第136話 勇者

 勇者――アルセは紫紺のマントに颯爽と風を孕ませて、太陽のような笑顔を振りまきながら、こちらへとやってくる。


 周囲の視線と歓声を一身に浴びることを、気に留める様子はない。


 きっと、このような状況は、彼女にとっては日常茶飯事なのだろう。


「おお! 勇者様! よくぞ戻られました!」


 後援会の会長が、演技か本気か、目に涙を浮かべながら、アルセに握手を求める。


「お待たせ! すごい仲間を連れて帰ってきたから、これでもう安心だよ!」


 アルセは右手でがっつり会長の手を握りながら、司会者のような仕草で左腕を伸ばして、仲間たちを紹介する。


「俺は『山砕き』のゴレッソ!」


 獣人の大男が、僕の身長ほどもある大斧を振り回して名乗る。


「『峻烈』のライザです。以後お見知りおきを」


 魔法使い風の格好をした人間の女性が、三角帽を脱いで一礼する。


「おいら、『伸手』のダンっていうんだ!」


 猿のように腕が長いハーフリングが鼻を擦る。


「『皆癒』のモレーヌと申します」


 ローブを着た、ヒーラーっぽい糸目の女性が、穏やかな笑みと共に礼をする。


「『針通』のサイクだ」


 キザに髪を尖らせた美男が、ハープのように弓の弦を鳴らす。


「『不壊』のムインである』


 鋭い目つきをした男のドワーフが、自身の拳を突き合わして鈍い音を鳴らす。


 男が四人。女が三人。


 アルセ自身は、剣を腰に挿しているところを見ると、前衛か中衛のようで、ゴレッソ・ダン・ムインの三人が前衛、残りの三人が後衛という、バランスが取れた編成のようだ。


 さすが勇者が自ら選んだだけあって、皆、装備や雰囲気がいかにも手練れだ。


「ね? みんな強そうでしょ? 隠しダンジョンなんてパパっと攻略しちゃうから、すぐにあの周りに住んでいたみんなも元の生活に戻れるよ!」


 アルセはそう言って、剣を抜き放った。


 蒼穹のごとく澄み渡った青色の剣を掲げ、勇ましくそう言い放つ。


 周囲からさらなる歓声が上がる。


「それは頼もしい! 一週間後には、『救世軍』の素晴らしい勇姿を、街の皆が目にすることでしょう」


 会長が深く頷いて言う。


「一週間後? どうして? 食料は準備してくれてあるんでしょ? 私たちは今からでもいけるよ!」


 アルセが小首を傾げながら、剣で軽い演武をする。


「わざわざ遠方からアレハンドラのために駆けつけてくださった英雄の方々がいらっしゃるのです。私たちのアレハンドラは、公平を尊ぶ街。外からいらっしゃった方々にも、隠しダンジョンの情報を共有してもらい、攻略するための準備をする時間を与えなければなりません――例えば、そう。こちらにいらっしゃるタクマ殿のように」


 会長がそこで僕に水を向ける。


「タクマか。聞いたことがある。オルキス地方の英雄だな」


 斧使いの大男が呟く。


「ええ。なんでも、魔将を一人で倒されたとか」


 魔法使いの女性が相槌を打つように頷いた。


「あー! 知ってる! 知ってる! じゃあ、キミがそうなんだ!? 人間なのに、精霊魔法が使えるって本当?」


 アルセは剣を鞘に収めると、腰を折り、下から上目遣いで僕の顔を見つめてくる。


「はい。ありがたいことに、精霊に力を貸してもらっています」


 ここまで周知されている以上、隠していてもしょうがないので、僕は素直にそう言って頷いた。


「そうなんだー。ねえ! 私、実は一回も戦闘用の精霊魔法を見たことがないの。見せてくれないかなぁー? きっとここに集まった人たちも見たいと思うし、ねっ! お願い!」


 アルセが口元で手を合わせて、僕を拝んでくる。


 なるべく日常生活では精霊魔法を使わないようにしているのだが、自分のためではなく、周りを喜ばせるためなら、ちょっとくらいはサービスしてもいいか。


「では、勇者様ご一行に歓迎の花火を」


 僕は風精霊の力で浮き上がり、火の精霊の力で、空中に勇者とその仲間たちの名前を炎の文字で描く。さらに水の精霊の力で光の屈折率を変え、その文字に七色の変化をつけた。


 沿道から拍手が起きる。


「すごいすごい! 本当に精霊魔法が使えるんだ! いいなー。私のパーティには精霊魔法を使える子はいないから、キミみたいな人が入ってくれると、助かるなー。すごく助かるなー」


 アルセはそう言うと、僕の肩を両手で掴んで、ぐっと顔を近づけてくる。


 意図的に性を意識させてくるナージャの振る舞いとは違って、どうやら天然っぽい。


 多分、アルセは男も女も関係なく、ナチュラルに距離感が近い人間なのだろう。


(でも、あんまりドキドキはしないな)


 勇者っぽいといえばぽいが、正直な所、こういうタイプの人は僕は苦手だった。


 ボディランゲージが苦手な日本人の悪い所なのかもしれないが、パーソナルスペースを詰めるのにはきちんと段階を踏んで欲しい。


「また始まりましたね。アルセの人たらしが」


 糸目の女性が、呆れと感心の入り混じった声で呟く。


「でも、今回ばかりはアルセも相手が悪いんじゃないかな。なんでも、そちらの精霊使いさんは『女殺』の二つ名を持ってるそうだぜ」


 弓使いの男が軽薄な口調で言う。


「オイラも聞いたよ! パーティメンバーも全員女の子なんだって!」


 ハーフリングが、九官鳥のような声で喚き立てた。


「えー! そうなの? こんなにかわいい顔して、キミも隅に置けないねぇー!」


 アルセは噂好きのおばさんのごとく右手で口元を覆いながら、左手の人差し指で僕の胸を小突いてからかう。


「ははは。噂はあくまで噂ですから」


 僕は苦笑した。


「こ、コホン。ともかく、タクマ殿のように隠しダンジョンの攻略を志される英雄の方々のために、しばらくお待ちくださいませんか」


 会長が咳払い一つ、勇者に頭を下げる。


「うーん。それなら仕方ないか……。本当は一刻も早く、魔族の恐怖から街の人を解放してあげたいんだけど……。でも、キミ、一週間も待つって暇じゃないの?」


 アルセは渋々頷いてから、再び僕を横目で見る。


「いえ。やることはいくらでもありますから。隠しダンジョンの情報を集めたり、調整のために正規のダンジョンに潜ってみようと思っていますし」


 僕は静かに首を横に振る。


「真面目だね! ――あっ、そうだ! じゃあ、私がさっき精霊魔法を見せてくれたお礼に、アレハンドラのダンジョンを案内してあげる!」


 アルセは名案を思いついたとでも言うように、ポンっと手を打った。


「は? ええっと、お気持ちは嬉しいのですが、そういったことは仲間と相談しませんと……」


「いいからいいから。遠慮しないで! 元々、隠しダンジョンの攻略が終わったら、仲間たちを連れて行くつもりだったもん!」


 辞退しようとする僕の手を握り、アルセがにっこりと笑う。


「さすがは勇者だな、ライバルになるかもしれない男に便宜を図ってやるなんて!」


「ああ。心が広い!」


「これぞ、公平と博愛のアレハンドラの精神だ!」


 沿道の人々から飛ぶ賛辞。


 別に勇者の案を受けても僕たちに不利益はないだろうが、かといって仲間の同意なしに独断専行するのも気が引ける。


(どうしたものかな……)


 何となく断りづらい雰囲気に、僕は助けを求めるように、屋根の上に浮かんでいる仲間たちを見遣った。

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