怨嗟の花道

「さて……どうしようかな……」


 生い茂る木々を避けて走りながら、冷良は独り言ちる。

 落とした視線が見つめるのは、一本だけ残った氷の小太刀だ。

 逆側の手に再び同じ物を作ろうとして――止める。


「やっぱり無理か……」


 小太刀を握るだけなら歯を食いしばれば耐えられないこともない。

 だが、そもそもまともな強度を持つ氷の小太刀を造ることが出来なくなっている。

 雪女が造り出した氷の強度は込められた妖力によって上下する。

 つまり、冷良にはもうその程度の妖力も残っていないのだ。

 更に付け加えるなら、花畑に向かう足取りも軽快とは言い難い。加護は怪我を直してはくれても、失った血や疲れを元通りにまではしてくれないからだ。

 奉神殿から妖力も体力も酷使してきたことを考えれば、むしろよくもった方だろう。加護がなければとっくに力尽きていたに違いない。

 だが、咲耶姫を助ける障害は、先程必死の思いで勝利した幹奈だけではない。


「後は梢さんか……」


 幹奈の母にして、今回の企ての首謀者と思しき人物。冷良が咲耶姫を助けようとすれば、まず間違いなく妨害してくるだろう。

 正直なところ、冷良は梢の実力をよく知らない。咲耶姫によれば彼女が月代家に嫁入りしたとのことだから、生粋の武人という訳ではないだろう。

 とはいえ、巫女だった時期にもある程度の鍛錬はしていた筈だし、退魔士という家柄を考えれば嫁入り後に無力なままで許されるとは考えづらい。加えて、あの肌を覆いつくす紋様の数々も気になる。いずれにせよ楽観は危険と考えた方がいい。

 果たして妖力も体力も尽きかけた今の状態で勝てるのかどうか。

 もしかしたら、幹奈との戦い以上の死地へと自分は向かっているのかもしれない。

 それでも、ひた走る冷良の足取りに軽快さはなくとも、迷いはない。

 男として、そして冷良という半妖の願いを叶える為、今が踏ん張り所なのだから。

 やがて木々が生い茂る森を抜け、開けた空間が見えてくる。

 状況は先程とあまり変わっていない、神力を吸われて苦悶の表情を浮かべる咲耶姫と、それを成す儀式に集中している梢。

 だが、咲耶姫の受ける苦痛は確実に蓄積されている筈だ。まずは一刻も早く儀式を止めなければ。

 まずは不意打ちで、なけなしの妖力で造った氷柱を飛ばす。


「ぐっ!?」


 意外なことに、梢は氷柱に気付いて対処することもなく、そのまま無防備な肩に命中してしまった。冷良は多少面食らってしまったが、それだけ儀式に集中していたということだろう。

 だがその儀式も、梢の意識が乱れたことにより終わりだ。陣が光を失い、咲耶姫は身体を支えきれず地面に倒れ込む。


「咲耶様!」


 一瞬梢への追撃とどちらを優先するか迷ったが、やはり咲耶姫の安否以上に大切なことはない。

 冷良は咲耶姫の元へ駆け寄り、抱き起して顔を覗き込む。


「咲耶様、大丈夫ですか!?」

「まあ、何とかな……これならばしばらく休めば……どうにか回復する範囲であろう」


 気丈に無事を教えてくれる咲耶姫だが、その声はあまりにか細い。休めば回復するという自己申告も強がりだろう、一刻も早く安静にしてもらわなければ危ういと言った方が正しそうだ。

 その為には――


「まさか幹奈が負けるなんてね」


 幽鬼のように立ち上がった梢が、ゆったりとした足取りで近付いてくる。

 冷良は咲耶姫を守るように立ちはだかり、半ば無駄とは分かっていても言葉を投げかけた。


「梢さん、あなたの計画はもう終わりです。幹奈様は動けない、儀式も続けられない……あなたは負けたんです」

「それはどうかしら? あなたを殺して姫様を取り返すって手もあるわよ、人ならざる半妖の冷良さん?」

「幹奈様に勝った僕を、簡単に殺せると思いますか?」

「やれるわよ。ほら、幹奈に教わったのは小太刀二刀でしょう? その手に持っているのと同じ物を造って構えなさいな」


 恐らく、冷良の妖力が殆ど残っていないことを見越しての挑発だ。見張りを呼ばれなくて良かった、なんて思っている場合ではない。彼女は一人だけで十分だと判断したのだ。

 何も手立てが浮かばず、ただ一刀のみとなってしまった氷の小太刀を構える。

 悠然と距離を縮めてくる梢は見たところ無手だが、退魔士には術式がある。彼女がそちらを得手とするなら、冷良を殺すことも十分可能だろう。


「……逃げないのね。私も無理に追おうとは思わないし、この状況なら逃げたって誰も文句は言えないと思うけれど」

「嫌です。ここで逃げたら、あの楽しかった日々はもう二度と戻って来ない。何より、僕はもう二度と自分を誇れなくなる」


 ふと、梢は目を細めた。


「曇りの無い目……まるであの人みたい。」


 その様が、障害に対する苛立ちというより、眩しいものへの憧憬どうけいに近しい感情のように思えて。

 もうすぐ互いの腕が届きそうな距離だというのに、警戒の程度を引き上げられなくて。


「ねえ、さっき幹奈に勝ったって言ったわよね? もしかして殺した?」

「いえ、不意を突いてとびっきり硬い氷で拘束しただけです。殺すどころか、まともな傷さえ負わせられませんでした」


 流れとしてはやや違和感を覚える質問にも素直に答えて。

 冷良は見た。

 先程までの心の内を読ませない不気味な笑みではなく、娘の無事に安堵して心から喜ぶ、母親としての優しい笑みを。


「――良かった」


 そして、冷良は倒れ込んできた梢の身体を受け止めた。


「――え?」


 戦いの直前だったというのに、冷良は思わず間の抜けた声を上げてしまった。

 目の前に立っていた筈の梢が冷良に身体を預けている。訳が分からず何も出来ないでいると、彼女の身体はそのままずるずると地面に滑り落ちていく。


「な、何が――」

「冷良! 妾に巻かれた鎖を外せ! 今すぐ!」

「は、はい!」


 意識は空白のまま、上位者の指示を受けて半ば自動的に身体を動かす。幸い鎖に錠は付いていなかったので、丁寧に解きさえすれば外すことは難しくなかった。

 が――


「お母さま!」

「え、幹奈様!?」


 何と、きっちり拘束した筈の幹奈がこの場に姿を現したのだ。

 一体どういうことかと疑問を抱き、すぐに彼女の走り方が不自然であることに気付く。更によく見てみれば、四肢は酷い火傷を負っていた。

 どうやら何らかの方法で火の術式を使い、拘束具を溶かされたらしい。どんなに硬い氷でも、熱には無力だ。恐るべきは、自らの四肢を巻き込んでまでそれを実行する意志の強さか。


(どうする? どうする!?)


 冷良にこれ以上戦闘を行う力は殆ど残っていない。とはいえ幹奈も得物は取り上げてられているし、仮に冷良から奪い返したとしても、あの四肢では先程までのような技の冴えは望めまい。

 ならばいっそ逃げるか? 自分の力で立つことも難しそうな咲耶姫を連れて? まだ残っている見張りを振り切って?

 それに梢はどうした? 今の表情と意味不明な動作は何かの罠か?


「冷良、もう構えずともよい」

「咲耶様!? でも……っ」

「よいと言った。もう、終わったのだ」

「え……?」


 どういうことかと振り返った先では、地面に倒れた梢の頭を咲耶姫が膝に乗せていた。


「お母さま!」


 駆け付けてきた幹奈も自分を負かした冷良へ目もくれず、一心不乱に梢の元へ縋り寄る。

 何がどうなっているのだろう? 今から絶望的な戦いが始まると思っていたのに、これではまるで――


「梢、そなたやはり禁術で……」

「ふふ、嘘は……申しておりませんよ? ただ、残りの寿命を……口にしなかっただけで……」

「寿命? 咲耶様、一体何がどうなってるんです?」


 黙っていられず割り込んだ冷良に、咲耶姫は沈痛な表情で告げる。


「……梢は強力な妖でも屠れるようになる為、自分の心身に様々な禁術を施していたのだ。寿命を代償とする類の、な」

「寿命って……じゃあ、もしかして――」


 最後まで言葉にしなかった冷良の問いかけに、咲耶姫は首肯を返した。

 冷良は改めて梢の様子を確認する。

 浅い呼吸と、何故今まで気付かなかったのか不思議なくらい血色の抜けた肌。その姿は、先程までの底知れない迫力が嘘のように弱々しい。


「神力に干渉するほどの儀式だ、術者にかかる負担も尋常ではあるまい。梢、そなた初めから自滅するつもりであったのか?」

「――いいえ、全力で最後まで……成し遂げるつもりでしたよ。私の身体が耐えられるかは賭けでしたが……無理であったならば、それが私の運命であっただけの話……まさか、こんな可愛いらしい侍さんに止められるとは思いませんでしたが……」


 女神への危害という大それたことをやらかした割に、言い方はどこか投げやりだ。まるで結果がどう転がっても良かったかのように聞こえる。冷良を見る瞳にも、儀式を邪魔した怨敵への恨みは欠片もなく、むしろどこか愉快そうだ。


「梢、今一度問う。そなたは一体何がしたかったのだ?」


 咲耶姫も冷良と同じことを考えたらしい。

 梢は大きく息を吐き、空に浮かぶ綺麗な満月――いや、今ではないいつかを見つめるように、言葉を紡ぐ。


「……本当は分かっていたのです。神々――姫様たちが作り上げた、人と妖が共存する今の世界は美しいと。私は間違っていると」

「分かっているのならば何故このようなことを……っ」

「――炎が、消えぬのです」


 弱々しい身体から放たれた筈のその一言は、聞いた冷良の寒気を誘うほどの強い怨嗟に満ちていて。

 同時に、切実な想いを吐き出す慟哭のようでもあった。


「先程姫様に語ったことは嘘ではありません。夫が死んだあの日からずっと、消したくても消えない炎が……胸の中で燃え盛っているのです。笑顔で人と親し気に話す妖を見る度に、何度衝動的に殺そうとしたことか……」


 冷良は絶句して言葉も出ない。顔を会わせたのは数える程度でも、振る舞いは温和そのもの。茶目っ気のある穏やかな雰囲気からは、これほどの激情など欠片も感じなかった。 


「挙句の果てに、人間に害を与えそう――いいえ、妖を勝手に選び出し、自分を満足させる為だけに殺す始末」

「梢……」

「姫様、巫女の皆が讃え、憧れた『梢』という人間は、あの日夫と共に死んだのです。ここにいるのは復讐に身をやつし、両手を後ろ暗い血で汚し、敬愛していた主すら目的の為に贄とする……ただの、外道でございます」


 外道。

 確かに梢の所業だけを挙げるなら、人々はそういった評価を下すだろう。

 だが、相反する想いを抱いて長い時を苦しみ、辛そうに懺悔する目の前の女性をそんな一言で片づけることは、あまりに無体ではないだろうか。

 梢は既に、自分の生死にすら興味を失っているように見える。

 けれど、たった一人残された肉親のことは別で。


「ですが、幹奈は妖への憎しみも姫様への叛意も抱いてはおりません。ただ、苦しみながら……母である私に従っただけです。私欲の為に刀を振るったこともありません。ですからどうか……どうか、幹奈の命だけは……」

「……幹奈のことであれば、許しを請うべきは妾ではない」


 梢の懇願を咲耶姫はやや冷たい声色で突き放し、冷良へと視線を向ける――今回の事件で幹奈から殺されかけた冷良を。

 梢も「ああ、そうですね」と冷良を見た。


「……冷良さん」

「え!? は、はい!」


 傍観者のつもりでいた冷良は急に話を振られ、つい慌てた返事をしてしまった。


「幹奈は……好き好んであなたを斬った訳ではないわ。あなた受けた傷は全て私の責任。あなたが望むなら、今すぐ私をめった刺しにしても構わないから。どうかお願い、いえ、お願いします、幹奈を許してあげてください」

「そんな……っ!? 冷良、やるなら私を! 抵抗なんてしませんから!」

「あなたたちは……」


 互いが互いを庇い、自分をめった刺しにしろと言ってくる。あまりに痛ましすぎて、見ていられない。

 ふと、考える。何故、こんなことになったのだろう? ここにいるのは互いを想う母娘と優しい女神、それとただの半妖だ。手を取り、穏やかに語らうことは決して難しくない筈なのに。何かが少し違っていれば、こんな血みどろで悲しい結末には、ならなかったのだろうか?


「皆さんに言われなくても、僕の結論なんてとっくに決まってますよ」


 そうして、有り得たかもしれない未来に一瞬だけ思いを馳せ、冷良は告げる。


「許します」


 あまりにあっさりとした物言いが意外だったのか、月代母娘は揃って目を瞬かせる。

 代わりに咲耶姫が審判者としての冷徹な表情で問いかけてきた。


「よいのか冷良? そなたは冗談抜きで、幹奈に殺されかけたのであろう?」

「咲耶様も賛成の癖に意地悪な質問しないでくださいよ……幹奈様が本気だったなら、僕はとっくに死んでます。悩んで、苦しんでいたことも知れました。何より――」

「何より?」


 首を傾げる咲耶姫に、冷良は得意げに腕を組んで答える。


「女の間違いを笑って許すのも、良い男の条件ですからね」


 しばしの沈黙。

 それを破ったのは、弱々しくも愉快そうな梢の声だった。


「……あら……まさか……とは……思って……いたけれど……本当に……男の子……だったのね……」

「あ――」


 不味い、この場には咲耶姫もいるのだ。絶対にばれてはいけない相手の前で、堂々と男であることを明かしてしまった。

 だが、咲耶姫は特に反応しない。視線は冷良ではなく、梢に固定されている。

 ――『その時』が訪れようとしているから。

 辛うじて現世に留まっていた梢の命の灯火が、いよいよ消えようとしているから。

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