第10話
奥渋は、名前の通り奥の渋谷である。わいわいと騒がしい渋谷とは異なり、大人っぽい喫茶店やバーが連なり、落ち着いている代々木八幡付近のエリアを指す。とはいえ、最近注目されているということもあり、ミーハーな一般人が増えて来ている。もともとこっそり足を運んでいた人から見るといい迷惑だろう。
「ミルクレープの美味しい喫茶店」というのは、意外と難解なキーワードであった。彼のブログやツイッターを調べてみたが、喫茶店の風景はなく実際の足跡は文字だけだった。
ミルクレープを置いているところは少ない。あったとしても、看板メニューではないから、入らないと分からないのだ。仕方なく、ケーキの種類が豊富そうな喫茶店に手当たり次第に入る。大衆向けになることを想定していなかったからだろう、席数が少ない。有難いことに、一旦店内に入ったとしても、待ち人数を見てから引き返すことが出来るため、効率良く探すことができた。
まず初めに入ったところは、フレンチトーストが看板メニューらしい。何種類ものフレンチトーストがある中で、申し訳程度に三種類のケーキがリストアップされていた。周りを見渡すと、華やかでお洒落な若者が多い。どきまぎしながら、紅茶とミルクレープを頼む。正直言って、甘い物はあまり得意ではないが、ミルクレープとの文字を見た瞬間、躊躇せずにケーキセットを頼んでいた。
通されたのはカウンター席の端。運良く、私の隣もミルクレープを頼んでいるようだ。隣のミルクレープが少しだけ入るように写真を撮る。この写真がいつか役に立ちますようにと祈りながら。
久しぶりのミルクレープはボリュームがあり、生クリームとカスタードクリームが良い感じで、なかなか美味しかった。彼の評価は、どの程度なんだろうか。ここが当たりだといいなと、紅茶を飲みながら考える。
折角だし彼が訪れそうな場所は他にないものかと、彼のブログを読み漁る。どうやら、最近オープンした古着屋さんに出入りしているらしい。買うつもりは毛頭ないものの、暇つぶしに行ってみると、意外と楽しい。卒業旅行で行ったイギリスのノッティングヒルで見たのと似ているオックスフォードシューズに心が踊る。新しいはずなのに、昭和からあるような雰囲気で、非日常な空間にうっとりとため息をつく。すっかり当初の目的を忘れていた。
社会人になってからというもの、平日はオフィスカジュアルに徹し、休日にしても気合いを入れて出掛ける予定がないため、たいてい大学時代に買った服で済ましている。お金もないので、仕事でもプライベートでも使える服を選んでしまうので個性がない。ハイセンスな格好をした客が眩しく、仕事の延長のような恰好をしている自分が恥ずかしくなる。
そろそろ帰ろうかと入口を見ると、なんだか見覚えのある出で立ちの若者が入ってくる。帽子を被り、髪が隠れているから確証はないが、最近見たような気がする。誰なんだろうと鏡越しに盗み見ると、まさに私が求めていた彼だった。
見覚えがあると思ったのは、「今日のコーデ」といつぞやに投稿していた服装と殆ど同じだったからだ。写真はどうせ加工していて、顔なんてたいしたことのない、ただの年下のクソガキだろうと期待していなかったが、生で見る彼はオーラがあって、気品がある。パーマ男の目はあながち間違っていない。
そっと彼に近づき、スタッフとの会話を盗み聞く。どうやら仲良しのようで、取り置きしていたものを受け取りに来たらしい。なんの躊躇いもなく、五桁ギリギリの品をカードで買う。こいつは親が金持ちなのか、稼ぎがいいのか、それとも女に貢がせているのかと、詮索心が昂る。
用が済んだ彼は、軽くアクセサリーを物色した後、また来るねと爽やかな笑顔を向け、出口へと向かう。私はミーハー女子と思われないように注意しながら、少し遅れて彼に続く。
今度はどこに行くのだろうと、そっと後をつけてみると、最近増えてきた本屋兼喫茶店へ入っていく。飲食禁止の市民図書館通いのお年寄りはびっくりする空間だろう。彼はきょろきょろと誰かを探している。待ち合わせというよりは、顔見知りの従業員を探しているようだ。見つからなかったのか、少しがっかりしたような顔をした。彼はカウンターで、ぼそぼそと喫茶店ラテとケーキを頼み、奥の席に座る。彼がだれか全く気付いてませんよという素振りで上のメニュー看板を見て、ロイヤルミルクティーかミルクティーかで迷う。彼が席に向かう時、ふわりと良い匂いがした。
ミルクティーに決め、案内されるがままに席に着く。彼は自分の注文したミルクレープを撮っていた。何度か位置を調整し、ようやく満足したのか、喫茶店ラテに口をつける。ここがビンゴだったのかとさっきのミルクレープが無駄に思え、虚しくなる。
彼が窓の外を見ている時に、彼の注文したものたちを可能な限りいろんな角度で撮ってみる。画像を吟味しながら、パパラッチってこんな感じなんだろうか、私は何やってるんだろうと苛々する。
ミルクティーはあと一杯以上残っている。私は喫茶店で何もせず過ごすのは苦手な性質である。なので、店内の本を物色することにした。大学時代、箱根に行った後に読んで以来になる『星の王子様』を手に取る。小さい頃は意味が分らなくてつまらない話としか思えなかったが、物心ついてから読み返してみると、なかなか奥が深い。自分が世話したバラだからこそ、何千本ものバラの中で唯一愛している、という星の王子様の思いに共感する。関わって初めて愛が芽生えるのだ。
本に没頭していたら、いつの間にか彼はいなくなっていた。次の移動先が分からず残念だったが、帰り時なのだと自分に言い聞かせて、冷え切ったミルクティーを飲み干し、私は家路へついた。
それから、彼の趣味や活動拠点を調べ、写真のストックを貯める。時期を見計らって木本優貴の偽彼女としてツイートする。この前、仮想世界が怖いと震えていたのに、愚かにもその怖さを時間が忘れさせた。パーマ男の予想は的中し、彼は少女漫画原作の青春映画の主役に抜擢された。そのおかげで、ハヤトの時とは比べ物にならない反応があった。
相変わらず誹謗中傷がメインだったが、私と繋がりたがるファンには媚びられた。私と繋がったところで、誰かと繋がるわけでもないのに。とはいえ、そんな彼女らは種さえまければよいのだろう、リプライやダイレクトメールに無反応でも、特にうるさいリアクションはなかった。便乗して日々の投稿にアフィリエイト広告を載せたら結構稼げて、こういうやり方もあるんだと純粋に感心した。
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