夏はかき入れ時
「おー、千客万来」
主要な通りから外れているにも関わらず、氷楽庵は非常に繁盛していた。席は満席に近く、給仕の少女たちが忙しそうに動き回っている。
「よお、冷良じゃねーか!」
「あ、どうも、いつもうちの店をご
声をかけてきたのは氷楽庵の常連客だ。冷良が奉神殿で勤務するようになったので会う頻度は随分と減ったが、顔を見かけるとこうして挨拶してくれる。
ちなみに、巫女となる前の冷良に関する情報が同僚たちに伝わるとまずいので、小雪が噂を流してくれている。
「今日はどうしたい。もしかして看板娘の復活か?」
『看板娘』が『復活』するという表現に物申したい衝動をぐっと堪える。
「いやいや、僕の格好よく見てくださいよ、奉神殿の使いです」
「奉神殿から? 今の時期となると……夏祭り絡みか?」
「あー、そういえば後三週間ですねえ」
夏祭り。大抵の都市が今の時期に一度は開催する、文字通り夏の風物詩。花の都のそれは年に一度だけだが、その分規模は大きい。
「まあ、今回は別の用――」
「よく来たわね冷良!」
「うひゃあっ!?」
背後から急に両肩を掴まれ、図らずも噂を補強するような声を出してしまう冷良。
「こ、小雪さん!? 何!? 何!? 何があったの!?」
冷良の帰宅頻度は一週間に一度あるかどうか。小雪は毎回歓迎してくれるが、こんな熱烈ではない。
というか、氷楽庵が商売繁盛している今、調理の一切を担当する小雪が表に出ている暇など無い筈なのだが。
「冷良あなた、夏祭りの日はどうするつもり?」
「そんなことより小雪さん、注文はいいの?」
「特別奉仕!」
瞬間、小雪を中心に粉雪が舞う。
「これで少しなら大丈夫」
「いや、俺は休憩時間少ないからなるべく早い方がいいんだけど……」
「……つーか寒っ」
「いやあの、小雪ちゃん? 流石にこれはちょっとやりすぎ……」
「お黙り」
『はい』
それでいいのか、色々と。
「えーと、夏祭りだっけ? 僕はまだ詳しく聞いてないけど、普通に巫女の仕事してるんじゃないかな?」
「やっぱり……」
「で、何か困ったことでもあったの?」
「……氷係がね、足りないのよ」
「あ、あー……」
夏祭り当日は今とは比べ物にならない数の客が入る見込みだ。当然、臨時でも何でもいいから手を増やす必要がある。
だが、給仕は臨時で増やせるが調理はそうもいかない。何せ品書きのほぼ全てが氷菓、雪女の小雪以外では担当そのものが不可能なのだ。
例年は冷良が補助に入ってどうにか店を回していたのだが、巫女の仕事にかかりきりではそれが出来ない、ということだ。
「お願い! 祭の当日だけでいいから店を手伝って!」
下げた頭の上で両手を合わせる小雪。彼女としては珍しい直線的な頼み方といい、相当焦っているらしい。
「何なら降臨の儀が始まるまででいいから!」
降臨の儀とは、咲耶姫が民たちの前に姿を現して直接祝福を与えるという趣向の儀式であり、花の都の夏祭りにおける最大の目玉だ。
流れとしては塔の大地を降りてすぐの広場で軽い演説を行い、そのまま神輿に乗って都中を練り渡る。民が神を間近で目に出来る数少ない機会であり、遠方からわざわざ足を運ぶ人間が毎年後を絶たない。
「そうは言っても、降臨の儀以外にも仕事はあるだろうし……」
「そこを何とか言うだけ言ってみて! 向こうには貸しがあるんだし、無下には出来ないんじゃないの?」
「そういう恩着せがましいやり方はなー」
冷良は以前幹奈と咲耶姫の為に尽力したが、それは恩を売りたくてやったわけではない。ただ自分が納得出来なかったから何も考えず突っ走っただけだ。
形勢不利と見たか、小雪は攻め口を変えてくる。
「うぅ……夏祭りは一番のかき入れ時なのに……ここでしっかり稼げなかったら、冬に薪が買えなくなるわ。今年は冷や飯や隙間風で凍えることになるのね」
「いや、僕らが凍えるわけないじゃん」
雪女は本来雪と共に生きる種族。北風隙間風何のその、むしろ寒ければ寒いほど心地よい。
というか、氷楽庵では
冬になれば氷菓の売れ行きが芳しくなくなるのは確かなのだが、(他店との差別化が難しくなるが)冬用の品書きもあるし、氷菓だけでなく氷楽庵そのものを好いてくれる常連もそこそこいるので、生活が
「もう! 少しでも金を稼いで自分を可愛く着飾ろうっていう
「無いよ!?」
着道楽ならぬ着せ道楽、要は趣味に使うお金が欲しいというわけだ。
けれど残念、本音を知ってしまったからにはこの首を縦に振ることは無い。そう意思を固めたら、小雪は身を寄せて来て耳元でそっと呟いた。
「良い男なら、女を悲しませるようなことはしないんじゃないかしらー?」
「そ、その言い草はずるい!」
「さーて、あなたはどうするのかしらー?」
「うぎぎ……」
駄目だ、乗せられてはいけない、意志を強く保て――
「僕は無力だ……」
結局、断れなかった冷良であった。
気分は負け犬、けれど心の底から喜ぶ姿を見せつけられてはそれでもいいと思ってしまう。女って色々とずるい。
「えーと、後は常備薬と生活雑貨諸々の補充、お金の両替、注文の受け取り、差し入れ用のお菓子……」
幹奈に渡された覚え書きを確認してみると、『その他諸々』の内容がずらりと並んでいる。軽い気持ちで引き受けたが、先程のごたごたの後で見返すと中々にげんなりする量だ。何でも、夏祭り目前で誰も彼もが忙しい今の時期、用事は可能な限り纏めるようにしているとのことだ。
「あ、雑貨はいくつかうちも利用してるとこだ。お菓子の店も……うん、偵察で行ったことがある。確か……」
冷良は周囲を見渡し、とある細路地に駆け寄った。
「あったあった、近道近道~」
目的地は多いのだ、可能な限り行程を短くして効率化するのが出来る男というものだろう、多分。
冷良は意気揚々と細路地へと足を踏み入れた。
そしてあっという間に迷った。
「また……行き止まり……」
花の都には奉神殿という、どこにいても絶対に見失わない目印がある。それに一旦大きな通りにさえ出てしまえばどうとでもなるのだが、何故かそれすらも叶わない。地元にこんな迷宮が存在していたとは驚きだ。
既にかなりの時間が経っている。幹奈から説教という名の雷を落とされ、剣術の修行で普段以上にしごかれるのは最早逃れられまい。
後のことを考えると気が重くなるので、頭の中に地図を描くことも諦め、肩を落として無心で足だけを適当に進ませていく。
だからだろうか、周囲の雰囲気が少しずつ変わっていくことに気付けなかったのは。
まず違和感を覚えたのは、離れていても届く大通りの喧騒がいつの間にか消えていたこと。
日が傾いて人通りが減ったのかと、軽い気持ちで空を見上げ、その色が灰色であることを確認した時点で、冷良は自分が異常な事態に陥っていることを確信した。
雲ではない、雲にしては明暗の差がなくのっぺりとしているし、自然の雲り空にしてはやけに明るい。
冷良は即座に意識を切り替え、全力で駆け出した。あれほど鬱陶しかった曲がり角や行き止まりは一切立ちはだからず、不自然なほどに長い細道が続く。
やがて左右を挟む壁が途切れ、ようやく細道から抜け出せた。
だが、その先に待っていたのは人や妖が行き交う大通りではなく、一面が霧に包まれた花の都ではない何処かだった。
こういった場所を、冷良は知っている。
「――
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