第173話 天下の回り物

「――そういう訳で、スノーとも相談の上、警備を強化することにしたよ。それに伴い、領地に入る時の審査も、ちょっと厳しくするつもりなんだ。流入量を制限するために、奢侈品しゃしひんにかける税金も上げるかも」


 夜、僕は自宅にシャーレを招いて、夕食を取っていた。


 始めはテルマの出産祝いの食事会だったのだが、最終的には、なんだかんだで仕事の話になってしまう。


 まあ、元々、マニスの商会側の代弁者であるシャーレとは、何かにつけ親睦を深めているので、いつものことではあるのだが。


「ああ? これから稼ぎ時って時にか!? 今、ようやく魔王領からの帰還兵がマニスとカリギュラの辺境に入った所なんだぞ! あんまり締めると、客が他の領地に流れる!」


 シャーレはそう言うと、渋い顔でワインを煽った。


 シャーレも管理職になって色々大変なのか、相当ストレスが溜まっているらしい。


「その懸念は当たらない。厳しくしたとはいえ、タクマの考えている税率も審査も他のカリギュラの領地に比べたら緩い方だから」


 テルマは、生まれたばかりの赤子に授乳しながら、呟く。


「おいおい。テルマさんよお。出産でお疲れだろうし、まつりごとに口を挟むのは後にして、もう少し休まれたらいかがですかねえ?」


 シャーレが慇懃無礼な調子で言った。


「あんた、姉様への口の利き方に気を付けなさいよ――でも、姉様。こいつが言うことに乗っかる訳ではないですけど、お体の方が心配です」


「そうねえ。私もあなたを産んだ時は、しばらく冒険を休んでいたわ。幸い、タクマくんの周りのヒトも理解がある環境なんだし、もう少し休んだら?」


 リロエとイリスさんがテルマを心配そうに見遣る。


「そうですよ。産後は特に体調が不安定になりやすいので、大事を取った方がいいと思います」


 ミリアがそう続けた。


 僕としても、彼女はしばらくはゆっくり子育てに専念しても良いと思うが、テルマ本人は仕事に復帰する気満々らしい。


「みんなが心配してくれるのは嬉しい。でも、いつまでも、ナージャだけに事務処理の負担をかける訳にはいかない」


 テルマは生真面目にそう言った。


「お気になさらず。ワタクシの時も、あなたに負担をかけましたわ。その借りを返すだけのことです。――まあ、旦那様と二人っきりでお仕事というのも悪くないものですわよ」


「……そちらもまた問題。私は公私共に、タクマの一番じゃなくちゃいけないのに」


 テルマがぼそりと呟く。


「しばらく子育てに専念してたくらいで、僕の愛情は冷めたりしないけど」


「タクマ……」


 僕とテルマは、目と目で見つめ合った。


「はあ……。金にならない惚気話は余所でやってくれ。ったく、世間的には、ガキができたら、夫は用済みになるんじゃねえのかよ?」


「コホン。ノーコメントで」


 呆れたように言うシャーレから、僕は視線をそらした。


 家族以外の第三者がいたことを失念していた。


「はあ。お前らはそんだけ幸せなんだからよー。オレたちにも幸福をおすそ分けしてくれよー。ガンガン人を流して、ガンガン稼がせてくれよー。なー?」


 シャーレは怒りから一転、泣き落としするような猫撫で声で言う。


「シャーレ嬢。さりとて、どのみちマニス方面から来た危険人物は、カリギュラの審査で受け入れられぬ故、同じことではござらぬか? 逆に厳しい審査を経て、カリギュラ方面から来たヒトは、今までと比べても大差ないはずでござる。そう考えますれば、怪しげなるヒトを通して、主が領地の信用を失う方が問題でござろう」


 レンが冷静にそう指摘する。


「知ったことか! お前らも元冒険者なら分かるだろ!? ああいう奴らは気が短いんだ! さっさと、ブツを売りさばきたいと思ってんだよ! 待たされたら他に行っちまう。奴らがカリギュラやマニスに入る前に、オレらの領地で上手いこと言いくるめて、ブツとカネを吐き出させねえと。魔王討伐なんてイベント、そうそうねえんだぞ!」


 シャーレが開き直って叫んだ。


「ないから、こそかな。僕としては領民に投機的な価値観を普及させたくないんだよね。一時の好景気に浮かれて金遣いが荒くなったら、元に戻すのは大変かもしれないし」


 僕は呟く。


「ああん!? お前はみんなのお母さんか! それは個々人の自由だろうが! 金を使いたい奴は使わせておけ! 後先考えないアホがいるから経済が回るんだ! なあ、放蕩娘! お前も欲しくないか? 魔王領から分捕ってきた、宝石に、色とりどりのシャレオツな装備をよお!」


「あら。今のワタクシは、実家に利益をもたらし、たまには孫の顔も見せてやる、孝行娘そのものですけれど? ……まあ、それはともかく、しばらくは、ダンジョンに潜る予定もないですから装備はいりません。宝石は買っても見せに行く場所がありませんわ。旦那様は宝石になんて興味を示しませんし、この子を飾ってやるにも、まだ早いですわね。誤飲したら困りますし」


 ナージャは、シャーレの煽りに乗ることなく、ゆりかこで眠る我が子を見遣って呟く。


「ちっ。そうかよ。そうかよ。ガキが産まれてから、どいつもこいつも急に保守的になりやがって」


 シャーレは忌々しげに舌打ちする。


「ナージャはともかく、僕たちは昔から、基本的に保守的な方だったと思うけどね」


「ですわね。むしろ、シャーレががめつくなりすぎているだけではなくて?」


「……ドラゴンの爪は一本で十分」


 僕たちはそう言って頷き合う。


「うっせーな! オレにも立場があるんだよ! 立場が! それなり領地の支部長ともなれば、相応の数字をハジかなきゃ、首が飛ぶだろうが!」


「そもそもその立場が得られたのは誰のおかげですの? あなたが異例の抜擢をされたのは。お給金も、ヒラの頃とは雲泥の差ですわよね?」


 ナージャが遠回しに突っ込む。


 僕がかなり強めに望んだので、シャーレは異例の大出世を遂げて、領地の支店長的な立場になった。


 彼女はその期待に応えようと頑張ってくれてはいるのだろうが、商人と領主では目標とするところが似ているようで、違いも多いのは仕方がないところだった。


「へーいへーい。全て領主様のおかげですよー。ああもう。いいよ。好きにしろよ。――だけど、オレにも面子があるってのは分かるよな? マニスの商会全部の代表として話を呑むんなら、他への説得材料にそれ相応の餌がいるぞ?」


 シャーレが肩をすくめて言う。


「……多めに取った税金は、港湾の開発に回すつもりだよ。新しくできた港の利用料はしばらく安く設定してもいいと思ってる。人口が増えたら、物価を安定させるために、生活必需品の流通量も増やさないといけないしね」


「まー、それなら長期的にはプラスになるか。まあ、オレらんとこと古株のいくつかはそれでいいけど、新興の商会は目先のカネを欲しがるからなー。ああー、交渉、たっりぃ!」


 シャーレはぼやきつつ、酒量を増やした。


 ――なんて、とらぬ狸の皮算用をしていた夜から、二週間後の執務室。


 僕とテルマとシャーレの三人は、資料に顔を突き合わせて、唸っていた。


「うーん。思ったよりも、人がこないね」


 ここ数日、僕の領地に入ってきたヒトの人数の推移を見ながら、僕は首を傾げた。


 平時より、流入者の数は増えてはいるのだが、その増加率は、予想の三分の一程度に留まっている。


「もしかして、シャーレの懸念通り、他に流れた?」


「いえ。そんなはずはないですわ。理屈に合いませんもの」


 不安そうに呟くテルマに、ナージャが首を横に振る。


「主。レンにござる。拝聴、よろしいか? 火急の用件にござる」


 レンの声が扉の外から聞える。


 礼儀正しいレンが、早口でノックもなしというと相当急いでいるらしい。


「もちろん。入って」


 僕はそう即答した。


「失礼ながら、万が一のため、中に入らず、このまま報告させてもらえればと愚考致しまする」


「……わかった。続けて」


 レンの深刻なトーンに僕は静かに答える。


「――先ほど、カリギュラとマニスに潜ませていた諜報員より、報告がござった。どうやら、世界各地で厄介な疫病が蔓延し始めているようでござる。吾も細心の注意を払ってござるが、外部より参った諜報員との接触があったため、感染の可能性がゼロとは申せませぬ。故にこの位置より報告しております次第」


 レンが重々しい口調で呟く。


「疫病……。どのような症状ですの?」


「吾も直接見た訳ではござらぬので、正確な所はわかりかねるのでござるが、どうやら、感染者は狂暴になり、欲望の歯止めが効かなくなるという特殊な病だそうでござる。強盗、殺人、その他、ありとあらゆる粗暴犯の爆発的増加がみられる由」


 レンが言葉を選ぶように答えた。


「……感染源は判明してる?」


「魔王領からの帰還者の拡散に伴い、疫病も広まってござる。故に帰還者本人か、彼らの持ち込んだ物品が感染源と思われまする。おおらく、吾の調べた所では、後者の可能性が高いかと。通常、この手の疾病は貧困層から出るものでござるが、此度の病は逆に、富裕者層や支配者層、もしくは手練れの冒険者などが最初の感染者になってござる。つまり、魔王領からの略奪品を手に入れる余裕がある層だと考えられまする」


 テルマの疑問に、レンが困惑気味な声で答えた。


「もし、あなたのおっしゃることが事実なら、おかしくなくて? たとえ厄介な病だとしても、力のあるヒトならば、治療できないはずはございませんわ。ならば、そう簡単に感染が拡大するはずがありませんもの」


 ナージャが首を傾げる。


 この世界は厳しいが、僕がもといた世界と比べても、医療コストはかなり低い。


 全ての病はヒーラーが軽々と治してくれるし、ヒーラーがいない地域にも治療用のポーションが流通している。


 もちろん、それらのサービスを利用できないほどの貧困層はいるが、国が本気で病気のパンデミックを止めようと思えば、止められないはずがないのだが。


「もっともな疑問にござるが、一度発症すると、感染者本人が狂い、治療を拒絶する上、並のヒーラーやポーションでは治療はできぬ故、致し方ござらん。原理は分かりませぬが、どうやら、単純な病というよりは、むしろ呪いに近い複雑な状態異常のようでござる。故に、現状、治せるのは、解呪の魔法に精通した、上級クラスのヒーラーのみのようでござる。されど、人員不足故、感染に対処が追い付かない由。その上、先に述べた、社会的指導者層の罹患による混乱が、より一層、統一的な対処を困難にしているようでござる」


「なるほどね……。それにしても、呪いか。通常、未知のアイテムは全部鑑定してから世に流れるはずだよね? 普通なら、その時点で呪いがかかっているアイテムは判別されているはずだけど……」


「然り。どのような手段を使ったのかは知りませぬが、鑑定をすり抜けているようでござるな。感染源が領地に侵入してから、疫病が蔓延するまでに、時間差がござる。よもや、潜伏型の病なのやもしれませぬ」


 レンが自信なさげに呟いた。


 僕の領地に、魔王領からの初めての帰還者が来たのは、一週間ほど前。


 疫病の具体的な潜伏期間は不明だが、彼女の言うことが本当なら、いつ僕の領内で発症する者がいてもおかしくない。


「報告ありがとう。さっきの、情報を聞く限り、ミリアなら、治療はできそうだね。もう、解呪と病を治す魔法をかけてもらった?」


「いえ、まだでござる。吾の情報が必ずしも正確とは限りませぬ故、万が一にも治療の要となるミリア嬢を感染させてはならぬと考え申した」


「ふうー。わかった。……早速、対策を練ろう。スノーとミリアと――ああ、それと、ヤムたちにも声をかけないとね。彼女たちは呪いに詳しいから」


 僕は深呼吸一つ、すぐさま対策を考え始める。


 どうやら、天下の回り物なのは、金だけではないらしい。

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