第98話 これまでのこととこれからのこと(3)

「お礼ですか? 仲間たちへの礼はともかく、僕自身は見返りを求めてやったことではないので、お気遣いなく」


 僕はそう言って辞退の意を示した。


 正直、今のボロボロの里から何かを貰うのは心苦しい。


「いえ、そうおっしゃらず、お受けくだされ。といっても、外の世界の贅沢品に比べれば不満足に思われるやもしれませぬが、受けすぎても、与えすぎてもいけないというのがワシらの伝統なのです。古い教えかもしれませんが、精霊との関係を結ぶ上では大切なことなので、揺るがせにする訳にもいきませんのじゃ」


 長老が繰り返し拝むように言った。


 精霊の協力を得るには、それぞれの生き方のスタンスみたいなものも影響してくるっぽいし、断ると逆に彼らを困らせてしまうのかもしれない。


「そういうことであれば、お受けします」


 僕は頷く。


「ありがたい。――では、まず、そこのドワーフの娘さん。よろしいかな?」


「え!? あ、はい!」


 呼ばれたミリアが背筋を伸ばして性質がある。


「あなたは里の秘蔵の酒を探されていたようですので、これを差し上げます。破壊されずに残った中で一番古い、3000年物の古酒ですじゃ」


 近くにあった神樹の洞から、里のエルフが梅干しを漬けるくらいの小型の壺を運んでくる。


 あらかじめ準備してあったのだろう。


「うわあ! 嬉しいです! けど――本当にいいんですか? これ、好事家に売れば相当な値になりますよ」


 ミリアは欲望と自制の狭間で迷うように目を瞬かせながら長老を見遣る。


「酒はなくても死にはしませぬし、また造れますのじゃ。しかし、里の者の怪我はそのままに捨て置けば取返しのつかないことになっていたやもしれませぬ。ですから、遠慮召されるな」


「じゃ、じゃあ、頂きます――すごくいい香りですね!」


 ミリアは遠慮がちに壺を覗き込み、その匂いを嗅ぐ。


「次は、お美しい人間のお嬢さん」


「あら。それはワタクシしかおりませんわね」


 ナージャが右眉を上げて立ち上がる。


「お嬢さんは装飾品に興味がおありのようですので、宝物庫からあなたの身に纏える分だけ何でも持ち出してくださって構いませぬ。といっても外の通貨に換えやすい目ぼしい宝石は、ペスコとリロエに託してしまったので、満足頂けぬやもしれませぬが、昔の大戦の折、外の世界の貴人から接収したきらびやかな服などは残っておると思いますのじゃ」


「素晴らしいですわね! その宝物庫やらはどちらにありますの? ――あの樹の下の地下室? 分かりましたわ!」


 ナージャは里の者の案内を受け、遠慮することなく、シュババババっと宝物庫に走って行った。


「そして、勇ましい獣人の方」


「吾にござるか?」


「あいにくワシらは武器の類には詳しくありませぬので、そちらの方面でのお礼はできませぬ。しかし、聞いた所によると、あなたは様々な薬の研究にも熱心なそうじゃから、里に口伝で伝わる薬の調合法をお教えしましょう。いかがかな?」


「ありがたく頂戴致しまする」


「それじゃあこっちに来ておくれよ。実際に調合してみせた方が分かりやすいと思うからさ」


「かたじけない」


 エルフの女性に連れられて、レンは宴の会場から離れていった。


「最後に、使徒様じゃ」


「はい」


「使徒様だけはワシらには、何を欲されているか察しがつかなんだ。しかし、いずれにしろ、里の全てを救ってくださった使徒様の施してくれた恩に、今のワシらは報いる術を持たぬ。じゃから、いつか使徒様がワシらの力を必要とした時、里の者全てが命を賭してお助けすると誓いまする。その契約の証として、里の娘を一人、使徒様の端女はしためとして差し上げますのじゃ。彼女の全ては使徒様のもの。もし、ワシらが約束を違えた際には、殺めて貰っても構いませぬ」


 長老が厳かに言う。


「ええ……、いや、それはちょっと、どうなんでしょうか。恩返しのためとはいえ、無理矢理、僕に仕えてもらうのは正直気が進まないんですが」


 僕は眉を潜めた。


 そんな人身御供みたいなことをしてもらっても全く嬉しくない。


「ご心配召されるな。このお役目を希望した娘は多く、むしろ誰が側仕えになるかでちょっとした揉め事になるほどじゃった。決して強制された訳ではありませぬ。ワシらも多くの希望者の中から、誰を選んだものかと悩みましたが、結局、使徒様との縁の深さを考慮し、この者に致しました――リロエ! 使徒様にご挨拶するのじゃ」


 長老が手を叩くと、近くの神樹の陰から、リロエがしずしずと歩いて来た。


 髪をポニーテールにまとめ、巫女装束にも似た白い服を着て、唇に紅を引いている。


 普段の彼女の態度を知っているだけに、神妙な面持ちをしてるのがなんだかおかしい。


「使徒様。リロエにございます。ウチは使徒様の森より深きご恩に感謝し――」


「あの……キャンセルかチェンジってできます?」


 僕はリロエの口上の途中で、長老の顔色を窺いながら尋ねる。


 これからのテルマやイリスさんとの関係を考えると、リロエが僕の従属的な関係になるのは色々と気まずいっていうか、ぶっちゃけめんどくさいっていうか……。


「なんでよ! ウチみたいな美少女が仕えてあげるって言ってるんだから、もっと喜びなさいよ!」


 すぐに地が出たリロエが、僕に向かって頬を膨らませる。


「……リロエ。朝からいないと思ってたら、ずっとこのための準備をしてたんだ。どうして私に先に話してくれなかったの?」


 テルマが悲しげな顔でリロエを見つめる。


「だって、事前に話したら、姉様がウチの身代わりになるって言いだしそうだったんですもん! ウチがこのスケベ男の獣欲の盾になって姉様を守ります!」


 リロエはそう言って絶壁の胸を張った。


「やっぱり、嫌なのに無理矢理僕に仕えるんじゃないか……。そういうのは困るよ」


 僕は眉をひそめて言った。


「べ、べつに嫌だとは言ってないでしょ! あんたのことは嫌いじゃないわよ! だって、ウチがお腹を空かせた時に助けてくれたし、母様と姉様を助けてくれたし、敢然とウチらの先陣を切る姿もちょっとかっこよかったし、むしろ、好きっていうか……。あんたがどうしてもって言うなら、デートくらいはしてあげても……」


 リロエが顔を真っ赤にしながら、指をいじり合わせて、もにょもにょと呟く。


「リ・ロ・エ? いくら私の妹でも、今のは聞き捨てならない。ちょっとこっちに来て」


「ど、どうして、姉様が怒るんですか!? ウチは姉様のために――!」


 テルマがリロエの腕を強引に引っ張って、問答無用で神樹の裏へと連れて行く。


「あらー。二人とも私の娘だけあって、男の趣味も似ちゃったのね」


 イリスさんが二人を微笑ましげに見守りながら、呑気な口調で言った。


「どうやら、使徒様はお気に召しませんようですな。ワシはまた間違えてしまったようですじゃ……」


 長老ががっくりと肩を落とす。


「えーと、その……」


 僕は困り顔で頭を掻いた。


「――タクマくん。できれば、リロエを受け入れてあげて。里の者は、リロエを通してあなたとの繋がりを欲してるのよ。未来への吉兆のあなたと」


 イリスさんが僕の耳元で囁く。


 そう言われると、中々断りづらい。


 でも、端女というのはちょっとなあ。


「……あの、リロエの扱いは僕の好きにしていいんですよね? 例えば、端女ではなく、対等な仲間として働いてもらっても?」


 ちょっと考えた末、僕はそう提案する。


「それはもちろん、使徒様のお好きなように処遇してくださって構いませぬぞ」


「ではお預かりします。僕たちは人手不足なので、戦力が増えるのはありがたいです」


「おお! 受け入れてくださるか!」


 長老がぱっと顔を輝かせた。


 もちろん、リロエが僕たちのパーティに加わるかについては、まず仲間に相談しなければならないし、彼女本人の意思もあるので、未定だ。


 まあ、でも少なくとも、精霊魔法の使い手という意味では、リロエが僕の先輩なのは間違いない。


 彼女が近くにいてくれれば学ぶことも多いだろう。


 どのみち今の流れだと、テルマは僕たちと一緒にマニスに帰り、イリスさんも里の外に出て、テルマと一緒に他のエルフのサポートに回るだろう。そしたら、絶対、リロエもついてくるに違いない。結局、リロエからは逃れられないのだ。


「よかったわ。どうやら、一家まとめてタクマくんのお世話になっちゃいそうね。なんなら、私もタクマくんにご奉仕しましょうか?」


 イリスさんは猫と戯れるように、僕の喉を指でなぞる。


「魔族を蹴り殺せるようなイリスさんにご奉仕してもらうなんて、怖くて僕にはとても無理です――ともかく、これからもよろしくお願いします」


 僕は軽口に軽口で答えると、改めてそう挨拶した。


 また仲間が増えて、僕の周辺はより一層賑やかになりそうだ。

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