第2話

悟のことは忘れもしない。悟も私も大学付属の高校出身だった。付属生の九割はエスカレーター式に大学に上がるため、所定の単位を取れさえすれば受験勉強は不要だ。一般受験組と比べ時間がある分、高校時代から垢抜けていて、大学生のように振る舞い、少し背伸びした装いをしている。

私たちは高校こそ違うものの、そんな環境で高校時代を過ごしていたから、大学一年生でやっと自由を手に入れた、いわゆる大学デビュー組は幼く感じられ、上手く付き合うことはできなかった。

「付き合おっか」

大学一年のゴールデンウィーク明け。履修登録が終わり、地下鉄での通学とヒールのあるパンプスにやっと慣れてきた頃に悟が囁いた。

たしか、二限目の必修の英語が終わった後だったと思う。学食は混んでいて面倒臭いから、隣駅まで歩いてお昼を食べに行こうと誘われたのだった。

サークル、学生団体、海外留学、震災ボランティア、NPO……出来ることは星の数ほどあった。それなの何にも興味を持てず、時間を持て余していた私が大学で手に入れたものは、結局のところ悟だけだった。

悟は私のどこが好きだったのか疑問だが、私たちはなんだかんだ上手くいっていた。たまに喧嘩はしたものの、最終的には仲直り。それが社会人になっても続いて、ゆくゆくは当たり前に結婚するものだと思っていた。


社会人一年目のクリスマス、ケンタッキーでパーティバーレルを買う。学生時代は平日も休日みたいなもので、クリスマスの過ごし方なんて選び放題だったが、社会人になるとそうもいかない。初めて部屋で過ごすクリスマスに、お互いの成長を感じるのと同時に、まるで家族のようだと口元が緩む。悟が帰って来たらすぐにトースターにかけられるように、チキンやポテトをアルミホイルで包む。

何もやることがなくなり、主人が不在のこの部屋で、ぽつんと待っているのに耐えきれず、暇潰しのためにツイッターを開いた。ゼミの後輩である彩香は厄介な恋愛をしているらしく、最近のタイムライン(=ツイートが時系列に並ぶログ全体)は彩香の鬱ツイートで荒れていた。もっとも、同級生たちのツイートが激減したことで悪目立ちしてしまっているというのも一因であるが。


[昨日はクリスマスイヴ♡人生で一番幸せかもしれない♡]


なんだ、よかったうまくいってるじゃんとリプライ(=返信)をしようと彼女のツイートをまじまじと見た時、私は凍った。彩香の写真は今まさに私が見ている景色そのものだったから。


悟の社宅が決まってからすぐに一緒に家具を買った。やや埼玉寄りに位置しているということもあり、社宅は一人で住むには広く、テーブルを置いても余裕があった。散々迷って買った焦げ茶のテーブルは、梱包状態では中に入れることが出来なくて、二人して冷や汗をかいたものだ。

無情にも、私たちの思い出は置いてかれていて、彩香の写真では、その焦げ茶のテーブルに小さなケーキがのせられてあった。その奥にだらしなく開いているクローゼットの中には私が選んだセンスの良い私服がかかっている。

この部屋で、昨日は彩香と悟が会っていたということを写真は物語っていた。


思い返せば、クリスマスに会う約束を取り付けるのに手間取った。クリスマスイヴは絶対に無理だと頑なに拒み、翌日は残業が、飲み会が、と次の土日に改めてクリスマスをやれば良いじゃないかと言われた。私はそこまでイベントにこだわるタイプではなかったが、お互いの誕生日は平日で会えず終いだったから、クリスマスこそはと、どうしても当日に会いたかった。

「遅くてもいいよ、先に準備してるから」

と言って、無理矢理クリスマス当日にアポを取った。余裕がなくなる時に歯切れが悪くなるのはいつものことだったし、私はきっと仕事が大変なんだろうと、短絡的な考えで落ち着き、悟の変化に気付けなかった。

悟は配属後、上司や先輩からの叱責、取引先からの理不尽な依頼に振り回されて辛そうだった。初めてのボーナスでダンヒルのベルトを買った。戦隊モノではベルトは必要不可欠だ。ベルトをして「変身」と叫べば、たちまちヒーローになれる。この変身ベルトを着けて活躍して欲しいという思いがあった。彼の驚いた顔を想像すると自然と笑みが零れた。

そんな純粋な気持ちとは裏腹に浮気対策の意味もあった。万が一、別の女の前でこれを緩める日が来ても、罪悪感を覚えて踏み留まってくれますように。悟は基本的に敵を作ることはない穏やかな性格だ。それに加え、社会人になりスマートに立ち振る舞えるようになってきたから、モテるのではないかと不安でしょうがなかった。


しかし、私の牽制が遅すぎたようだ。リプライしようとしたのに手が動かない。果たして、なんと送れば良いのだろうか。衝動のまま、プレゼントのリボンをするすると解く。無造作に掛けてあるスーツのスラックスを履き、散々迷って買ったベルトを締めた。


[さっちゃんに変身ベルトあげた♡早速締めてくれた♡変身完了!]


全くの嘘を自作自演の写真とともにツイートする。思い返すと、痛々しくて吐き気がする。

その後のことは、鮮明に覚えてはいるが、あまり思い出したくない。悟に謝られ、彩香に謝られ、私はいたたまれなくなって自殺を試みるふりをしたり、冷静に別れを受け入れたと見せかけて、彩香の幸せツイートに過剰なリプライをしたり、自分だけでなく友達も使って、彩香を攻撃したり。ほどなくして、悟の家に呼びだされ、鉄槌を食らうことになる。


「お前、頭おかしいんじゃないの」

私は何も悪くない、どう考えても被害者なのに、私の王子様は新しく出来たお姫様を守ることに精一杯らしい。王子様はいかにお姫様がか弱く守るべき存在であるか、熱弁した。私は悟に対し、思いつく限りの悪口を浴びせ、泣きながら城を出た。

長年履いていたガラスの靴は、本当はサイズが合っていなかったのかもしれない。悟は私よりもぴったり合う女の子を見つけてしまった。シンデレラのかぼちゃの馬車は、私を迎える前に何の変哲も無い、鉄でできた鼠色の塊に変わってしまった。高架を走る電車を見送り続け、ようやく乗った時には、家までの電車は途絶えていた。

とりあえず近くまで行くしかないと意を決し、最終的に降り立った駅は、かつて悟とよく待ち合わせをした場所だった。二人で入ったこともある漫画喫茶へ今度は一人で入る。

現実逃避をしたくて、高校が舞台の少女漫画を読み漁った。何も考えたくなかった。悲しいシーンではないのに、ぼろぼろと涙が出て止まらなかった。涙は頬を伝って首筋へ、そして胸へと涙が伝わっていった。しっとりと胸を濡らす涙はまるで汗のようで気持ち悪く鳥肌が立つ。魔法が解けてしまったことをすぐには受け入れられなかった。 

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