第9話

「乾杯」


麻布十番のマンションの一室にある、まさに隠れ家的な個室で、グラスを鳴らす。男女それぞれ五人ずつと、疑いようなく合コンであることは明らかだった。


毎日同じことの繰り返し。朝起きて、すぐに曜日が分からないこともよくある。過去と同じことを繰り返しているのかどうかさえ、分からなくなる時がある。何の楽しみもなく、ただただ働くというのはとてつもなく退屈だった。朝起きてツイッターから数十件以上のお知らせがあった時は、面倒臭いと思っていたが、なくなってみるとなんとも寂しい気持ちにもなる。

そんな心の隙間を埋めるために今ここにいる。四個上の先輩が主催で、この場では私が一番年下だ。まだ結婚を意識していない私は男にとっては一番絡みやすいし、ワンナイトもしやすい。予想通り一番ちやほやされる。おそらく二度と会うことのない人たち。気を遣う必要はなく、ほどよくお酒を飲んで好きなものを食べていれば良い。


「きいちゃん、なんかモデルみたいだね。なんかスナップとかやってたりするの?」

中途半端にプライドの高そうなパーマ男が、いらないお世辞と共に私に話しかける。多分、まだ三十は過ぎていないだろう。男の肌を見れば、なんとなく年齢は分かる。二十代であれば女と違って手入れの差とかはないから、比較的当てやすい。

「いやいや、私にそんな華やかなこと出来ないです。見ての通り、地味なOLなんで」

あははと黄色い声で笑いながら、面倒臭い絡みを回避する。大学生時代だったらえーほんとじゃあなんかツテないんですか、と半分本気で返答しただろう。

「そうなんだ? サロモとかもやってないの? 自己紹介でも言ったけど、俺ヘアカタとかの編集やってて、絶対きいちゃんイケる!」

とかとか五月蠅いなとリアクションもせずにアメリカンレモネードをかき回す。赤ワインがフロートされ、綺麗なグラデーションを作っていたが、少し混ぜただけでその美しさは消えた。

頭の悪そうな話し方をするパーマ男がさりげなく距離を縮めてくる。香水の匂いが気持ち悪い。彼の脳内は早くも本能に支配されつつあることに不快感を抱く。

大学時代も、人脈拡大という名目で合コンには時々参加していた。最初は自分がモテているかのような錯覚に陥るが、そういう場に来る大半の男は安価なセフレを探しに来ているに過ぎない。社会人であるとなおさら。今日もきっと一人くらいは妻帯者がいるだろう。

「最近さ、正直あんま可愛くないのに自己顕示欲とかすごい子が多くてさ。ヘアサロンもモデルのギャラが安けりゃ安いほどいいから、そういう子で妥協しちゃうとことかもあってさ。編集する側としてはさ、画像修正せざるえないから面倒なわけよ」

ぺらぺらとブス女の悪について語る。

「まあ、サロモもピンキリだとは思いますけど、普通に有名な雑誌のモデルもやってたりするじゃないですか。ヘアカタの編集だと、そういう人とも会えたりするんですか?」

パーマ男はにやりと口元吊り上げ、私を見る。

「特集とか、結構気合い入ってる企画の時は割と有名なインフルエンサーとかと仕事したりはする。でも正直ね、すげー幻滅すんの。可愛い子って大抵わがままなんだよね」

堰を切ったように、可愛い子ほどいかにわがままか語る。きっと手を出そうとして失敗したんだろうと憶測する。

だんだん話題が上司への悪口へと移る。親でも殺されたのかと思うほどの愚痴りっぷりは面白かったが、そろそろ飽きた。席替えしないかなと先輩に目配せをしようと思った時、男の言葉が私の心を初めて掴んだ。

「きいちゃんあんま男のモデルとか興味なさそうだから、知らないだろうけど、個人的にすげーと思ってる子の営業していい?」

そいつが言うには、木本優貴はジャニーズやエグザイルも顔負けの端麗な顔立ちで、非常に礼儀正しく、気品溢れる新星らしい。どうやら、奥渋が好きで、最近はミルクレープの美味しい喫茶店がお気に入りのようだ。今はたいして芽が出ていないが、いずれは絶対に月九の主人公をやるだろうと太鼓判を押す。上司がそんなはずないと笑って、ぞんざいに扱っているのが腹立たしいとまた愚痴に戻る。

ふーん、奥渋ね。最近流行りのやつねと聞き流しつつも、心のどこかのレーダーがファンファンと回っている。あの時の刺激がまた欲しい。いちかばちか、前もって仕掛けるのもありだよね、と、私はもう次の標的のことしか考えられなくなっていた。

この会に十分満足した私は、惜しまれつつも二次会に向かう面々とは別れる。明日から行動開始だと、家までの帰り道で堪え切れず声を漏らす。これからのスタミナ作りの為にと言い訳をして、コンビニで骨のないフライドチキンを買った。アルコールは食欲のリモコンを遠くにやってしまうから良くない。

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