最終話 生きているだけで――

「……なぜ、殺さないの?」


 いくら待ってもやってこない最後の瞬間に、僕は困惑する。


「ふっ。そうはやるな。勝利には、少々手順がいる。この身体は中々使い勝手がいいが、魂の消費量が莫大でな。さすがに世界中からの魂の流入を防ぎながら、維持することは難しい」


 ドロドロと、何かが溶ける音がする。


 僕は偶然のクリティカルにかけて、やみくもに攻撃するが、剣先が液状となった敵を虚しくすりぬけるばかりだ。


「どうして俺が他の魔族と違って、ここまでヒトの思考を理解できたと思う。元々俺は魔族の中で最弱の個体だった。不死の個体も珍しくない同族の中で、俺はまさしくヒトのヒューマン種と区別できないほど貧弱でな。全くどうしてこうも脆く生まれたのかと思ったのだが、すぐに気付いたよ。いや、気付かされた。俺自身の能力にな。生まれてすぐにゴブリンごときに殺された。だが、すぐに生き返った。苦し紛れにゴブリンの耳噛みちぎった瞬間、理解した。肉片一つ、いや血の一滴でもあれば、俺はその相手の身体を複製できる。いや、それどころか、そいつの記憶まで写し取ることができた。まあ、死の瞬間でないと発動しない、厄介な能力だがな。ともかく、複製した身体で、俺はオリジナルを殺した。なぜ勝てたか。オリジナルは片耳を失い傷ついており、俺は完全な身体で復活できたからだ」


 ズ、ズ、ズ、となにかを啜る音がする。


 もはや敵に口はないはずのに、どこからか聞えてくる声。


 それは、まるで、脳に直接語り掛けてくるかのように頭の中で響いていた。


 僕の気をそらす必要もない状況だ。


 総統が、今更わざわざこんな自分語りをする理由がわからない。


 もしかして、彼は僕に聞いて欲しいのだろうか。


 自分の気持ちを。


 支配するか、されるかの関係性しか築けない彼には、きっと近くにビジネス以外の話をできる存在がいなかったのかもしれない。


 だとすれば、僕は、彼にとって、初めての『対等』に話せる存在だということになる。


「それから、色々学んだよ。最強という魔族にありがちな幻想を追いかけた時期もあった。だが、無駄だった。魔王のような強すぎる個体は、結局周囲から敵視され、滅びる運命になる。俺は歴史から、必ずしも強い個体が生き残るのではなく、状況に一番適応した個体こそが、最終的な勝者になるのだと知った。おそらく、俺が最弱に生まれた理由もそこにある。魔族よりも脆弱な肉体しかもたないのに地上を支配するに至ったヒト。その特性を理解するには、弱さと有限性が必要だ。だから、俺は弱く生まれ、能力にはくだらない制限があるのだと。それを理解してからは、とにかく知識を身に着けようと思い、何度も、『生まれ変わった』。ヒトも、魔族も、ハグレモノの一生すらも味わって俺が得たただ一つの真理。それは、生存は闘争だということだ。ヒト風に言い換えるならば、『生まれながらに苦しみを宿命づけられている』といってもいい」


(ああ。そうか。つまり彼は――)


 絶望している。


 それは、ある意味で、とてもヒト的な感情なのだと、彼自身は気付いているのだろうか。


 皮肉なことに、僕は彼の絶望に希望を感じている。


 無の存在と対話をすることはできないけど、絶望を知っている存在は、必ず心のどこかで希望を求めている。


(僕と彼には、共通点がある)


 自分の生まれにコンプレックスがあって、それを解消しようと努力した。


 いや、他人を傷つけるような彼の行動を、努力といってはいけないのかもしれないけど、生まれついての障害を克服しようとしてきたという意味では、僕とよく似ている。


「苦しみもあるけど、喜びもあったはずだよ。ヒトとしての一生を送った時に、そう感じたことはなかったの? 愛でも、友情でも、ご飯がおいしかったとか、綺麗な景色に感動したとか。なんでもいい、生きていてよかったと思えるようなことが」


「理解はするが、感じるはずがない。愛というのは、つまり性欲のことか? それは生殖を通じてしか子孫を残せないヒトの本能に過ぎない。友情もまた、集団としての力を発揮するための方便だろう。食事は肉体を維持するための作業。綺麗な景色などという抽象的概念などは、思考を割く価値すらない」


 目の前に人影が輪郭を形をつくっていく。


 暗闇に目が慣れてきたとはいえ、おぼろげにしか見えないが、そこに産まれつつあるのだろうか。


 『もう一人の僕』が。


「そうかな。少なくとも、僕は、妻と子どもを愛しているし、それは一生をかけるに値するものだけど」


「『愛している』か。本当か? では、敢えてヒト風にその愛を『自分よりも相手を思いやる気持ち』と定義しよう。そう考えた時、子孫を残すという行為は正しいと言えるか? 例えば、貴族階級でもない一般的なヒトの一生の内、労働と余暇の時間でも計算してみろ。労働の方が圧倒的に長く、到底釣り合わない。本当にヒトが子孫を愛しているのならば、この世に産まないのが当然だ。この世が苦しみだと分かっていながら子孫を残すのは、ヒトが本質的に利己的だからだろう。それとも、まさか自分は富裕層だから子孫を残す権利があると考えているのか? だとすれば、結局それもまた、ヒトの自己中心性を証明することになる」


「ヒトの本質がどうかは僕にはわからない。でも、時間の価値は、均一的じゃないよ。一生の苦労が報われる一瞬がある。それだけは断言できる」


 初めて、ダンジョンに足を踏み入れた時の興奮を覚えている。


 仲間と依頼を達成した時の喜びも。


 名前も知らないような誰かと、酒場で喜びを分かち合ったあの日。


 妻たちと想いが通じ合った時。


 子どもの産声を聞いたあの瞬間の、何とも形容しがたい高揚感。


 少なくとも僕の人生には、今までの苦労が全て報われると思えるような一瞬がたくさんあった。


「そうだな。そうして、所与の能力と環境に恵まれた勝者のみが子孫を残せる。合理的な選別システムだ。他の多くの生物と同じくな。ヒト固有のものといえば、その選択に社会性が加味されていることくらいか」


 声が聞える。


 『僕』はこんなぞっとするような冷たい声をしていただろうか。


「……僕はあなたの言っていることに賛同はできない。もしかしたら、あなたの言っていることは、一面でヒトの真実なのかもしれない。でも、どちらにしろ、生まれてきたんだよ。その事実は変わらないんだから、どうせだったら、楽しく生きたいと、みんなが幸せになる方向を目指したいと、僕は思っている」


「なるほど、『諦め』だな。己の苦しみを軽減するための、ヒトの逃避手段の一つだ。いいだろう。なら、『諦めろ』。今から、俺がお前になる」


 スチャッと、小気味いい音がする。


 彼が剣を抜いた音だろうか。


「『僕になる』。……それは無理じゃないかな。『完全に』復元コピーしたんでしょ。僕の身体を」


「そうだ。同じ肉体ならば、勝敗を決定づけるのは経験と技術だ。2は1に勝る。1001は1000に勝る。お前がどんな技術を持っていようと、相手の記憶+αを持っている俺には敵わない。そうやって、俺は常に勝ってきたのだ。例えば、貴様は、暗闇の中で、獲物を仕留める技術を持っているか?」


 総統の足音が、ひたひたと僕に迫ってくる。


「そんなのない。でも、僕は、死なないよ。絶対に、生きて家族の所に帰る」


 僕は、音のする方向に背を向けて、全力で逃げ出した。


「悪あがきはよせ。まさか、この期に及んで『蒔き神』がどうにかしてくれると、ありもしない希望にすがっているのか?」


 総統の足音の感覚が狭まる。


 彼我の距離をどんどん詰められていることが、彼の呼吸音から伝わってきた。


「そんなんじゃない。前提が違うんだ。――僕は、本来なら、生きているはずのない個体なんだよ。弱肉強食の論理でも、適者生存の論理でも、存在を許されなかったはずの人間なんだ。僕は、ただ、ただ、ただ、摂理を捻じ曲げるほどのヒトの優しさに支えられてここにいる」


 自然と、涙がこぼれた。


 色んな感情があふれてくるけど、もし今の自分の気持ちに名前をつけるとするならば、それは、『感謝だ』。


 医療制度の整った日本に生まれていなければ、僕はダンプかにひかれるまでもなく、早逝していただろう。


 母が僕のために身を粉にして働いてくれなければ、やはり死んでいたと思う。


 神様が、二度目のチャンスを与えてくれなければ、それで終わりの人生だった。


 初めてあったのが、親切なシャーレじゃなければ、異世界生活はいきなり頓挫していただろう。


 もちろん、テルマが僕と契約してくれなければ、やはり同じように異世界生活は詰んでいたはずだ。


 全ての出会いに感謝したい。


 今の、僕を作ってくれた全てに。


「世迷言を。今、俺がこの剣を一振りすればお前の命など……。くっ。は、かはっ。なんだ。なぜ、息が! この胸の痛みはなんだ!」


 総統の足音が止まる。


 彼が今味わっている苦しみを、僕は知り過ぎるほど知っていた。


「僕の記憶を漁ってみてよ。……生まれつき、心臓が弱かったんだ。何度も何度も何度も手術して、ようやく動けるようになったけど、もし、放っておいたら、間違いなくこの年まで生きてはいない」


 本当に、人生はなにがあるか分からない。


 あれだけ苦しかった、憎かった、僕の病気が、今、僕の命を救おうとしているなんて。


 本当に。


 本当に。


『生きているだけで丸儲け』だ!


「――なにっ。そうか。お前は……この世界のヒトではないのか。くそっ。こんなことが! 『蒔き神』めえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」


 バタっ、と。


 『もう一人の僕』が倒れる音がする。


 その呼吸が、徐々に短く、浅くなっていく。


 深い闇の向こうから、光が差し込んでくる。


『はあー! やっと入れた。生きてる? 生きてるよね?』


 総統の遮断が解けたのだろう。


 精霊たちが一斉に戻ってきた。


「よく僕が本物だってわかったね」


『当たり前じゃんー。みてくれは同じだけど、魂が全然違うもん』


 風の精霊が得意げに呟いた。


『おらあああああああああああ! 焼き尽くせえええええええええ!』


 はやる精霊を、僕は右手を挙げて押しとどめた。


 総統は悪人だが、もし、彼が生い立ちから魔族の論理を強制されなければ、どうなっていただろうか。


 そう思うと、最後の言葉くらいは聞いてやりたい気持ちになる。


「ふっ。全く、ふざけて、いる。負ける可能性は、考えていたが、だとしても、もっと派手な終わりを想像していた。刺されるか、切られるか、焼かれるか、爆発するか。それこそ、ヒトのくだらないおとぎ話に出てくるような、結末を」


「僕も、もっと血を血で洗うような戦いを想像していた。でも、今はこういう終わりが、凡人の僕にはふさわしい気がしている」


「まだいうか。お前は、まさしく、ヒトの――まあいい。どうせヒューマン種は――お前は、せいぜい、百年そこらで、死ぬ。俺が負ければ、ヒトはまたヒトの国同士で、勝手に、争いを始める、だろう。その間に、魔族は、再び力を蓄える。すでに、不和の種は蒔いた。俺が増やした、ヒトでも魔族でもない半端者は、世界中で争いの火種に、なる」


 総統は、薄ら笑いを浮かべながら途切れ途切れに呪いの言葉を吐き捨てる。


「そうかな。僕には、争いの種どころか、彼や彼女たちが未来への希望に思えるよ」


 実はずっと考えていたことがある。


 総統が使役していたハグレモノがヒトの社会に増えれば、その全員を解呪の仕事につかせることはできない。


 だから、新しい仕事がいる。


 もちろん、誰かに呪いをかけるなんて仕事はやらせない。


 僕が、彼らに提案したいのは、もっとマシな、明日のためになることだ。


「本気で、言っているのか? それとも、また、ヒトの、根拠のない、楽観主義か?」


「……試したことはある? ハグレモノたちが、負の感情じゃなくて、正の感情も扱えるかどうか」


「ある訳が、ないだろう。そんなことをして、どうする。正の感情を、奴らに扱わせた、としても、お前たちの用いている支援魔法の、下位互換にしかならない。普及するはずが、ない」


 総統が首を横に振った。


 いや、それはもしくは、寒気を感じた肉体の条件的な反射だったかもしれない。


「そうかな。僕は素敵なことになると思うよ。だって、『生きているだけで丸儲け』だから」


 僕は自信に満ちた、なるべく幸せに見えるような笑顔で、そう呟いた。


 それが、僕にできる、彼への最大限の報復だった。


「理解、不能だ」


 総統はそう呟いて、静かに目を閉じる。


 その口元が、心なしか微笑んでいるように見えたのは、僕の気のせいだろうか。


「ありがとう。もういいよ」


 僕は一瞬の瞑目の後、精霊たちに終わりを告げた。


『焼け焼けえええええええええ』


『じゃあ、僕は、さらにそれを細かく細かく細かーくしちゃおうかな』


『灰は川に流しましょうー』


『土に還すのも良い』


 精霊が群がり、総統の――『もう一人の僕』の身体を、二度と復活できないように、破壊し、分解し、浄化していく。


 砂より細かい粒子になったそれは、澄み渡る冬の蒼穹に吸い込まれていった。

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