第180話 賭ける

 レンとナージャが折衝に動いてくれた結果、カリギュラとマニスの双方を交えた会談は、僕の領地で行われることとなった。


 というのも、僕の領地が位置的に両者の間にあり、中立的な拠点として、会合を持つのにちょうど都合が良かったからである。


(眠れないな……)


 会合を明日に控えて、あれこれ考えている内に目が冴えてしまった僕は、こっそり起き出して広間へと向かう。


「ふう……」


 甕からコップに水を汲んで、一息つく。


「――眠れない?」


「うわっ――テルマか。ごめん。足音で起こしちゃった?」


 突如背後から声をかけられて、僕は振り返る。


「大丈夫。この子が夜泣きするから、ちょっとあやしにきただけ。他のみんなを起こしてもいけないから」


 テルマがあやすように、腕の中の赤子を優しく揺らす。


 それでもなお、僕の宝物の一つは、まだぐずっていた。


「お疲れ様。テルマも、水、飲む?」


「飲む」


 僕はもう一つコップを用意して、テルマと隣り合って座る。


「……迷ってる?」


 しばらくの沈黙の後、テルマがそう呟いた。


「うん。迷ってる」


 上目遣いで見てくるテルマに、僕は素直に頷いた。


 カリギュラとマニスの出方次第だが、僕たちの方では、二つのプランを用意してある。


 一つは、魔族との徹底抗戦を提案する方向性の案。


 そしてもう一つは――、魔族の要求を一部呑み、妥協点を探る方向性の案である。つまりは、いかに今の立場を保ち、生贄を領地同士で融通し、どう工面するかという、消極的な対処策だ。


 総統の表現には扇動的な要素も多いが、現在、モンスターに対する防衛や、ダンジョンの攻略に振り向けられているヒトの社会の労力を全て生産に回せば、魔族サイドに生贄を差し出してもなお、ヒトに発展の余地があるという話は、おそらく嘘ではない。


 ナージャなんかは、『誰かに管理されても、数だけ増えればいいというなら、それって家畜と何が違うんですの?』と辛辣なことを言っていたし、僕もそう思うけれど、マクロ的な目で見れば、魔族の言うことを聞いた方がいいという論法も成立しなくはない。


 冒険者時代の僕ならば、間違いなくすぐに徹底抗戦を選んでいただろう。


 だけど、領主となった今、100年先、1000年先の領民の未来を考えると、簡単に決断ができなくなっている。


 他の妻たちが戦いたがっているということは分かっていたが、それを理由に徹底抗戦を推し進めるのはやっぱり無責任だろう。


「タクマはどうしたいの?」


「……僕の個人的な感情でいえば、戦いたいかな。『自分たちが生きるためには、誰かの命を犠牲にしてもいい』なんて、子どもたちに教えたくはないから」


 今日、街角で、皮肉じみた吟遊詩人が歌っていた。


 細かい歌詞は覚えていないのだけれど、今の世界にも確かに社会の理不尽の犠牲になっているヒトがいるのだから、それが魔族の犠牲になった所で、何の違いがあるといったような厭世的な内容だったように思う。


 それは、ある種の真実かもしれない。


 でも、やっぱり、僕はそれを認めたくない。


 たとえ、亀のような遅い歩みだとしても、僕はヒト自身の手で、より良い世界を目指したい。


 僕の言っていることは、理想論で、甘い綺麗ごとなのかもしれない。


 でも、綺麗ごとも言えない世界を、子どもたちに残したいとは思わない。


「なら、もう答えは出ている。タクマは、タクマのしたいように動けばいい」


 テルマはきっぱりとそう言い切った。


「でも、戦争になれば、結局誰かの命を犠牲にしなくちゃいけないんだ。それは、正しいことなのかな?」


「それは未来のために、必要な犠牲」


「……未来のために、今の人を犠牲にしていいという理屈を肯定するなら、それって、結局、魔族の、未来の繁栄のために、生贄を要求する論理と変わらないんじゃないかな?」


 僕は腕組みして俯く。


「……タクマは難しく考えすぎてる。例えば、今、モンスターが襲ってきた。タクマは、この子を庇って死んだ。もしそうなったら、タクマは後悔する?」


「後悔はしないだろうね。全く。後のことが心配にはなるだろうけど、他のみんなや、子どものために死ぬのは、全く嫌じゃない」


 僕は即答した。


 僕のために、人生を使い切ってくれた母のバイタリティがどこから湧いてくるのか、入院していた頃の僕には想像することしかできなかったけれど、夫となり、親となった今なら分かる気がする。


 親が子どものために――いや、愛するヒトのために犠牲になるのは、きっと、理性ではなく、本能的な衝動だ。


「そう。それは私も同じ。他の家族も、絶対、同じことを言う。そして、領民にも、他の国の民にも、また、家族や大切なヒトがいる。大切なヒトのために戦って命を落とすのと、自分が生きながらえるために、自分より弱い誰かを犠牲にするのは、一見同じでも、実は全く違う命の使い方」


 テルマが、微笑を浮かべて、赤子の額にキスをした。


「……そうだね。テルマの言う通りだよ。知らず知らずの内に、僕は領主という立場に、毒されていたのかもしれない」


 僕の腹は決まった。


 後は、会談を待つだけだ。


                      *



 会談は、僕の家の応接室で行われることになっている。


 会談の代表者は、三名。


 僕と、カリギュラ側からはフロルさん、マニスからはシャーレが出ている。


 テーブルの長辺に、フロルさんとシャーレが向かい合うように座り、僕は両者から等距離の位置で、短辺の分部に腰かけている。


 応接室自体は、15名ほど収容できる広さに、3名(と双方の護衛が数人)しかいないのですっきりしたものだ。


 しかし、一歩応接室を出れば、僕の家の中も外も、護衛の衛士やら外交関係者でいっぱいになっていた。


 ちなみに、シャーレには申し訳ないが、王女のフロルさんと比べると、彼女だけ格が落ちるのは否めない。


 でも、実際には商会のお偉方がすぐ隣室に控えているので、シャーレは実務担当者としてその代弁をしているに過ぎないらしい。


「では、会談を始めましょう。僕は、当事者でもありますが、同時にカリギュラとマニスの仲介者でもありますので、議論の方向性に影響を与えないため、今後の施策に関する提言は最後にさせて頂きたいと思います」


 ひとしきりの儀礼的な挨拶を済ませた後、僕は単刀直入に切り出した。


「わかりましたー。では、まずは私から発言させてもらってもよろしいですかー?」


 フロルさんが朗らかに言う。


 初めて会ってから何年も経つけど、会う度に彼女はその妖艶さを増している。


「ああ。いいぜ。代わりといってはなんだが、オレもこんな感じで喋らせてもらっていいか? 腹を割って話し合う時に、余計な儀礼に気を遣いたくないからよ」


 シャーレがざっくばらんに言う。


「構いませんー。では、まず、フロルからからー。結論から言いますとー、カリギュラは、歴史的にも、道義的にも、魔族の脅迫に屈する訳にはいきませんー。スタンピードの時のように、マニスとも、もちろん英雄さんとも協力して、魔族に共同で防衛戦線を張りたいと考えていますー」


 フロルさんは鷹揚に頷いて、意見を表明した。


 これは予想通りだった。


 魔族は、基本的に能力主義的な傾向があるので世襲である貴族的な支配は好まないだろう。


 従順なヒトならば、能力がなくても生存が許されることもあるだろうが、プライドの高い貴族が、平民と同じように魔族に支配される社会を許容できるはずもない。


 魔族の方針とカリギュラの国の体制が決定的に対立する以上、必然的に戦いを選ぶしかないのだ。


「やっぱりそうなるよなあ」


 シャーレがもっともらしく頷く。


「それで、マニスの方はどうされるおつもりですかー?」


「率直にいって、オレたちは、現状では方針を決めかねている」


 水を向けられたシャーレが、渋い顔で言った。


「んー? 日和見をして、フロルたちから、譲歩を引き出すおつもりでー?」


 フロルさんが、口元に笑顔をたたえながらも、笑っていない目で言った。


「そういうんじゃねえよ。現状で時間を稼いでも、ジリ貧で無意味だろ。ただ、オレたちも一枚岩じゃねえからな。ぶっちゃけて言うと、昔からの商会と、新興の商会で方針が割れてる。オレたちの所を含む、古株は戦った方がいいと考えている。だけど、新興の奴らは、儲かるなら、魔族に与してもいいと考えてやがる。ったく、分かってねーんだよな。確かに、目先のことでいえば、魔族が世界を統一的に支配すれば、今まで冒険者に依頼してた材料の調達コストとか、輸送の護衛のコストは下がる。けど、究極的には、ヒトの欲望が管理された世界で商売が成り立つはずがねえだろうが」


 シャーレが不機嫌を隠さずに吐き捨てる。


 相当揉めているらしい。


「演説からして、明らかに『総統』は、資本家層も敵視――というか、支配するのに邪魔な存在だと認識しているみたいだったけど、それでも新興の商会は、魔族側につくつもりなの?」


「まあ、ヒトの社会を回していこうとする限り、商人というか、取引を媒介する存在は絶対必要不可欠だからな。自分たちは支配できる側になれるとふんでるんだろうな。世界の通貨が、カネから『魂』になっても、奴らは構わねえって訳だ」


 僕の疑問に、シャーレは侮蔑も露わに答えた。


「つまりー、現状ではー、マニスから全面的な協力は得られないということでよろしいですかー?」


「ああ。だが、オレたちを含む、古株の3つの商会は、魔族への抗戦で、お前たちに協力する用意はできている。全面的ではないが、これでもマニスのシェアの6割だ。だけど、残りの4割の奴を説得するには、オレたちだけで恒久的に地域を守れるっていう所を見せてやらなきゃならねえ。つまり、実績が必要だ」


「なるほどなるほどー。では、お互いの意見はひとまず開示しましたしー、最後に英雄さんの今後の方針を聞いてもいいですかー?」


「そうだな。ぶっちゃけ、俺たちが一枚岩じゃない状況だと、マニスの傘下の街全てを使える訳じゃないし、この領地が魔族サイドに渡ると、防衛が機能不全を起こすしな」


 フロルさんとシャーレの視線が、僕に集中する。


「……僕も、魔族への抗戦を考えています」


「そうですかー! それはよかったですー」


「じゃあ早速詰めの協議に――」


「僕の話を最後まで聞いてください。徹底抗戦しようと考えていますが、それは僕たちの地域に限らず、もっと大きな規模で展開する必要があると考えています。できるなら、ヒトの社会全てが、力を合わせて、魔族と戦うべきだと。このまま、僕たちの地域だけ守っていても、敵が各個撃破で勢力範囲を広めれば、いずれは滅ぼされてしまいますから」


 僕は、決心した事柄を正直に伝える。


 口にした以上、もう後戻りはできない。


「んー。つまり、私たちの地域が主導で、世界的な連合軍を結成したいということですかー?」


 フロルさんが困ったように眉根を下げる。


「そうです」


「おいおい。お前、正気か? 防衛ならともかく、攻め込むってなりゃあ、兵力が全然足りねえぞ。お前、人口に占める軍人階級の割合とか知ってて言ってるのか?」


「そこが、付け入る隙だと思うんだよ。敵は、僕たちの内で、武力的な抵抗をできるヒトは一部だと考えている。その前提で、侵攻の戦略を立てているんだ。その思い込みを覆せれば、勝機はあると思う」


 中世以前の世界では、戦闘員と非戦闘員は明確に区別されていた。


 だから、敵はその戦闘員さえ押さえれば、僕たちを支配できると考えている。


 だからこそ、先ほどの演説みたいな、国家の支配層と、被支配層に分断工作をしかけてきたのだ。


 直接的、もしくは間接的に武力を有する層は、往々にして支配層と重なるからである。


 でも、もし、その被支配層が、まともに戦力に数えられるようになるとすればどうだろう。


「英雄さん。もしかしてー」


 フロルさんが、何かを察したように、窓の外を見遣った。


 そこには、長銃を持った、僕の領地の警備兵がいる。


「はい。敵の主力は、中級~低級のモンスターです。つまり、レベルの低いヒトでも、銃があれば、対処できる相手です。そして、カリギュラには、金属資源とその加工技術、それに軍事的な訓練を施すノウハウがあります。つまり、銃と兵士の大量生産ができます。マニスの経済力があれば、火薬も含め、戦争に必要な物資は、調達、輸送できるでしょう。こうして、まずは僕たち三つの勢力が共闘し、占領地域の内のどこかを解放します。そして、その実績をもって、連合軍の結成を世界に呼びかけます」


 僕は、畳みかけるように、淀みなくそう言い切った。


「おいおい。随分壮大な話になってきたな」


「もちろんだよ。『総統』も言っていた通り、これは、生存競争だからね。もはや、国とか、貴族とか平民とか、金持ちとか貧乏人とか、そんな細かなことにこだわってる場合じゃないよ。闘える者は、誰でも戦うしかない。この戦いは、もちろん、直接戦場で敵と戦闘行為をするヒトのものでもあるけど、大量の物資を生産するバックグラウンドの戦いでもあるんだ。いわば、国、ヒト、カネ、モノ、情報、そして、精神。全てをつぎ込んだ、『総力戦』だね」


「……んふふー。『総力戦』ですかー。初めて聞く言葉ですけど、カリギュラ全体の総意はともかく、フロルはそういうの好きですよー。やるからには、徹底的にやらないとー、希望は見えてきませんー」


「で、理想はともかく、何の利益もないのにヒトは動かねえぞ。少なくとも、商人はな」


 シャーレが訝しげに言う。


「利益はあるよ。現段階で魔族に占領された土地の支配者層は、すでに皆殺しにされたらしい。ということは、もし僕たちの手で占領地を解放すれば、それは切り取り放題ということになるよ。いくら僻地とはいっても、貴族は土地にこだわりがあるから、まず、カリギュラ側には、それが動機になるはず。ですよね? フロルさん」


「はいー。土地をもらえない、中級、下級貴族の次男坊以下はごろごろしてますからー、彼らは土地をもらえるなら、命を捨てるくらいのことは平気ですると思いますー」


 フロルさんが深く頷く。


「回答頂きありがとうございます。で、そうなれば、マニスの方も、商圏を広げるチャンスだよね。新たな土地で商売ができることももちろんだけど、連合軍が結成されて、その主導的な立場になれれば、軍需産業で儲かるだけじゃなく、世界中に影響力を強められる。そしたら、やがてマニスが、アレハンドラを越える経済都市になるのも夢じゃないと思うよ?」


 僕は続けて言った。


「……勝てば天国。負ければ破滅。まさに一世一代の大博打って訳か」


 シャーレが腕組みして、考え込むように俯く。


「うん。賭けるのは僕たちの――ヒトの未来だけど。どう。乗る?」


 僕は挑戦的に言って、シャーレに微笑みかける。


「……ちっ。真っ直ぐな目で言いやがって。思えば、お前は初めてあった時から、いつでもオレの想像の斜め上をいきやがるよな、こんちくしょう。……でも、悔しいが、今までお前に乗っかって、オレが損したことは一度もねえんだよな」


「シャーレ、じゃあ――」


「ああ! いいぜ! オレの進退をかけて、上を説得してやるよ! リスクを取らずに儲けられるなんて考える商人はいないからな」


 身を乗り出した僕に、シャーレがぶっきらぼうに頷く。


「んふふー。話はまとまったみたいですねー。ではー、フロルも、国に持ち帰って、お父様を説得してみますー」


「よかったです。これで、世界に希望が見えてきました」


 僕は、ひとまずほっと胸を撫で下ろした。


「んふふー。そうですねー。フロルも、窮地をしのぐための会合で、まさかこんな夢のあるお話ができるとは思いませんでしたー。でも、あのー、改めて聞くまでもないかもしれませんがー、英雄さんは、『覚悟』はされてるんですよねー?」


 フロルさんは意味深にそう言って、僕の心臓に右手を当ててくる。


「? もちろん、僕自身が戦力として、最前線で戦う覚悟はありますよ。領地レベルでいうなら、銃の技術は皆さんに公開します。訓練のノウハウも、できる限りで開示します。もちろん、カリギュラとマニスの方にも、戦争に役立つ、相応の情報公開はして頂かないと困りますが」


 僕は、自身の『覚悟』を口にした。


 こちらから提案した以上、もちろん身を切るつもりはある。


「んふふー。そういうことじゃないんですけどー。まあ、いいですー」


 フロルさんが困ったように小首を傾げた。


「まあ、こいつはそっち方面は絶望的に鈍感だからな」


 シャーレが呆れたように溜息をつく。


 上手く会合をまとめられたと思ったのに、最後の最後で、僕は何かやってしまったのだろうか。

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