第134話 グリーンウッドホテル
ピュラピュラピュピュラー、と。
車が林に入った瞬間、不思議な音楽が僕たちを包み込む。
風が林の間を吹き抜ける笛にも似た音と、どこからか流れてくる川の音を利用した、癒し系のメロディーだ。
「あら素敵なおもてなしですわね」
ナージャが気を良くしたように、音楽に合わせて鼻歌を歌い始める。
同時に、一匹の風の精霊が、こちらにふわふわと飛んできた。
『いらっしゃいませ。ようこそ。グリーンウッドホテルへ』
風の精霊はそのまま車のボディを通過して、眼前に出現する。
それから、わざわざ僕たちの目線より低い位置に移動した後、挨拶と共に優雅な一礼をしてきた。
アゲハ蝶にも似た美しい羽といい、きっちり七三分けにされた髪といい、美少年風の顔立ちといい、なんだかとても上品な雰囲気だ。
「あ! あんた! ここの風精霊ね! もしかして、この音楽はあんたの仕事なの?」
リロエはそう言うと、もの珍しそうに風の精霊の頭を人差し指で撫でる。
『はい。通常は音楽のみをご提供しておりますが、私をお見えになられるお客様には、こうして直接ご挨拶をさせて頂いております』
風の精霊は敬語調でそう答える。
精霊というより、もはや完璧にホテルの従業員っぽい雰囲気がある。
「えっと、マナとかいります?」
この都市には所によってチップ文化があるらしいので、従業員なら一応何かを渡した方がいいかと思い、僕はマナを差し出した。
『お気持ちは大変ありがたいのですが、すでに主より十分な対価を受け取っておりますので』
風の精霊はにこやかにそう言って、僕のマナを辞退した。
すでに契約している相手を憚ったのだろう。
『なんだい気取っちゃってさ! ねえ! キミ! こいつがいらないっていうならボクにちょうだいよ!』
寝ぐせのように髪がピンピンに立った、僕と契約している風精霊が、遠慮なくそう要求してくる。
「はいはい」
僕はちょっと拗ねたようになってる風精霊にマナを分け与える。
同じ風精霊でも全然性格が違うな。
精霊にも個体差があるのは今までの経験である程度分かっている。
当然、得意なことも違って、僕の精霊は割と荒事が得意だが、おもてなししてくれた精霊は芸術方面に特化しているようだ。
大抵の風の精霊は自由で奔放な性格のが多いので、このホテルのような精霊は相当に珍しい。
「うわあ! 湖が見えてきましたよ!」
車が林を抜けると、視界が一気に開ける。
きらめく陽光を湖面が反射して、葉の緑をいっそう瑞々しく際立たせた。
「ホテルも見えてきた」
テルマが指さした先にあるのは、50階の高層ビルのを凌ぐほどの高さがある、巨大な樹だった。
エルフの里にあった神樹と似ているが、枝葉が画一的にきちんと剪定されていたり、幹の一部に金属らしき光沢があったりと、半分くらいは人工物で構成されているようである。
やがて車が、その樹の前で停止した。
「到着いたしました」
運転手が厳かにそう告げる。
「ここでよろしいでしょうか?」
「はい。お世話になりました。また明日よろしくお願い致します」
都長の確認に僕は頷いて、仲間たちと共に車から降りた。
入り口には、星の形をした見事な彫刻があり、そこには『歓迎 タクマ=サトウご一行様』の文字がしっかりと刻まれていた。
彫刻の製作者と思われる蜘蛛の形をした土の精霊が、絶え間なく土埃を払って、彫刻を綺麗にしている。
「ようこそいらっしゃいました。私はオーナーのテレンスでございます」
入り口付近で待機していた、壮年のエルフの女性が優雅に一礼した。
「こんにちは。タクマ=サトウです。オーナーさん自らお出迎えして頂くなんて恐縮です」
僕も礼を返す。
「いえいえ。タクマ様ほどの御方にご宿泊頂けるとなれば当然のことです。それに、これは私事で大変恐縮ですが、個人的にイリスのご息女をこの目で拝見したいという思いもございまして」
「もしかして、母様のお知り合いですか?」
テルマが目を見開く。
「ええ。昔、冒険者をやっていた時分に大変お世話になりまして、今でも時折やりとりをさせて頂いております」
オーナーがテルマとリロエをにこやかに見つめる。
「母様の友達ならいい人に決まってるわね! ホテルも楽しみだわ!」
リロエが機嫌よく言う。
「恐縮です。ご期待にそえるサービスを提供できるよう、最大限の努力を致します――それでは、早速お部屋にご案内いたします」
オーナーは精霊魔法で僕たちの荷物を浮かせて運びつつ、完全にこちらには背中を向けない形で僕たちを先導していく。
従業員にはエルフが多いようだが、他の人種もたくさんいて、また、それらと同じくらいの数の精霊が、あちこちで働き回っていた。
「ここの精霊はみんなお行儀がよくて働きものねえ。ウチの精霊とか時々サボってどっか行っちゃうのに。ウチも一体くらい契約して帰ってもいい?」
リロエが無邪気にそんなことを尋ねる。
「精霊の同意があればもちろん構いませんが、この周辺の精霊は全て、当ホテルの従業員と契約を交わしておりますので、難しいかもしれません」
オーナーは、笑顔を崩さないままで答えた。
僕の精霊も一緒にいる内に成長しているようだから、ここの精霊もオーナーを始めとしたエルフの人たちがしっかりと時間をかけて教育した結果、今のような形になっているのだろう。
いわば、ホテルにとっての財産のようなもので、そんなに簡単に譲ってくれるとも思えない。
「なーんだ。一体くらいこういう子が仲間にいれば、色々便利だと思ったんだけど」
リロエが残念そうに唇を尖らせる。
「申し訳ありません。ですが、もしご入用ならば私共と契約している精霊をお貸しすることはできると思いますので、どうぞ遠慮なくお申しつけください。もっとも、私共の精霊は、絵画、音楽、彫刻などを得意としておりますため、本職の戦士の皆様と共に、ダンジョンでモンスター相手に立ち回るにはいささか不向きかとは存じますが――」
オーナーがそう補足する。
僕たちは、木の洞を模したエレベーターへと案内され、中心の空洞を上り、一気に最上階まで上がった。
エレベーターを降りると、目の前すぐに部屋の扉がある。
他に部屋がないところを見ると、スイートルームというのは、どうやら、ワンフロア貸し切りの広さがあるらしい。
「こちらが本日お泊り頂きますお部屋です。備え付けの設備等の説明はいかが致しましょう?」
オーナーが鍵を開け、部屋の中に荷物を運び込んで言う。
「大丈夫です。また何かあれば、質問させて頂くかもしれませんが」
みんな、アレハンドラへの旅行中、恥を掻かないようにと熱心に情報誌を読み込んで、あれこれ勉強していたから大丈夫だろう。
「かしこまりました。そこにあるボタンを押すか、部屋の前に待機しております精霊にお申しつけくだされば、すぐに従業員が対応致しますので。――それでは、どうぞごゆるりとおくつろぎください」
オーナーが僕に鍵を手渡し、楚々とした動作で退出していく。
「うわー! すごい! すごいですよ! 私、こんなに大きいベッドみたことがないです!」
扉がガチャりと音を立てて閉まった瞬間、ミリアが痺れを切らしたように純白のシーツにダイブする。
「――至福」
スノーもミリアに続いてそのままベッドに倒れ込み、早速寝息を立て始める。
僕もさすがに驚いた。
部屋の中心にあるベッドは、キングサイズのそれを6台つなぎ合わせて正方形にしたような、異様な大きさだった。
もっと具体的にいえば、僕たち全員が一遍に横になっても、超余裕な広さということだ。
(……何を考えてるんだ僕は。まだみんなで一緒に寝ると決まった訳ではないんだし)
僕は首を横に振って、浮ついた考えを頭の中から追い払う。
メインのベッドは一つだが、スイートルームには他に部屋がいくつもあり、それぞれにベッドが備え付けられている。なので、全員が別々に寝泊まりすることも十分に可能なのだ。
(でも、一応、ハネムーンという名目で来ているんだし、意識しても仕方ないじゃないか)
そんな言い訳も、心のどこかにやっぱり残ってはいるんだけど。
「景色も素晴らしいですわね! ずっと眺めていられそうですわ!」
ナージャが世界を我が物にしようとでもいうかのように両手を広げる。
「強く民を統制する王がおらぬにも関わらず、このように調和のとれた発展を築いてこられたことは、まさに奇跡としか言いようがござらぬ」
レンが同意するように頷く。
窓はカーテンを開ければ、360度周囲を見渡せるようなガラス張り(――というか、多分車と同じような謎金属を使っているんだろうけど)になっていた。
美しい湖と、都会的な街並み。
その両方を一度に楽しめる、最高の眺望がそこにはあった。
「ヒトも元気で、精霊も元気で、こういう形で立派にやっていける所もあるのねえ……」
リロエが大人びた口調で、どこか感慨深げに呟く。
故郷のエルフの里をこれからどうしていけばいいかとか、考えていたりするのだろうか。
「皆、浮かれるのはまだ早い。まずは仕事をきちんと片付けないと」
テルマが自身に言い聞かせるように呟く。
「えっと、僕は明日は都長さんを訪問しなきゃいけないから、動くならその後かな」
「それで、明日タクマさんが公事を終えられた後はどうしましょう?」
ミリアがベッドをゴロゴロ行ったり来たりしながら呟く。
「とりえあず、隠しダンジョンの詳細な情報を入手しなければなりませんわね。できれば、アレハンドラの正規のダンジョンで、軽く肩慣らしもしておいて方がよろしいでしょう」
ナージャはそう呟くと、近くのテーブルの上にあった籠から、ライチっぽいウエルカムフルーツを摘まんで口に放り込む。
「然り。旅の間は戦っておりませぬ。たとえ数日であっても、戦の感は鈍るものでございまする」
レンは、職業柄か、ペタペタと不審物を探るように壁を触りながら頷いた。
「うん。僕もナージャに賛成かな。ただ、ここのダンジョンって勝手に潜っていいものなのかな?」
「その辺りの手続きは私に任せて。職場から紹介状を預かってきているから、アレハンドラの冒険者ギルドでも便宜を図ってくれると思う」
僕の疑問に、テルマがそう請け負う。
「姉様! お仕事の話も良いですが、ウチ、お腹が空きました!」
おおよそ今後の方針が決まった所で、リロエが手を挙げて叫ぶ。
「わかった。ホテルにももちろん備え付けのレストランがあるし、店もいくつか目星はつけてある。このホテルには精霊を使った宅配サービスがあるから、こちらから出向かなくても料理を持ってきてくれるらしい」
「至れり作せりですわね。せっかくですから、湖で泳ぎながら優雅にお食事したいですわ!」
ナージャがそう張り切る。
なんだかんだで旅行ムードの中、僕たちのアレハンドラでの一日目は、まったりと過ぎて行った。
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