第170話 試練

 意識が混濁する。


 僕が僕であるという意識が希薄になっていく。


 いつかの、どこかの、誰かが、僕になり、俺になる。


 そこで、私は、夜の森を見つめていた。


 恐ろしい。


 怖い。


 嫌な、暗さ。


 しかし、それはいつも程ではない。


「さあ、放とう。お前が手に入れた雷を」


 隣の男が、そう言って笑っている。


 死肉漁りのケモノのように。


 手には、私と同じ、雷を持っている。


 いや、雷ではない。


 それよりも、もっと弱く、しかし、太陽よりも熱い。


 夜をも照らす、小さな太陽が、棒の先にいる。


 珍しいもの。


 大切なもの。


 『火』だ。


 そう。


 知っている。


 でも、誰が?


 私が?


 俺が?


「もったいない」


 意味も分からず、僕はそう呟いた。


「『もったいない』? 何を言ってる。わからない。森を焼こう。そうすれば、奴らが死ぬ。そして、俺たちの食う物が増える」


 男が、火のついた棒を振り回して言う。


「森が焼ければ、食う物も焼ける。焼けて食えなくなる」


 私がそう言い返す。


「別にいい。森はたくさんある。しかし、奴らは動く。そこかしこの森を歩く。そして、俺たちの獲物を奪う。だから、奴らの場所を焼く」


 男は、僕の返事を待たずに、近くの木に火をつけた。


「獲物はたくさんいる。強い獣もたくさんいる。『大口』には敵わない。『早足』にも敵わない。仲間は多い方がいい」


 俺はそう言ったが、男を止めることはしなかった。


 男の言うことも、正しい気がしたから。


 しかし、自分も間違っていない気もするのだ。


「仲間じゃない。あいつの先祖は汚い『泥這』で、俺たちは誇り高い『天鳥』の子どもたちだ」


 男は、唾と一緒にそう吐き捨てる。


 火をつけて、火のついた木を手に取って、また火をつけていく。


 その繰り返し。


 火は増えていく。


 どんどんと。


 ぼうぼうと。


「しかし、どちらも、血は赤い」


 『火』の色を見つめながら、私は擦れる声で呟いた。


「お前は何が言いたい」


 男は首を傾げて、俺を睨みつけた。


「――丸儲けだ」


「何?」


「生きているだけで丸儲けなのだ」


 また、言葉が勝手に口から出た。


 自分で自分の言っていることが分からない。


「――お前は何だ? 俺たちの仲間ならば、石を持て。驚いた敵が飛び出してくるかもしれないから。お前が、仲間ではなく、俺たちの敵ならば、俺がお前を殺す」


 男は、火と石を俺に向けた。


「わからない」


「何?」


 男が首を傾げる。


「わからない……」


 俺は群れから追い出された。


 いや、逃げ出した。


 一人だ。


 男と、元いた群れは、焼かれた森を捨てて、他の森に行った。


 行く場所を失った私は、焼かれた後の森を、食べ物を探して歩いた。


 焼かれた森は、黒くなる。


 黒くなった地を歩く。


 腹が空く。


 虫を食べた。


 まずい。


 それでも虫を食べた。


 ガサッっと、音がした。


 そちらを見る。


 女がいた。


 焼けて倒れた樹の陰に隠れていた。


 『泥這』か、『天鳥』か、それ以外か。


 そんなことはどうでも良かった。


 嬉しかった。


 なぜ嬉しい?


 そうか。


 『生きているだけで丸儲け』だ。


 分からないけど、分かった。


「あぅ――、おっ――」


 女がこちらを見ている。


 夜の森を見つめる目で、私を見ている。


「食え」


 虫を差し出した。


 惜しかったが、くれてやった。


 一人が、二人になった。


 二人は、楽だ。


 どちらかが寝て、どちらかが見張る。


 二人で虫を探す。


 探して、食べる。


 たまに、こっそり焼けてない森に入って、食べられる草を食べる。


 その内に、あることに気が付いた。


 同じ日に、同じ草を取っても、焼けて黒くなった森では、また草が育つのが早い。


 『灰』。


 そう灰だ。


 灰は使える。


「食べられる草を、ここに持ってこよう」


「あぃ」


 女が頷いた。


 暖かくなって、寒くなって、暖かくなって、寒くなって、暖かくなって、寒くなって、暖かくなって、寒くなって、僕には赤子ができた。


 どこからか、女の仲間がやってきて、さらに人が増えた。


 変わらず、俺たちが狩に行ける所は少ない。


 しかし、前よりは腹が空かない。


 なぜなら、『灰』があれば、食べられる草がよく育つからだ。


 木の実も植えた。


 やがて、実は樹になり、さらにたくさんの実をつけるだろう。


「おぅ。おぅ。おぅ」


 女がやってくる。


 泣いている。


「どうした?」


「『耳デカ』が殺された。草が、奪われた」


「そうか。ならば、戦おう」


「殺すか?」


「ああ。殺す」


 すんなりと、その言葉は僕の口から出てきた。


 意味は、分かっている。


 そのために、備えてきた。


 奴らは火を持っている。


 私も火を持っている。


 しかし、私は月と太陽と季節と風のつながりを調べた。


 今日は、山から奴らの森へと風が吹く。


 奴らはどこまで風を知っているだろうか?


 奴らは弓と矢を持ち、こちらもまたそうだ。


 しかし、こちらには草がある。


 生き物を殺す毒を持つ草を育てている。


 奴らは育ていないはずだ。


「男を集めろ」


「あぃ」


 戦いになった。


 火と、矢と、石と、素手が使われた。


 数が少ない俺たちだったが、勝った。


 こちらは傷ついても、中々死なないが、向こうは毒で死ぬからだ。


 勝った。


 勝ったのだ。


 しかし、身体が痛い。


 私は、敵からよく狙われたからだ。


 傷ついた。


 深く傷ついている。


「おぅ。おぅ。おぅ」


 女が泣いている。


「きゃきゃきゃきゃきゃ」


 赤子は笑っている。


 もうすぐ、自分は死ぬだろう。


 どのみち敵を殺すならば、なぜあの時、、あの男と一緒に、森に火を放たなかったのか。


 それは、今でも分からない。


 だが、あの時は、火を放つのが嫌だったのだ。


 それでも、今は嫌じゃない。


 悲しいけれど、嫌じゃない。


 それだけは確かだった。


              *

 

「やりましたね! 博士。この反重力機構は世界を変えますよ」


 助手が声を震わせて、目の前の特殊磁場空間を見つめた。


「うむ……」


 俺は、僕は、私は、もしくは、ワシは、前時代的なマジックショーのごとく浮遊する実験体の猿を、複雑な心持ちで観察している。


「浮かない顔ですね。世紀の大発明をされたというのに。あなたの名は、人類史に永遠に刻まれることでしょう」


「どうだろうか。もし、人類そのものが滅びてしまえば、その歴史に意味などなくなってしまうよ」


 僕は腕組みして考え込んだ。


「ははは、何をおっしゃっているんですか。むしろ、その逆でしょう。この力があれば、地震すら怖くない! 流通に、宇宙・航空産業に、あらゆる文明に恩恵がもたらされますよ!」


 助手が目を輝かせて言う。


「そんなに甘くはないさ。この発明によって、多くの人々が命を失うだろう。そのことを想うと、素直に喜べなくてね」


「ならば、なかったことにされますか?」


「いや。いずれは誰かが成すことなのだ。私がなかったことにしたとて、意味はない。そして、私は、私ができることから目を背けることを好まない。この発明は世界を滅ぼすかもしれないが、そうならないようになるだけの発言権は確保しておきたいからね」


 私は首を横に振った。


「博士。ご立派です」


 助手が手を叩く。


                    *


 パン、と音がして、竈の薪が煙を上げる。


「どうだい? すごいだろう! 妹よ!」


「何がすごいのよお兄ちゃん。一日中かかって、竈に火がついたくらいで喜ばないでよね!」


「わからないのかい? これは始まりに過ぎないんだよ! 庶民も魔法が使えるようになるんだよ! 君も、僕も! もう、いちいち、魔術ギルドに高いお金を払う必要はないんだ! この技術を売れば、もうパンに困る生活をすることもない」


「本当に? でも、そんなことしたら、魔術ギルドに殺されちゃうよ。魔術ギルドとつながっている、貴族の人たちに握りつぶされちゃうかも」


「妹よ。便利な物は、絶対に広まるよ。なんだったら、こんな国、出ていこう。この力を受け入れた国が、世界を制するよ。なんたって、貴族より庶民様の方がずっと数が多いんだからね」



                       *



「泣かないでください。ご婦人よ。このように肉体は滅びても、あなたの息子さんの精神体としてここに確かに存在しています」


「あなたは神の領域を侵そうとしている。魂は主のものであり、愚かな人が手を出していい領分ではない!」


「神父よ。それはあなたが決めることではないでしょう! 重要なのは、ご子息の精神体と会話することで、婦人が癒されるかどうかです!」


                   *


「もういちいち、人が手で書き移すこたぁねえんです。あっしの作ったこの板は――」



                   *


 ギ・ギ・ギ・ギ・ガ・ガ・ガ・ガ・ガ


 グ? ゲゲゲゲゴ


                     *


 ○☄♆☾☻☬☪♈☸ℋ⃣↬↹↴↥


 ♍♌☴☯¶➔⦿〰⇖⇔≛⊁⏁⏎⌘


                     *



「――さん! タクマさんっ!」


 僕の名を呼ぶ声に、ゆっくりと意識が覚醒していく。


 目を開ければ、泣き腫らしたミリアの顔がそこにあった。


「……ここは?」


 ゆっくりと身体を起こす。


 僕は、赤みを帯びた黄褐色――黄色人種の肌色っぽい燐光を放つ十畳ほどの空間にいた。


 床の感触は柔らかくてぐにゃぐにゃで、まるで母の胎内にいるかのような、不思議な感覚だ。


「わかりません。タクマさんを追って、穴に飛び込んだきり、そのままで」


 ミリアが申し訳なさそうに首を横に振る。


「どれくらいの時間が経ったか分かる?」


「私の体感では、まだ、一時間も経ってないかと思います」


「そうなんだ。なんだか、長い夢を見ていた気がするよ。何も覚えていないけど」


 僕は覚醒を促すように自身の頬を叩いた。


 寝ぼけたような感覚はあるが、頭は正常だと思う。


「――終わった。私たちは全てを見届けた」


 その時、声が響いた。


 上下左右なく、360度、全ての方向から、無数の白い『目』が僕を見つめている。


 ぶっちゃけちょっと怖い。


「えっと、それで結果はいかがでしょうか?」


 僕はどこを見つめていいか分からず、とりあえず正座をしてそう尋ねる。


「貴様はまぎれもなくヒトである。正しくないヒトである」


 たくさんの目が、スノードームのように宙を舞う。


「えっと……、それは、僕は正しくないので、鉄の採掘の許可は頂けないということですか?」


 それならそれで仕方ないが、とりあえず安全に元いた場所に帰して欲しい。


「全てのヒトは正しくない。故に貴様も正しくない。しかし、貴様は常に正しくあろうとするヒトである」


 目が集まって、唇を成す。


 その形は、確かに微笑んでいるように僕には見えた。


「えっとつまり?」


「『生きる』がいい! 汝よ。善きヒトであれ!」


 響き渡る機械質の声。


 グルルルル、とお腹が減った時の腸のような音を立てて、僕たちは部屋の外に『排出』された。


 ミリアを庇うように覆いかぶさる。


 静寂に身体を起こせば、どうやら、そこは僕たちが紫山に導かれる前までいた祠のようだ。


「ひゃー! びっくりしましたー! ――ん? 見てください! タクマさん! あれ!」


 ミリアが祭壇を指さした。


 その上には、謎の金属で出来た長方形の一枚の板が載っている。


「……これ、もしかして、新しい鉱山への地図?」


 近づいて手に取ってみると、その板の表面には、山を象った刻印がされていた。


「ですです! 良かったぁー」


 ミリアがほっとしたように、床にへたり込む。


 何だかよく分からない内に、許可が出ていた。


『お疲れー』


『泥のごとく堅忍不抜也』


『おうおう! 熱かったぜ! さすが俺様の見込んだ奴だ』


『大抵のものは水に流せますけどー、ヒトさんは流せないものも残しますよねー』


 タイミングを見計らったかのように、精霊たちも戻ってきた。


「もう、大げさだなあ。みんな結構意味深なことを言うから、どれだけ大変な試験をされるのか身構えちゃったよ。実際はぼんやり寝ている内に終わって助かったけど」


『んー。いや、大変だったと思うよ。まあ、キミが覚えていないならそれでいいじゃない?』


 風の精霊が呑気な調子で言う。


 やはり、僕は何らかの試験を達成したらしい。


 詳細が気になる所だが、それは神のみぞ知るということで、ここは素直にラッキーだったと思っておこう。


 っていうか。


「みんな、なんかちょっと豪華になってない?」


 よくよく観察していると気づいた。


 精霊の格好が、より神々しく進化している。


 風の精霊は羽が伸びてるし、土の精霊はトカゲからよりドラゴンっぽくなってるし、火の精霊は炎の色が、赤から白に近づきつつある。


『そりゃそうだよ。今までは「お父さん」の力しか使えなかったのが、「お母さん」の力も使えるようになったからね』


『大地の根源とつながる力也』


『溶かせ溶かせええええええ!』


『海はー広いなー、大きいなーですー』


 精霊たちがご機嫌にはしゃぐ。


 その姿を見ていると、何だか僕まで陽気な気分になってきた。


「じゃあ、戻ろうか。トグロ様に受け入れて貰えたから、ミリアのご両親もきっと喜んでくれるよね」


 僕は鉱山の地図が書かれた板を鞄にしまい込みながら、ミリアにそう呼びかける。


「はい!」


 ミリアは満面の笑みで頷いた。


==============あとがき================

拙作をお読みくださり、まことにありがとうございます。

何とか試練を乗り越えました。

ここから最後まであとがきはありませんので、ラストスパートの景気づけに★やお気に入り登録などの形で応援して頂けると嬉しいです。

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