第165話 渡る世間
ハミたちの家の広間の空気は、張り詰めていた。
縄で縛られ、床の上に正座させられた窃盗犯の少年を、何十人ものハグレモノたちが取り囲んで睨みつけている。
僕はパーティーメンバーと一緒に、一歩引いた位置からその様子を見守る。
「オマエー! よくも盗んでくれたなー! あちしたちのカネをどこにやったー! 返せー! 返せー!」
いきり立ったハミが少年に飛び掛かり、強く肩を揺さぶる。
「……へっ。もうねえよ。返して欲しけりゃ、便所でも漁ってな。お前の金で食ったメシが立派なクソに進化してるぜ」
少年は薄ら笑いを浮かべ、挑発的にそう吐き捨てた。
やさぐれているというか、全てがどうでも良いと思っているようなひねた雰囲気を漂わせている。
「なんだとー! カネがないなら、身体の肉を生贄にして
激昂して、調理場に走って行こうとするハミ。
「ハミ。落ち着いてくだサイ。そんなことをしても、カネは返って来まセン」
ヤムがなだめるように、ハミの服の袖を引いて止める。
「そうですよ、ハミちゃん。あなたたちが他人の物を盗んで捕まった時、タクマさんがどうしたか、よく思い出してください。罰する前にきちんとハミちゃんたちの事情を聞いて、汲むべき所があったから、色々便宜を図ってくださったんですよ。今は、あの時の同じような状況だと考えられませんか?」
ミリアがやんわりと諭すように言った。
「同じじゃないゾ! あちしたちはハグレモノで、こいつは普通の人間だろ! 何もしなくても嫌われるあちしたちと違って、働く所もいっぱいあったはずなノダ! それなのに、こいつは盗んだ!」
ハミは首を横に振り、少年をあからさまに指さした。
「へっ。なんだ。その口ぶりじゃあ、お前らもお仲間かよ。そこの甘っちょろそうな英雄様に不幸自慢すりゃあ、無罪放免になるのか? それなら、俺にも語らせてくれよ」
少年はそう言って、こちらに皮肉っぽい視線を送ってくる。
「嫌なノダ! 自分がまずいことになると、人間はすぐ嘘をついて、逃げようとするノダ」
ハミは再びブンブンと首を横に振る。
ハミの言っていることは偏見だが、そういう偏見を抱かずにはいられない過去があったのだと思うと、彼女を非難する気にはならない。
「ハミ。気持ちは分かりますが、聞きまショウ」
そんなハミを、ヤムが後ろから抱きしめる。
「ヤム! どうしてこいつの味方をする!?」
ハミが裏切られたとでも言いたげな愕然とした表情で、ヤムを振り返った。
「――味方をする訳ではありまセン。でも、リョウシュサマたちから習いまシタ。わたしたちが、ハグレモノではなく、立派なシミンになるには、徳というものが必要デス。ヒトが暮らす所では、罰する者よりも、赦す者の方が徳があるとされマス」
ヤムが冷静に答えた。
「……聞いてあげて」
もう一人の仲間である二ィも、ヤムに同調するようにその袖を引いた。
「む、む、む。わかったノダ。二人がそう言うなら仕方ないノダ。話していいゾ!」
ハミが渋々と言った様子で頷く。
「ではお言葉に甘えまして――俺の名はヘイズ。産まれたのは場末の酒場! 父親なんてもちろん知らねえ! 売女のお袋と一緒に、大都会マニスに出てきたはいいもの、子持ちじゃ女としての格が下がるってんで、真冬の港にペットよろしく捨てられた。相棒は、まだろくに歯も生えそろってねえ喘息持ちの弟だ! さても不憫なみなしご二人、生きていくために道行く乳飲み子にまで頭を下げた。しかし、渡る世間はデーモンばかり! パン屑一つ恵んじゃくれやしねえ! 隣を見れば、苦しそうに喘ぐ兄弟。何とか楽させてやりてえと、薬代欲しさについ他人様の鞄に手が伸びたって訳だ。ああ! かわいそうなジン! 今頃、俺の姿が見えずにさぞ心細い思いをしているに違いない!」
少年――ヘイズは、どこかで聞きかじったような任侠風の口調でそう並べ立てる。
「嘘ですわね。あなた程度のレベルのシーフが、ワタクシのスキルを欺けると思って? 大体、あなたのアジトには他に人なんておりませんでしたわ」
ナージャが鋭い口調でそう看破した。
「ああ!? 嘘じゃねえよ! ――いや、そりゃ細かいことを言えば、盗みを始めたきっかけはお袋に命令されたからだし、年齢ももっとずっと小さい頃だ。でも、こっちに来てからは、本当に弟のために盗んでたんだ! ……もう死んじまったけどな。こんな話、かっこつかねえだろ。ちょっとは話を盛らせてくれや」
ヘイズが慌てた様子でそう訂正した。
むしろ、僕としては後の話の方が悲惨だと思うのだが、彼には彼なりのやせ我慢じみた美学があるらしい。
「……今度は嘘ではありませんわね」
ナージャが納得したように頷く。
「どうだ? お前らみたいに庇護者も、たくさんの仲間がいる訳でもなく、他の盗賊に小突き回されながら、独りケチなスリをやるしかねえ俺を見て。何か言うことはねえのか」
ヘイズがどこか勝ち誇ったような表情で、ハミたちを見つめる。
「んー……そうだな。よかったな」
黙って話を聞いていたハミが、ぽつりと呟く。
「あ? 何だと。もう一回言ってみろ」
ヘイズが血走った目でハミを睨む。
「お前の弟は、ちゃんと死ねて良かったな」
ハミははっきりとそう繰り返した。
「てめえっ!」
ヘイズが縛られたまま、ハミに体当たりしようとする。
レンが無言でその足を払い、床に組み伏せた。
「な、何を怒っているノダ? そいつは、誰かに食われた訳でもなく、自然に死ねたノダだろう。なら魂は誰にも奪われず、苦しまずに逝けたノダ。それは良いことだゾ。ツワモノ――魔族に魂を食われるよりはずっとマシなノダ」
ハミが衒いなくそう断言する。
「ハミの言う通りです。そして、ちゃんと全部食べて貰えれば、まだましデス。一番ひどいのは、お遊び半分で食い散らかされた死体です」
「……中途半端だと、アンデッドになっちゃう、から」
ヤムとニィが、そう言って頷き合う。
「ちっ……。くそっ。一体どんなとこで育ってきてやがんだこいつら! さすがに相手が悪いぜ。そりゃあ確かに、こいつらに比べれば、俺は同情されなくても仕方なさそうだ。――ああ! もういい! ほら、手を斬るなり、墨を入れるなり好きにしろよ! いっそのこと殺せ! どうせこの先、生きていたってろくなことがあるはずがねえ!」
ヘイズはやぶれかぶれに叫んで、天を仰ぐ。
「――って言ってるけど、どうする?」
「まだ迷ってるノダ。……あちしは、こいつの弟の死体が見たいゾ」
僕の問いに、ハミは腕組みして答える。
「あ? そんな物、見てどうすんだよ」
「……いいから見せるノダ」
ハミが真剣な眼差しでそう訴える。
「――ジンの死体は海岸に埋めたよ。あいつは海を見るのが好きだったから」
その表情に何かを感じ取ったのだろうか。
ヘイズは素直にそう答えた。
「じゃあ、行こうか」
ヘイズの縄の一部分を解き、脚を動かせるようにした後、全員で建物の外に出て、海岸へと移動する。
彼が示したのは、砂浜の端に生えているガジュマルにも似た樹。その下を魔法で掘り起こすと、白骨化した子どもの遺骸が出てきた。
ハミは、その前に屈みこむと、躊躇なく頭からつま先までゆっくりと手を這わせる。
「……この骨には、憎しみも怒りもないな。残ってるのは、ちょっとの寂しさだけだ。ちゃんと世話をしてもらっていたからに違いないゾ。どうやら、お前は、悪い奴じゃないみたいなノダ」
やがて目を開いたハミは、そう言ってヘイズに微笑みかける。
さっきの怒りはどこへいったのやら。
どんな時でも、彼女の感情表現は率直だ。
「……だったら、どうだって言うんだよ」
ストレートな好意を向けられて恥ずかしかったのが、少年が視線を伏せる。
「チャンスをやるゾ! ――あちしは、こいつが働いてカネを返すなら、許してやってもいいと思うノダ。ダメか?」
ハミはそう意見を表明し、仲間たちを振り返る。
「いいえ。ダメではありません。わたしは賛成です」
「……頑張って、ね」
ヤムとニィが頷く。
他の子たちも、ハミたちが許した空気感が伝わっているのか、特に異論はなさそうだ。
「まじかよ……。働くって言ったって、さっきも言った通り、俺はケチな盗賊だぞ。まともな仕事なんてある訳ないだろ」
ヘイズが困惑したように呟く。
「ありマス。わたしたちは、ダンジョンのモンスターの死体を使って、呪いを解く仕事をしていマス。あなたには、死体探しを手伝ってもらいマス」
ヤムが即答した。
おそらく、彼女は最初からこういう落とし所になることを予期していたのだろう。
「死体を? 確かにそれならできそうだが……。盗賊から、さらに
ヘイズが複雑な表情で顔を歪めた。
「なんだ。嫌なのか? やっぱり腕を斬られる方がいいのか?」
「いやいや。中途半端に使えない身体にされるのが一番困る。ここまで来たら、いく所までいってやろうじゃねえか。ハグレモノだろうが、死体漁りだろうが、どんとこい!」
からかうように言うハミに、ヘイズが力強く砂浜を足で踏みしめる。
「ねえ。死体漁りの信仰なんてあるの?」
「死体漁り専門の神様はおりませんわ。探索者のスキルの中にモンスターの死骸を探知するスキルがあるんですのよ。割と簡単に習得できますから、探索者の初級の手習いとしてよく使われますわね。確かに現状の彼女たちの能力からいえば、ベストな人材の用い方だと思いますわ」
リロエの疑問に、ナージャがそう返答した。
「然らば、契約は如何様にするでござるか? 契約書で隷属させることも可能でござるが」
「……いいノダ。とりあえず、このままこいつと一緒にやってみる」
レンの確認に、ハミはしばらく考えてから、そう結論を下す。
「ハイ。リョウシュサマがわたしたちにそうしてくださったように、一度は信じてみようと思いマス」
ヤムが続けて頷いた。
「はあ。本当に良かったですー。やっぱり、『渡る世間にデーモンはなし』の方が私は好きです」
ミリアがほっと息を吐き出す。
「――剣は昨日斬った物を語らない」
話がまとまったと判断したのか、スノーが手刀でヘイズの縄を断ち切った。
「……本当に甘っちょろい奴らだな。俺が逃げるとは考えなかったのか」
解き放たれたヘイズが、大きく伸びをして呟く。
「十分に考えてると思うよ。それでもなお、君を信じると決めた彼女たちの気持ちを、しっかりと思いやってあげてね」
僕は念を押すようにそう言って、ヘイズの肩を叩いた。
もし、彼と彼女たちが上手く言ってくれたなら、これほど嬉しいことはない。
だってそれは、たとえ砂漠に一輪の花を咲かせるように些細であっても、僕が世界の理不尽に抗えたことの、一つの証明になるから。
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