第115話 限界

(魔将の力の影響がなくなったから、意外と簡単に敵を押し返せているかも)


 そんな僕の淡い期待は、一瞬で裏切られた。


 舞い戻った砦の上空で、眼下に広がる戦況は、さらに悪化していた。


 僕も相当な数のモンスターを潰したはずなのに、砦を襲うモンスターの量はさらに増えている。


 多分、別ルートからの進軍があったのだろう。


 前衛がすり潰され、さらに数を減らしている。


 スノーは――。


 よかった。


 生きている。


 少なくともまだ致命傷は受けていないようだ。


「魔将は討ち取りました! もう敵は磁力を使えません!」


 僕は砦の前に巨体を落とし、その胴体を足蹴にして降り立った。


 遺骸を冒涜しているみたいであまり気持ちの良いものではないが、分かりやすく倒したことを示すためにはパフォーマンスも必要だろう。


「あれが魔将だと!? なんてでかさだ!」


「まさか! あれを一人で殺ったっていうのか!?」 


「すげえ! 一体何者なんだ!」


「じゃあ、俺たちの攻撃が当たるようになったのは――」


「ああ! 火事場の馬鹿力じゃない! 魔将が死んだからだ!」


 砦の兵士たちから歓声が上がる。


 士気の向上を確認した僕は、再び飛び上がり、屋上へと向かう。


 そこには、リロエだけでなく、スノーの除く全てのパーティメンバーが集合していた。


 どうやら、皆、それぞれの仕事を終えたらしい。


「どうみんな。怪我はない?」


 僕は歩廊に降り立って、皆を見渡した。


「大丈夫です! むしろ、タクマさんの方が怪我をしてるじゃないですか!」


 ミリアが、僕の頬や腕や脚を指して言う。


「ん? ああ、本当だね。戦闘で高揚していて全然気が付かなかったよ」


 僕は自身の身体をペタペタ触って呟く。


 そこかしこに細かな切り傷が出来て、わずかに出血していた。


 どうやら、ジルコニアの嵐にやられたらしい。


 そりゃ、鎧も盾もなしであのクラスの敵と戦えば、無傷とはいかないか。


 もっとも、風の精霊が急所を的確に堅守してくれたので、致命傷は一つもないのだけど。


「もう! 私たちの大切なタクマさんなんですから、無理しないでください。今治しますから! ――『ヒール』」


「ありがとう。ミリア」


 ミリアの魔法で、僕の傷がたちまち癒えていく。


「結構無茶したわね……。それにしても、本当に一人であんな怪物を倒しちゃうなんて、すごいわ!」


 リロエが、砦の前に転がるジルコニアの残骸を一瞥し、感嘆の声を上げる。


「かなり手強かったけど、なんとかね……」


 僕は苦笑して、再び前線の援護に回る。


 精霊魔法はもうろくに使えないが、普通の魔法でなら、まだまだ僕も戦力になるはずだ。


「さすがは主殿。鬼神のごときお働き、感服つかまつる! しもべの吾としては、主殿の危急の事態に力になれず、心苦しうござるが……」


 レンが、即席の投石紐を使って、押し寄せるモンスターの頭をかち割りながら、申し訳なさそうに呟いた。


「いや。僕が勝手に行っただけだから、気にしないで」


「これ、もはや救援とかいうレベルじゃありませんわよ! 追加報酬には相当期待してもよさそうですわね!」


 レンと同じく、投石紐で前線を援護しながら、ナージャが舌なめずりする。


 本当に報酬に期待している面もあるだろうが、基本的には皆を励ますための発言のようだ。


「ははっ。報酬の前に生きて帰らないとね」


 僕は口の端を上げて頷く。


「俺からも礼を言わせてくれ。本当に魔将を倒してしまうとは――心底驚いたよ。君は我が軍の英雄だ。仲間の仇を討ってくれて、本当にありがとう」


 魔法使いの兵士が、軍隊っぽいビシっとした格好で敬礼をする。


「どういたしまして。――このまま勝てますか?」


「……正直、砦を維持するという意味での勝利は厳しい。前衛が足りなさすぎる。今から、撤退した前衛の兵士を呼び戻したとしても、城から伝令を出し、戻ってくるまで、最低二週間はかかるだろう。それじゃあ、間に合わない。だが、仮に砦を落とされたとしても、君が魔将を倒してくれたおかげで、敵がカリギュラの国土に浸透するスピードは、格段に遅くなったはずだ。おかげで、戦力を整える余裕ができた」


 魔法使いの兵士が、深刻な表情で頷く。


「なら、ウチが呼んできてあげようか? ウチ一人なら、全力で飛んでいけば、一日くらいで逃げた兵士に追いつけると思うけど」


「その気持ちはありがたい。だが、それでも、君一人で救援の兵士全員を砦まで運んでくるのは不可能だろう?」


 申し出るリロエに、魔法使いの兵士が首を傾げる。


「そうね。みんな重装備の男だと、せいぜい、4~5人が限度だわ」


 リロエが頷く。


 彼女と一緒に僕も風精霊の力を使えば、20人くらいまではなんとかなるだろうが、それではあまりにもギリギリすぎる。いざという時に逃げ出す余力を残しておくことを考えると、現実的ではないか。


「なら、君に前衛の兵士を呼びに行ってもらったとしても、結局、彼らが砦に戻ってくるまでに、一週間はかかることになる。それまで、前線を持たせるのは――」


 魔法使いの兵士はそこで、前線に視線を転じた。


 僕は彼の言わんとすることを察する。


 前線で戦っている兵士は、もはや10人にも満たない。


 僕がジルコニアを倒しに行った時は、確実に10人以上はいた。


 このペースだと、後、どれくらいしか持たないのかおのずと察しがつく。


「……もし撤退なさるのなら、本国まではさすがに無理ですけど、モンスターに追いつかれない程度の距離までなら、皆さんを運べると思います」


 砦の兵士全員を王都まで飛ばして運ぶのは、もちろん無理だ。


 でも、僕たちが安全に飛んで撤退する余裕を見た上でも、1里か2里くらいなら、彼らに退却するためのマージンを作ってあげることができるはずだ。


「ありがたい。――今、君の言ったことを、正式に上司に報告してもいいかい?」


「はい」


「そうか! すまない。一瞬、ここを任せる」


 魔法使いの兵士が、砦の中へと駆けて行く。


 カリギュラ軍が正式に撤退を決定したのは、それから半時もしない内だった。


『撤退! 総員撤退!』


 屋上の兵士が、そう叫びながら、手信号でメッセージを送る。


 さらに、グワングワングワングワングワン! と、激しい鐘の音が響き渡り、前線の兵士が、ついに敵に背中を向けた。


 最後の堀が埋まるわずかな時間を利用して、武器を放棄し、砦から垂らされた縄梯子を上ってくる。


 さすがに門を開け閉めしている余裕はないのだろう。


「ジルコニアを動かして、門を塞げる?」


『ういういー』


 僕は風の精霊の力で、ジルコニアの巨体を動かして、砦の門前を封鎖した。


 気休めだが、少しくらいは砦を占領されるまでの時間稼ぎにはなるだろう。


「タクマ! 見て! あれ!」


「何?」


 リロエが僕の袖を引き、前線を指差す。


「スノーさんが! スノーさんが撤退しません!」


 ミリアが悲鳴のような声を上げた。


「チッ! あの娘。一体何を考えているんですの!?」


 ナージャが舌打ちする。


 僕は視線を前方に転じた。


 他の前衛の兵士が続々と撤退してくる中、ただスノーだけが両手に剣と斧を持ち、ひたすら敵と向かい合い続けている。


「困ったな。グリューヴ侯爵の娘さんか。見捨てるには忍びないが、かといって俺たちの命令だといっても、聞きそうにないし……」


 魔法使いの兵士はそう言って、頭を抱える。


「僕が呼んできます!」


 僕は砦の屋上から飛び立ち、上空からスノーに近づく。


「スノー! 早く逃げないと! 手遅れになるよ!」


 僕は地上のスノーに叫ぶ。


「……ドラゴンの骸に怯えて財宝を取り逃がす者は愚か」


 スノーは息を切らすこともなく魔物を屠りながら、ぽつりとつぶやく。


 『ボトルネックとなる魔将が死んだのに、なぜ、撤退するのか?』と言いたいのだろうか。


「見ればわかるよね!? 魔将は死んでも、モンスターが多すぎて前線がもたないでしょ!?」


 僕は黒山のように押し寄せるモンスターを指して言う。


「……救援」


「だから、その救援がくるまでもたないっていう話だよ!」


 さすがに僕もちょっといらっとして、言葉を荒らげる。


「……何日?」


「救援がくるまで、最低、七日はかかるよ! まさか、その間、スノー一人でもたせるっていうの!?」


「……いける」


「いけるって――」


「……戦える」


 スノーは頑なにそう繰り返す。


「それは本当に勝算がある話なんだね? スノーのやけっぱちに他の人を巻き込むつもりなら、僕は協力できないよ」


「……確実。信じて。お願い」


 スノーはそこで、僕を一瞥した。


 その瞳があまりに真剣で、僕は一瞬、言葉に詰まる。


 スノーの言っていることは、はっきりいって、現状の戦況を見るにかなり非合理的だ。


 でも、彼女を本当に仲間にしたいのなら、まずは信じることから始めなければいけないのかもしれない。


「――わかった。他の兵士の人は分からないけど、僕はギリギリまで付き合うよ。でも、もしいよいよ進退窮まって、スノーが死にそうになっても、僕は助けられないと思う。それでもいい?」


「……感謝。――離れて」


 スノーは深く頷くと、そこで僕に初めての笑顔を見せ――手にした剣で襲い掛かってきたウェアウルフの首をはねる。


 そして、唐突にその首の断面に口をつけ、溢れ出す血をゴクゴクと飲み始めた。


「……(ビクッ)」


 電流に打たれたかのように一瞬身体を震わせて、スノーが武器を取り落とす。


「ちょっ!? スノー!? だ、大丈夫? 《ライトニングボルト》」


 完全に停止状態になったスノーに群がる敵を魔法で排除しながら、僕はそう問いかけた。


「――ははははははははは! 大丈夫か? 大丈夫かだって? 誰に口聞いてんだい? アタイかい? そりゃアタイしかいないか! アタイしかいらないさ! あはははははは! ははははははは! 黒と赤と赤子と黒子は死ね! みんな死ね! ことごとく死ね! んははははははは!」


 突如、戦場に響く、意味不明な饒舌と哄笑。


 スノーのいつも眠たげだった目が見開かれ、その瞳が狂気じみた赤に染まる。


 ぼさぼさの髪は逆立ち、肌は浅黒く、黒鉄のような輝きを帯び始めた。


 そのあまりの変容っぷりに驚愕しながら、僕はごくりと唾を飲みこんだ。

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