第4話

{ツイッター見ました。どういうご関係ですか?}

今まで勝手に慣れ慣れしいタメ口で会話をしていた桃代が、いきなり改まった口調で畳み掛けてくる。既存のふざけたスタンプで、疑問符を浮かべていることを伝えた。

{ふざけないでください、桐谷とはどういう繋がりなんですか?}

私と彼に繋がりなんてどこにもないのに、くそ真面目に事情聴取を始める桃代が哀れだった。再び同じスタンプを送ると、暫く既読スルーが続く。あまりにも長くてテンションが下がりそうだったので、何気なく撮った地元の風景を送信する。

{どういうことですか}

{あなたの方こそ何を勘違いしてるの?あいつが何か隠してるの気付かなかった?}

そう送ってから何だか妙に清々しい気持ちになり、冷蔵庫から父のビールを拝借しベランダで開ける。

せいぜい人間不信に陥るがいい。少なくとも絶対に私より辛い思いをすることはないのだ。これは私が与えた優しい試練でしかない。この件でこじれたとしても、私があなたの彼氏をたぶらかしているという事実は一切ない。だから、私が裏切られて深く傷ついたあの夜とは比べ物にならない。こんなの甘っちょろい。スマートフォンの画面を見ると、桃代からの着信だった。不安定な気持ちになる着信音がうざったい。

明日は日曜日だし、ランニング以外やることのない私にとって、明日への不安はゼロだ。付き合ってやろうじゃないかと応答する。

「もしもし、突然ごめんなさい」

正直、誰だこいつとしか思えなかった。一期一会だとよっぽどのインパクトがない限り、人の声なんてすぐに忘れてしまう。漫画喫茶で読んだ、憧れの幼馴染設定を実践したかった私はこの状況にノリノリだった。

「桃代……チャン? 久しぶりだね。ごめんね、私ちょっと驚いてて……むきになっちゃった。昔から女の子が苦手なたくが、私以外の女の子と楽しそうに笑ってるから」

桃代のツイートで出ているのとは違う呼び名で呼ぶ。きちんと幼馴染感が出ているだろうか。どうやら桃代は帰宅中なのか外にいるらしい。結構な速度で通り過ぎる車の音が聞こえる。

「ごめんなさい、私も多分、同じ気持ちなの。桐谷くんについて、まだ何も知らないから」

顔に似合わず可憐でか細い声に、先ほどまでの強気な彼女ぶりが一掃されていることが分かる。ラインとのギャップに笑いそうになる。

「単刀直入に言うね。いつからなの」

声を震わせて、問いかける。この震えは、コートも着ずにベランダにいるがゆえのものと、蘇ってきた精神的な痛みとのものだ。

「ツイッターで知ってたかもしれないけど……先月から。桐谷……ううん、拓也は、私と会社の同期なの。

「まぁ、正直さ、私も馬鹿じゃないから、なんとなくね、気付いてた。なんか、様子おかしかったし。休みも全然会ってくれなくなるし。いつもすぐ返してくれるラインも未読スルー。しかも最近、カメラ買いたいとか言い始めてたし。桃代チャンのツイッター、そっくりさんかと思ったけど、やっぱそんなことないよね」

はっと息を呑む音がする。だいぶ外の音は小さくなっているので、おそらくマンションのエントランスあたりに佇んでいるのだろうと予想される。大正解、がちゃりと鍵を回す音がして、うぃんと自動ドアが開いた音がする。

「エレベーター圏外になるかもしれないからから一度切るね」

桃代はそう言って一時休戦協定が一方的に結ばれた。そもそも、私に戦う意思も理由もないのだけれど。

せっかちな私は少しも待つことが出来ず、スマートフォンを充電機に差し込み、ひとまずお風呂へと向かった。おそらく今日は人生で一番落ち込んでいる日だから元気になる魔法という名目で、お気に入りのバスソルトを溶かす。じんわじんわと足先から温まり、毎日の通勤でぱんぱんになっているふくらはぎに何とも言えぬ快感がほとばしる。疲れを癒す瞬間が至福の時である。

ほぼ見ず知らずといえる女と一度も会話したことのない男を巡り、じりじりと争っているというのが可笑しくてたまらない。桃代は今頃どんな気持ちでいるのだろうか。疑心暗鬼になって、別れるとか考え始めているんだろうか。それは願ってもみない展開である。

父から伝授されたハンド水鉄砲で浴槽の縁の髪の毛を追い出すと、先ほど喉を鳴らさないよう気をつけて飲んだビールからの洗礼を受けそうな気がして、そそくさと浴槽を抜け出し、お湯を抜く。コポコポと間の抜けた音が響き渡る。

その間に、これでもかというくらい硬い洗顔フォームの泡で顔を包み込む。悟のために綺麗にならなくては、と健気にも基礎化粧品だけはお金をかけており、一センチ単位で何十円もするのではないかと思われる洗顔フォームで、日々毛穴の汚れを追い出している。キュッキュッと鳴りそうなくらいにつるつるになったことを確かめる。

早くも空になりそうな浴槽に、シャワー攻撃を始める。シャワーから出るお湯を見る。湯船では優しく包んでくれるお湯がこんなに荒々しくなるなんて、と感心してしまう。私の怒りも、このシャワーみたいに調節できればいいのに。

私は何も悪くない。人の幸せと不幸せのバランスは平等ではない。だから、少しでもバランスを取りたくて、見ず知らずのカップルの幸せを崩そうとしている。自己勝手な考えではあるのは分かってる。だけど、私が壊れることを防ぐにはそうするしかない。

髪の毛は後ろにかきあげたはずなのに、何故か膝にぽろぽろと水が落ちる。しゃくりあげた声を聞いた時に初めて、自分が泣いていることに気づいた。何が悲しいか分からない。自分が滑稽で、わんわんと反響する自分の声に何故だか責められている気がして、シャワーをさらに強くしてかき消す。さも彼氏がいるかのように振る舞ってみたけど、現実を見れば私は今一人だ。私を必要としてくれる人は誰もいない。

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