもしれない。頻繁に見たくもない相手の顔を見せられては辟易へきえきするというものだろう。


「とにかくそういう訳ですので、今回ばかりはあなたも細心の注意を払うように」


 咲耶姫は気さくな女神なので、巫女であっても素で接されることを好む。というより、気楽なお喋りが好きと表現するべきか。逆に幹奈が真面目過ぎると言われるくらいだ。

 だが、今ばかりはそういう訳にもいかない、と。


「私たちの役目は、瓊瓊杵様に可能な限り無難に過ごしていただき、姫様の心労を少しでも減らすことです。いいですね?」

「……分かりました」


 実のところ事態を軽く捉えていた冷良は、認識を改めて真剣に頷いた。


「さて、そろそろ私たちも戻らないといけませんね。冷良、頬を冷やすのはもういいですよ、ありがとうございます」

「いえいえ、どういたしまして――」


 冷良がお決まりの返し文句を口にしようとしたときだ。廊下からばたばたと騒がしい音が聞こえたかと思えば、宿舎の扉が豪快に開かれた。


「おお、ようやく見つけたぞ、冷良よ」


 姿を見せたのは、今まさに話題の対象となっていた瓊瓊杵その神だった。

 冷良は当然として、幹奈すらも虚を突かれて唖然としていたが、そこは我らが厳しくも頼りになる巫女頭、即座に丁寧な姿勢を取り戻す。


「これは瓊瓊杵様、貴女様が直接お出向きになられるとは。冷良を探していた模様ですが、お付きの巫女では何か至らぬことでもございましたか?」


 よく見れば、瓊瓊杵の背後に顔色を悪くした同僚がいる。瓊瓊杵の要望へ即座に対応する為に配置されていた筈だ。彼女を通さず神が直接出向いたとなれば、対応に不満があるからだと捉えてもおかしくない。

 暗にそういうことですか? と問いかけた幹奈に、瓊瓊杵は軽く手を振った。


「いやいや、そなたらの対応に不満はないとも。ただ、今は都を散策したい気分でな、冷良に供を頼みたい」

「冷良に供、ですか……」

「うむ。俺の治める『宝の都』も妖や半妖の住民は増えているが、まだ花の都ほど上手く混ざり合っているとは言えん。まして巫女ともなると未だ人間が当たり前という風潮だ。故に散策がてら、半妖の巫女という立場の冷良から色々と話を聞きたくてな」


 話に筋は通っている。それはそれでお付きの巫女に冷良を呼ばせればいい筈だが、わざわざ自分で探しにくる辺り、中々活動的な神のようだ。

 正直気は進まない。咲耶姫以外の神と一対一など上手く対応出来る気がしないし、何よりこの神にはついさきほど地獄を見せられたばかりだ。

 とはいえ相手は神。主たる咲耶姫から早急の用事を言い付けられている訳でもない。


「承知いたしました。ただ、冷良は巫女になってからまだ日が浅く、礼儀作法についてはご容赦を願いたく」

「構わんぞ、俺も細かいことは気にしない性質なのでな」


 結局、こちらに拒否権はないのである。






 という訳で、瓊瓊杵と共に連れ立って都へ繰り出した冷良である。

 自然体の都を眺めたいという瓊瓊杵の意向により、お互いにやや上等ていどの服装に着替えている。祭事などで時折住民に顔を見せる咲耶姫はともかく、瓊瓊杵の顔は花の都では全く売れていないので、この程度の変装で十分だ。


「うむ、白と淡い水色が儚い雪の如く。雪女の血を引くそなたの可憐さを見事に引き立てているではないか」

「きょ、恐縮です」


 冷良が身に纏うのは瓊瓊杵が大袈裟に表現した通りの色柄で、女物の着物だ。私物ではあるが当然望んで手に入れた物ではなく、念の為にと持たされた小雪のお下がりだ。

 男たる者お洒落をした女性は褒めるべし。瓊瓊杵がそれを実践するのはむしろ自然に感じるようになったが、悲しいかな相手は男である。


「無理をして身の丈以上の礼儀を取り繕う必要もない、花は自然体であってこそ美しく輝くのだからな」


 いちいち人を花に例えるのは止めて欲しい。毎回背筋に寒気が走る。

 そもそも、いくら何でも気障きざったらし過ぎる……のだが、何故か堂に入っているから悔しい。顔か、顔が良い男に許された特権だとでもいうのか。

 世の理不尽に憤慨しながら、冷良は空虚な心境で「アリガトウゴザイマス」とだけ返した。


「ちなみに、どこか行きたい場所はありますか?」

「幾つか目星は付けてあるが、とにかく都を見て回りたいな。順路は冷良に任せる」

「それじゃあ……」


 とはいっても、冷良は氷楽庵と奉神殿を繋ぐ道以外には明るくない。自然と選択肢は限られる。

 さて、通り慣れた道であれば、当然知り合いも多くなる。中には声をかけてくる者も大勢いる訳で。


「おう、冷良ちゃんじゃねえか」

「ん? ああ、砂糖問屋の。いつもうちの店がお世話になってます」

「そいつぁお互い様よ、毎回結構な量を仕入れて貰ってるからな。それで、今日は何かあったのか? 安息日でもないのに私服で都をうろうろして」

「えーっと……知り合いが都に来たから、お休みを貰って案内してるんだ」


 連れが神だとばれては一大騒ぎだ、自然体の都を眺めたいという瓊瓊杵の意向もあるので、適当に誤魔化しておく。


「知り合いっつーと、あっちにいる滅茶苦茶美形のあんちゃんかい?」

「うん、そう」

「……これかい?」


 砂糖問屋のおっちゃんが小指を立てた。示すところは恋人の意だ。


「うんうん、違うよ」

「恥ずかしがらなくても大丈夫だって、冷良ちゃんならあの兄ちゃん相手でも十分釣り合ってるから」

「違うよ」

「いっぺん大胆に迫ってみたらどうだ? お前さん相手に落ちない男はいねえって」

「違うよ」

「…………」

「違うよ」

「ま、まだ何も言ってねえんだが」


 砂糖問屋のおっちゃんが気圧されたように身を仰け反らせる。事実を繰り返し口にしているだけだが、何か怖がらせる要素でもあっただろうか?


「わ、分かった、冷良とあのあんちゃんはただの知り合い、これでいいな」

「そうそう」

「じゃあ、あんちゃんがあんなことになってても平気な訳だな」

「ん?」


 背後を指差されて振り返る。

 そこでは、色鮮やかで姦(かしま)しい女の群れが出来上がっていた。


「何じゃこりゃ!?」


 群れの中心にいるのは瓊瓊杵だ。よくよく聞けば、女性たちの騒ぎは彼への称賛や逢引(あいびき)のお誘いばかり。

 まさかその面差おもざしだけで、周辺にいた女性たちみんなをとりこにしたというのか。恐るべし美形。羨ましい美形。死すべし美形。

 ちなみに冷良も似たような目に遭ったことならある……扱いはほぼ愛玩人形だったが。


「はっはっは、みなの願いは叶えてやりたいが、あいにくと俺の身体は一つでな。いや待てよ、今は巫女が不足気味だとうちの巫女頭が言っていたな。そうだ、この中で宝の都に移り住むつもりのある乙女はいないか? 今なら巫女として即――」


 しかも何か際どいところまで喋っている! 自然体の都を眺めたいと言ったのはどこのどいつだ!


「ああもう!」


 同伴を任された者として放っておく訳にはいかない、言い知れない圧を放つ乙女たちの群れへと果敢に突っ込んでいく。後ろで「やっぱりこれなんじゃあ……」としつこいおっちゃんには強めの冷気を送っておいた。

 女性を無理矢理引っぺがすのも気が引けるので、隙間から瓊瓊杵の手を掴み、押し寄せる女体の間を縫うように脱出する。

 ひとまず曲がり角までひた走って角の隅に隠れて様子を伺い、追手が迫っていないことを確認して、ようやくひと心地付くことが出来た。


「ふう」

「どうした? 俺を独り占めでもしたくなったのか?」

「いーえ、瓊瓊杵は自然体の都を眺めたいと言っていたので、騒ぎを放置するのはよろしくないかと思いまして」


 にこやかな表情を維持するのにかなりの苦労を要した。


「何にせよ、早めにここから離れましょう。幸い、向こうの騒ぎは収まったみたいです」


 先程までいた場所を確認してみると、瓊瓊杵がいないことに気付いた乙女たちは残念そうに散らばっていた。


「という訳で今度はこっちに――」


 と、振り向いた冷良の先では、またもや乙女たちの群れが出来上がっていた。


「何で!?」


 顔ぶれを見る限り先程の乙女たちに嗅ぎつけられた訳ではない。別の乙女たちが瓊瓊杵を視界に入れて集まって来たらしい。


「ああもう!」


 冷良、再びの突貫とっかん

 だが、二度あることは三度ある。というか、年頃の女がいる場所だと例外なく騒ぎになる。

 都のあっちこっちを逃げ回り、冷良ですらあまり知らない区画まで迷い込んだ末、今は瓊瓊杵と共に人目の届かない細路地に身を隠していた。


「ぜえ……ぜえ……あの、帰りません?」

「い・や・だ」


 いい笑顔でのたまってくださる神様。行く先々での騒ぎそのものを楽しんでいる節がある。都を眺めたいというより、自分がちやほやされたいだけではないだろうか?

 何にせよ、付き合わされる方としてはたまったものじゃない。


「どうしたもんか……あ」


 わらにもすがる思いで表通りを見渡した冷良は、とある一つの店に光明を見い出した。


「少々ここでお待ちを」


 という訳で瓊瓊杵を待たせて店に突撃、買い物を済ませて即座に舞い戻る。


「瓊瓊杵様、少しかがんでもらえますか」

「こうか?」


 と、割と簡単に従ってくれた瓊瓊杵の頭に今しがた買った物を被せる。


「む? これは……笠か?」

「そうです、お店で一番大きくて深いやつを買ってきました。これを前側に傾ければ……うん、少なくとも目元は隠せますね」

「神が相手だというのに、随分と遠慮が欠けているな」

「うぐ……っ」


 不味い、騒ぎを起こしまくっておいて悪びれもしないので、ついぞんざいに扱ってしまった。


「も、申し訳ありません!」

「よいよい。元々、そなたであれば必要以上に畏まらぬと思っての指名故な」

「は、はあ……」

「しかし笠か……これはつまり都を歩いている間、俺の顔は冷良が独り占めという訳だな」

「お供の僕は周囲に気を配らないといけないので、残念ながら瓊瓊杵様に注目ばかりしている訳にはいきませんね」

「欠片も残念そうには見えんが」

「いえいえそんなまさか」


 本当に残念だ。全くもって残念だ。

 それにしても、いちいち台詞が臭いことを除けば、瓊瓊杵は随分と気さくな神だ。先程から苦労はさせられているが、話すだけなら同じ男である分、むしろ咲耶姫以上に波長が合う。

 今だって冷良が女装しているから口説き文句を繰り返しているが、素性を明かせば互いに気を許せる、それこそ友人に近い関係だって築けるかもしれない。

 丁度、咲耶と幹奈のように。

 少なくとも朝の時点なら、そういった考えも浮かんだだろう。

 けれど、今は絶対に有り得ない。

 その気さくな仮面の裏で、瓊瓊杵がしでかしたことを知ってしまったから。

 心からの敬意とは、払うべき相手に払うものではない、抱ける相手に抱くものだ。

 被害者が咲耶姫の身内だからという面もあるだろう。

 けれどそれを差し引いても、神だとしても、冷良は瓊瓊杵という一人の男に対して敬意を抱くことは絶対に出来ない。心の中にあるのはただひたすらに、軽蔑のみ。こんな男の供をしていることが嫌で嫌でたまらない。


「では、そなたなりの準備が整ったところで、再び都へ繰り出すぞ」

「承知しました」


 気さくな仮面を付けた神に、敬意の仮面を付けた冷良が応じる。

 さて、つつがなく都を散策出来るようになった冷良と瓊瓊杵は、あっちへふらふらこっちへふらふら、目的地も定めないまま東西南北を渡り歩いていた。もはや冷良もよく知らない景色だが、表通りならしっかり区画整理されているので、奉神殿を目印にしていればそうそう迷子にはなるまい。

 そして意外と言っては何だが、騒ぎを引き寄せなくなった瓊瓊杵の行動は、至って平和的だった。

 時折話しかける相手が女性なら口説き文句が入って面倒だが、対象が男性なら旧来の友人がごとく、老人なら身体を気遣い、子供ならしっかりと目線を合わせて優しく接する。

 行動だけを見るなら、本当に自然体の都を楽しんでいるという感じだ。

 結局そのまま大きな問題は起こらず、日が傾いて来た辺りで都の散策は終了となった。

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