粛清を! 女を掻っ攫う色男に粛清を!

 暑苦しく活気を奪う夏の朝。

 流石に寝ている間は妖力を使えないので、熱帯夜対策で布団の周囲に大量の氷を配置しているが、それでも雪女の半妖たる冷良にはこたえる。剣術の指導で普段以上にしごかれた日の翌朝ともなれば尚更だ。

 即座に身体を冷気で覆い、全身を襲う筋肉痛にうめきながら用済みになった氷を消し、身支度を整える。

 その後は食堂で朝食を済ませて朝の仕事にいそしむ訳だが、今日は昼前から普段とは違う用事がある。

 そう、昨日幹奈が話していた、咲耶姫の来客である。

 朝の仕事を早めに済ませた巫女たちは幹奈の指示に従い、正門と建物を繋ぐ参道を挟んで並び立つ。

 部下たちの整列を確認した幹奈は、普段以上に神妙な面持ちで補佐の巫女と共に正門を開いた。

 ほぼ同時に、巫女たちが丁寧に礼をする。若干反応が遅れた冷良も慌てて同僚たちに続く。


「「「「「ようこそお越しくださいました」」」」」


 寸分のずれもなく歓迎の言葉が唱和する。流石は先輩方、慌てていた冷良は声すら出てこなかった。隣に並ぶ紅がじっとりとした目を向けてくる。

 冷良を含めた巫女たちは頭を下げたまま動かない、少なくとも誰かから許しを得るまでは。それが賓客を迎える際の作法だ。


「構わん、面を上げよ。折角はるばる花の都までやって来たというのに、選りすぐりの花たちが揃って顔を隠したままでは台無しというものだ」

「皆、許しが出ました、顔を上げなさい」


 儀式じみた空気が漂う中、幹奈の指示に従って顔を上げることで、賓客の姿を拝むことが叶う。

 そこにいたのは、目をみはるほどの美丈夫だった。

 ややつり上がり気味ながらも威圧を感じさせない目、綺麗に通った鼻梁びりょう、見る者をとりこにする柔らかい笑みを浮かべる口元。それらが絶妙な比率で配置された顔の輪郭も無骨ではなく、さりとて細すぎて頼りなさを感じさせるでもない美しい線を描いている。

 全身から異性を引き付ける成分でも放っているかのような容貌であり、礼儀作法を叩き込まれた同僚たちでさえ顔を赤らめて相好そうごうを崩し、色気に当てられて意識が飛びそうになっている者もいる。

 つまり、世間のもてない男たち全ての敵である。お前たちが女を囲うから自分たちは良縁に恵まれないのだ。世界のもて男ことごとく滅ぶべし。笑顔の裏で、名前も知らない美丈夫へ思いつく限りの呪詛を投げかける冷良だった。

 居並ぶ巫女たちの顔を眺める美丈夫は腕を組んで満足げに頷く。


「うむ、やはりこうでなくてはな」


 それはあれか、女が自分を目にして見惚れる光景がお気に入りという訳か。流石、常日頃からもてそうな男は次元が違う。

 あの自分に酔っているような感じ、心底気に入らない。男ならもっとこう、顔ではなく心意気で勝負というか、背中だけで全てを語るというか、とにかくもっと他に大切なことがあるだろうに。

 とまあ、嫉妬の炎で心の中が焼け野原な冷良だが、それを決して表に出していないので、傍から見れば一人だけ冷静を保っているように映る。

 元より雪女の血が入った冷良の容姿は、人間の中にいるとよく目立つ。

 ならば、冷良が美丈夫の目に留まるのは半ば必然だったのかもしれない。


「む?」


 揺れ動いていた美丈夫の視線が冷良の所で止まると、近付いて間近で顔を覗き込んでくる。


「ほうほう、そなたが噂の半妖の巫女だな?」

「ええっと……噂というのはよく知りませんけど、この奉神殿にいる巫女で半妖なのは僕だけです」

「ふむ……ふむ、初めて聞いた時は驚いたが、存外馴染んでいるようだな。巫女は人間のみという先入観があったが、これからの時代を思えば神も妖との距離を近付ける必要はある。そして妖はともかく、半妖ならば信仰を持つ者も決して珍しくない、か。咲耶姫め、中々考えているではないか」


 多分咲耶姫にそんな考えはない。


「半妖の巫女よ、名は何という?」

「れ、冷良です」

「冷良、か。咲耶姫は女神ゆえ、そなたに求めているのは人間と妖の橋渡し程度の役割であろう。だがしかし! そなたの真の価値はその氷精が如き美貌! 単なる橋渡し役としておくにはあまりにも惜しい!」

「そういう……ものですか?」

「そういうものだ。なあ冷良よ、良い提案がある。花とは愛でられてこそ輝くもの。自らと同じ女に粛々と仕えるよりも、俺の傍に侍らぬか? その暁にはそなたを珠玉しゅぎょくの花として芽吹かせて見せようではないか」


 そこら辺の男が口にすれば気障きざすぎて恥ずかしい台詞を臆面もなく吐きながら、美丈夫は冷良の顎に触れてくいっと持ち上げた。

 同僚たちの黄色い悲鳴が遠く聞こえる。

 さて、この感覚をどう表現するべきか。

 例えるなら、周囲一帯を吐瀉としゃ物に囲まれながら、足元から大量の小虫が這いあがってくるかのような……。

 端的に言えば、寒気で全身が震えるし、今にも吐きそう。

 何故、男に、こんな間近で迫られ、口説かれなければいけないのか。自分が何か罰を受けるような悪さでもしたというのか。女装して女に混ざっている時点で罰当たりなのは分かっているのだけれども……!

 冷良は今頑張っている。凄く頑張っている。何せ震えるだけで堪えている。流石に吐くのは不味いと分かっているからだ。

 ひとまず方便の一つでも立てて断るなり距離を置くなりしたいところだが、今喉を動かすと声ではなく胃の中身が飛び出しそうで身動きが取れない。

 そんな冷良の切なる願いを理解しているのだろう、この場で唯一全ての事情を知る幹奈が救いの助け舟を出してくれた。


瓊瓊杵ににぎ様、姫様がお待ちかねでございます」

「咲耶姫が俺を待ちかねているとは思えんが……いや、待ち構えてはいるのかな?」

「……尊き神々のお考えは、下々の人間には理解しかねます」

「ふむ、まあ、そういうことにしておこう」

「皆、瓊瓊杵様を姫様の元へ。私は冷良と少々用事が。すぐに追いつきます」


 一時とはいえ賓客を部下だけに任せるのか? と疑問顔の同僚たちだが、幹奈のただならぬ様子に気圧されたのか、大人しく瓊瓊杵と呼ばれた美丈夫を建物の中へと案内していく。

 そうして二人きりになったところで、冷良はおもむろに口を開いた。


「……僕、男なんですよ」

「知っています」

「口説かれるなら、女の子の方がいいに決まってます」

「ええ、そうでしょうとも」

「なのにどうして僕はあんな……あんな目に……っ」


 吐き気の引いた喉から出てくるのは男として情けない軟弱な声。

 けれどそれは、紛れもなく冷良の慟哭どうこくに他ならなかった。

 うずくまって目を瞑り、耳を塞ぎ、この辛い現実から逃げ出したい。

 それを止めるのは、冷良の両肩に優しく手を乗せる幹奈だ。


「気持ちは分かる、などとは言いません。私は同性に憧れられたことはあっても、口説かれたことはありませんから。けれどあなたの上司として、師匠として、言わねばなりません――立ちなさい。歯を食いしばって心に刻まれた傷をねじ伏せ、前へ進みなさい。それは、あなたが言う『良い男』の条件なのではありませんか?」

「はい……確かに、その通りです」


 幹奈の慰めと激励で男の意地を奮起させた冷良は、潤んでいた目を拭って同僚たちの後を追う。


「咲耶様を呼び捨てってことは、やっぱりあの人も?」

「ええ、地上を治める国津神たちの一柱です。私が瓊瓊杵様とお呼びしていたでしょう?」


 男に口説かれた衝撃で聞いている余裕もなかった。

 いや、仮に聞いていたとしても意味はなかったに違いない。

 何せ――


「瓊瓊杵様って誰ですか?」


 叩かれた。


「あ痛っ!?」

「何故! よりにもよって姫様に仕える巫女のあなたが! 姫様の逸話を知らないのですか!」

「だ、だって、子供の頃から読み物は英雄譚とか立身譚くらいしか見ませんでしたし……」

「興味の問題ではありません! 神に仕える巫女が、主の逸話くらい知っていなくてどうするのかという話です! 今日の剣術指南、覚悟しておくことですね」

「ぎゃー!」


 余計なことを聞いて藪蛇やぶへびが出て来てしまった!

 さて、過ぎてしまったことは仕方がない。


「瓊瓊杵様ってどんな神様なんですか? 咲耶様と知り合いっぽかったですけど」

「……あのお二方の関係を、知り合いと呼んで良いものかどうか……」

「それってどういう――」


 幹奈の意味深な物言いの意図を尋ねようとした冷良だったが、それは叶わなかった。

 咲耶姫がいる座敷の方から、けたたましい音が聞こえてきたからだ。


「幹奈様、今のって!」

「……急ぎますよ」


 そう指示してきた幹奈の声色に、冷良は違和感を抱いた。

 咲耶姫の身に何かが起こった。ならば急いで駆け付けねばならない。

 当然だ、現に冷良の胸には、かつて咲耶姫がさらわれた時と同等の焦燥が込み上げている。

 だが、何と言うか……温度を共有していないというか……幹奈から伝わってくる危機感が小さいというか……とにかく妙なのだ。まるで緊急事態が発生したというより、面倒ごとを早く片付けなければ、とでも言わんばかり。

 ――いやいやそんなまさか。

 浮かんだ疑念を即座に否定し、幹奈と共に歩き慣れた廊下をひた走る。

 そうして目的地にやって来ると、同僚たちが開いた襖の陰から座敷を覗き込んでおろおろしている。どうやら瓊瓊杵は既に中へ入ったらしい。そしてそこから巻物やら陶器やら様々な物が飛んできている。

 こちらに気付いた紅がすがるような目を向けてきた。


「か、幹奈さま……っ」

「私が対応します。あなたたちは外で控えていなさい」


 慌てず騒がず、幹奈は巫女たちを待機させて座敷に踏み入る。なんとなく流れで冷良も一緒に突入した瞬間、見覚えのある茶碗が視界一杯に広がり――


「ふぎゃっ!?」


 痛い。鼻頭に当たったので超痛い。

 鼻の奥に突き刺さるような痛みを我慢し、どうにか顔を上げた冷良は目撃する――怒りの形相で座敷にある物を手当たり次第に投げまくる咲耶姫と、その投擲とうてき物を涼しげな様子で躱す瓊瓊杵の姿を。


「毎回毎回、どのつらを下げて妾の元へやって来るのだ!」

「自制が利かん悪い癖は相変わらずだな、咲耶姫。そなたの巫女たちが困っているぞ」

「元凶が! 何をぬけぬけと!」


 咲耶姫の狂乱は止まらない。確か相当なお値段だった品々が惜しげもなく宙を飛ぶ。陶器は残らず砕け散り、巻物も何枚か破れている。

 そして投げられそうな物をあらかた投げ切っても、咲耶姫の怒りは冷めやらない。威嚇するような吐息と共に、瓊瓊杵へ詰め寄って手を振り上げて放たれた平手を――瓊瓊杵との間に割り込んだ幹奈が頬で受け止めた。

 予想だにしない介入に咲耶姫がぎょっと目を剥く。


「か、幹奈……」

「姫様、どうかご自制を。神々同士のやり取りに人間が口を出す権利はありませんが、他神に手を上げたとなれば神々の間で問題視される可能性があります」


 神々のやり取りに人間が口を挟む権利はない。だからこそ、幹奈は咲耶姫を止めるのではなく、瓊瓊杵の代わりに平手を受けた。そして今の台詞は静止ではなく忠言であり、嘆願だ。

 それが、幹奈に許される最大限の干渉。咲耶姫を守る為に見せた覚悟。

 咲耶の表情が、親に叱られた子供のように萎れていく。やがてぷいっとそっぽを向き、今までの猛り様が嘘のような静かさで腰を下ろした。


「その男を妾の視界から追い出せ。幹奈も冷良も外に出よ、座敷の片付けは後でやれ」

「さ、咲耶様? いくら何でもそれは――」

「冷良、姫様のご命令です、退出しますよ。瓊瓊杵様、どうかここは……」

「了解した、このままでは取り付く島もなさそうだ。ただ、数日ここに滞在するつもり故、部屋の用意を頼む」

「姫様、よろしいですか?」

「……勝手にせよ」


 咲耶姫らしからぬ、棘のある冷たい口調だ。

 気になり過ぎて仕方ないが、主の命令は絶対。後ろ髪を引かれながらも、座敷を後にする幹奈と瓊瓊杵に冷良も続く。


「――瓊瓊杵……散瑠ちる姉様を傷つけたくせに」


 ――こぼれ落ちた呟きの意味も、分からないまま。

 廊下に出た幹奈は瓊瓊杵をとある座敷に案内する。どうやら稀にやって来る賓客用の座敷のようで、いつの間に指示していたのか、既に客を迎え入れる準備は整っていた。


「それでは瓊瓊杵様、巫女を一人外に待機させておくので、ご用があればそちらに」

「あい分かった。もうそなたたちは下がってよいぞ」


 咲耶姫から許可を貰い(というより追い出された)、賓客からも離れる許可を貰い、ようやく巫女たちは緊張から解放されることになった。

 日課である巫女の修練も今日はお休み、代わりに瓊瓊杵をもてなす為に同僚たちは手早く仕事を割り当てられ、各々の担当場所へ向かっていく。

 冷良は何も割り当てられなかった。意図は……聞くまでもない。

 無言で歩き出す幹奈について行った先は、巫女たちの宿舎だった。朝晩は巫女たちの世間話などで賑わっているが、全員が仕事中の昼は誰もいない静寂に包まれている。

 大広間に腰を下ろした幹奈に冷良も続こうとして、彼女の頬が赤く腫れたままなことに気付く。


「あ、頬冷やします」

「助かります」


 幹奈の隣に移動し、頬を冷気で冷やす。

 改めて間近で見ると、痛々しいほどに真っ赤だ。それだけ咲耶姫が全力で平手を打ち付けたということだろう。


「咲耶様があんなことするなんて……」


 冷良が口にした『あんな』には様々な要素が含まれていた。

 いつも朗らかで優しい(たまに我儘)咲耶姫が激情を爆発させたこと、相手が男とはいえ手を上げたこと、幹奈が代わりに平手を受けても身を案じず、拗ねた態度で座敷から追い出したこと。

 別に咲耶姫を非難している訳ではない。

 冷良の頭を占めるのは大量の疑問のみだった。何が咲耶姫にあれほどの変貌をもたらしたのか、と。


「やっぱり……瓊瓊杵様と何かあったんですよね?」


 彼女の言動を鑑みれば、原因が『誰か』は明白だ。

 ただ、二人の間にあった『何か』までは知らない。

 幹奈は頬の痛みも咲耶姫の態度にも堪えた様子はなく、ただ小さく憂いのこもった息を吐いた。


「今ならば丁度良いですね。教育です、姫様の神話について」







 むかしむかし。

 神々の間で、大山津見神おおやまつみのかみが管理する山の中には美しく器量良しの姉妹がいるという噂が流行っておりました。

 姉の名は木花散瑠姫このはなちるひめ、妹の名は木花咲耶姫。

 誰もが彼の姉妹と縁を持とうと願う中、一足早く躍り出たのは瓊瓊杵ににぎという男神でした。彼は大山津見を通し、姉妹に婚儀を申し込んだのです。

 姉妹は世間知らずで婚儀の意味すらよく理解していませんでしたが、父に婚儀とはめでたいものだと教えられ、二人とも瓊瓊杵への嫁入りを決めました。

 そしてあっという間に婚儀当日。山を下りたばかりで右も左も分からない姉妹たちは、おっかなびっくり瓊瓊杵の前に姿を現しました。

 そうして初めて顔を合わせることになった瓊瓊杵は言いました。

 ――木花散瑠姫、お前は俺の妻に相応しくない。

 実は、美しいのは妹の咲耶姫だけで、姉の散瑠姫は誰もが眉を顰めるほどの醜女だったのです。

 婚儀に参列していた神々たちもげらげらと笑いました。

 ――醜い醜い散瑠姫! よくもこの場にやって来れたものだ!

 こうして、姉の散瑠姫だけは大山津見の元へと送り返されたのです。

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