第96話 これまでのこととこれからのこと(1)
「ん……」
意識がゆっくり覚醒していく。
「タクマ! 起きた! 大丈夫? 痛い所はない?」
目に入るのは、僕を覗き込むテルマの顔。
ここはイリスさんの家で、どうやらテルマが側で介抱してくれていたらしい。
「うん。大丈夫だよ。僕、どれくらい寝てた?」
僕は上体を起こして、大きく伸びをする。
喉がからからだ。
「一日半くらい」
「そっか。かなり寝坊しちゃったね」
謎の大男を追い返した後、念のため里の中を一通り見て回り、安全を確認した僕たちは、早速精霊を遣いに出して、避難していた人たちを呼び戻す
そこまでの仕事をやり遂げた僕は、どっと疲れが出て、倒れるように眠り込んだのだったが……とうやらだいぶ長寝していたらしい。
「あれだけ頑張ったんだからそれくらい休んでも当然。はい。これ、薬湯。飲んで」
差し出される木のコップ。
「ありがとう……他のみんなは?」
僕はテルマが提供してくれた温めのハーブティで口中を潤し、一息ついてから尋ねた。
「無事。みんなタクマのことを心配してた」
「そうか……心配かけちゃったね。早く出立の準備をしないと」
起き上がり、身体の感触を確かめる。
特に問題はなさそうだ。
「する。でも、その前に里の人たちがタクマが目覚めたらお礼の宴席を設けたいと言ってきてるけど、どうする? タクマが嫌なら、私の方から断っておくけど」
テルマが遠慮がちにそう申し出る。
「里の人の厚意なら僕としては断る理由はないけど……今の里にそんな余裕あるの?」
「多分ない。けど――こんな時だからこそ、騒ぎたいのかも。特にタクマは神樹様から祝福された存在。里にとっては吉兆だから、参加して欲しいんだと思う。未来に希望を見出すためにも」
「……そっか。僕に何かできる訳でもないけど、そういうことなら喜んで参加するよ」
僕は快く頷いた。
「そう。ありがとう」
「――よかったよ」
僕は屈託なく微笑むテルマを、穏やかな気持ちで見遣った。
「よかった。これで里のみんなにもいい報告ができる」
「そうじゃなくて、テルマが最初里に来た時よりもいい顔になってるから。色々、すっきりした?」
「うん。全部タクマのおかげ。母様やリロエとも腹を割って話せた」
テルマはそう言って、ちょっと恥ずかしそうにはにかむ。
「……テルマやイリスさんをひどく扱った人たちは?」
「わだかまりのある何人かからは、直接、謝罪を受けた。ひどく扱われたと言っても、直接暴力を振るわれた訳でもないし、外の社会の厳しさに比べれば、あの人たちのやったことなんて、所詮子どもの悪戯程度。だから、私も水に流すつもり」
テルマが優しさと芯の強さを滲ませる口調で、さっぱりと言う。
「そっか。なら僕からはもう何も言うことはないよ。立派だね。テルマは」
僕はテルマを真っ直ぐに見つめて呟いた。
里の中にはテルマより年上のエルフはたくさんいるだろうが、彼女以上に世間の荒波に揉まれた者はいないだろう。
本当に、人生は重ねた時間の長さではなく濃さなのだと思い知らされる。
「助ける義理もないエルフの里のために命をかけて戦ったタクマほどではない」
テルマが照れたように頬を赤く染めて言い返してくる。
「義理か。そんなこと全然考えなかったな。そもそも、僕はテルマのために頑張っただけだから」
「……タクマ」
テルマが感極まったように僕の手を取る。
僕たちはお互いを至近距離から見つめ合う。
「姉様! タクマが目覚めたと風の精霊が――って、あんた! 姉様と手を繋いで何やってんの!」
浮遊しながら
「――ふう。お二人とも。盛り上がる気持ちも分からないではないですけれど、ワタクシたちが里の後始末を手伝っている時に逢瀬を重ねるなんてあんまりではなくて?」
ロープを上ってきたナージャが、ジト目で僕たちを見てくる。
「まあまあ。ナージャさん。とにかくタクマさんが無事でよかったじゃないですか」
次いでやってきたミリアが、なだめるように呟いた。
「ち、違う。私は決して抜け駆けするつもりじゃ――」
テルマは手をパッと放して、慌てたように首を振る。
「そんなこと言って。結局、男女混合の飲み会では、あなたみたいな女が全部美味しい所をかっさらっていくんですわ」
ナージャがからかい半分といった調子でテルマに絡んでいく。
「主。大勝利おめでてとうございまする」
スキルで樹の幹を徒歩で駆け上がってきたらしいレンが、洞を覗き込んで祝福を述べる。
「みんなも、元気そうでよかったよ。僕のために無理してくれてありがとう」
無事な仲間の姿を確認し、僕は改めてほっとする。
これで、心おきなく宴に参加できそうだ。
*
夜になると、僕たちは里の広場に呼び集められた。
里中のエルフも大集合して、車座に席を囲む。
飾り付けなどはなく、
原則平等を旨とするエルフだからか、上座や下座の概念はないようだが、僕たちのパーティとテルマやイリスさんは主賓ということで円の中心に座らされた。そういえばリロエの姿が見えないのだけれど、どこにいるのだろう。
「皆、よく集まってくれた。では、早速ではあるが、『使徒』様より宴の始まりのお言葉を賜りたいと思う」
長老がそう言って僕に水を向ける。
『使徒』というのは、文字通り創造神様の使者となる存在のことらしい。
エルフの伝説によれば、『使徒』は世界の危機に現れ、皆のリーダーとして世界を正しい方向に導くのだという。
僕は自分がそんなに大それた存在だとは到底思えないし、仮にあの時僕の聞いた神様の声が妄想ではなく、本当だとしても、特にそんな命令は受けていない。
でも、彼らが使徒という存在に希望をかけているのを見ると、強く否定するのもためらわれて、僕は少なくとも里にいる間は話を合わせようと決めた。
まあたとえ『使徒』とやらまではいかなくても、僕は創造神様の力に縋った以上は、その信者ということに異存はないのだから、方便ではあるが、嘘とまではいえないだろう。
「……不幸な行き違いで犠牲になった方もいましたが、あの厳しい状況の中、多くの方が助かったことを、今は喜びましょう。では、『
僕は立ち上がると言葉を選んで告げ、最後に事前にテルマたちから聞いていた、エルフ式の合図を出す。
「はい! 私が、使徒様のために曲を捧げます!」
「じゃあ、僕はそれに詩をつけるよ!」
『楽しいね! 楽しいね!』
『ははははははは! 音を燃やせ! 声を燃やせ!』
エルフの宴は、乾杯ではなく、子どもたちの笛の音と精霊のダンスから始まった。
というのも、元来節約家なエルフの宴は質素そのもので、豪華な食事や酒が出る訳ではないからだ。
エルフの言うところの宴は、『皆で集まって、歌い踊りながら、時間をかけて食事をする』こと以外のなにものでもないらしい。
どうやら、エルフは本来労働に当てるべき時間を、自分たちの快楽のためだけに使うことそのものが贅沢だと考えているようである。
(こういう宴会もいいな)
マニスの欲望のぎらつく飲み屋の雰囲気も生命力に満ち溢れていて嫌いじゃない。
だけど、こういう飾らない素朴な催しも、これはこれで素敵だ。
何となく、病院で消灯時間を気にしながら、おじいさんや骨折したバイクのお兄さんとミニカラオケを楽しんでいた時代を思い出して、僕はちょっと懐かしい気分になる。
「あの……使徒様」
僕がそんな風にボーっとエルフたちの演奏に耳を傾けていると、突然、エルフの娘さんに話しかけられた。
「え、あ、はい。なんでしょう」
「これ、私が作ったクッキーです! よろしければ召し上がってください!」
背筋を伸ばす僕に、その娘さんは平べったい焼き菓子を差し出してきた。
「あ、どうも。ありがとうございます」
断るのも失礼なので僕は素直にそれを受け取る。
「あの、私もきのこのスープを作ってきました!」
「私はフルーツでジュースを――!」
次から次に食べ物を差し入れてくれる女性たち。
「あら。もてもてね。じゃあ、私もこのベリーをタクマくんに『あーん』しちゃおうかしら」
「母様! 冗談はやめて!」
テルマが頬を膨らませて、イリスさんが摘まみ上げた木の実を取り上げる。
「もー! タクマさんはこんなところでも『女殺』なんですか!」
ミリアが不貞腐れたように唇を尖らせて、胡坐を掻いた僕の太ももの上に座る。
『あははははは! 『女殺』だって! おもしろいから、他のみんなに教えてやろ!』
風の精霊が僕をはやし立てるように言って頭上を飛び回る。
『へっ! 結構じゃねえか! 英雄色を好むってな!』
炎の精霊が吠える。
「全く。これ以上ライバルが増えるのはごめんですわよ」
「主への奉仕は吾の役目でござる」
ナージャとレンが僕の両脇を固めてがっちりと布陣を敷き、エルフの女性たちをブロックした。
僕がエルフサイドに取り込まれないかと気を遣ってくれているのだろうか。
確かに、テルマのためとはいえ、一部族に肩入れしすぎるのは中立に仕事をこなさなきゃいけない冒険者としてはよくないかもなあ。
そう考えつつも、結局断り切れずに出されたものを完食してしまう僕だった。
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