貫く意地

 時間は少し巻き戻る。

 死を予感して意識を失った冷良だったが、不意に真っ暗だった意識と視界に色が差す。


「ここは……」

「冷良さん! 気が付きましたか!?」


 必死に呼びかけてくる声が、どこか遠くから響くように耳朶を打つ。

 やがてゆっくりと思考を取り戻し、意識を失う直前のことを思い出した冷良は弾かれるように飛び起きた。

 同時に、背中を引き攣るような痛みが襲う。


「ぐ……っ」

「無理をなさらないでくださいませ! あなた、凄い怪我を負っていますのよ!?」

「紅さん……?」


 いや、紅だけではない、見渡してみれば覚えのない部屋に同僚の巫女たちが勢揃いしている。皆一様に悲壮な表情を浮かべており、紅に至っては泣き腫らした頬が真っ赤だ。


「……一体何がどうなってるんですか?」

「こちらの台詞ですわ! 冷良さんは血だらけで倒れていて、幹奈様も姫様もいなくて、治療したくても氷が邪魔で貧血用の薬を飲ませるくらいしか出来なくて、もうどうしたらいいか……っ」


 冷良が目を覚ますまで相当気を揉んでいたのだろう、溜め込んだ感情を一気に吐き出すようにまくし立てられる。心配をかけたことを心苦しく思うばかりだ。

 彼女が口にした氷という単語が気になって背中に意識を向けてみれば、確かに妖気で作られた氷が傷口を覆っている。どうやら意識を失う直前、無意識に氷を生み出して自力で止血していたらしい。

 と、そこで背中に傷を負った経緯までを思い出し、冷良は慌てて紅に詰め寄った。


「紅さん! 僕どれくらい寝てたんですか!?」

「へ? は、半時はんとき(約一時間)くらいですが……」

「半時……」


 それも、あくまで紅が冷良を発見してからの時間だ。実際はもう少し経っていると見るべきだろう。

 斬られる前に幹奈が打ち明けた、咲耶姫を贄にする計画とやらは既に実行されたのか? あるいはまだ間に合うのか? 

 いずれにせよ、一刻も早く咲耶姫の元へ駆け付けなければ。


「……行かないと」


 冷良が痛みで軋む身体を無理やり立ち上がらせると、紅が泡を食って縋りついてくる。


「だ、駄目ですわよ! 峠は越えたとはいえ、あなたは重症人ですのよ!? ひとまず奉行所に連絡は入れておりますし、今夜は安静にしてくださいな!」


 紅の正論に他の巫女たちもうんうんと頷いて同意する。

 とはいえ、はいそうですかと素直に引き下がる訳にもいかない。何せ咲耶姫の命が懸かっているのだ。奉行所を待っていてはその分だけ手遅れになる確率が上がる。

 事情を説明している暇はないし、荒唐無稽すぎて信じて貰える保証もない。何より、皆が慕う幹奈を告発することに抵抗がある。

 当然、強引に押し通るのも論外。

 となれば――


「いや、だってここ僕の部屋じゃありませんし」

「ああ、そういえば気が動転してて、つい私の部屋に運び込んでしまいましたわ」


 ここは紅の部屋らしい。間取りは冷良の自室とほぼ同じだが、大きめで中身がしっかり埋まった本棚が特徴的だ。本好きなのだろうか? 折角仲良くなったのだし、いずれ話を聞いてみたい――叶うならば、全ての憂いが丸く収まった後で。

 同僚たちに身体を気遣われながら自室へと戻る冷良。そのまま自室まで同伴されそうになるのだが――


「はいはい、色々と気になるのは分かりますが、こうも人目が多くては気を休めることも出来ませんわ。事情は私が伺っておきますから、皆さんは部屋に戻りなさいな」


 と、両手を打ち鳴らした紅によって追い払われ、渋々とそれぞれの部屋へ戻って行く。


「僕のことは大丈夫ですから、紅さんも戻ってください」

「その傷で大丈夫だなんて言えませんわ。手当だけでもさせてくださいまし」

「大丈夫ですよ、氷でしっかりと塞いでますし。下手に素人が応急手当するよりは、このままにしておいて医者にちゃんと治療してもらった方がいいと思うんです」

「むぅ……」


 少々苦しい言い訳のような気もするが、紅はやや訝し気ながらも最終的にはしぶしぶ納得してくれた。


「……分かりました。私は奉行人に対応する為に起きていますが、冷良さんは絶対安静にしているように、いいですわね?」

「はい、勿論」

「では、お休みなさいませ」


 やって来る奉行人を出迎える為だろう、紅は正門の方へと向かって行った。

 扉を閉めて一人になった冷良は、つづらから古くなって捨てる予定だった草履を取り出し、部屋の反対側にある窓へと向かう。


「……ごめんなさい」


 別れ際に安堵の表情を浮かべていた紅たち同僚の心中を思い、届かないと理解していても謝罪せずにはいられない。

 また心配をかけてしまうだろう。特に紅は、また泣かせてしまうかもしれない。そうなれば通算三回、男として最低だ。分かった上で嘘までついて欺いた自分を、罪悪感が容赦なく攻め立ててくる。

 それでも、行かない訳にはいかない。

 女を泣かせる男は最低だが、今ここで何もしなければ、きっと二度と自分を誇ることが出来なくなるから。

 窓から庭に出た冷良は、首を巡らせながら奉神殿と花の都、及び周辺地域の地理を脳裏に浮かべる。


「えーと……」


 奉神殿唯一の出入り口である正門は奉行人を待つ紅がいる筈なので使えない。何より、長い階段を降りて聖域の森まで走って行くなんてあまりに悠長だ。

 思案した末に冷良が移動したのは、奉神殿を囲む塀の一角だ。そこで壁に氷の足場を生み出し、そのまま塀に上る。

 そうして見えてきた景色に、冷良は我知らず唾を飲み込んだ。

 何せ、奉神殿が位置するのは神が造りたもうた塔のごとき大地、花の都を一望できる光景はまさに絶景と呼んでも差し支えは無いが、足元へ視線を移せば、遥か遠い地上まで伸びる断崖絶壁が視界に飛び込んでくる。当然、柵なんて安全策が施されているわけもない。

 だが、今はその立地が役に立つ。

 冷良は自分の両頬を全力叩き、足を下げそうになる心の弱気を鼓舞して――


「せー……のっ!」


 ――そのまま、寄る辺のない空中へと身を躍らせた。

 更に、浮遊感が身体を包む間を置くこともなく、塀の外壁を基点にして氷の坂道を造り、その上に乗って滑走していく。

 出前人として奉神殿に通っていた時は毎回やっていたことだ。まだ一か月も経っていないのに、随分と昔のように感じる。それだけ今日まで過ごして来た日々が目まぐるしく、充足していたということだろう。

 今回は以前とは状況が何もかも違う。目的は勿論だが、距離もそうだ。何せ、今冷良が目指しているのは他でもない聖域の森、つまり都の外だ。これならば徒歩で向かうよりもずっと早い。

 とはいえ、口で言う程簡単な話ではない。

 一般の人間は勘違いしがちだが、妖というのは無限に力を行使し続けられる訳ではない。源となる妖力が尽きれば、人間と姿形が違うだけの無力な存在になり果ててしまう。当然、それは半妖も変わらない。

 特に、今回伸ばそうとしている氷道はかつてないほど長い。氷で無理やり止血しただけの重傷と相まって、相当な無茶と言える。


「う……ぁ……っ」


 進む。進む。進み続ける。

 滑る坂とは進めば進むほど速さを増していくもの。傾斜自体は緩めにしてあるが、加速を続ける冷良に吹き付ける風は、既に暴風と呼べる領域に達している。

 それでも冷良は飛び散りそうになる集中力を必死に搔き集め、氷道を伸ばし続ける。

 だからこそ、他の懸念にまで意識が回らなかった。


「え――」


 不意に足場を踏みしめていた安定感が消え、内臓が揺れるような浮遊感に包まれる。

 冷良は先行している氷道が傾こうとしていることを確認し、自らの迂闊さを呪った。

 雪女が生み出す氷雪の強度は込めた妖力次第だが、特に意識していない時は大抵普通の氷とほぼ同じ性質だ。冷良も今回はそうしていた。

 だが、常識的に考えてみれば、都の中心から端まで伸びるような氷が、支柱もなし自重と冷良の体重を支え切れる筈もなかったのだ。

 冷良は咄嗟に地上へと氷道を伸ばそうとした。折れた方の氷道は落下すれば被害が出るが、生み出した当人であれば好きな時に消せる。

 だが、それを実行する前に、眼下から氷の柱が伸びてきたと思ったら、落ちようとしていた氷道を支えた。続けて、進行方向上に数本の大きな氷柱が現れる。

 冷良は再び氷道を踏みしめ、一瞬だけ視線を落とす。

 高さと暗さ、時間の短さにより拾えた情報は非常に少なかったが、それでも十分だった。

 夜中でも目立つ冷良と同じ色の長い髪、冷良以外に都で氷を生み出すことの出来る存在、今向かっている方向と都の地理。

 それらを念頭に置けば、脳裏に浮かび上がる相手はただ一人。


「……ありがとう、小雪さん」


 状況から上にいるのが冷良だとは察せられるかもしれないが、少なくとも事情までは理解していない筈だ。

 それでも、冷良を呼び寄せて問い質すのではなく、何も聞かないまま道を繋げてくれた。

 頑張れと、聞こえてこない筈の声が聞こえた気がした。

 普段は意地悪な癖に、こういう時に限って信じて背中を押してくれる。色々な意味で小雪には勝てないと思わされる。けれど悪い気分ではない。

 今度は道を支える柱のことも念頭に置きつつ、冷良は再び進み続ける。

 やがて都を越え、その先に広がる平原に差し掛かった。ここまでくれば聖域の森もよく見える。まばらに散る光は見張りでも配置されているのだろう。

 だが、地上高くを進む冷良に見張りは意味を成さない。

 問題は、決して狭いとは言えない聖域の森のどこに咲耶姫が捕らわれているかだが……儀式と言うからにはそれなりに開けた空間が必要な筈。女神から神力を奪うなんて大事となれば尚更だ。

 木々の生い茂る聖域の森において、そんな場所は一つ。


「ええと、花畑は……」


 地上では異変に気付いた見張りたちが慌てて何かを叫んでいるが、木々より上の高さを高速で移動する冷良に手出し出来はしない。

 そうして悠々と聖域の森へ突入し、記憶を頼りにしながら方向を調整して――間もなく見つけた。月光に照らされる色鮮やかな花々と、遠目からでもよく分かる咲耶姫の姿を。

 後は、加速に加速を重ねて止まることすら難しくなった状態で無事に着地するだけ。

 冷良は一旦花畑を通り越してすぐに反転、身体全体を分厚く強固な氷で覆い、そのまま地面へ向かって滑り込んでいく。


「う……ぐ……っ」


 凹凸の激しい地面に速さを削がれながらも、途中に立ち塞がる木々を何本もへし折って行く。その度に、冷良の身体を巨大な金槌で殴られたかのような衝撃が襲う。

 それでも意識の手綱だけはしっかりと握りしめ、やがて十分に速さが落ちたところで太めの木にぶつかり、ようやく滑走が終わる。

 だが、無事に着地出来たと安堵している暇もない。ここは敵地、すぐさま身体を覆っていた氷を消して立ち上がり、周囲の様子を確認する。どうやら、上手いこと花畑の外縁で止まることが出来たらしい。

 故に、鎖で捕らえられた咲耶姫と、彼女を捕らえた者たちの姿もすぐ近く。


「れ、冷良……」

「咲耶様を返して貰いますよ、幹奈様」


 表情を驚愕で染め上げている幹奈に、冷良は毅然と告げるのだった。

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