第176話 リスク
家に帰ると、僕の妻たちが食事を用意して待ってくれていた。
僕は腹にパンを詰め込みながら、早速、彼女たちに今日の検査の進捗状況を伝える。
「――そういう訳で、できれば、ミリアに隔離した感染者の解呪をお願いしたいんだけど」
「うーん。とりあえず、挑戦してはみますが、厳しいかもしれませんね。呪いの症状が出ていないのならば、ヒーラーとしてはまだ『呪いにかかってはいない』という認識になりますから」
ミリアは腕組みして、申し訳なさそうに頷いた。
「それは仕方のないことデス。呪いは心から生まれマス。心はその当人は気が付かなければないのも同じデスから」
ヤムがミリアを慰めるように言った。
「そうなんだ。ヒーラーでも何でも治せるという訳ではないんだね」
「はい。ヒーラーは発生してしまったダメージの回復はできるんですけど、これから起こるかもしれない障害を治すというのは、不得手ですから……。そういう予防策は、多分、ポーション屋さんの方が得意な領分かもしれません。――レンさんは、その手の薬学にもお詳しいかと思いますけど、どうですか?」
「すなわち未病でござるな。確かに予防に関してはポーションの方が得手でござろうが、軽微でも症状が表に現れておらねば、それに合わせた調合もできぬのは、ヒーラーと同じにござるよ。すなわち、潜伏している現状では、治すのは厳しうござる。無論、マスタークラスの調合師が一流の素材を用いれば、万能薬というのも作り得るかもしれませぬが、少なくとも、吾にはそこまでの腕はござらん」
ミリアから水を向けられたレンが、悩ましげに呟く。
「うーん。呪いって厄介だなあ。とりあえず、ミリアには一回解呪を試してもらうとして、ダメだった時にどうするか考えようか」
「どうするも何も、すでに感染してるってわかってるヒトだけ閉じ込めておいて、後は様子見でよくない? その内、疫病が収まるかもしれないし、どこかが特効薬を作ってくれるかもしれないわよね?」
リロエが、食事を中断し、子どもたちのおむつを換えながら言う。
「ワタクシは楽観論で放置するのには反対ですわ。もし、このまま疫病が続いて、領地間の行き来が途絶され続ければ、流通が終わりますわよ。そうなれば、ワタクシたちの領地にとっては死活問題ですもの」
「税収的にも、厳しいことになる」
ナージャとテルマが首を横に振る。
自給自足で成り立つ領地ならば、鎖国もいいだろう。
だが、僕の領地は、そもそも貿易のハブ地として成立しているのであり、鎖国を続けるというのは無理だ。
経済的にも、生活物資を流通させるためにも、早々にこの疫病問題を解決する必要がある。
「二人の言う通りだね。しかも、多分、この辺りで僕たち以上に呪いへの対策ができそうな領地はなさそうだし」
僕の領地以上にハグレモノを抱え、呪いへの研究が進んでいる都市は近隣に存在しない。
つまり、他力本願を期待できるような状況にはなく、対策を編み出すとすれば、僕たちが率先してやるしかない。
(ここは、リスクを負うしかないか……)
「……ヤム。もう一度確認するけど、発症者を観察すれば、対策はできるんだよね?」
しばらくの逡巡の後、僕はそう口を開いた。
「はい。発症の原因になる、『鍵』を特定し、症状に影響を与えている『心』の種類が分かれば、解呪はできマス」
ヤムが頷く。
「なら、危険はあるけど、事情を説明して、『発症』の原因を特定する実験への協力者を募ろう。とりあえず、シャーレと、彼女と取引したヒトにお願いしてみようか」
「まあ、それしかないですわね。このまま手をこまねいている訳にもいきませんし」
ナージャが深刻な表情で頷く。
「あの、私、潜伏した呪いは治せないかもしれませんが、結界を張っておきます。すでに、隔離施設の周りには張ってありますけど、その実験する場所に限定した強いやつを。それで、最悪、外への感染は防げると思うので……」
ミリアがおずおずとそう申し出る。
「助かるよ。よろしく」
「事情は分かった。でも、さすがにその実験にタクマが直接参加するは控えた方がいい」
テルマが心配そうに僕を見て言う。
「……名将は剣を振るわずして、竜を狩る」
スノーが、テルマに追随するように言う。
「うーん。精霊の力で、現場の映像を離れた所に再現することは可能だけど……。でも、ヤムや実験対象の人にリスクを背負わせておいて、自分だけ安全な所にいるっていうのも申し訳ないなあ」
僕はそう呟いて、頭を掻いた。
「気にしないでくだサイ。これは、わたしの仕事デスから。それに、もし、リョウシュサマに何かあって、居場所を失う方が、わたしたちにとっては困りマス」
「……そうだね。ここで、実験に参加したいというのは、かえって僕の自己満足になってしまうかな」
僕は頷く。
「話はまとまりましたわね。シャーレの方は、なんだかんだで金銭的利益を与えれば協力してくれると思いますけれど、その取引の相手方も、お金で何とかなる人物ですの?」
「それについては、入領管理の情報を基に、吾が嗜好を調べておきまする」
ナージャの疑問に、レンが即答する。
こうして、僕たちは食事もそこそこに、それぞれの業務へと戻っていくのだった。
*
そして、翌日の早朝。
早速、実験が行われることになった。
先日の隔離施設の個室には、すでに5人の人間が集まっている。
まずは、ヤムと、彼女が自ら選抜した助手――ハグレモノが二人。
被験者はシャーレに加えて、当然、彼女の取引の相手方となった別の女性がいる。入国管理から上がってきた情報によると、女性はマリーという名前のヒューマン種の現役の冒険者で、実戦ではアーチャーの職業を務めていたらしい。もっとも、今は安全のため、武器の類は取り上げさせてもらっているので、外見には普通の二十代のお姉さんといった感じである。彼女も、シャーレと同じく、優先して治療をすることと、相応の金銭的対価を条件に、実験を引き受けてくれた。
一方の僕はといえば、領主室に留まったままだ。
なお、現場の状況は、風と光と炎の精霊が協力して再現してくれたホログラム映像によって、リアルタイムで把握している。
現在、すでにミリアに解呪は試したもらったが、ヤムによれば、やはり呪いは二人の内に潜伏したままらしい。
『それでは、実験を開始しマス』
ヤムが、厳かな調子でシャーレとマリーに告げる。
その傍らには、いつでも解呪に使えるように、作業場で使っていた生贄が準備されていた。
『んで? オレたちは何をするんだ?』
シャーレが気怠そうに告げる。
『まずは、身体的接触が発症の鍵になっていないか、調べマス。手始めに、握手をしてみてくだサイ』
『こうかしら?』
『握手なら取引の時にもしたから、ないと思うがな』
ヤムに促され、シャーレとマリーが手を握り合う。
特に何もおきない。
『次は、抱き合ってくだサイ』
『だからそれも取引が成立した時にやったって。なあ? お客さん』
『ええ。そうね』
シャーレとマリーはそう確認し合いつつ、互いの身体を抱擁する。
やはり、異変は見られない。
『これも違いマスか。――なら、次はキスをしてくだサイ』
ヤムが至って真剣な表情で告げる。
『ああ!? そこまですんのか!?』
『ハイ。粘膜同士の接触は、呪いの鍵になる可能性が高い行動の一つデスから』
眉をひそめるシャーレに、ヤムが頷きかける。
『はあ。女同士でキスかよ。どうせだったら、見世物にして金でも取りたいもんだぜ』
『あら、私はタダでもいいわ。あなた結構かわいいし』
『お客さん、そっち系かよ。……ちっ。こんなことさせられるんだったら、もうちょっとふっかけておくんだったな――まあ、キモいおっさんとするよりかマシか』
二人が唇を合わせる。
『……どうやら、身体的接触は鍵ではないようデス。続いて、感情が鍵になっていないかの、検査をしマス』
『プハっ――おいおい。本当にこんなことを繰り返して、呪いを治すことにつながんのか?』
マリーから身体を離したシャーレが、不安げに言う。
『そのハズです』
『で、次は何をすればいいのかしら』
『そうデスね……。お二人は、○×ゲームは知ってマスか?』
ヤムはしばらく考えてから、小首を傾げて問う。
『そりゃ、まあ、誰でもガキの頃に一度や二度はやるだろ』
『私は今でも仲間とキャンプしている時に暇つぶしにやったりするわよ』
シャーレとマリーが頷く。
『では、今からここで、やってみてくだサイ。負けた方は、罰としてしっぺをされるというルールでお願いしマス』
ヤムは、メモを取っていたペンと紙を二人に向けて差し出した。
『だってよ。どうする?』
『なら、私が先手でいいかしら?』
『ああ』
……。
……。
……。
『やったわ。私の勝ちね!』
しばらく○と×の応酬があった後、マリーが快哉を叫ぶ。
『ちきしょう。これ何か、必勝法的なのあったよな! 思い出せねえ!』
シャーレが頭を抱えた。
『じゃ、悪いけど決まりだから』
『いって! お客さん。ちょっと本気出し過ぎじゃねえか?』
しっぺをされたシャーレが、軽くマリーを睨みつける。
『あら。こういうのは思い切りやらないと楽しくないじゃない』
マリーが肩をすくめて笑う。
『言ってくれたな。次は負けねえぞ!』
『――! 今、一瞬、『怒り』に呼応した呪いの反応がありまシタ。やはり、感情系が鍵になっているということで間違いないようデス!』
シャーレが腕をまくって気合いを入れ直した次の瞬間、ヤムが大きめの声を上げた。
『マジかよ。オレ的には特に異常はないんだが』
『私も何ともないわ』
『ハイ。まだ発症していませんカラ。怒りは呪いを構成する一部であって、全部ではありまセン。単純な物だと発見されやすいノデ、複合系の呪いにしているようデスね』
『もうちょっと素人にも分かりやすいように言ってくれよ。パンピーにも、ブツの効能が説明できねえようじゃ、商売人としてはやっていけねえぞ?』
シャーレが諭すように言う。
『……つまり、かなり具体的な状況から想起される感情が鍵になっていると思われマス。お二人の関係性から考えて、取引を通じて生み出される何かだと思うのデスが、もう一度、どういったやりとりをしたか、詳細に話して頂けマスか?』
ヤムがしばらく思考するような間を取った後、そう問いかけた。
『うーん。構わねえけど、詳細っつっても、別に特別なことはないと思うがな。オレが仕事終わりに一杯ひっかけに酒場に寄ったら、お客さんがテーブル席で一人で飲んでてよ。割と混んでたから、相席することになったって訳だ』
『まあ、変なのにナンパされるよりは、女の子と一緒に飲む方が安心だと思ってね』
『後は、よもやま話している内に、お客さんが魔王討伐に参加してたってことがわかってよ。まあ、オレも商売人だからよ。当然ブツがあるならうちにお売り頂けませんか? って話になるわな』
『私としては、売るか迷ったのだけれど、カリギュラで取られる関税のことを思うと、ここで売るのも悪くないかなって。お酒もだいぶ入っていたし、かわいい子がお酌してくれるから、売る約束をしちゃったわ』
マリーがそう言ってはにかむ。
『なるホド。事情は分かりました』
ヤムが相槌と共に頷く。
『『分かりました』つっても、やっぱり何も起こんねーじゃねえか。ああ、くそっ。このまま疫病が長引くと、景気がヤバくなりそうだな。はあー、そうなると、高級品が売れなくなって困るんだよなあ。こりゃあ、こいつも、利益が減っても値を下げて売りぬけるしかねえか……』
シャーレは、手で買い取ったペンダントを弄びながらぼやく。
『当初の予定販売価格はいくらデシタか?』
『あ? なんでてめえにそんなこと教えなきゃなんねえんだよ』
シャーレが眉をひそめる。
『大切なことなので、答えてくだサイ』
『いや、商売人がメシの種に関わることをそう簡単にペラペラしゃべる訳ないだろ』
『では、わたしだけにこっそーり教えてくだサイ』
『ガキか! そんな『○○ちゃんは誰か好きな人いるのー?』的なトーンで言っても、教えねえぞ?』
シャーレが腕組みをして首を横に振る。
『ふうー。困りまシタ』
ヤムが小首を傾げてため息をつく。
その様子を見ていた僕は、やおら書状に筆を走らせた。
「この紙を、ヤムに届けて。お願い」
『あいよー』
風の精霊が、紙を持って、外に出て行く。
『……。リョウシュサマからの伝言デス。リョウシュサマは、あなたが、当初売るつもりだった価格で商品を買い取る用意があるとおっしゃっていマス』
ヤムが僕から届けられた紙をシャーレに見せつけつつ言う。
『マジか? ふむふむ……。確かにあいつのサインだな。そういうことならしゃーねえなあ! 金貨58枚だ!』
シャーレが態度を一変させて、うきうきで叫んだ。
『え? 私には、金貨30枚で売るって言ってなかった?』
マリーが愕然と目を見開く。
『あの夜の時点ではそのつもりだったぞ。物価っていうのは日々変動するもんなんだよ。お客さん』
シャーレが意地悪くにやりと笑って言う。
『それにしても、ぼったくりがひどいわねえ。そんなに儲かるなら、もうちょっと買値に色をつけてくれてもいいんじゃない?』
マリーが不機嫌そうに問いかける。
『いや。あの時、お客さんはあの値段で納得したんだろ? ちゃんと契約書も交わしたし、今更どうこう言われても困るぜ。お客さん。言っとくがな、オレんとこは他のとこに比べりゃ随分良心的な買取価格だぞ?』
シャーレは素知らぬ顔で肩をすくめた。
『どうだか。私たち冒険者がどれだけのリスクを背負って、それを取ってきたか、考慮して欲しいものだわ』
『それを言ったら、オレだって損するリスクを背負ってるんだがな。モンスターに殺されるのと、破産して一文無しで飢え死ぬのと、何が違うって言うんだ?』
シャーレが吐き捨てるように言う。
『あなたたち商人はそう言って、私たちの血と汗を、二束三文で奪っていくんだわ! もし、あなたたちがまともだったら、あの人も今頃――返して! 返しなさいよ!』
瞬間、マリーが豹変し、血走った目でペンダントに手を伸ばす。
『ざけんな! 死んでも商品は渡さねえ!』
シャーレが鬼のような形相で、しゃにむにマリーの右腕に噛みついた。
『くっ! なら、殺してやる!』
マリーがシャーレを押し倒し、その首に左腕をかける。
僕には、二人とも完全に錯乱しているように見えた。
(これは、力づくでも止めた方がいいかな?)
『呪いの発動を確認しまシタ。対処を始めマス。――『嫉妬』は私が、『欲望』と『怒り』はあなたたちで処理してくだサイ』
僕が精霊に指示を下そうとした瞬間、冷静にその様子を観察していたヤムが、助手の二人にテキパキと指示を下す。
数秒もしない内に、シャーレとマリーはお互いに身体をぱっと離した。
『――ご、ごめんなさい。わ、わたし、そんなつもりじゃ』
マリーは自分自身が信じられないと言ったような顔で、己の手の平を見つめる。
『いや。オレの方こそ、暴力に訴えるなんて商人のやり方じゃねえのに』
シャーレが、忌々しそうに口を自身の腕で拭う。
『呪いとは抗えないものデス――ともかく、お二人ともご協力ありがとうございまシタ。おかげで、呪いの発症の鍵がおおよそ、特定できたと思いマス』
ヤムは満足げに呟いて、二人に向かってそう頷きかけた。
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