第116話 武人の誉(1)

「主! はやくこちらへ! じきにスノー嬢には敵味方の区別がつかなくなりまする!」


 レンが警告するように叫ぶ。


「ええ!? 本当に!?」


 僕は急いでその場から離脱し、砦の屋上へと帰還した。


「赤! 赤! 赤! 緑は当たり! 青は? 青い血はどこだあああああああああ!」


 スノーは、武器を拾い上げるのも鬱陶しそうに、素手で敵を殴り、潰し、壊し、バラし、殺していく。


 当然、その過程で敵の攻撃をくらい、ダメージは受けまくっているのだが――


「犬の脳は蜜の味がするー♪ ラミアの子宮は天国の甘露ー♪」


 血が出ても、肉が削げても、その側からモンスターの肉を食らうと、瞬時に傷が塞がっていくのだ。


 モンスターよりもモンスターらしく、スノーはただひたすらに敵を屠っていく。


「うひいいいいい、一体スノーさんはどうしちゃったんですか!?」


 目の前で繰り広げられるグロテスクな光景に、ミリアが顔を歪める。


「狂戦士成りでござる! まさかこの目で見られる日が来ようとは!」


 レンが感激したように肩を震わせて言った。


「まさか。あれが!? 『グリューヴの紅き惨劇』の? 伝説じゃなかったのか!?」


 魔法使いの兵士が驚愕に目を見開く。


「伝説ではござらん。誰でも閲覧できる史書の類からは抹消されておりまするが、あれは確かに現実にあったことでござる」


「なにその『グリューヴの紅き惨劇』って?」


 リロエが首を傾げた。


「古の英雄譚のクライマックスを飾る一大悲劇ですわね。時は魔族隆盛の時代。とある貴族の家に生まれたダグラスは、幼い頃に両親を失い、叔父の奸計により領地を追われる。憤ったダグラスは、闘神オルデンに『復讐を果たすためならケダモノに墜ちても構わない』との誓いを捧げ、人智を越えた狂戦士の力を得る。各地を放浪し数多の武功を上げたダグラスは、ついに叔父を倒し、故郷を取り戻す。しかし、その強大な力故に、ダグラスはかえって助けてやった貴族たちに恐れられ、いざ自身の領地が魔族に襲われた折には、援軍を断られてしまう。わずかな手勢で襲い来る魔族の大軍に対抗するには、もはや二本の足で立つ方法も忘れてしまうほど、人間性を喪失して『狂』いながら戦い抜くしかなかった。その甲斐あって辛うじて魔族を退けることには成功するものの、最終的には彼を心配して迎えに来た恋人まで、自身の手で殺めてしまう。その衝撃に理性を取り戻したダグラスはしでかしたことの重みに耐えきれず、自ら命を断つ――と、ま、ざっとこんな筋書きですわね。オペラでも好んで題材にされるお話ですわ」


 ナージャがスラスラとストーリーを暗唱した。


 僕はもちろん知らなかったが、周りの反応を見るに、どうやらかなりメジャーな話らしい。


「然り。まあ、オルデン神への誓いや恋人云々は多分に後世の脚色に依る部分が大きいのでござるが、一万の敵を殺すと同時に、千の味方をも殺めてしまったことは事実。ただ、代を重ねるごとにグリューヴ家でも、あの手の異能は発現しない御仁が増え、少なくともここ200年ほどはその力を失っていたようでござるが」


 レンが補足するように言った。


「まあ、あの娘の先祖は、異能が発現しないように、慎重に結婚相手を選んで血を薄めてきたのでしょうね。軍隊としての技術が上がれば上がるほど、ああいうピーキーな人材の居場所はなくなりますもの。グリューヴ家が地方の豪族から、洗練された国家の貴族になるにあたっては、邪魔な能力だったに違いないですわ」


 ナージャが確信に満ちた口調で断言する。


 確かに、いくら戦闘能力があっても、敵味方問わず皆殺しにする可能性のある狂戦士は、軍隊にとってはリスクにしかならないだろう。


「否定はできませぬ。スノー嬢はいわゆる先祖返りという奴なのでござろう。ともかく、スノー嬢が狂戦士の素質を持っていると考えれば日頃の彼女の行動にも至極納得がいきまする」


 レンはそう言って深く頷く。


「どういうこと?」


「例えば、スノー嬢が基本的に無口な上、迂遠うえんな話し方をされるのは、幼い頃よりの感情を抑える訓練の賜物と思われまする。狂戦士と化けるきっかけは色々とござろうが、興奮状態の程度が一定値を超えた場合にあのようになると言われておりまするので」


 レンが言葉を選びながら言った。


 アンガーマネージメントという学問によれば、怒りのピークは長くて6秒らしい。


 彼女がコントロールしなければいけないのは怒りだけではないだろうが、何か心にざわめきがあっても、ゆっくり喋れば、それだけ心を落ち着かせる時間を作れる。


 言葉少なに、もしくは回りくどい言い方をすれば、それだけ感情を剥き出しにせずに済む。


 スノーとしては、狂戦士になって周りを傷つけないためには、ああいう言動をとるしかなかったのだろう。


「なるほど……じゃあ、もしかしていつも眠そうなのも?」


「然り。吾も含め、戦士というものは、集中した状態と弛緩した状態を制御する術を身に着けねば仕事になりませぬが、あれは本人の意思に関係なく、本能的に命に危険がないとなれば、自動的に意識が落ちる仕組みなのやもしれませぬ。俗な言い方をすれば『強制的な寝だめ』でござるな」


 僕の言わんとすることを察したようにレンが続けた。


 寝だめは科学的には否定されていたはずだけど、まあ、僕の『生きているだけで丸儲け』のような能力もある世界だし、そういうこともあるのだろう。むしろ、僕の能力に比べれば、スノーのは日常にリスクを負っているだけ、まともだといえるかもしれない。


「ふふっ。まあ、そうでなくては、フロル殿下の近くで堂々と居眠りなんてできませんわよね」


 ナージャが苦笑して頷く。


「……そっか。じゃあ、スノーはずっと、自分自身と戦ってたんだね」


 僕は、勝手ながらスノーにすごく親近感を抱いてしまった。


 本人はどう思っているかしらないが、僕には彼女の抱えている力が、僕が地球で患っていた難病と同じ類にしか思えない。


 少なくとも、日常生活においては、スノーの狂戦士の能力は全く役に立たないどころか、完全に病気といってもいいほどの弊害をもたらしている。


(そりゃ、戦いたいよな)


 今までは足かせにしかならなかった能力が、ここにきて、ようやく役に立つ機会が巡ってきたのだ。


 無理しても頑張りたい気持ちは、すごくよく分かる。


「ちまちまちまちまちま! めんどくさいね! ああ! なんだい! ちょうどいいのがあるじゃないか!」


 スノーは殺しても殺しても湧き続けるモンスターに業を煮やしたように、ジルコニアの遺骸に近づいていく。


「ヘイ! ヘイ! ホイ! ベイビーベイビーはいと言ってよ! 気が違ってもあんたが好きさ!」


 そしてそのまま、ジルコニアの腕を付け根から引きちぎる。


 僕がすでに傷をつけていた所をダメ押しして割ったようだが、それでもすごい力だ。


「巨人の腕が豆を潰す! 潰した豆はスープになる! 真っ赤な真っ赤な真っ赤な真っ赤な」


 スノーはうわごとを繰り返しながら、巨大な腕を両手で抱えて、ジャイアントスイングのようにぶん回し始めた。


 コンパスで円を描くような範囲攻撃で、数百体単位でモンスターが吹き飛んでいく。


 あの重量を精霊の助力もなしに振り回すなんて、明らかに人間の範疇を超えていた。


 いくら狂戦士の力がすごくても、身体の負担にも限界があるだろう。


 肩や腰の骨の一本や二本、外れていてもおかしくはない。


 でも、彼女がそこまで無理をして頑張っても、全部の敵は食い止められない。


 壁に取り付いてくるモンスターは、スノー以外の誰かが駆除しなければ、すぐに砦は占拠されてしまうだろう。


「これは、僕の全く個人的な感情なんだけど、スノーの目的を完遂させてあげたい。どうかな?」


「頑張りましょう! ――スノーさんは、助けを必要としていると思います。肉体だけじゃなく、心もきっと。だから、あの人を一人にしちゃだめです!」


 ミリアが痛切な声でそう訴えた。


 持たざる者の痛みが分かるミリアには、きっとスノーの苦しみが自分のことのように感じられているに違いない。


「主の仰せのままに。吾は喜んで戦いまする。あのような純粋で苛烈な武人を見捨てたとあっては、吾の侠道がすたりまする故」


 レンが即答した。


「まあ、どうせだったら、ワタクシたちのパーティで砦を守り切った方が、より功績を主張できますわよね」


 ナージャがそううそぶく。


「じゃあ、ウチは早速救援を呼びに行ってくるわ! とはいっても、ウチだけだと信用されないだろうし、あんた! 誰か一緒に連れていく偉そうな奴を用意しなさいよ!」


「わかった! ついでに、俺はもう一度、上司にかけあってくるよ。せめて有志だけでも、彼女と一緒に戦えないかどうか! グリューヴの娘さんがあんなに愛国心の強い方だとは知らなかった!」


 魔法使いの兵士が、感動の面持ちでリロエと共に砦の中へと入っていく。


 どうやら、僕たちの戦いは、まだまだ終わらないようだ。

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