第152話 勇者(3)
(ん?)
瞬間、急に敵の攻撃がスローモーションに見える。
僕は、大げさに横跳びをするまでもなく、わずかに手足を動かすだけでそれを回避した。
「なにっ!?」
アルセが目を見開いた。
(まさか、『生きているだけで丸儲け』の効果で、この短期間に成長した? いや、いくらなんでもそれはない。僕を油断させるためのフェイントか?)
しばし様子を見る。
アルセが次々と繰り出してくる魔法、その全てが今までより遅く感じる。
いや、それどころか、魔法に付与された闇の力も弱くなっているような気がする。
「どうしたの? ついにパワー切れ?」
僕はわざと挑発的な口調で問う。
敵の真意を探るためだ。
「いえいえ。いくら愚かな人間相手とはいえ、最強の証明に手を抜くような真似は致しませんよ。……魔王の権能を退けるとは。あなたは一体、何者ですか。全く不思議な生き物だ」
アルセが実験用のメスを握る医師のような仕草で、剣を構え直す。
どうやらトラップという訳でもなさそうだが、それでも僕はなお信じきれず、アルセから距離を取った。
(一体何が起こっている?)
考える。
やはり、体感としても、今までの成長スピードからいっても、僕が急に強くなった訳ではない。
だとすれば、アルセが――というより魔王の力が弱くなっていると考える方が妥当だろう。
魔王の力の源であるモンスターの魂は、現在進行形で供給され続けている以上、アルセの力が尽きたとは考えにくい。
なんだろう。この劇的な変化は小手先のものではなく、もっとこう、根源的な何かに起因している気がする。
(あっ。そういえば……)
そこで、僕はふと、テルマとの会話を思い出す。
魔王の加護の効果は、『この世界の全てのヒト』に対して、何倍もの戦闘力を発揮する。そう彼女は言っていた。
つまり――
(まさか、僕が異世界人だから?)
もはや、思い至る原因はそれしくらいしかない。
(でも、僕が使った魔法に対しては、魔王の力は発動していたはず――そうか)
精霊魔法も普通の魔法も、つまりはこの世界にある自然エネルギーを利用した現象だから、それを使った攻撃には、魔王の効果が発動した。
でも、今、僕は精霊魔法を失い、魔力も枯渇している。
窮地に陥り、かえってありのままの異世界人の僕に戻ったのが、功を奏したということか。
もし、僕の推測通り、アルセが魔王の加護を失っているとすれば、彼女のレベルは40程度。
倍近いレベルのある僕が負ける理由がない。
と、いうことは――。
(上手くいけば、アルセさんを殺さずに制圧できる?)
実力が伯仲してれば、手加減する余裕などなく、全力で殺すしかなかった。
だけど、もし今、僕が圧倒的な優位に立っているというなら、話は変わってくる。
『え? なに? うんうん。うんうんうん! わかった! 他の精霊にも伝えとく』
「はっ!」
僕は精霊に念話で救出計画の指示を出してから、一気に踏み込む。
羽のように軽い宝剣をきらめかせ、アルセに上段で斬りかかった。
「ぐっ!」
応戦するアルセ。
僕はその剣を軽くいなし、数合も打ち合わない内に、彼方へと弾き飛ばす。
ザン。
ザン。
ザン、と。
一撃一撃を慎重に、アルセの装備を破壊していく。
(剣が使えて良かった)
僕は心の中で安堵する。
異世界の自然エネルギーを利用するのがアウトなら、異世界の剣を使った攻撃に対しても魔王の力が発動するかと思ったが、そんなことはなかった。
おそらく、今、僕の使っているのが、自然の鉱物を原料とせず、魔族サイドのジルコニアの身体から作った剣だから通用したのだろう。
もしダメだったら、文字通り徒手空拳で戦わなければいけない所だった。
「これでっ――!」
肌着姿だけになったアルセを、僕は地面に組み伏せる。
「ふふふ。素晴らしい。その力、勇者のものではない。もちろん、魔族のものでもない。となれば、残る可能性は理を外れし存在……つまり、あなたは――。そうですか。なるほど。なるほど。なるほど。実におもしろい」
負けが確定したのに、魔王はどこか楽しそうに呟く。
「僕が誰でも、そんなことはどうでもいいでしょ。それより、もうここでやることがなくなったなら、さっさと魔王城なりどこなりに帰ってよ」
「そうはいきません。どちらかが死ぬまで殺し合う。それが生存競争というもの。さあ、殺しなさい。どうやら愚かで惰弱なヒトたちも、あなたにそれを望んでいるようですよ?」
魔王は眼球を左右に動かして、冷めた口調で言う。
アルセの負けを確信したからか、いつの間にかそこかしこから群衆が溢れ、僕たちをぐるりと取り囲んでいた。
「くたばっちまえ! 故郷の恥が!」
「裏切り者に死を!」
「偽りの勇者に正義の鉄槌を下して!」
無責任な暴言がアルセに浴びせかけられる。
「……」
「何を迷っているのです。ああ、そうか。ヒトには責任を回避したい時、罪悪感という思考を言い訳にするのでしたね。ならば心配ありません。ほら、この通り。この娘自身も死を望んでいる。――あり、がとう。私を、止めてくれて。嫌な、役をさせちゃって、ごめんね」
刹那、悲しげに瞳を揺らしながら、それでもアルセは気丈に笑って、僕を気遣ってみせた。
勇者はここにいる。
たとえ、その力が偽りだったとしても。
剣が振るえなかったとしても。
魔法が使えなくても。
身体を乗っ取られていても。
それでも、彼女は立派な勇者だ。
どうして皆そのことに気がつかないのか、僕には不思議でならない。
「――おっと、そこまでです。あなたに自死されては困る。ヒトの英雄には悲劇がつきものなの。あなたはその供物となるのです」
舌を噛み切ろうとしたアルセから身体のコントロールを取り戻した魔王が、決定事項のように呟いた。
殺せ!
殺せ!
殺せ!
殺せ!
鳴り響くシュプレヒコール。
永遠に交わらないはずの、ヒトと魔族の平行線が、不愉快で野蛮な一致を見る。
「さあ、忌々しき撒き神の寵児よ。我が愛し子の死を糧に、
魔王の瞳が愉悦に染まる。
「わかったよ。どうしても、アルセさんを殺すことは避けられないみたいだね」
僕はそう言って、剣を垂直にアルセの腹へと突き刺す。
刹那、噴水のように湧き出す血。
アルセの呼吸が薄くなり、息が絶えるまでの数瞬を、僕は唇を噛みしめながら、静かにやり過ごした。
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