第167話 エルダ地方へ
ミリアの故郷であるシェオル山は、エルダ地方にある。
エルダ地方は、カリギュラにもマニスにも属さない、この地域の第三の勢力で、地勢的にはいわゆる山岳地帯だ。
人間も暮らしているが、人種的にはドワーフや獣人の構成比率が高く、彼らが緩やかな連合を組んで独立を保っているという。
そんなシェオル山へと出立する前、僕とミリアはマニスの市場にやってきていた。
「――と、挨拶の手土産はこんなものでいいかな?」
台車にびっちりと積んだ酒樽を睥睨して、僕はミリアにそう確認する。
「はい。みんなも喜ぶと思います! ――それで、あの、タクマさん。鉄の話なんですけど」
ミリアが笑顔で頷いてから、そう切り出す。
「うん」
「よくよく思い出してみても、家の周りの鉱山で鉄を商売として売れるほど採掘していた記憶がないんです。生活に使う程度は掘っていたと思うんですけど、鉄をたくさん産出するカリギュラがある以上、交易するには、もっと珍しい金属の方が高く売れるので、そちらを優先していたのかと。なので、タクマさんのご期待には添えないかもしれません」
ミリアが真面目な表情で、そう懸念を表明する。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ。僕も、もしダメなら、カリギュラから仕入れようと思ってるし」
僕はミリアを安心させるように言った。
「そうなんですか? もしかして、他の皆さんに私の故郷に行くのを納得させるために、口実を作ってくださったんですか?」
「いやいや、もちろん、挨拶が重要な目的だけど、口実じゃないよ。たとえ鉄がカリギュラから手に入るとしても、仕入れ先の選択肢が多いに越したことはないからね。でも、絶対に今、別ルートを確保しなきゃいけないという訳でもないから。ほら、食後のデザートみたいな、あればいいけど、なくても困らない、みたいな感じでさ」
僕は気楽に首を横に振る。
鉄は、カリギュラからいくらでも買い入れることは可能だろうが、一つの地域に輸入資源を依存することは、商売の交渉の上でも、領土の安全保障の上でもよろしくない。
今の僕とカリギュラの関係は良好といっていいが、それに安心している訳にもいかないのだ。
とはいえ今すぐどうこうという話ではなく、つまりは、これも将来を見据えての話だ。
「それならよかったです。あ、もう一つのタクマさんの領地に移住するドワーフの技術者を募集する件は、先に里に手紙を送っておきました。食い扶持に困ってるドワーフはたくさんいるので、こっちは大丈夫だと思いますよ」
「うん。ありがとう。鉄資源そのもよりは、むしろ、そっちの方が助かるよ」
ミラの捕捉に、僕は満足して頷く。
冶金の技術者も、ミリアの方のツテがダメなら、レンにカリギュラからリクルートしてもらうことになるだろうが、その場合、かなり高くつく気がする。
カリギュラのような都会から、僕の領地のような辺境の田舎にそれなりの技術者を呼ぼうと思えば、報酬の面で待遇を良くするしかない。
情報流出の観点から言っても、できればミリアの知り合いの信頼できる人を、直接雇用する形が望ましい。
「そうですか! 少しでもタクマさんのお役に立てたなら良かったです!」
ミリアがほっとしたように言った。
「ミリアはいつも役に立ってくれてるよ――じゃあ、戻ろうか。他の準備はできてる?」
「はい。いつでも出発できますよ」
買い込んだ酒樽を屋敷まで運び、一晩ぐっすりと休養を取った翌朝。
僕とミリアは仲間たちに見送られて、エルダ地方へと出立する。
もちろん、今回は他のメンバーは同道しない。
商談の目的もあるとはいえ、あくまでミリアのご家族への挨拶がメインイベントなので、さすがに僕の他の嫁を一緒に連れていくのは、体裁が悪いからだ。
精霊魔法で空路を行くこと、約半月。
遠方に、峻厳な山並みが姿を現した。
アルプスや富士山麓を思わせる形だが、地球のそれとの大きな違いは、峰ごとに色が異なることだ。
赤茶けたものもあれば、緑色に輝くのがあり、怪しげな紫煙を漂わせているのもある。
まるで絵具でも塗りたくったようにカラフルで、見ていて飽きない。
「中々素敵な所だね」
「懐かしいですー ――あっ! そうだ! タクマさん。言い忘れていました。すみませんが、ここからは飛ぶ高度を落としてもらえませんか?」
僕の隣にいたミリアがはっとした顔で言う。
「うん。もちろんいいけど、どうして?」
僕は、山腹辺りまで降下しながら尋ねた。
「ここから先は、トグロ様の知ろしめす領分ですから、見下ろす形になって、失礼があってはいけないので」
ミリアは声色に畏れをにじませて、そう囁く。
「要はこの土地の偉い方なんだね。ドワーフ? それとも、獣人?」
「いえ、そういったレベルではなく――ああ。そうだ。タクマさんは異世界から来られたんですから、ご存じないですよね! トグロ様はドラゴンです。この世の始まりからおわすと言われている、シュオル山全体の守護者です。この辺りの地域では、種族を問わず、創造神様と同じくらい崇敬されています」
ミリアが峰々の山頂を見上げて呟く。
「へえ。ドラゴンか。それはすごいね」
この世界には、やっぱりいたのか、ドラゴン。
他の地域の英雄で『竜殺し』の異名を持つ人がいたが、あれのいう『竜』はトカゲの延長線上っぽいのにちょろっと羽が生えたモンスターを指すので、ドラゴンとは別物扱いなのだろう。
ミリアの口ぶりだと、この世界のドラゴンは、神に近い存在のようだ。
個人的な興味では、ファンタジーの代名詞ともいえるその存在を見てみたい気もするが、不興を買ってもおもしろくない。
僕は、さらにギリギリまで高度を下げた。
そこからさらに二日後の昼。
縫うようにいくつかの山を越え、僕たちは目的地へとたどり着く。
「着きました! これが私の故郷です!」
ミリアが開放的に両腕を広げる。
僕たちが降り立ったのは、薄いオレンジ色の山の裾野だった。
下から上の方まで、山肌の至る所に穴が空いており、ドワーフたちが出入りしている。
鉱山か、住居か――いや、多分その両方なのだろう。
「あれま! こりゃ、ミリアでねえかぁ!」
近くにいたドワーフの老婆が、僕たちを見つけ、驚いたように目を見開く。
「スヌばあちゃん! 久しぶり。元気だった?」
ミリアが嬉しそうに老婆に駆け寄っていく。
「ちょっと腰が痛ぇくらいじゃあ。――にしても、はあ。すっかり、都会もんの口になっちまってまぁ」
老婆は、ミリアの言葉遣いに感心したように言って、ミリアの頬を撫でる。
この老婆の名前は、先に教えてもらっていたミリアの家族の名前の中にはなかったから、多分、縁者ではなく、普通の里の人だろう。
田舎らしく、人と人との距離が近い場所らしい。
「どうも。こんにちは」
僕もミリアの隣で頭を下げた。
「どんも。あんたが、ミリアの旦那さんのヒューマンけえ」
老婆が、値踏みするような視線で僕を見る。
「そうです。タクマと言います。良かったら、これお近づきの記にどうぞ」
僕はそう言って、持ってきた荷物の中から、酒瓶を取り出す。
家族に渡す贈り物とは別に、村人に配る用の酒も用意してあるのだ。
何でも、ミリアによるとこの贈り物によって、余所者であるところの僕の評判が左右されるらしい。
ここでケチってもしょうがないので、ミリアに故郷に錦を飾らせる意味も込めて、かなり奮発してある。
「あんりゃ。こげな高い酒、祝言の時でも飲んだことないき。怖かぁ」
老婆が酒瓶に刻まれた印章を見て、目を丸くする。
「遠慮せずに飲んで飲んで。タクマさんは、マニスの冒険者で一番稼ぐんだから、これくらいへっちゃらなんだよ」
ミリアが自慢するように僕の手を取って言う。
「はあ。たまげたあ。ありがてえ。ありがてえ。全く大した子だあ」
老婆は何度も頭を下げながらも、早速瓶の蓋を開け、酒をひっかけながら去って行く。
「じゃあ、早速家へご案内しますね。今の時間なら、父と母は奥の坑道で働いているはずですが、誰かしら兄妹はいると思います」
「うん。お願い」
ミリアの後について、山道を上っていく。
彼女の実家は、集落の中でも、結構高めの位置にあった。
人間の僕的には、富裕層ほど上の階に住むイメージなのだが、ドワーフの風習的には逆で、偉い人や金持ちは深い所に住むものらしい。まあ、ドワーフの職場は地下なのだから、地球でいえば、地下の住居ほど駅近な感覚なのかもしれない。
ということは、上の方にあるミリアの実家は、里の中でも裕福な方ではないということになる。
「誰かいるー?」
「あっ! ミリア姉や! お帰りぃ!」
ミリアが、穴の一つに声をかけると、中から少女が出てきた。
ミリアよりも、さらに一回り小さく、さらに背中には赤ん坊を背負っている。
その子もやはりミリアそっくりで、失礼ながら、僕は何となくこけしを思い浮かべてしまった。
「ただいまー。こちら、私の夫のタクマさん」
「タクマ兄や! 初めまして。わだしは――」
「リブラちゃんだね」
「そうだべ。わだしのこと知ってるべか?」
「うん。ミリアからいつも話は聞いてるよ。はい。これおみやげ」
僕はリブラに宝石のついた髪飾りを差し出した。
ミリアによれば、ドワーフが好きなのは、酒か光り物のどっちからしいが、この子は後者らしい。
「わぁ! ありがとべしたあ。姉やから聞いでだどおり優しげな人だべなあ」
リブラはそう言って、僕から髪飾りを受け取ると、目を輝かせて髪に挿す。
「そうでしょ?」
「でも、思っでだほどツラはよくねえべ」
「ははは。期待に添えなくてごめんね」
僕は子どもの率直な感想に苦笑した。
「そ、そんなことないです! タクマさんはすごくかっこいいでしょ!? リブラ! もっとよく見て!」
「悪がごどさねだども、だっで姉やの手紙に出てくるタクマ兄やは、まるでおとぎ話の英雄のような大げさな書きかたすんだもの」
リブラが困惑したように首を傾げる。
どうやら、手紙の中の僕は随分美化されていたらしい。
「『ような』じゃなくて、タクマさんは本当に英雄なの! もしタクマさんがいなかったら、今頃スタンピードが収まらずに、ここまでモンスターが押し寄せてたかもしれないんだから!」
「ミリア、いいから。恥ずかしいよ」
僕は力説するミリアをなだめる。
「おんや。騒がしいと思えば、懐かしいちんちくりんがおるでねえか」
僕たちの話し声を聞きつけて、奥からドワーフの男性が出てくる。
「ガウル兄さん! ただいま!」
「初めまして。タクマです。ガウルさんは麦酒がお好きだとうかがったのでこれを」
「どんも。わざわざすんません、いっづも妹が世話になっでます!」
「何!? ミリア姉や、着いたど!?」
「お婿さんも来てるべ! 見せで見せで!」
「ずるいべ。姉や!」
「酒があるべや?」
「ええと、リグくんと、カノさんと、ムアちゃんと、ボウさんと……その腕に抱いていらっしゃる子は――?」
後から後から出てくるミリアの家族。
僕は暗記した名前とその特徴を必死に思い出すが、ついに限界が来た。
「……私も知りません。いつ産まれたの?」
「二週間前!」
ミリアの問いに、リブラが元気よく叫んだ。
「ミリアが仕送りさしでくれるから、飯さいっばい食えで、おっ父とおっ母も元気になっちまってしがだねえべさ」
ガウルが諦めたように肩をすくめる。
「うーん、弟や妹が増えるのは嬉しいけど、もうちょっと将来のことも考えて家族計画を立てて欲しいかな」
ミリアが喜びと困惑の入り混じった複雑な笑みを漏らす。
せっかく彼女が一生懸命仕送りしても、これではキリがなさそうだ。
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