第186話 開幕

 決戦の場所は、しくも僕たちが初戦を戦ったトリゴ地方だった。


 世界の食糧庫たる一帯は、常にこの戦いにおける係争地であり続けたのだ。


 昔はのどかな田園風景が広がっていたグラーノは、急ピッチで要塞化され、今や立派な軍事拠点と化している。


 その最前線の指令室で、僕は待機していた。


 冬の冷たさは、じんわりと部屋の中を寒々しくしている。


 もちろん魔法で最低限は暖められてはいるが、戦場では倹約は日常だった。


 居並ぶ世界から選りすぐられた軍事関係者は、時折身体を揺すりながら、ただ黙してその時を待つ。


「傾聴! 斥候より報告! 敵、拠点より出撃! 我が方の輸送路を遮断する意図かと思われます!」


 伝令兵が息せき切って駆けこんでくる。


「御大! ついにこの時がきましたな」


 ダブラズさんが、椅子から勢いよく立ち上がった。


 いまだに『御大』という大仰な呼び方には慣れないが、他国に僕たちが主導権を握っていると示すためには必要なことらしい。


「冬ですからね。向こうも食料に余裕はないでしょう。このまま大軍同士のにらみ合いになれば、不利になるのは向こうです」


 僕は頷いて言った。


 ヒトからすれば、異常な繁殖力をみせるモンスター軍団の唯一ともいっていいデメリット。


 それは、兵糧の消費量が多いことだ。


 あまり好きな表現ではないが、兵士一体としての『コスパ』はヒトの方が優れている。


 戦略的にみれば、敵の兵力の回復力はあまりにも脅威だが、今この場所に限定するなら、相手のその特性は籠城に不利だった。


「昔、あなたは一人の冒険者だった。今、あなたは、貴族であり、英雄であり、また、一人の親でもある」


 そう僕に話しかけてきたのは、いつか、アレハンドラで一緒になった、ルッケローニさんだった。


 あの時は冒険者としてダンジョンを攻略していた彼は、今は国を代表する貴族としてこの場所にいる。


 彼の国からもたらされた魔法の技術は、戦争で大いに活躍していた。


「冒険者でもなく、貴族でもなく、英雄――は周りが勝手に言っているだけだから置いておいて、僕は、僕として。ただのヒトの一人として戦いますよ。親としての自分は――忘れられないけど、あまり意識しないようにしてます。それを意識しちゃうと、僕は、全てを人に押し付けて、家族の元に逃げ帰りたくなってしまうから」


「……美しい回答です。あなたはお嫌でしょうが、それでも、私はあなたを『希望』と呼ばせてもらいます」


 ルッケローニさんは微笑んで、深く一礼した。


「ルッケローニさんは詩人ですね――では、行ってきます」


 僕は、そう答えて、そっと立ち上がった。


 部屋にいた他の人間も全て総立ちとなり、それぞれの国のやりかたで、僕に敬礼を送ってくる。


 お飾りでも、一応総大将の身分だから、前線に出る必要はない。


 それでも敢えて、僕は最前線で戦うことを選んだ。


 僕が指令室にいても、何かの役に立つ訳じゃない。


 仮に僕が死んでも、戦略的な視点から考えれば、戦争の大勢には影響はない。


 だったらただの戦力として、戦闘に参加した方が合理的だろう。


 これが、最後の決戦だというなら、勝利のためにできることはなんでもしておきたかった。


「よう! 大将! 元気か?」


 肩を叩かれる。


 振り向けば、これまたいつか一緒に戦った、ベルケスさんがそこにいた。


 獣人の彼の髪には白いものが混じり、より歴戦の強者感を増している。


「お久しぶりです。お元気そうですね。指令室の方にはいなくていいんですか?」


 彼も、故郷では英雄であり、指令室に入ることが許される立場のはずだが。


「しゃらくせえ。そんな気取る柄じゃねえ。俺は前線で敵をぶっ殺しまくる方が性にあってる。それに、てめえに命を助けてもらった借りもまだ返してないしな」


 戦斧を軽々しく素振りしながら、ベルケスさんが呟く。


「頼もしいです」


「おうよ。それによ。敵は冒険者なんぞ、金っていう餌に群がるハエくらいにしか思ってねえみたいだしよ。なめられたままじゃ、冒険者魂が廃るってもんだ。俺たちがどれだけ、自由を愛してやるか、奴らの脳髄に叩き込んでやろうぜ」


 ベルケスさんはそう言って口角を上げ、闘志をむき出しにする。


「そうですね。冒険者は自由のためにお金が欲しいんであって、その逆ではない。――まあ、冒険者が参戦を決めたのは、僕たちの方に勝ち目が出てきたからっていうのもあるでしょうけど」


 僕は深く頷いて答える。


「馬鹿野郎。てめえがぶちまけた演説に惚れ込んで、わざわざこんな田舎くんだりまで出向いてきた奴も大勢いるっていうのに滅多なこと言うもんじゃねえ」


 ベルケスさんがわざとらしく真面目な表情を作ってそうたしなめてくる。


「ふふっ。本当ですか? 単に名声を上げたい人たちが、チャンスだと思って参加してるんじゃないんですか?」


 僕は苦笑した。


 今回の戦いにたくさんの冒険者が参加してくれているのは事実だが、僕の演説の効果がどこまであったかはわからない。


 いや、多分大してなかっただろう。


 冒険者は僕の演説に感動して戦場に赴くような、義侠心に溢れた存在ではない。


 彼らが参加する理由があるとすれば、『祭りに乗り遅れるな』といった『ノリ』というのが、一番真実に近い気もする。


 気分屋で現金で、調子に乗りやすくて――でも、僕はそんな彼らが嫌いではなかった。


「ま、それもあるがな! 俺ももう年だしよ。伝説の一つや二つ、残しておきたいと思ってよ。

 そんで、ボケジジイになってから孫たちに言ってやるんだ。『ワシはあのタクマ=サトウと一緒に戦ったんじゃ!』ってな!」


「あはは! あなたはそういうタイプじゃないでしょう」


 僕は心の底から笑う。


「へっ。俺も丸くなったってことだ。じゃあな」


 ボルケスさんが、手を振りながら、仲間の元へと去っていく。


 こういう、冒険者っぽい軽口の叩き合いは久しぶりで、なんとはなしに緊張していた気持ちがほぐれた。


 ボルケスさんが気を遣ってくれたのだろうか。


 冒険者と、従軍してから知り合った兵士と、彼らに挨拶をしている内に戦列が整う。


 移動に半日。


 敵の進軍ルートに迎撃する形で布陣が整えられ、土魔法と工兵によって造られた防衛陣地が、銃兵を守るように張り巡らされていった。


 その脇に配置された歩兵の列。


 その最前線で僕は時を待った。


 はるか遠方に立ち上る土埃が、敵の襲来を告げる。


「……そういえば、キミとこうして、ちゃんと肩を並べて戦うのは初めてだね」


 隣に立つアルセさんが、ぽつりと呟く。


「そういえば、そうですね」


 僕とアルセさんは、戦争において、ばらばらに配置されることが多かった。


 ダブラズさん曰く、一応、こんな僕でも、アルセさんと同じく、戦場に立つと味方の士気をあげる効果があるらしく、『まとめて配置するのはもったいない』という意図だったらしい。


「――なにか、気の利いたことを言いたいんだけど、なにも思いつかないや」


 アルセさんはそう言ってはにかむ。


「……生き残りましょう、そうすれば、いくらでもおしゃべりする時間がありますから」


「うん。そうだね。お婿さんのキミが死んで、結婚する前から未亡人になっちゃうなんて、私、いやだし」


「その話、まだ有効だったんですか?」


「もちろん! 私は一度した約束は守る女だもん」


 僕たちはお互いの顔を見ないまま――まっすぐと戦場と向き合った格好で、そんな無意味な会話を繰る。


 タラララララララ。


 トゥィン! トゥィン! トゥイン!


 開戦のファンファーレがなった。


 『吟遊詩人』たちの――いや、もはやオーケストラといっていい規模の軍楽団の奏でる旋律が、ステータスアップの効果を伴って僕たちの耳へと届く。


「景気づけの一言、どうします?」


「キミに任せるよ」


「わかりました。――勝つぞ!」


 僕は短く叫んだ。


 ウォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!


 精霊を通じて全軍へと伝播されたそれが、やがてときの声と変わる。


「いくよ!」


「地上は任せました! 僕は、空から!」


 寒空へと飛び上がる。


 ワイバーンの大軍と、後ろには、その何倍も大きいドラゴンが何体も控えていた。


『やる気だねえー。今日は、手を抜かなくてもいいんでしょ?』


「いいよ。全力でいこう!」


 前線へと躍り出る。


 風の刃が翼を切り裂く。


 敵の大口から吐き出された特大の炎をさらに超大な炎が飲み込んでいく。


 稲妻のごとき氷柱が、敵を大地に串刺しにする。


 僕は、銃兵の障害になりそうな敵を徹底的に排除していった。


「バーサク入ったジャイアントかあ。なんか昔の私を見ているみたいで好きじゃない――な!」


 アルセさんの一撃が、高層ビルほどの高さを持つ敵を一刀両断にした。


「おらあああああああああああああああ! どうしたその程度かあああああああああ!」


 ボルケスさんは、一人でキマイラの群体を相手にしていた。


 もはや斧も剣も関係なく、素手を眼球の中にねじ込み、脳を握り潰す。


 他の冒険者たちも、必死に奮戦していた。


 彼らは、敵がこっちの戦列を乱すために繰り出してきた厄介そうな強敵を、次々と屠っていく。


 歩兵は密集陣形を組んで敵を阻み、弓兵と魔法兵が斉射をしかけ、敵を銃兵の正面へと誘導する。


 ボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボ!


 と、威力を増した銃が、ヘリコプターの羽音を何十倍にもしたような轟音を立てる。


『呪いがくるゾ! 息を止めて一言も喋っちゃダメだ!』


 津波のような、黒い怒涛。


 ヤムたちと、ヒーラーが共同で繰り出した光の波が、その悪意の塊を相殺する。


 数秒の沈黙の後に、また戦いが始まった。


「伝令! 西外れのブダン村に秘匿されていた隠しダンジョンより、ゾンビ化して復活した魔将が大量に出現しました! このままでは本拠地が危険です! 至急応援を!」


「私が行く! やる気のある子はついてきて!」


「子っていう年齢でもねえが! 強い奴と戦わなきゃ意味がないしな!」


 アルセさんや、腕に覚えのある強者たちが戦列を離れる。


『すごくいやな気配がする! あっち、あっちの方! これ、前に一度、戦ったことがあるよ!前よりだいぶヤバい感じだけど!』


 最近は滅多なことでは動じなくなった風の精霊が、声を震わせて東を指さす。


「『総統』だ! 『総統』が出たぞおおおおおおおおおおおおお!」


「歩兵が溶かされる! 誰か何とかしてくれ!」


「うあああああああああああああああああ! 地面が! 地面がなくなっちまった!」


 一瞬目を離した隙に、右翼の戦列が崩壊していた。


 地面にできた巨大なクレーター。


 まるで月が落ちたみたいだ。


 その破滅的で絶望的な深淵の底は見えず、まるで僕を誘うかのように深い虚空の闇を湛えている。


「うろたえるな! 僕が――タクマ=サトウが『総統』の相手をする!」


 自ら名乗るようなキャラじゃないけれど、味方を鼓舞するために、僕は敢えてそう叫んだ。


 躊躇なく、クレーターへと突撃する。


『えっ! あそこに行くの! マジで? マジで? 確かに、キミは前より全然、超めちゃくちゃつよくなったけどー。でも、でも、でも、でもー、どうかなー。それはどうかなー』


 風の精霊が躊躇するように首を左右に振る。


 最近は余裕しゃくしゃくの彼しか見てなかったので、なんだか初心にかえった気分だ。


『なにぬるいことを言ってやがる! 世界の敵だ! 大物中の大物だ! 焦がせ! 燃やせ!魔族を焼き尽くせ! 雪辱戦だあああああ!』


『水は流れなければ淀んでしまいますー。不自然な堤には穴を空けましょうー』


『我らはこの時のためにあった。消え失せようとも悔悟はあるまい』


『もおおおおお! わかったよおおお! キミの好きにしなよおおおおお!』


 精霊たちも、覚悟を決めたようだ。


 闇の入り口へと頭を突っ込む。


 冬の地上よりは生温かい――でも、ひんやりと、粘りついてくるような寒々しさが、僕を包み込んだ。


 光の精霊が暗闇を照らす。


 いつかテルマたちの故郷の里で見た、ビジュアル系の大男の姿がそこにあった。

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