第166話 未来を見据えて

 時は巡る。


 季節は、春から初夏へと移り変わっていた。


 僕たちはといえば、これまで通り冒険者としてダンジョンに潜りつつ、時折領地に赴き、開発の進捗状況を確認するという日常を送っている。


 障害もなくなった僕の領地の開発は順調に進み、ただの荒れ地だった原野も、日増しに文明的な色合いを帯びてきていた。


 どうやら、シャーレによると、今月中にはマニスとカリギュラをつなぐ道が完成するらしい。


 平穏ながらも、着実に変化しつつある日々の中で、僕は将来のあれやこれやについて思案することが多くなっていった。


「――ということで、領地の開発も進んできたから、そろそろ、そっちにも手をかけなくちゃいけないと思ってね」


 ある日の夜。


 自宅で夕食を取りながら、僕はそう切り出した。


「ウチにはよくわかんないけど、シャーレに任せておけば、そこらへんは上手くやってくれるって話じゃなかったの?」


 リロエがサラダを頬張りながら首を傾げる。


「もちろん、実務的な領地の整備は任せるつもりだよ。でも、商会に委託するにしても、監視は必要だからね。シャーレを信用していない訳ではないけど、彼女だけに任せると、立場上、どうしても、商会の都合を優先してしまうだろうから、カリギュラとのバランスを取るためにも、全てを放置するって訳にはいかないよ」


 僕は肉に醤油をかけながら答えた。


「つまり、何が言いたいのよ」


「結論から言うと、僕は将来的には冒険者を辞めることになると思う。みんなにも、将来ことを今から考えておいて欲しいと思ってね」


 先を促すリロエに、僕は率直にそう答えた。


「確かに、冒険者はいつまでも続けられる稼業ではない。セカンドキャリアを今から考えておくことは大切」


 テルマが僕の言葉に納得したように頷く。


 僕が領主としてどう振る舞うかに関わらず、終わりは確実にやってくる。


 冒険者というものは、どこまでいっても肉体労働だ。


 人間でいえば、第一線で活躍できるのは、どんなに頑張っても30代の前半が限界で、その後は体力の衰えに従って、徐々にフェードアウトをしていくものだ。


 いくらスキルによる補正がある世界とはいえ、極めていくに従って各種のスキルの上昇率は頭打ちになるので、成長よりも老化のスピードが上回るという限界からは逃れられないのである。


 僕たちのパーティで言うと、ミリアとリロエはともかく、他のメンバーがベストな状況で戦えるのはせいぜいあと、10年ということになる。


「まあ、探索者なんて、特に感覚の鋭敏さや本能的な勘――つまるところの若さが要求される職業ですし、おばあちゃんになってまで続けようとは思いませんけれど、まだまだ隠居生活なんてごめんですわよ。ワタクシは」


「うん。もちろん、今すぐにって訳ではなく、五年とか、十年とか、そういう長期的な展望の話だよ。僕としては、みんなにも領地の経営に参加してもらえれば嬉しいけど、それを強制する訳にもいかないから、早めに話しておこうかと思ってさ。ナージャはどうしたい?」


「……みなまで言わせるつもりですの? 今更、タクマから離れられるほど浅い関係を結んだつもりはありませんわ」


 ナージャは照れくさそうに髪を人差し指でいじりながら、視線をそらす。


「そう言ってもらえると嬉しいよ。ナージャには、将来的には、領地の顔というか、大使のような仕事をして欲しいと思ってるんだ。僕の領地が交通の要衝として成り立つ以上、交渉で色んな土地に赴く機会もあると思うから、そんなに退屈な生活にはならないと思うけど、どうかな」


 ナージャが一つの土地でじっとしている姿は思う浮かばないし、宝の持ち腐れだと思う。


 彼女の社交性を活かせる仕事は、やはり外交だろう。


「悪くはないですわね。後は、服の商いもやらせてもらいますわよ。ワタクシ、自分のブランドを持つことが夢でしたから。これは譲れませんわ」


 ナージャはもったいぶった調子でそう言ってほほ笑む。


「もちろん、大歓迎だよ。服飾産業が発達すれば領地のためにもなるし。――それで、レンには、引き続き、情報収集とか色んな工作をお願いしたいんだ。といっても、僕たちのパーティだけじゃなくて、領地の規模になると、一人じゃ難しいだろうから、諜報機関のような組織を立ち上げて欲しいんだけど……」


「しかと承りましてござる。吾の故郷には働き口を求める者が大勢おりまする故、喜ばれましょう。見込みのある者を見繕っておきまする」


 レンが即座に頷く。


 外交の表の顔がナージャなら、レンは裏のまとめ役ということになるだろうか。


「よろしくね――それで、スノー。君には、治安維持の責任者になってもらいたい。スノー一人で無理なら、実家の方から、戦闘訓練が得意な人を呼んでもらえればありがたいんだけど」


「――剣は剣の役目を果たす」


 スノーが頷いた。


 彼女はいわば警察だ。


 おそらく、市場はミルト商会――すなわちマニスの影響が色濃く反映された形になるのは避けられないだろうから、バランスをとる意味で、カリギュラ側の人材も入れておいた方がいいという思惑もある。


「私は?」


「テルマには、僕の右腕というか、事務方の責任者として、税務を含めた、内政の諸々を手伝ってもらうことになると思う……多分、むちゃくちゃ忙しくなっちゃうかも」


「忙しい方が嬉しい。今の私は、みんなみたいにダンジョンに潜って、タクマと危険を共にすることはできないから」


 テルマが声を弾ませる。


 僕としては、今でも十分支えてもらっているが、やはり、一緒にいられる時間が少ないことが気になっているのだろう。


「ウチは?」


「リロエは、イリスさんと一緒に、エルフとの橋渡しをしてもらうという役目だね。僕が創造神様の信者だという都合上、領地に神樹を移植できないかって話も出てるから、頼りにしてるよ」


「ふふん。任せておきなさいって」


 リロエが腕組みして鼻を鳴らす。


「私もタクマさんのお役に立てますか?」


 ミリアが怖ず怖ずと手を挙げる。


「もちろん。ミリアには、ヒーラーの誘致も含めて、福祉を担当してもらうつもりだよ。ある意味、一番大変かもしれないね。僕は、どんな種族も、貧しい人も金持ちも、人格がまともなら構わず受け入れるつもりだから、初めは色んな軋轢が絶えないと思うし」


「誰かを癒すためにする苦労は歓迎です! だって、それが私の信仰ですから!」


 ミリアが力強く拳を握りしめて宣言する。


「つまり、タクマは、マニスみたいな自由都市を作りたいということでよろしいんですわよね?」


「うん。マニスみたいな――でも、それよりはちょっとだけ、弱い立場の人にも優しい居場所になれたらいいな、と思うよ」


 立地以外にさしたる資源もなく、何もない僕の領地に、唯一優れた所があるとすれば、それはしがらみの少ないことだ。


 土地には土着の住民がおらず、歴史もない代わりに怨恨もない。


 移民国家を立ち上げる新天地として、これ以上に素晴らしい条件はないだろう。


 誰しもにチャンスがあり、失敗しても、再び立ち上がることが許されるような場所。


 資本主義的な移民国家の貪欲な先進性と、昔の日本みたいな総中流社会のいいとこどりができればいいな、とは思う。


 もちろん、現実はそんな甘くないだろうし、今の段階では目標とすらいえない、漠然とした夢に過ぎない話なのだけれど、どうせだったら、少しでも理不尽な目に遭う者の少ない社会を目指したい。


「リョウシュサマいるかー!?」


 食後ののんびりとした空気に、姦しい声が響いた。


 革袋を手にしたハミが、ずかずかとこちらに歩いてくる。


「ハミ! よく来たね。お疲れ様」


「おー! 疲れたノダ! でも、ちゃんと今週分のカネを持ってきたゾ!」


「――確かに。ハミたちも、もう少しで弁済が終わるね。開拓者のみんなも感心していたよ」


 中身を確認した僕は、ハミの頭を撫でる。


 ハミたちが盗んだ分の償いとして、毎週決まった額を積み立てていた。


 ヤムたちに至っては、拙いながらも字を覚え、謝罪の手紙も送っている。


「おー! それはよかったノダ! 最近またチビが増えてなー。早く許してもらって、その分のカネで、そいつらに飯を食わせてやらないといけないからなー」


 ハミはニコニコ顔で語る。


 確かに疲れている雰囲気なのだが、顔はやる気に満ちていた。


「またですか? 確か、先週も三人、身寄りのない子どもを引き取ったんでしたよね?」


 ミリアが目を丸くする。


「おー。あれはヘイズが拾ってきたやつでなー。今回は、どっから、あちしたちのことを聞きつけてやってきたハグレモノだからな! 面倒みてやっているノダ!」


 ハミは無邪気に答える。


 ハミの家には、顔を出す度に新顔が増えていた。


 元来が親分肌なのか、彼女は自分を頼ってくる者を放っておけない所がある。


「……大丈夫?」


 僕はハミを心配して言った。


「大丈夫だゾ! これからもう一回、そいつらとダンジョンに行って働くから!」


 ハミが張り切ってそう答えた。


 僕が心配したのはお金のことより、ハミの健康なのだが……。


「……そう。これ仕事をするみんなで食べて。店の余りものだけど」


 僕はみんなで食べていた、鶏肉の照り焼きバーガーをいくつか見繕ってハミに手渡す。


「いいのか!? タダか!?」


「うん。ハミたちが頑張ってるからご褒美」


「そうか! ありがとうなノダ! じゃあな!」


 ハミが、口にバーガーを咥えて、慌ただしく走り去っていく。


「ハミちゃんたち、偉いですねー」


 その後ろ姿を見送りながら、ミリアが感心したように呟く。


「でも、このままのペースで孤児を引き取っていたら、いずれ立ち行かなくなりますわよ。あまり人数が増えると、解呪の仕事だけでやっていくのは難しくなりますわ」


「またスリや強盗の被害に遭わないか心配」


 ナージャとテルマが思案げに呟く。


 確かに、二人の言う通り、解呪の仕事の需要には限界があるし、いくら儲けの薄い商売とはいえ、働く人数が増えて集まる金額が増えれば、それだけ危険性も増す。


「そうだね。新しく仕事を作ってあげないといけないかもね――彼女たちの自衛の件も含めて、諸々の問題を解決するために、僕、ちょっと行きたい所があるんだけど」


「行きたいって、どこよ?」


「ミリアの故郷。結局、バタバタしてて、ミリアのご両親にも直接ご挨拶できていないし、ちょうどいい機会だと思って」


 リロエの問いに、僕はミリアへと視線を向けた。


「え? 私の故郷ですか? つまり、ドワーフの鉱山に? でもどうして?」


「結論からいえば、燧石や鉄などを安定的に供給してもらえる伝手が欲しい。できれば、鍛冶の技術者も僕の領地に移住してもらいたい。まあ、無理なら無理で、さっきも言ったように、ミリアの家族に挨拶はできるから」


 きょとんとして目を瞬かせるミリアに、僕は正直に目的を告げた。


「主、では、吾が調合の実験しておりましたあの黒き粉も使われるのでござるか?」


「うん。後、エルフの木材の加工技術も応用する予定」


 何かを察したように僕の顔を見つめてくるレンに、頷き返す。


「ああ! 何か、あんたがウチに作ってって言ってたあの変な筒?」


 リロエが得心がいったように膝を叩く。


「話が見えませんわ。もう少し詳しく説明してくださる?」


 ナージャが催促するように目を細める。


「僕の領地での特産品として、新しい武器を開発しようと思ってるんだ。ステータスを上げにくい、ハミたちや、非戦闘員の住民でも扱えるような武器」


「それは強いの?」


「んー、魔法使いが、ソイルとウインドの魔法を合成して放つ弾くらいの威力はあるかな」


 テルマの疑問に、僕はしばらく考えてから答えた。


「中級魔法クラスじゃないですの! それって、マジックアイテムではありませんの?」


「マジックアイテムじゃないよ。これは魔法というより、僕の元いた世界の技術の話だから」


 驚いたように尋ねてくるナージャに、僕は首を横に振る。


「――名前」


 いつも眠たげなスノーが、珍しく目を輝かせてこちらを見てくる。


 彼女は戦士なので、武具関連への興味が強いのだろう。


「名前って、武器の? うーん、色んな名前があるけど、一番、簡単な呼び方だと、『銃』かな」


 僕はそう答えて、親指を立て、人差し指を伸ばし、残りの三本の指を握る。


 そのまま、まだこの世界の人間には誰にも伝わらないジェスチャーで、僕はテーブルの上にあった果物を射抜くフリをした。

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