薄氷に御座る和

 店内に駆け込んできた少女の話によると、人間と妖がいざこざを起こしているとのことだった。

 こういった案件は都を巡回している奉行人が対応するものだが、毎回そう都合よく現場の近くにいるとも限らず、今回もまだ駆けつけていないようだった。

 となれば無力な一般市民は巻き込まれないよう距離を取るくらいしか出来ないが、少女は居ても経ってもいられず、経験豊富そうな――何を以て判断したかは触れない方が身の為だ――小雪に助けを求めたという訳らしい。

 冷良も自分に出来ることがあるかは分からないが、あの状況で呑気に留守番していられる筈も無い。

 そうして付いて行ったら鬼が棍棒を振り上げる所だったので、無我夢中で割り込んだ形だ。争っていた相手が幹奈と紅だったことも、割り込んでから気付いたくらいだ。


「て、てめぇ……妖か?」


 外見に違わない頑強さを持つ鬼でも、首を弱点とするのは人間と変わらない。だからこそ、迂闊に動けないでいる。

 たかが氷柱、されど氷柱。妖力で生み出した氷の強度は、妖力次第では鉄にも迫る。


「うんうん、僕は半妖だよ」

「はんっ、半端者かよ」


 今の台詞だけで、この鬼が人間や半妖をどう思っているか分かるというものだ。


「半端者が俺の邪魔なんて――」


 立場が分かっていないようなので、軽く氷柱を首筋に触れさせる。


「一応聞くけど、どうしてあんなことしたのさ?」

「……簡単なことだ。そこの男が俺を馬鹿にした、そっちの女どもは俺の邪魔をした、鬱陶うっとうしいから潰そうとした、それだけだ」

「うーん、突っ込み所満載」


 念の為に肉屋の店先で尻餅をついている店主らしき男性に視線で確認してみれば、血の気の引いた顔を全力で横に振っている。

 人里と積極的に関わっていない妖であれば、人里の常識を知らないのは珍しいことではない。通貨や商売の概念すら理解していないことも割と普通だ。


「別にお店の人が馬鹿にした訳じゃないと思うよ。回りの話はちゃんと聞いた? 勘違いして空回りとかしてない?」

「一応聞いてやったぞ。どいつもこいつもごちゃごちゃうるさいだけで、全然俺の言う通りにしやがらねえ」

「それ聞いたって言わない……」


 噛み合わないやり取りが目に浮かぶようで、冷良は頭を抱えたくなった。


「あのね、人里では皆が助け合って暮らしてるんだ。誰かが一方的に奪うようなことをしてたら成り立たないんだよ。それは妖でも変わらない」


 別に人里への理解が薄いのが悪い訳ではない。慣れない内は大変かもしれないが、知らないことは学べばいいだけだ。妖に慣れている都の住民なら、その辺の事情も察してある程度は寛容にしてくれる。

 この場合、問題はもっと別のところにある。


「人里がどうなろうが知ったこっちゃねぇっつの。俺たちゃ妖だぞ? なんで弱っちろい人間のことなんて気にしなきゃいけねえんだよ」


 当たり前のように根付く、人間への蔑み。

 残念なことに、こういった態度も妖としては決して異端という訳ではない。少なくとも、純粋な個の力において、人間の大半が妖に劣ることは紛れもない事実だ。妖が恐怖の代名詞だった歴史を鑑みれば、むしろ傲慢である方が自然なのかもしれない。

 弱肉強食と言ってしまえばそれまでだろう。

 だが、それだけではないからこそ、花の都のような光景がある。


「そこで尻餅をついてる女の人、紅さんっていうんだ。多分、あんたからしてみたら取るに足らない人間の一人なんだろうね」


 急に名指しされた紅が目を瞬かせ、脈絡の無い話題に鬼が訝しげに眉を顰める。


「紅さんはね、巫女の修練が終わった後、いつも一人で残って復習してるんだ。疲れてる筈なのに嫌な顔一つせず、誰にも威張らず、毎日毎日」

「ど、どうしてあなたがそれを……」

「ごめんなさい紅さん、生け花の日に忘れ物をして戻った時に見たんです。それ以降も気になっちゃって……」


 紅の秘密を暴いてしまったことを謝り、鬼に向き直って続ける。


「それと、僕がお世話になってる雪女の小雪さん。妖だけど、人間みたいに店を開いて生活できるようになるまで、結構苦労してたんだよ」


 小雪自身は当然と言わんばかりに涼しい顔をしていたが、長い時間家族同然に過ごしていたのだ、今に至るまでに結構な気苦労があったことくらい分かる。

 冷良が言葉を重ねるごとに鬼の困惑は深くなっていく。冷良が何を伝えたいのか全く理解していない。理解しようとしているかも怪しい。

 それでも、冷良は主張せずにはいられない。


「紅さんは人間で、小雪さんは妖、更に言えば僕は半妖だけど、二人のことは凄く尊敬してる。それに二人だけじゃない。妖でも人間でも、誰かの為に優しくなれるし、目標を持って頑張れる。そういう人たちは皆、凄く格好良いんだ」


 身近な例として紅と小雪を挙げたが、思い浮かべる顔は他にも沢山ある。当然、種族を問わずだ。


「あんたは鬼だから、そりゃあ腕力は凄いんだろうね。けど、今みたいになるのに何か努力をした? もっと上を目指そうって思ったことは? 多分、無いんだろうね」


 結局のところ、冷良の言いたいことは一つ。


「あんた、凄く格好悪いよ」


 その言葉に込められた自分でも意外なほどの険に、冷良は今更ながらに自分が怒っていたことを自覚する。

 別に弱肉強食の理を否定したい訳ではない。人に妖、更には半妖も混ざった社会が形成されてまだ年月は浅い、価値観はまだまだ育まれている最中だ。

 だが、生まれ持った腕力に胡坐あぐらをかき、人間を一括りにして弱者と見下す様は、ひたすら不快だった。あの態度は人間のみならず、小雪のように何かを頑張る妖すら馬鹿にしたようなもの。冷良の目指す良い男の姿からはあまりにかけ離れている。

 鬼の表情が明確な怒りに染まった。格好いい・悪いという概念も人里に馴染みの無い妖には希薄だが、自分が貶されたのを流せるかどうかはまた別の話。


「調子に――っ」


 頭に血が上り、首筋に突き付けられた氷柱のことも忘れたらしい鬼は、恐らく自身の肩に乗る冷良を殴るなり捕まえるなりしようとしたのだろう。

 だが、直後にはその勢いも霧散し、後には驚愕が残る。

 何せ、邪魔者を排除する為の腕が両方とも凍り付いているのだから。


「これ以上暴れないでね、他の人を巻き込むと危ないから」


 不意打ちで生殺与奪権を握った冷良だが、初めから血生臭い展開にする気など無い。

 とはいえ、頭に血の上った鬼が何をしでかすか分からなかったので、いつでも止められるように妖力を練り上げていたのだ。時間を掛けたので、鬼の腕力でもそう簡単には砕けない硬さだ。


「ひとまず、今日のところは元いた場所に戻ってくれないかな? ここにいても、あんたの望む通りにはならないよ。あ、氷は時間が経てはその内溶けるから」

「…………糞が!」


 どんなに腹立たしくとも、自慢の腕力を封じられてはどうしようもない。鬼は肩から飛び降りた冷良を射殺さんばかりに睨みつけ、地団太を踏むような足取りで都の外へと歩いて行った。

 やがてその大きな後ろ姿が十分離れたところで、野次馬たちから歓声が上がった。それを区切りとして冷良も張っていた気を緩めたところで、ようやく都の治安を守る奉行人が駆けつけてきた。

 遅いと責めることはしない、彼らなりに急いで来たことは息を切らした様子で分かる。

 後処理などは奉行人に任せ、冷良は知り合いたちの様子を確認する。


「私は特に何もありませんでしたよ。最初に絡まれていたらしい店主も、後に引く傷を負っている様子は無さそうです」


 意図を察した幹奈が問いかけるよりも先に知らせてくれた。更に何かを譲るように道を空けてくれ、冷良は未だ腰を抜かしている紅と対面することになった。

 顔を合わせれば不機嫌か怒っている表情しか見せてくれなかった紅だが、今は恐怖が後を引いているらしく顔色は真っ青だ。未だ腰が抜けているのか、危機が去ったのに立ち上がろうとする様子も無い。


「紅さん、もう大丈夫ですよ」


 紅を安心させる為に柔らかい笑顔と口調を意識しながら、冷良は手を差し出した。

 やはりというか何というか、紅の反応は鈍い。それ程までに恐い体験だったということなのだろう。

 勿論、急かしたりはしない。紅が落ち着くまで、ただひたすら待ち続ける。

 そうしてたっぷり十は数えた頃、紅の喉が震えてか細い音を出す。


「ご――」

「ご?」

「ごめんなざぃいいいいいいいいいいいいいいい……!」

「えぇっ!?」


 何と、紅の両目に涙が溜まったと思ったら、そのまま人目も憚らず大声で泣き出してしまったではないか。

 冷良は驚愕に見舞われ、すぐにこの上なく慌てることになる。

 何せ、もし紅の泣いている原因が冷良にあるとしたらこれで二回目である。良い男を目指す者として、この失態は看過出来ない。

 そもそも、前回ならともかく今回は紅の泣き出した理由がさっぱり分からない。

 冷良は慌てて跪いて事情を聞いた。


「べ、紅さん!? いきなりどうしちゃったんですか!?」

「らっれ……れいらざんはこんらりいいかららろり……わらいずっとひろいごろを……っ」


 必至に説明しようとしてくれる紅だが、呂律ろれつが回っていないので全く聞き取れない。

 それでも辛抱強く彼女のたどたどしく断片的な言葉を聞き取ってみれば、どうやら凶悪な鬼から身体を張って助けてくれた上、険悪な仲である自分を純粋に心配してくれる冷良のことを見直したらしい。

 冷良としては嬉しい限りだが、紅の方はこれから仲良くしましょうで済ませることは出来ない。真面目な彼女は自分がこれまで冷良に向けてきた態度を思い出し、罪悪感で自分を責めている。

 そこへ、鬼が去ったことによる緊張の緩みが重なり、今までどうにか抑えていた恐怖と一緒に爆発してしまったようだ。

 自分が何かやらかした訳でないと理解した冷良は、ひとまず心の中で胸を撫で下ろし、すぐさま今やるべきことを見定める。


「紅さん、僕はあなたを酷い人だと思ったことなんて一度も無いんですよ」

「ふぇ……?」

「そりゃあ、最初は少し怖気づきましたよ? こんな人がいてこの先上手くやっていけるのかなって。けど、紅さんは厳しいことは言ってきても、理不尽なことは一度もしなかった。それに、一番厳しいのは自分に対してだってすぐ気付きました」


 厳しさの中に半妖への嫌悪が含まれていたことは否定しない。

 けれどそれは、感情を持つ限り仕方のないことだ。冷良とて今しがた追い払った鬼のような相手には、態度が刺々しくなる。

 だからこそ、どうしても責める気にはなれない。


「それに、僕だって紅さんに酷いことをしました。稽古の時は本当にごめんなさい」

「あ、頭を上げてくださいまし! 恐らくは何か事情があったのでしょう?」


 先程の一幕で変わった紅からの評価は、どうやら冷良が想像していた以上らしかった。この期に及んで本当の理由を明かせないのが心苦しい。

 紅を恐縮させ過ぎるのは本意でないので、ひとまずけじめをつけることが出来た冷良は、お言葉に甘えて頭を上げる。


「さて、相手を傷つけたのはお互い様です。なら、次にやることは決まってますよね」


 立ち上がった冷良は再び右手を差し出す。明言しなくても意味は伝わっているだろう。

 紅は困り顔であちこちへと視線を彷徨わせていたが、やがておずおずと手を握り返してくれた。

 冷良は腕に力を入れて、紅を立ち上がらせる。


「よっと……ありがとうございます」

「……お礼を言うのはこちらの方ですわ。先程は助けてくれて、ありがとうございます」


 泣き腫らした目は赤いままだが、お礼を返した紅の口元には笑みが浮かんでいる。もう心配する必要は無いだろう。

 そこへ奉行人がやって来た。当事者の話を伺いたいとのことだ。先に紅が応対するが、冷良も当事者の一人ではあるので、まだこの場を離れる訳にはいかない。

 と――


「お疲れ様、冷良さん」

「梢さん? いつの間に……」


 背後から冷良の両肩に手を置いたのは、つい先日知り合ったばかりの女性だった。隣には娘の幹奈を伴っている。


「野次馬の後ろにいたのよ。元々幹奈と一緒に母娘水入らずで買物をしていたのだけど、狼藉を働く鬼を見つけた瞬間にこの子が割り込んじゃって」

「ああ、そういうことですか」


 野次馬の方には気を払っていなかったので、冷良が気付かなくてもしょうがない。

 しかし、そうなると気になることが一つ。初めからこの場にいたということは、娘の危機をすぐ近くで見ていたということ。なのに梢の態度は普段と全く変わっていない。


「あの……心配とかしなかったんですか?」

「いいえ? あの程度の鬼に幹奈が遅れを取る筈が無いし」


 あまりにあっけらかんと、当たり前の事実であるように梢は語る。傍で聞いている幹奈も特に否定しようとはしなかった。

 呆気に取られる冷良だが、よくよく考えてみれば、月代家は退魔士の名門と評される一族であり、幹奈はその跡取りだ。剛力を振るう鬼など、数いる妖の一体に過ぎないということなのかもしれない。


「あの……もしかして僕、余計なことしました?」

「……いいえ、あなたが介入してくれたお蔭で、後始末の手間が最小限になりました」

「そうですか、良かったです。幹奈様たちはこれからどうするんですか? 奉行人の聴取待ちですか?」

「いえ、私はもう終わっています。買物どころではなくなったので、このまま奉神殿に帰ろうかと――話すべき方もいますので」


 目を細めた幹奈の視線の先を追ってみれば、羽衣を被り、人波に紛れてそそくさとこの場を去ろうとする女神の姿が。こちらの視線に気付いたか、びくりと肩が跳ね上がる。

 ……お説教が確定したようだ。


「それではお母さま、私はこれで」

「残念だけれど仕方ないわね。お役目、無理しない程度に頑張りなさい」


 母の励ましに頷きを返した幹奈は、奉神殿の方へ向かって歩き出した。急いで咲耶姫を追いかけようとしないのは、結局のところ行き着く先が一つしか無いからだろう。

 そして我に返ったところで困った事が一つ。

 傍らにはまだ梢がいるのだが、彼女は上司の母親だ、距離感的に二人きりで残されるのは気まずい。

 そう思っていたら、向こうの方から話題を振って来た。


「仲直り、出来て良かったわね」

「……はい、本当に」


 紅と交わしたやり取りのことだろう。冷良は気後れも他意も無く、本心から応えられた。


「正直なところね、幹奈から事情を聞いてからはこじれるだろうって思ってたのよ」

「僕もですよ」


 紅の妖嫌いは根深かった。先程のような劇的な出来事でも起こらなければ、ここまで丸く収まりはしなかっただろう。


「……あなたにとって、人間も妖も大して違わないのね」


 返事を求められたか微妙な声色だったので、梢の様子を伺ってみる。

 彼女の視線は空に向けられていた。けれどその瞳は何も捉えてはおらず、表情には何の感慨も浮かんでいない。


「――羨ましい」


 だからこそ、続けられた一言に不吉なものを感じずにはいられなかった。


「あの、梢さ――」

「失礼、話を伺わせて頂いてもよろしいでしょうか?」


 冷良が思わず声を掛けようとしたところで、紅への聞き取りを終えた奉行人がやって来た。同時に、梢の表情も普段通りのたおやかなものに戻る。


「それじゃあ、私もそろそろ家に戻るわね。教師を引き受けたのは昨日だけだけれど、縁があればまたお話しましょう」

「はい、いつかまた」


 お互いに手を振って別れ、冷良は奉行人から事情聴取を受ける。

 だが、奉行人に事情を説明しながらも、頭の中は別の思考で一杯だった。

 一つは梢が口にした、不吉さを感じさせる呟き。

 もう一つは、冷良が介入する直前、紅を庇って鬼と対峙していた幹奈の目だ。

 あの時冷良が無我夢中で割り込んだのは、紅と幹奈の一大事と思ったから。それは間違いの無い事実だ。

 けれど、それだけでもない。

 刀に手を掛け、居合抜きの構えを取っていた幹奈の目は――別人と見間違えそうになる程に冷たく、苛烈で、くらい炎を灯していた。

 恐らく、冷良が何もしなければ幹奈はあの鬼を殺していた。

 仮にそうなっていたとしても、幹奈の対応は別に間違っていない。場合によっては人間に死者が出ていた可能性があったのだ。むしろ脅しだけで済ませた冷良の方が手ぬるいのかもしれない。

 だが、そういった正しさと引き換えに、何か別の大切なものが壊れてしまうような気がした。故に冷良は自分の行動を一切後悔していない。

 梢と幹奈。朗らかで型破りな母と、生真面目だがどこか抜けているところのある娘。

 普段見せている顔の内に秘めた本音は、一体どのようなものなのか。

 人と妖、そして半妖の関係性は複雑に絡み合い、容易に解けるものではない。

 紅との仲は修復出来たが、手放しに喜んでばかりもいられそうになかった。






 花の都から一般人の足で二日ほど歩いた場所に、険しい山岳地帯がある。森の恵みは豊富だが街道からは外れており、近くに人里も無い為、人が立ち寄ることは殆ど無い。

 そんな、普段であれば鳥のさえずりや獣の足音、木々のさざめきくらいしか音の無い山中において、大地に岩を打ち付けるような轟音が断続的に響いていた。


「潰す、潰す潰す潰す!」


 花の都にて暴虐を働き、冷良に腕を凍らされた鬼だ。一般人で二日という距離も、強靭な肉体を持つ鬼にとっては少し遠出する程度、昼過ぎに都を出ても月が天上へ上る頃にはたどり着ける。

 鬼は憤怒を顔に浮かべながら、ようやく氷の溶けた腕で大地を殴りまくっていた。自分をこけにしてくれた小さな半妖を脳裏に浮かべながら。

 だが、そんなことをしても気分が晴れることはない。鬼に頭を冷やすという概念がある訳も無く、考えているのは報復のことばかりだ。

 鬼は今すぐにでも都へ向かい、冷良をぶち殺すつもりだった。どうやって探そうという当ては無い、適当に暴れていればその内見つかるだろうという程度の考えだ。

 と、その耳が自身のものでない足音を聞き取る。

 振り向いた先にいたのは、この険しい山中には似つかわしくない、艶やかな着物を纏った人間の女だった。ただ、肌という肌を妙な紋様に覆われている。

 滅多に人間の通らない場所とはいえ。何らかの理由で来る時は来る。

 そういった時にどうするかは、鬼の気分次第だ。無視することもあれば、身ぐるみを剥がすこともある。どちらかといえば後者が多い。

 そして今の気分は――


「俺はな、今滅茶苦茶機嫌が悪い」

「…………」

「だから――」


 鬼が最後まで台詞を言い切ることは無かった。

 女が腕を振ったと思ったら視界がいきなり黒く染まり、目が今まで味わったことのない激痛に襲われたからだ。


「ぎゃぁああああああああああああああ!」


 絶叫する鬼に、更なる追い打ちがかかる。足元が熱いと思ったら、それが一瞬で全身に広がったのだ。


「あぁああああああああああ熱い熱い熱い熱い熱いぃいいいいいい!」


 焼かれている。目が見えずともそれくらいは分かった。

 すぐに立っていられなって膝をつき、倒れ込んでのたうち回る。それでも全身を包む炎が消えることはない。絶え間なく響き渡っていた絶叫も、やがて喉が焼けただれてか細いものになっていく。


「妖にはお似合いの末路ね」

「熱……ぃ……助……」

「死になさい」

「…………」


 喉が完全に焼けた。感覚も殆ど無くなった。

 暗く落ちていく意識の中、鬼が最期に捉えたのは、自分を酷薄な表情で見下ろす女の姿だった。

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