第171話 時は巡る

(そういえば、あの時は、本気で銃が商売になるかも分からずに始めたんだったよな……)


 領地の高台に造られた、三階建ての領主館。


 その最上階にある執務室で、僕は机に向かって、エルダ地方からの鉄鉱石の輸入に関する書類をそぞろ読みしながら、ふともの思いにふける。


 月日の経つのは早いものだ。


 あのトグロ様と呼ばれていた存在に鉄鉱石の採掘許可を貰ってから、数年が経った。


 紆余曲折がありつつも、銃の生産もようやく軌道に乗り、売り上げも飛ぶように――とまではいかないが、僕の領地の看板商品となる程度には上々だった。


 主な買い手は、地方の街や村だ。


 冒険者が常駐していないような地方の人口集積地では、今まで、ちょっと強いモンスターが出ただけで、高いお金を出して、冒険者を都会から呼ばなくてはいけなかった。


 しかし、銃があれば、住民だけでも、力を合わせれば、多少格上のモンスターでも倒すことができる。


 また、そうでなくとも、日常の狩りの効率もずっと良くなる。


 そういった需要があるのだ。


 逆にいえば、大都市や、中級以上の冒険者には、今の所、銃の普及はいまいちだ。


 大都市のようなところは、元から防衛機構が整っており、冒険者が常駐したりしているので、既得権益が強く、銃の参入が難しい。


 また、中級以上の冒険者にとっては、単発の攻撃しかできず、動きながら狙いを定めるのが難しい銃は、不便な武器でしかないようだ。


 でも、市井の店主が護身用に備えたり、腰かけで冒険者をやっているような層には、手軽に使える武器としてそこそこの人気がある。


 銃は安くないが、それでも、同程度の威力のあるマジックアイテムを買うよりは、ずっとコストパフォーマンスがいいからだ。


 結局、銃が世界を変える発明になったかはまだ分からないけど、今の所は、使われ方も含めて、悪くない展開のように思える。


「どうしましたの。ぼーっとして」


 隣で事務をしていたナージャが、仕事に身の入らない僕を気遣うように話しかけてくる。


「いや。どうということもないんだけど、やっぱり落ち着かなくてね」


 僕はそう答えると、椅子から立ち上がり、領主館の執務室をせわしなく行ったり来たりする。


 執務室には、両側に窓がついており、片方からは海と港が、もう片方からは街が一望できる。


 港には、中型の帆船が、ひっきりなしに出入りしている。


 商会の方からは、もっと港を拡張して欲しいという依頼が来ているが、他の仕事も忙しくて、中々手が回らない。


 街も、住居を増やさなきゃいけないけど、領地を通る商人たちの宿を新設することも急務で、こちらもまたせわしない。


 だめだな。


 やっぱり、思考が散漫になってる。


「心配しなくても、テルマならばきっと立派にやり遂げますわ。あの娘ほど、タクマの子どもを欲しがっていた嫁はいないのですから。大体、初めてのことでもないでしょうに。ねー。グリシーヌ」


 ナージャはそう言って、愛おしげに傍らの揺り籠を覗き込んだ。


 その中では、彼女が選びに選び抜いた洋服を着せられた赤子が、無邪気に笑っている。


 ナージャは、相変わらず、要領がいいというか、子育てと仕事をさらりと両立してみせる。


 そのマルチタスクっぷりには、素直に頭が下がる思いだ。


「何度経験しても慣れないものなんだよ。こういうものは」


 僕は、そう言って、グリシーヌの頬を人差し指で撫でた。


 柔らかくて、プニプニしている。


「だぁ」


 グリシーヌは、にこにこしたまま、僕の人差し指を、ぎゅっとその小さな手の平で掴んだ。


 髪の色は僕と同じ黒だが、胸の内側にすっと入り込んでくるような仕草が自然にできるところは、間違いなくナージャの遺伝だと思う。


 将来は色んな意味でワルい女性になりそうな気がした。


 ……。


 椅子に座る。


 ……。


 立つ。


 ……。


 座る。


『ンギャー! ギャー! ギャー!』


 ガタッ。


 勢い良く立ち会がり、僕は扉の前で足踏みした。


 やがて、コンコンコンとノックの音がする。


 僕は返事をする代わりに、ドアノブを引いた。


「ひゃっ! ――タクマさん! 産まれました! 元気な男の子です!」


 お産に立ち会っていたミリアが一瞬驚いたような反応をしながらも、そう報告してくれる。


「うん! もう近くに行っていい?」


「ちょっと待ってください! 今、イリスさんたちが色々とテルマさんの身だしなみを――」


「ごめん! もう待てない!」


 ミリアの制止を振り切り、僕は階段を駆け下りた。


 ここ数日、お産室となっていた居間の扉を勢いよく開く。


「タクマ……。見て。かわいい」


 床に敷かれた毛布の上で横になっていたテルマが、言葉少なにそう呟く。


 彼女の胸元にぴったりと張り付いて、赤子は「ンギャ。ンギャ」と、控えめに泣いている。


「うん! ――テルマも、大丈夫?」


 僕はテルマの側に駆け寄り、その手をそっと握る。


「……問題ない」


 テルマはほっとしたような笑みを浮かべながら、目を閉じた。


 当たり前だが、相当に疲れているようだ。


「ふふふ。私もついにおばあちゃんになっちゃったわね」


 傍らで、僕たちの様子を微笑ましそうに見守っていたイリスさんが、感慨深げに呟いた。


「ってことは、ウチは叔母さんかー。っていうか、あんた。これで、まだ子供がいないのウチだけになっちゃったじゃない。さっさと孕ませなさいよ!」


 リロエは、テルマの額の汗をタオルで拭いながら、半分本気のような口調でそう催促してくる。


「いや、まあ、こればっかりは授かり物だからね」


 僕は苦笑しつつそう答えるしかない。


「もう、タクマさん、速すぎてですよ! 気持ちは分かりますけど! ――はいはいー。リトスちゃんー。アラムくんー。あなたたちの弟ですよー」


 居間に戻ってきたミリアが、近くにあった乳母車から、二人の赤子をを抱き上げる。


 リトスはミリアの娘で、アラムはスノーの息子である。


 警備の仕事で街中に出ているため、日中は面倒が見られないスノーに代わって、ミリアが実子と一緒に世話をしてくれているが、彼女の愛情は、アラムを含め、どの子にも分け隔てがなかった。


「父様! 弟が産まれたというのは本当ですか!?」


 耳をピコピコ立てながら、一人の少年が部屋に駆けこんでくる。


「うん。僕も今来た所だよ」


 僕は、僕の初子にそう微笑みかけた。


「わあー」


「クレオ。吾共は鍛錬で汚れてござる。赤子に障りがあっては一大事。あまり近づかぬように」


 目を輝かせて、テルマたちに近づこうとするクレオに、レンがそう忠告した。


「はい。母様!」


 クレオはちょっとシュンとしつつも、空手にも似た、レン直伝の体術の構えで硬直する。


 レン――獣人の血を引いているからか、クレオは地球の基準で言うとかなり成長が早い。


 いつか、僕を追い越してしまうのかと考えると、ちょっと憂鬱だ。


「僕の手もインクで汚れているから、一緒にお風呂に入ろうか。その後、赤ちゃんを抱かせてもらおう」


「はい! 父様!」


 クレオが嬉しそうに頷く。


 こうして、クレオと一緒に身体を清潔にして、しばらくは産まれたばかりの赤ん坊と戯れていた僕だったが、あまり構い過ぎるのもストレスがかかるということで、イリスさんたちから、やんわりと退室を願われる。


 そのまま扉の前でぼーっとしていても仕方がないので、僕は街中に足を延ばした。


 日課の市内巡回の仕事もあるし、今日は、新しい命の誕生をスノーやハミたちにも早く報告したいうという気持ちもある。


「おっ! 領主様! この度はおめでとうございやす!」


 街へと下った所で、見知った領民が声をかけてきた。


 元は開拓民の一人だったのだが、街が気に入って、そのまま定住してくれた人だ。


 もっとも、こういう開拓民は少なくない。


「ありがとう! ――って、テルマに子どもができたこと、もうみんなに伝わってるの?」


 思わず満面の笑みで頷いてから、僕は首を傾げた。


「ついにお生まれになったんですかい! そちらもおめでとうございやす!」


 男は手を叩いて頭を下げた。


 特に強制はしていないのだが、僕がよく頭を下げるからか、この領地では、何となく日本っぽい感じの礼儀作法が定着しつつある。


「『も』ということは、他にも何かめでたいことがあったんだね?」


「へい! なんでも、勇者アルセが魔王を討伐したって、さっき街に来た行商人の奴らが言い回ってやすぜ!」


 男が街の方を振り向いて言う。


「へえ! そろそろとは聞いていたけどそれはめでたいね! そうか……。アルセさん。ついにやったんだ」


 僕ははるか大空を見上げて呟く。


 いつかのアレハンドラでの一件を思い出し、僕はどこか懐かしい気持ちになった。


 失敗にも、偏見にも負けずに戦い続けたアルセさんの努力と苦労を想うと、胸が熱くなる。


 彼女のおかげで、少なくともしばらくは、世界が平和になるのだろうか。


 永遠はなくとも、子どもたちが大きくなるまでは、何とか平穏な日々が続いて欲しいと思う。


「へい。こりゃあ、領主さまも忙しくなりますぜ。魔王城からの分捕り品が流れてくりゃあ、この街もより一層栄えるってもんで」


「どうだろうね。経済が活性化して、職にあぶれる者が一人でも減ればいいとは思うんだけど」


 僕は期待を込めて呟く。


「そんな領主さま、今でも十分、ありがてえ話ですぜ。俺のような根無し草も、領主様のおかげで人並みの生活をさせて頂けるようになったんですから」


「そう言ってもらえると嬉しいよ。でも、まだまだ、これからだよ」


 初めは、僕の街の住民といえば、多くが、彼のような元開拓者か、リクルートしたドワーフの技術者か、ハミたちのようなハグレモノのいずれかだった。


 しかし、その内、カリギュラの城壁の外に溜まっていた流民が、仕事を求めてやってくるようになり、僕は、その中から、犯罪歴のない、もしくは軽微で将来有望そうな者を選抜して受け入れた。


 やがて、港が開設し、商圏が広がると、流民に加え、ハミたちのようなハグレモノを保護しているということもあってか、僕の領地は寛容で、しかも、まだ発展途上で将来性があるという噂が広まり、世界各国から、民族的・政治的・宗教的に迫害を受けた人たちも移住を求めてくるようになった。


 さらには、イリスさん経由で外に活路を求めるエルフの面倒も見なければならないし、とても希望者全員を受け入れられる状況じゃない。


 そういう事情もあって、今は何かしらの技能を持った人を優先して移住させているが、僕としては、街をもっと発展させて、多くの人を養う余力ができれば、それに越したことはなかった。


「へい。大したことはできやせんが、俺にできることがありゃあ、なんでも言ってくだせえ」


「ありがとう。仕事、頑張ってね」


 男と挨拶を交わして別れる。


 その後も、領民と世間話がてら情報収集をしながら、僕は街を歩いた。


 魔王討伐の一報は、街を駆け巡り、皆の心を湧き立たせているようだ。


 その熱気に当てられたように気分を高揚させながら、僕は、今日の良き日の空気を、胸いっぱい吸い込んだ。

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