第145話 霧の底
59階層の果て。
『出ました! 私の完璧な計算式によれば、次が最終階層に間違いありません』
60階層へと続く階段を前に、ルッケローニが喜色も露わに、床に記した計算式を撮影班に誇示する。
『本当かよ。なら、これでようやくこの小賢しい迷宮を造りやがったダンジョンマスターをぶっ殺せるって訳だ』
ベルケスが勇むように、肩を鳴らして口の端を吊り上げる。
『じゃあ、みんなで行こう。せーのっ!』
アルセの掛け声で、三つのパーティのリーダーたちが、一斉に階下への一歩を踏み出す。
「いよいよだね」
「はい! その場にいる訳でもないのに、なんだか私まで緊張してきました」
緊迫の一瞬に、見ているだけの僕たちも息を呑む。
『さあ、勝負だよ! って、あれ?』
勢いよく60階層へと進出したアルセは、拍子抜けしたように足踏みする。
それまでの霧が嘘だったかのように、全ての視界がクリアになる。
代わりに現れたのは、上下左右、縦横無尽に張り巡らされた、鏡の迷宮だった。
『おやおや。これは困りました。このように完璧な私の容姿を映し出されては、書き込むことができません』
ルッケローニが自分に酔ったような口調で呟く。
『どこだ! ダンジョンマスター。隠れてないで出てきやがれ!』
ボルカスが叫ぶ。
『ようこそいらっしゃいました。忌まわしき地上の英雄方』
その呼びかけに応えるように、ぼんやりと鏡に映し出されたのは、巨大な仮面だった。
合わせ鏡によって無限に増殖するその不気味な無貌は、口を動かすこともなく、ダンジョン中に冷たい無機質な声を響かせる。
『あなたがこのダンジョンを造ったの? 目的は?』
『答えても栓無きことでしょう。いつものあなた方らしく、剣で語るがよろしい。闘い続けることが私たちとあなた方の宿命ならば』
アルセの質問に、素っ気なく答えた仮面が、鏡の奥に消える。
KYURUKYURUKYURU!
KYURUKYURUKYURU!
KYURUKYURUKYURU!
同時にどこからともなく湧き出てくる、恨みがましいすすり泣くような声。
鏡には映らない不可視の怨念が、一行に襲い掛かってくる。
『ちっ。レイスかよ。亡霊系のモンスターは苦手だぜ』
『なら、ボルカスくんは鏡を壊して! どこかにあの仮面の本体が潜んでいるはず! レイスの方は私たちで何とかするから!』
『おう! いいだろう! ひたすらぶっ壊しまくる方が分かりやすくて俺たち向きだぜ!』
『ルッケローニくんは魔法が得意だったよね。レイスをやっつけるのに、協力お願いできるかな!』
『仕方ありませんね。力押しなど美しくない解法は好みではないのですが。――第一楽章 「チェインボルトの狂騒曲」』
ルッケローニはさらりと髪をかき上げると、雷の上位魔法を発動し、レイスを瞬く間に葬り去っていく。
『私たちも、前衛は鏡を壊して! 後衛はモンスターを排除!』
自然と司令塔的役割に収まったアルセの指示の下、一行は動き出した。
虱潰しに鏡を叩き割り、敵の行動範囲を狭めていく。
それは、視聴者が期待しているのとは程遠い、地道で根気のいる作業だった。
『私は鏡です。鏡とはすなわちあなたです……』
破壊された後のわずかな破片からも仮面は時折顔を覗かせ、度々意味深な言葉を一行に投げかけ続ける。
「なにか、とても嫌な感じがしますわ」
ナージャが顔をしかめる。
「うん。僕も何となくそう思った」
明確な根拠はない。
だけど、最終階層にしては、冒険者に対する殺意が薄い敵が、僕にはひどく不気味に思えた。
まるで時間を稼いでいるような。
より多くの犠牲者が集まる時をじっと待っているような。
そんな怪しさがある。
『失礼します。お客様の風の精霊より、伝言を承っておりますが、お話してもよろしいでしょうか』
その時、スイートルームの前に待機していたホテル専属の風精霊が、丁寧にそう呼びかけてきた。
「ありがとう。教えて」
僕がそう許可を出すと、燕尾服のようなものに身を包んだ精霊が、壁をすり抜けて僕たちの前までやってくる。
『では、お伝えします。「ダンジョンの様子がおかしいよ! モンスターに全く遭わなくなった! みんな下に潜っていくんだ!」だそうです』
ホテルの精霊は恭しくお辞儀をした後、まるで録音した音声を再生するように正確に伝言を発声する。
「いかにもきな臭いわね。――タクマ。どうするの?」
リロエが眉をひそめて僕を見る。
「どうするといわれても、僕にも何が起こるかなんて予測できないし、行動のしようがないよ。でも、いざという時のために準備はしておこう。……今から言うことを、僕の精霊たちに伝言を。撮影班の人に、撮るのを一時的に中断してもらって、無理なら水精霊のステルスで姿を隠して振り切って、情報の漏洩を防いで。その後は、できる限りで60階層の手前まで近づいて、潜伏しているように。30階層以降の攻略ルートを説明するから、よく覚えてね――」
僕はホテルの精霊に、そう言って返答を託す。
60階層に到達した他のチームの動向を観察することにより、霧のダンジョンを攻略する安全なルートはすでに把握している。
モンスターがいなくなったなら、人形でも何とか深層を踏破できるはずだ。
何ができるか分からないし、何もできないかもしれないが、アルセたちの近くにいれば、援護できることもあるかもしれない。
もし何もなければ、全てが終わった後に遅れてやってきておちゃらける、ギャグキャラのように攻略を締めるのも悪くないだろう。
『承りました。到着まで、しばし時間を頂戴致します』
ホテルの精霊はそう言って外に飛んでいく。
「一体何があったの?」
「僕にも分からない。でも、モンスターが下層へと移動しているらしい」
テルマの疑問に、僕は正直にそう答える。
「どういうことでしょう。
「うーん。いくらモンスターが集まっても、あのレベルの英雄が集まると敵ではないと思うんだけどね」
僕はミリアと一緒に首を捻った。
「ともかく、装備の確認をしておくに越したことはなさそうでござるな」
レンが何回かに分けてスイートルームに運び込んだ、臨時の装備品を見遣った。
僕たちの装備品はほとんど偽装のために人形に着せてしまっているので、アレハンドラの冒険者ギルドでレンタルした代物だ。
それらを使う機会がないことを祈りながら、僕たちは最終階層の攻略の進展を、じっと見守った。
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