融和の歪み

 紅は仏頂面で都の大通りを歩いていた。

 空を見上げれば烏天狗や一反木綿いったんもめんが荷物を運び、意思を持った紙の集団――紙舞かみまいが瓦版として情報を伝える為、都のあちこちに散って行く。

 そして周囲を見渡せば工事現場の鎌鼬かまいたちが材木加工を手伝い、猫又が魚を買い、顔と手足の生えた瓶――瓶長かめおさが水を売り、ろくろ首が近所の奥方たちと世間話に興じている。

 前後左右、更には上を見ても妖だらけ。

 実際のところ、割合で見れば妖はまだ少ない方なのだが、見かけることすら稀だった昔と比べるなら、やはり劇的に増えたと考えるべきだろう。

 当然、妖を嫌う紅からすれば面白い光景ではない。これを嫌い、普段は休日であっても奉神殿から出ないことが多い。

 だが、今日ばかりは自室に閉じこもってなんていられなかった。

 紅の意識を占めるのは、今週の頭に同僚となった新人だ。

 冷良――忌々しい半妖。人ならざる者が誉れある巫女になると巫女頭から聞いた時は、本気で悪い冗談かと疑ったものだ。

 紅にとって妖とは嫌悪の対象であり恐怖の象徴そのもの。幼い頃妖に襲われた時の記憶は、時折見る悪夢として未だに彼女を苦しめている。

 当然、仲良くしたいとは欠片も思わない。可能であるなら視界に入れず、声すらも遮断したいくらいだ。

 だというのに、あの新人は半妖であるが故に不真面目なのか、あるいは絶望的なまでに適性が無いのか、巫女としての修練は毎回酷い有様だ。元来真面目で神経質なところのある紅は、嫌でも意識を向けざるを得なくなる。

 そして極めつけが、昨日の試合稽古だ。

 新人は他の修練が壊滅的なのに、武芸だけはやたらと秀でていた。しかも、剣の達人である幹奈から直接手解きを受けたという。更に付け加えるなら、尊き女神からも目を掛けられているとか。

 誤魔化しても仕方がない――紅は確かに嫉妬していた。半妖で、巫女としても駄目駄目な癖に、何故特別扱いなどされているのかと。

 そうして私憤混じりに全力で叩き潰しにかかって――逆に馬鹿にされる始末。

 別に武芸の腕が及ばなかったからといって、何かが変わる訳ではない。冷良が巫女として圧倒的に劣っているのは動かしようのない事実だ。

 それでも、あるいはだからこそ、悔しい。半妖で劣等生、なのに特別扱いされて調子にのっているような輩に、普段から真面目に努力している自分が負け、あまつさえ馬鹿にされてしまったことが。

 当初は単純な種族に対する嫌悪だけだったのに、今は苛立ちや嫉妬、怒り、自己嫌悪なさなどが滅茶苦茶に混ざり合い、意識が押し潰されそうになる。

 自室で一人になっていると、余計な思考がそういった感情をどんどん大きくしていくのだ、気に食わない光景で単純な苛立ちを蓄積していく方がまだましというものである。

 という訳で外に出てきたものの、目的があった訳ではないので適当にふらついているだけだ。数少ない外出の機会を無駄にするのは勿体ない。


「……新しい本でも買おうかしら」


 紅の趣味は読書で、自室には結構な数の本が置いてある。気分が落ち込んでいる今、好きなことの為に時間を使うのが一番有意義だろう。

 よく利用している本屋は主要な通りからは外れており少々歩くが、店主が紅の好みを完璧に把握しており、勧めてくれる本には今まで一度の外れも無い。

 妖だらけの光景から意識を逸らし、最近読んだ本の内容を頭の中で振り返り、まだ見ぬ書物へと思いを馳せる。こうしている間だけは、落ち込みっぱなしだった気分を忘れることが出来た。

 だが、空想の世界に浸っていられた時間はそう長くなかった。


「うわぁ!?」


 野太い叫び声が、紅の意識を現実へと引き戻す。

 何事かと声が聞こえた方へと視線を動かしてみれば――


「な……っ!?」


 そこにいたのは、人型の妖だった。

 額で屹立する一本角、赤黒い肌に、成人男性の三倍はある体躯、四肢は成人女性の胴ほどもあり、紅では両手を目一杯伸ばしても足りないくらい太い丸太の棍棒を、片手で軽々とかついでいる。

 人間であれば誰もが知るであろう、妖の代表格――鬼。

 そんな妖が、肉屋の店主らしき男性の襟をつまみ、自身の視線と同じ高さまで持ち上げていた。男性の顔は恐怖で引き攣り、手足を必死にばたつかせている。


「何をしていますの!」


 考えるよりも先に詰問の叫びを上げた紅は、直後に自身の方へ振り向いた鬼の視線に、小さく身を引いてしまう。新人の雪女とは違う、凄みのある顔立ちと大きな体躯が醸し出す威圧感は、嫌悪よりも恐怖の方を強くかき立てた。

 だが、つい先日半妖の新人から馬鹿にされたばかり、何よりここで引き下がれば男性が何をされるか分かったものではない。紅は心の中の負けん気をかき集め、毅然と対峙する。


「もう一度聞きますわ、あなた方は一体何をしていますの?」

「ああん? 俺はただ、都じゃあ人間が食い物をくれるって聞いたから、貰えるもん貰いに来ただけだよ。なのにこいつ、俺じゃ駄目だって言うんだ、話が違うじゃねえかよ」

「で、ですから、ここにあるのは全部品物ですから、欲しいならちゃんと代金をひぃいいいいいい!?」


 宙に摘まみ上げられたままの男性が、顔面蒼白になりながら必死に説明しようとするも、乱暴に揺らされてそれどころではなくなってしまう。


「しなものとかだいきんとか、んな細けぇこと俺たちが知るかよ。渡すのか渡さねえかのどっちかだ」

「あなた方の道理で話を進めないでくださいませ。人間社会には人間社会の仕組みというものがあります、勝手な我儘は通用しませんわ」

「だぁかぁらぁ、なんで俺たちが人間に合わせてやらないといけないんだっつうの」


 全く通じない会話に、紅は歯噛みする。

 やはりだ。妖は人間や、人間が作った社会のことを全く理解していない。いや、理解しようともしない。自分の中にある道理だけに従い、それを力によって周囲に押し付ける。


「いい加減に――」

「あー……うっぜ」


 気怠げな呟きが、やけに不吉な響きとして紅の耳朶を打つ。

 鬼は摘まみ上げていた男性を落とし、紅へと身体を向ける。男性は強かに尻を打ち付けて悶絶しているが、紅にそちらを気にしている余裕は無かった。

 鬼の形相や雰囲気が変わった訳ではない。先程から騒ぎ立てる紅に大きな興味も抱かず、ただ煩わしそうにしているだけ。

 妖からしてみれば、人間などその辺を飛び回る羽虫と大差無いのだろう。人間が何を言おうともそれは雑音でしかなく、鬱陶しいから手で払うような感覚で人間を――


「あ……」


 ゆっくりと、一歩一歩で地面を揺らすように、鬼の巨体が近付いてくる。

 事ここに至り、紅のやせ我慢は限界を迎えた。脳裏を過ぎる自分の末路に全身を震わせ、反射的に後ろへ下がろうとして腰を抜かす。

 そうして、彼我の距離が少しずつ縮んでいくのを、絶望と共にただ黙って見届けるしか出来ないでいると、間に割り込む人影が一つ。

 その巫女に武人の要素を混ぜ合わせたような恰好は、紅にとってよく見慣れた姿だ。


「か、幹奈様……」


 呆然と名を呼んだ紅を一瞥だけして、幹奈は鬼と相対する。


「どうやら、余所から流れてきたようですね。都の妖であれば、無暗に暴れれば痛い目を見ることを理解していますから」

「何だぁお前、お前も俺の邪魔すんのかぁ?」

「どちらかといえば親切心でしょうか。これ以上の狼藉ろうぜきを働けば、あなたの命を保証することも難しくなりますよ」

「お前もよく分かんねえことぺちゃくちゃと……都の人間ってのはどいつもこいつも馬鹿か。弱っちいくせに口挟むんじゃねえっつうの」

「どうしても引く気はありませんか? 私は奉行人ぶぎょうにんではありませんが、巫女であり退魔士の一員でもあります。尊き女神様のお膝下で狼藉を働く妖を野放しにすることは看過できませんよ」

「あーもう、うっせえなあ……っ、要は何が言いてえんだよ?」


 幹奈の口調は淡々としているが、あるいはだからこそなのか、鬼は苛立ち始めている。

 そのまま暴れ出したりしないか、紅は気が気でなかった。あの直径が二十尺(約六十センチ)近い太さの棍棒を全力で振り回されては、人間などひとたまりもない。

 巫女頭である幹奈が刀の扱いに熟達していることは知っているが、それでも単純かつ圧倒的な『力』に太刀打ちする光景が想像出来ない。


「ふむ、では分かりやすく言い換えましょう」


 だからこそ、紅は幹奈に慎重な対応を願っていたのだが。


「命が惜しければ、さっさと尻尾を巻いて都から立ち去りなさい」

「「「「「…………」」」」」


 意識が理解を得るまでに、数秒を要した。

 それは鬼も野次馬も同じ。誰も彼もが目を瞬かせ、口を半開きにして呆けている。不気味なほどの静寂が降りる中、幹奈だけが一人悠然と佇む光景は、まるでのうを繰り広げる舞台のように現実味が無かった。

 だが、これは紛れもない現実であり、静寂は嵐が吹き荒れる前触れであることを、無意識の下で誰もが理解している。

 やがて理解が及んだ鬼の形相が憤怒で凶悪に歪み、雷のような咆哮と共に棍棒を振り上げた。


「……


 野次馬の中から悲鳴が上がる。紅も幹奈の呟きに意識を割いている余裕など無く、数瞬後に広がるであろう惨劇を脳裏に浮かべ、反射的に目を閉じた。

 だが、いつまで経っても想像していたような音や衝撃がやって来ない。

 紅は恐る恐る目を開く。

 幹奈は――無事だ。振り上げられた棍棒は、天に向けられた状態のまま静止している。

 幹奈は軽く腰を下げて刀に手を掛けていたが、彼女が何かした訳でもなさそうだ。

 何が起こったのか、へたり込む紅の視点でもよく分かる。

 見上げる先、横にも大きな鬼の肩に乗り、その首筋に氷柱を突き付ける巫女の姿。

 いつもへらへら笑っているか、修練が上手くいかずわたわたしている表情が、今はまるで殿凛々しくて。

 やはり、現実味が薄く感じてしまうのだ。


「冷良さん……」

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