第16話
いつのまにか、汗ばむ彼の下にいた。悟との行為とは全く違う。どんなに激しくされても何も感じない。今後の彼よりも、今の彼のプライドのためにと、とりあえず甘い声を出す。ひたすら早く終わってほしいと願う。
感じているふりをしている自分が馬鹿みたいだ。この時間は何なのだろう。何も生まれないどころか、ただ体力を消耗しているだけのように思える。芸能人に会ったことを自慢する年齢はとうに過ぎている。
事が終わり、すやすやと寝息を立て始めた彼を見て、母性本能が刺激される。可愛いなと、思わず寝顔を撮る。さっきまで飲んでいたワインの後味がなんだか気持ち悪い。喉に海苔が張り付いたみたいに口の中が乾燥している。
洗面所で鏡を見ると口元のファンデーションがよれた女が見つめ返していた。え、誰だっけこの人と一瞬混乱したが、私以外の何物でもない。早瀬純といる時、心の中では画面上の分身になりきっているから、現実とのギャップが辛い。
久しぶりの人の温もりは、良くない方向に作用したみたいだ。悟に会いたい。もうすぐ深夜二時になるというのに、何かに取り憑かれたみたいに、手が勝手に化粧を直しはじめる。
開けっ放しで出るのは申し訳なかったが、鍵の在りかが分からない。会話するのが面倒という利己的な気持ちが勝ち、外へ出る。厳重なセキュリティだし、きっと大丈夫だろう。もしかしたら部屋単位でもオートロックかもしれない。
外は思ったよりも寒くて、薄めのストッキングを履いてきたことを後悔する。風が強く吹いている。だけど、記憶が途切れるくらいアルコールを摂取した午前様の体はいつもより熱い。素面ならきっと耐えられないであろう寒さもどうってことはない。
空を見上げると、都会といえど星がちらちらと輝いている。星は、スポットライトなんて関係なく、それぞれが光ることで、何光年も離れた私の目に届く。自分を照らすための光源がないと、存在を知られることがないという恐怖を味わったことはあるのだろうか。私の生きる世界では光の当たる人間は限られてる。光を失ったら、自分の存在を伝えるために、どうすれば良いのだろう。
空を見上げたまま立ち尽くしていたら、電車という手段がないことに、はたと気付いて少し焦ったが、幸いなことに大通りですぐにタクシーを捕まえられた。行き先を運転手に伝えながら、懐かしい響きに心が躍る。やっと私に戻れるような気がした。自分がきちんと光に当たっているかということに固執していたけど、もう疲れた。顔も分からない相手からの反応なんて要らない。虚構にまみれた分身が得た優越感に、幸せなんて感じない。ありのままの私を受け入れてくれる人と一緒に入れさえすれば良い。きっと昔の二人に戻れる――確信めいた思いが私を急がせた。
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