第126話 箱いらず娘との婚約(2)

「――はあ、全く。でも、僕のためにやってくれたことだもんね。……とりあえず、ナージャのお父さんに挨拶した方がいい?」


 僕は気持ちを切り替えると、横目で『マニス商会 会長』と書かれたプレートの奥に座る人影を見遣る。


 グラゼ王よりはちょっと年上で、恰幅がいいチョビ髭の男性がそこにいた。


「やめておきなさい。あのヒゲデブに上手い事言いくるめられて尻の毛までむしられても知りませんわよ。その辺は、ワタクシがタクマのマニス側の抑えとなる代わりに、今まで通りの不干渉を貫くように交渉しておきましたから、心配しなくても大丈夫ですわ」


 ナージャはそう吐き捨てると、特に頭を下げることなく、マニスの重鎮たちの前を素通りした。


 そのまま、彼女はステージから降りていく。


 僕は、一応、お偉方に軽く頭を下げてから、ナージャの後に従った。


「そっか。色々と手を回してくれてありがとう。……でも、よかったの?」


「なにがですの?」


 ナージャが小首を傾げる。


「だって、ナージャは政略結婚とか、そういうしがらみが嫌で家を出たんだよね。それなのに今回、僕のせいで、結局同じようなことをするはめになっちゃったでしょ。それが、すごく申し訳なくてさ」


 僕は俯いて呟く。


 僕の保身のために、ナージャの生き方を曲げさせてしまったのなら、それは相当な罪だと思う。


「――ふう。タクマ。いくらなんでも今の発言は野暮すぎますわ」


 ナージャは心底呆れたように目を見開いて、僕をねめつける。


「え?」


「ワタクシは、自由を何より尊ぶ、戯神アネムリオンの信徒ですのよ。たとえ、必要性があっても、嫌いな殿方と婚約を結ぶなんてありえないことですわ」


 ナージャはきっぱりとそう言い切って、堂々と天を仰ぐ。


「それってつまり――」


「あなたが好きってことですわよ。少なくとも、タクマは、ワタクシが今まで出会った中で、最高の男性ですわ。ま、将来のことは分かりませんけど? ワタクシもそろそろいい年ですし、このあたりで一回くらい結婚してみるのも悪くありませんわよね」


 ナージャはそううそぶいて、小気味いい鼻歌を歌い始ながら、家の方角に足を向けた。


 地球――というか、日本の基準ではまだ結婚するには早い僕たち。


 でも、異世界基準では、二十歳前に結婚している方が普通だったりする。


「ありがとう。素直に嬉しいよ」


 常に自身の気持ちに素直なナージャの言葉は、疑いようもなく、ストンと僕の胸に落ちてくる。


「それで?」


「え?」


「タクマはどうですの? ワタクシと結婚するのは、ただの災難除けですの? それとも、男女の愛情はありまして?」


 ナージャがストレートにそう質問してくる。


「ナージャのことは好きだよ。でも、それが、仲間としての親愛の情なのか、異性としての恋愛感情なのか、僕には分からないんだ」


 これだけ女性ばかりのパーティにいえば、そこらへんの線引きが気になることも度々あったけれど、恋愛経験の少ない僕には、考えても考えても、結論が出なかったのだ。


「そんなの簡単に判別できますわ。例えば、今、ワタクシがあそこにいる男性と、ラブラブちゅっちゅっし始めたら、タクマ、どう思いますの?」


 ナージャはそう言って、道端を歩いていたマッチョな男性を、適当に指さした。


「うーん。うーん。それは……嫌かな。正直、『キスした癖に僕の事は遊びだったんだね』って思っちゃうかも」


 僕はしばらく腕組みして考え込んでから、そう結論を出した。


 我ながら女々しいと思うが、もしナージャが億面もなく他の男性といちゃつき始めたら、表には出さなくても、内心嫉妬してしまうと思う。


「なら、それで十分ですわ。もしただの友情なら、ワタクシが誰とむつましくしようと構わない訳ですから。嫉妬の情がある以上、あなたはワタクシを女性として好きなのです」


 ナージャはきっぱりとそう断定して、人差し指で僕の額を小突いた。


「なるほど。確かにナージャの言う通りだと思う。でも、だとしたら余計に申し訳ないよ。僕はスノーと婚約している訳だし、その時点でナージャと二重に婚約するのは、不義理だもの……」


 僕は俯いて視線を伏せる。


「スノーは知りませんけれど、少なくともワタクシは別に気にしませんわ。だって、ワタクシは愛が一つしかないなんておとぎ話を信じてはいませんもの。人の愛も好きも、たくさんあるのが生物として自然で、それを制約するのは社会的な秩序を維持するための要請に過ぎません。だから、複数の女性を好きになっても、あなたが恥じる必要はありませんのよ」


 ナージャはそう言って、僕の顎に手を当てて、視線を上向かせる。


「そうなの……かな」


 僕は腕を組んで考え込む。


 僕が一夫一妻を是とする日本で暮らしてきたから、そこらへんにこだわってしまうだけなのだろうか?


「まだ罪悪感があるなら――そうですわね。せっかく強大な力を手に入れたんですもの。遠慮せずに、バリバリ稼いで、バリバリ女に貢げる男になりなさいな。女の大抵の不満は、お金が解決してくれますわ」


 ナージャが現実的かつ即物的な解決策を僕に提示してくる。


「ははっ。なんか、それって、すごく僕にとって虫の良すぎる話だね」


 僕は思わず忍び笑いを漏らす。


 僕には全ての女性にお金が通用するとは到底思えないのだが、彼女の言うこともまた、世の中の一面の真実には違いない。


 ナージャの言葉のおかげで、常に心にのしかかっていた重石が、半分くらいの負担になった気がした。


「ええ! 自分で言うのもなんですけれど、男性にとって、ワタクシほど都合のいい女もおりませんわ。だから、もっと褒めてくれても構いませんのよ」


 ナージャが冗談めかして胸を張る。


「ナージャは本当に裏表のない素敵な人です。――でも、いいものは、物でも人でも、それ相応の対価が必要だよね。やっぱり、お高いんでしょう?」


 だから、僕も軽口で返す。 


「当然ですわ! とりあえず、ワタクシとタクマが夫婦になった暁には、一心同体になる訳ですから、お財布も一つにしなければなりませんわよね。ちょうど欲しい指輪がありますのよ。少々値が張りますから、三か月くらいはつつましい暮らしを余儀なくされるかもしれませんけれど、かわいいお嫁さんのためなら、粗食も苦になりませんわよね?」


 ナージャが試すような目で僕を見る。


「いいよ。僕の故郷では結婚指輪は月給の三か月分っていう、謎の風習があったみたいだから」


 僕は即座に頷いた。


 実際、お金を溜めても、特に何か買いたいものがある訳でもないし、指輪くらいでナージャが満足してくれるなら安いものだ。


「さすがダーリン! では、結婚後のハネムーンは世界の中心、アレハンドラに行きましょう! もちろん最高級ホテルの一番いい部屋を予約しなければいけませんわね! 街中をユニコーンの高級車で走り回り、ありとあらゆる美食の髄を極め――」


 次々と際限なく欲望を並べ立てるナージャ。


 そのあけすけな彼女に救われている部分があると、今日ばかりは認めざるを得ない僕だった。

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