終章

 月代家当主代行、月代梢による女神の誘拐及び殺傷未遂事件。

 知らされた者を残らず激震させたこの事件は、首謀者、動機などの情報が民に悪影響を及ぼすと判断され、一般に知らされることはなかった。

 当然、だからといって全て無かったことにして終わりで済む話ではない。

 一番の被害者であり花の都の頂点に立つ咲耶姫は、君臨しても統治はしない類の女神だ。奉神殿とは別で政治を行う幕府という機関があり、事が事なだけに咲耶姫が許したので関係者全員無罪放免、という訳にはいかなかった。

 ひとまず、月代家のお取り潰しは免れ、幹奈の身も無事だった。これは全てを知る咲耶姫と冷良が口裏を合わせ、『娘である幹奈がけじめをつけるために梢を討った』ということにしたからだ。

 当人は初め激しく拒否しようとしたが、幹奈の身の安全を考えればこれしかない。最終的に、幹奈の次に梢と付き合いの長い咲耶姫が、梢ならば何を望んでいたかをき、渋々ながらも納得させた。

 とはいえ、それでも家としての罪が帳消しになる訳ではない。財産と退魔士の大家としての権力は大きく削がれ、幹奈も次期当主の座から外された。今後の月代家は分家から新たな当主を立てるか、あるいは分家共同で運営していくこととなるだろう。他に関わっていた者たちの家は、どこまでの者が関わっていたかによって様々だ。

 さて、事件の存在に関しては幕府が全力で情報統制を頑張っているものの、月代家の大幅な体勢変更に疑問を持つ者は多いし、人の口に戸は立てられない。

 真贋しんがん織り交ぜた様々な噂が飛び交い、中には『梢が何かとんでもないことをやらかした』だの『姫様に危害が及んだ』だの『白雪のような女侍が目撃された』だの、核心に近いものもあったのだが、真相を確かめる術はなく、ただ人々の想像力をかき立てるばかり。

 どの道、人の噂も七十五日。真贋のはっきりしない噂など、すぐに時の流れに連れ去られていくだろう。






 やがて事件から一週間が経った。

 冷良と幹奈は現在、咲耶姫の前で恐縮しながら正座している。

 本来であれば、幹奈は奉行所の取り調べや月代家のごたごた、身辺整理などで忙しい身だ。それを、咲耶姫が関係各所を黙らせて無理に呼びつけた形だ。


「うむ、この三人が揃うのは久々に感じてしまうな。特に幹奈よ、忙しい身であろうに呼びつけて苦労をかける」

「い、いいえ、姫様のお言葉は全てにおいて優先されます故」


 穏やかな話題の始まりが、逆に冷良たちの緊張を煽る。


「さて、忙しい幹奈を呼びつけてまでこの場を設けた理由、そなたらも既に予想はしているであろう?」

「「…………」」


 正直に言えば、予想している。

 恐らくは、事件のどさくさで冷良が明かしてしまった――


「冷良、そなた、男であるな?」

「……はい」

「幹奈、そなたは冷良が男だと知っていたな?」

「……はい」


 確信を持った目だ、下手な嘘は通用しまい。

 梢を看取った時とはまるで違う、冷たい瞳が上座から冷良たちを見下ろす。初夏の暑さとは違った理由の汗が、互いのこめかみを流れてゆく。

 気分は断罪を待つ罪人。いや、実際にそうなのだろう。

 重苦しい静寂の時間が過ぎてゆく。次に投げかける言葉がいかなるものか、二人の罪人はただ固唾を飲んで待つばかり――


「くふっ――」


 初めは、咲耶姫が咳払いでもしたのかと思った。


「あーっはははははははははははははははははははは!」


 だが、こともあろうに彼女は腹を抱えて破顔一笑し始めたではないか。冷良と幹奈が揃って唖然と間抜け顔を晒してしまうのもさもありなん。


「はは……ゆ、許せ、少し脅かしてやろうと思っただけなのだが、そなたらが小動物のように縮こまる故、おかしくておかしくて……!」


 収めようとしても中々収まらないらしい笑いに悶える咲耶姫を前に、冷良と幹奈は顔を見合わせる。当然、お互いに事情はさっぱり呑み込めない。

 やがてようやく笑いの引いた咲耶姫が、笑い過ぎによる涙を拭いながら続ける。


「あー笑った笑った、ここまで笑ったのは何十年ぶりか」


 さらっと出てくる年月の桁が人とは違う。


「さて、結論から告げよう。冷良と脱衣所で鉢合わせたあの時から、妾は冷良の性別を知っていた」

「「…………」」


 冷良と幹奈がその意味を理解するには少しの間が必要だった。

 やがて――


「「えぇええええええええええええええええええ!?」」


 奉神殿の隅まで届きそうな大絶叫を上げることになる。


「ど、どうして分かったんですか!? もしかして、あれだけ女装しても隠せないくらい、僕の男らしさは凄かったとか!?」

「そんな訳が無いでしょう! そ、そもそも、冷良が男だと知っていたならば何故巫女になど!?」

「ええい、二人揃ってやかましい。説明してやるから落ち着かぬか」


 鬱陶うっとうしそうに顔を顰める咲耶姫にそう言われ、冷良たちはひとまず居住まいを正す。

 咲耶姫は、まず冷良に視線を向けた。


「時に冷良、十年ほど前に幽世へ迷い込んだことは無いか?」

「幽世に? そんなこと……ああ、あったよう、な? いまいち覚えてないんですけど、幽世がどうとかって小雪さんに凄く心配された記憶があります」

「まあ、小雪が心配するのも道理であろう。幽世とはこの世ならざる異界、何が起こってもおかしくない故な。しかし、そなたが迷い込んだのは実のところ妾が支配する領域――神域だったのだ」

「ええ!?」


 冷良、本日二度目の驚きである。

 神域とは天におわす神々が地上に降臨する際、中継としての役割を果たす領域だと伝えられている。この世ならざる領域という意味では、確かに神域も幽世の一つだ。

 だが、地に生きる人からしてみれば、神域など天上の神々が住まうとされる天津国と同じくらい遠い存在だ。そんな場所へ足を踏み入れたと言われても実感が湧かない。


「……覚えてないんですけど」

「幽世は現世とはあらゆる法則が違う。幼いそなたは胡蝶こちょうの夢として忘れてしまったのかもしれぬな。だが、妾はそなたとの語らいを全て覚えているぞ。女子だと疑う童に、自分は男の子だと食って掛かったりな」

「……その節は、申し訳ありませんでした」


 食って掛かった場面はさっぱり覚えていないが、幼い頃なら女扱いされただけでむきになっていた気がする。


「よいよい、あれだけ近い距離で人と話すのは新鮮だった故な。それに、そなたは悩んでいた妾を励ましてくれた」

「咲耶様が悩み……? そういえば十年前って……」


 人と妖が共に暮らし始めた――つまり、神々が幽世に『悪意』を封印した時期だ。

 人と妖の在り方に心を砕いていた咲耶姫だ、混乱が予想されたであろうその時期にどのような悩みを抱えていたのか、そして幼い自分はどう励ましたのか。真実は忘れてしまった記憶の彼方だ。


「……とても、嬉しかったのだ」


 それでもきっと、過去の自分は間違わなかったのだろうと、冷良は自信を持って言える。

 大切な宝物を抱きしめるように胸に手を当てる咲耶姫の表情が、言葉の通り心から嬉しそうだったから。


「そうしたことがあって、褒美と土産を兼ねて加護を与えたりもしたな」

「ああ、いつの間にと思ってたら……」


 奉神殿に来てから特別なやり取りはしていない筈と不思議に思っていたが、きっかけは更にその前、忘れてしまった記憶の中にあった訳だ。


「妾としては、そなたとの縁はあれっきりのつもりであった。故に脱衣所で再会した時は驚いたぞ。男禁制の奉神殿に入り込んでいるし、あれだけ自分は強い男になると息巻いていた割には女らしさに磨きがかかっているし」

「……色々あったんです」


 本当に、色々と。


「で、あろうな。まあ、そなたは神域での出来事を覚えておらぬようだったし、わざわざ妾の口から説明するのも無粋、故に今まで黙っていた」

「成程」


 やたらと友好的で特別扱いされるのが不思議だったが、元より顔見知りだったのであればそこまでおかしなことでもない。

 冷良がずっと燻っていた疑問の解決にすっきりしていると、幹奈が小さく挙手する。


「姫様、私から一つよろしいでしょうか?」

「良いぞ、申してみよ」

「冷良の性別を知っていたなら、その場で冷良や私たちの不手際を断罪しても良かった筈。なのに何故それをなさらず、あまつさえ巫女になど?」

「あ――」


 冷良は間抜けな声を上げた。

 そうだ、性別を知られていたなら、冷良が女のふりをする前提が崩れる。なのに実際は、順調に巫女として生活していた。

 二対の疑問の眼差しを受け、咲耶姫はあっけらかんと告げる。


「別に妾は男が傍に侍ることを禁じてはおらぬぞ。まあ、実際に禁じている女神も多いが、妾の場合は人が勝手に勘違いしただけのこと。別に不便もしない故、特に訂正はしなかったが」

「「えぇ!?」」


 ここに来てまさかの更なる前提返しだった。

 冷良たちの驚愕を意に介さず、咲耶姫は更に続ける。


「妾は別に男であっても気にしない。ならば、気に入った者を手元に置こうとするのは当然であろう? 幽世から現世へ戻る際は入った時と同じ場所にしか戻れぬ故、十年前はここへ連れて帰ることが出来なかったが」


 相手の意思を無視することを当然とする傲然さに、冷良は久々に咲耶姫が女神であることを実感した。

 結局のところ、咲耶姫の(逆らうことが許されない)我儘という点は変わらない訳だ。

 と、冷良が若干の落胆と共に出した結論を察したか、不意に咲耶姫の表情に不安の影が降りる。


「その……妾の傍にいるのは嫌か?」

「…………」


 冷良は額を手で覆った。相手が咲耶姫でなければ溜息も吐いていたところだ。


「……嫌ならあんな痛い目にあってまで助けに行ったりしませんよ」


 瞬間、花開く咲耶姫の笑顔。

 この方は狙っているのだろうか? それても天然? どちらにせよずるい。

 そんな表情でそんなことを言われて、冷たく引き離せる筈が無いではないか。

 喜びが限界を越えたか、咲耶姫が飛び掛かって抱きしめ、猛烈に頭を撫でてくる。


「……あの、女性のふりしてる時は言えなかったんですが、男として頭を撫でられるのは色々と情けなくてですね」

「んー? 知らぬなー、妾は女神、愛でたい者を好きなだけ愛でるだけだ」


 性別がばれていても逃げられないのは変わらなかった。せめて心を無にして羞恥を耐えながらふと視線を横に移すと、幹奈が切なげな表情で視線を落としていた。

 一体どうしたのだろう? と、冷良が疑問を抱くと同時に、咲耶姫の腕が幹奈へ伸びる。


「――っ!?」

「おーう? その物欲しげな目は何だ? もしや羨ましいか、羨ましいのだな? ならば日頃から素直に言わぬか、堅苦しいのが悪いとは言わぬが、色々と溜め込むのはいかぬ」

「あ、あああの!? 私は決してそのようなつもりは……!」

「ではどういうつもりだったのだ?」


 咲耶姫が頭を撫でる手を止めると、幹奈はばつが悪そうに目を逸らす。


「その……今のようなやり取りを見るのも今日で最後かと思うと、流石に名残惜しく……」

「む、最後?」

「辛うじて命だけは見逃していただけたとはいえ、あれほどの大罪、今までと同じ立場でいられるとは思っておりません。既に覚悟は済ませております、どうぞ私を巫女頭の任から――」

「馬鹿者」

「あたっ!?」


 最後まで台詞を待たず、呆れ顔の咲耶姫が幹奈の鼻

頭を指で弾いた。


「そなたの処分について、妾は判断を冷良に委ねた。その冷良が許すと言ったのだ、それすなわち妾が許すと言ったも同然。女神が一度下した決断をそう簡単に覆すなどと、女神への侮辱に等しいぞ」

「も、申し訳ありません!」


 恐縮して平服する幹奈に。咲耶姫はやれやれと言いたげに溜息を吐いた。


「申し訳ないという気持ちがあるのなら、巫女頭としての働きで示せ。そなたがいない間、冷良や他の巫女たちが穴埋めを頑張っているが、皆悲鳴を上げている。やるべきことをさっさと済ませ、早く戻って来い。この奉神殿にはそなたが必要だ」

「……勿体無いお言葉でございます」


 そう言って、幹奈は微笑んだ。

 それはよくよく考えれば、冷良が幹奈と出会ってから始めて見る笑顔で。

 ようやく、今回の事件が終わり、肩の荷が下ろせたことを実感させてくれるものだった。


「ふー、それにしても、咲耶様が僕の性別を知ってて良かったです。今後は女性のふりをする必要も無くなりますしね」

「む、何を言っている?」

「…………へ?」


 咲耶姫の疑問顔は、安心と楽観の只中にあった冷良の意識を崖っぷちへ追いやるには十分だった。

 そして続く言葉は、そのまま絶望の中へ突き落すには十分過ぎた。


「妾が意図したことでないとはいえ、この奉神殿は良家の娘の修行場として認識されている。そこに男が混ざっているとなれば信用は失墜、大切な娘を預けようという家も無くなるであろう。妾が誰かを指名して命令しても構わぬが、それで巫女になる娘が抱く感情は絶望や悲しみの類であろうな」


 付け加えるなら、約一か月の付き合いでそれなりに仲良くなった紅たち同僚の巫女も、冷良の裏切りを悲しむだろう


「更にもう一つ」


 咲耶姫が指を一本立てて厳かに言う。


「まだあるんですか……?」

「うむ、むしろこれが一番重要だ。妾の父、大山祇命は相当な親馬鹿でな、娘の妾をとても溺愛している。そんな父が童の傍に男が侍っているなどと耳に入れてみよ、激高して冷良に殴りかかっても全く不思議ではないぞ」

「それは……痛そうですね」


 だが、冷良は既に本気の殺し合いを経験した後だ、鉄拳制裁で済むならむしろ安いくらいに感じる。

 一応表面上は深刻そうに受け止めた冷良に同意するように、咲耶姫は重苦しく頷く。


「うむ、何せ山を丸ごと砕けるほどの拳故な」


 人はそれを処刑と呼ぶ。

 慰めるように、咲耶姫と幹奈が冷良の肩を叩く。


「これからも精進するが良いぞ、巫女としてな」

「大丈夫、あなたを見て男と疑う者などまずいません」


 それぞれ面白がっているのか、それとも大真面目なのか。いずれにせよ、悲しいかな何の慰めにもなっていない。


「は、はは……」


 今はただ、乾いた笑いを漏らすことしか出来ない冷良なのであった。

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