第95話 一難去って

「タクマ! よかった! 生きていて! ゾンビじゃない!? 本物!?」


 僕の背中に抱き着いて、ペタペタ触ってくるテルマ。


「うん。ちゃんと生きてるよ」


 僕は優しくその頭を撫でた。


 彼女が疑うのも当然だ。


 正直僕自身も、まだあまり現実感がない。


「ああ! 本当にタクマだ! でも、どうして人間のタクマが精霊魔法を?」


「創造神様が力を貸してくれたんだよ」


「そう。やっぱりタクマはすごい」


「……イリスさんたちを助けに行こうか」


 まっすぐに尊敬の眼差しを向けてくるテルマの視線が面はゆくて、僕は里の東へと視線を転じた。


 オルゾが滅びてダンジョンが消滅したからか、黒い靄はどんどん薄まりつつある。


 しかし、一度出て来た魔族までがいなくなる訳ではないだろう。


『えっ!? あっちに行くの? どうかなー。それはどうかなー』


 僕の頭の上の風の精霊が、急にそわそわし始めた。


「何か問題あるんですか?」


『強大なる邪悪がおる。今のおのれにはまだ早い。せめて創造神の気が満ちるまで待て。やがて結界が回復し、奴らの力も削がれる』


 僕の眉間の辺りから這い出して来た土の精霊が耳元で囁く。


「待ってる暇なんてないでしょう! そんなヤバい奴なら、なおさらイリスさんたちが危ないじゃないですか!」


 僕は足を速める。


『はっ。気に入ったぜ! 戦士はそうじゃなくちゃな!』


 ただ一柱、炎の精霊だけは、愉快そうに言って僕の手元で虎の口のような形を作った。


「タクマ! もしかして、母様とリロエは――!」


「大丈夫! 僕が何とかするから!」


 不安そうに瞳を揺らがせるテルマに、僕は根拠もなく叫んだ。


 そうして辿り着いた村の中央――そこには、僕が想像していたような無数の魔族の群れは存在しなかった。


 それどころか、イリスさんが倒したはずの魔族の死体まで、そっくり消え失せている。


 リロエが地面に仰向けに倒れ、意識を失っている。


 娘を庇うように前に立ったイリスさん。


 彼女の眼前に、漆黒の剣が突き付けられている。


 その剣を握るのは、身長2メートルを超える大男だった。


 病的なまでに青白い肌をしている以外は、腕が二本、脚が二本に顔が一つに目が二つで、一見、僕たちと同じ外観を成している。


 顔も、やりすぎたビジュアル系バンドみたいだが、見る人によっては美形と言えるかもしれない。


 しかし、漆黒の鎧を身に纏い、威風堂々と立つその身体からは、隠し切れない禍々しい闇の気配が漂っていた。


「イリスさん! 大丈夫ですか!?」


 僕はイリスさんの背中に声をかける。


「何でタクマくんが精霊を――。まさか、神樹様を覚醒させたのもあなたなの!」


 こちらを一瞥したイリスさんが目を見開く。


「はい! 多分そうです。とにかく、今は、僕も精霊魔法が使えます! 一緒に戦わせてください!」


「そっか。あなたが創造神から選ばれた――。タクマくん! テルマたちと逃げなさい! こいつは魔界との接続が切れる前に、奴らが捨て身で何百体もの魔族を生贄に召喚した別格よ!」


 イリスさんはそう叫んで、リロエを精霊魔法でこちらに飛ばしてくる。


「よそ見をしている余裕があるのか?」


「やめろ!」


 僕は片腕でリロエを抱き留めながら、躊躇なく剣を振るう素振りを見せた大男めがけて、風の精霊魔法を放った。


 大男の剣筋がずれる。


 イリスさんの頭上を掠めた一撃が、衝撃波となって神樹を切断する。


 その隙に、彼女は僕たちの方へと転がってきて、体勢を立て直した。


「ほう。俺の剣を退けるか。にわかには信じられなかったが、あながち、忌々しい神の宿り木を起こしたのがお前だというのも嘘ではないらしい。まさか、エルフではなく人から『滅ぼす者』が生まれるとはな」


 大男がどこか感心したように呟く。


「あなたが魔族の王ですか?」


「王か。そう見えるか?」


 大男はゆったりと剣を構え直しながら問い返してきた。


「少なくとも、オルゾよりは」


「この俺を、あのような何にもなりきれぬ半端者と比べるとは、無礼な奴だ」


 そう言いながら、大して気分を害した訳でもなさそうに、大男は肩をすくめる。


「僕にはあなたに個人的な恨みはありません。引いてくれるなら、それ以上何もこちらから手だしはしません」


 僕は敢えて強気に言った。


 精霊の話では今創造神様の力が回復しつつあるらしいし、会話で少しでも時間を稼いだ方がいい。


「お前、創造神の加護を受けた身でありながら、俺と交渉しようとうのか? おもしろい奴だな」


 大男が口の端を吊り上げて呟く。


「創造神様は器が広いのでこの程度じゃ怒りませんよ。で、どうなんです?」


「断る。俺にはお前を殺さない理由がない――こともないが、戦い足りない」


 大男は即答して、一直線に僕へと向かってきた。


 速い!


「クソッ!」


 僕は身体強化も精霊魔法も持てる限りの力を使って大男から逃げまくる。


「ほう。やるな。精霊の加護だけではなく、基礎能力にも何某かの付加がかかっているのか?」


 大男は楽しむように僕に向けて突きを繰り出してくる。


 その攻撃一つ一つが、不可視の弾丸となって僕に襲い掛かってきた。


 土と風、二つの精霊魔法を組み合わせた弾力性のあるバリアが、何とか僕の回避できるレベルまでその威力を減殺してくれている。


 だけど、一歩ステップを踏み間違えれば即、僕の身体には穴が空くだろう。


「……あの、他の三人に魔法をかけて逃げられませんか?」


『無理無理無理! キミを支えるだけで精一杯だよ!』


『事、ここに至らばひたすら凌ぐしかあるまいて』


『オラ! ヘタれたこと言ってないで戦え! 戦え! 戦え! こいつは大物だぞ!』


 思わず弱音を吐く僕に、精霊たちが一斉に答える。


「タクマくん! ごめんなさい! あなたを援護したいけれど、私の契約した精霊にはもう力が残ってないの!」


「いいですから! テルマとリロエを連れて逃げてください」


 僕はイリスさんの方を見る余裕もなく叫んだ。


「だめよ! あなたは、ここで死んではいけない人なの! 弓で援護するわ! テルマ! リロエを抱えて逃げなさい!」


「いや! 私も最後までタクマと一緒にいる!」


 別方向から矢が大男を狙ったらしい幾本もの矢が飛んでくるが、僕たちの攻防が速すぎて牽制にもなっていない。


「中々慕われているな。将器か。それとも、ただの女たらしか?」


「どちらでもない! 僕はただの冒険者――ですよ!」


 僕はナージャに聞いていた、ワイヤートラップを仕掛けたという地点を思い出し、大男を誘導する。


「俺はそういう小細工は好かない」


 ジャキン! と、大男の脛当てから刃が飛び出して、ワイヤートラップを瞬断した。


 さらに攻撃が一層苛烈さを増す。


 もしかして、まだこの人本気を出してないのか!?


『あのー。お取込み中のところ悪いんだけど、ちょっとそろそろまずいかもしれないなー。なんて』


 風の精霊がぽつりと呟く。


「え!?」


 よりにもよってこの絶対絶命の状況で、身体が段々重くなってくる。


『まあ、俺様もアンデッドどもを焼き殺すのにだいぶ力を使っちまったからな』


 僕の纏った炎が段々と小さくなっていく。


『生きながらえたくば、他の同朋の力を借りるより他なし』


 身体の痛みもぶりかえしてきた。


「そんな! あの、皆さん! あと少し! あと少しでいいんです! 力を貸してください!」


 僕は慌ててオルゾに従っていた以外の精霊にも、協力を呼びかける。


 黒い靄の影響が薄まったからか、他の精霊たちも続々と里に集まってきている。


 何体くらいかは協力、してくれ――


『えー、どうするー?』


『あの人、よく知らないし』


『恐ろしや。魔族の強者ぞ』


『へん! あのでっぷり山のマグマの精と契約してやがんだろ! ざけんじゃねえ! べらぼうめ!』


 なかった!?


「駄目なの! 精霊っていうのはね。日頃から彼らのために働いて、語らって、継続的に信頼関係を築いていないと、そう簡単に力を貸してくれないわ!」


 イリスさんが叫ぶ。


 なるほど。


 確かに、今力を貸してくれている精霊も、オルゾを倒すためにとりあえず協力してくれたって感じだもんな。


 そもそもそんな簡単に協力を得られるなら、イリスさんの力も尽きていないはずだ。


「どうした? もう終わりか?」


「――終わりません。僕にはまだ強い味方がいますから」


 だけど、僕は諦めない。


 精霊は僕に協力してくれる。


 そんな絶対的な確信がある。


 だって、あの時、見ず知らずの異世界人の僕にさえ優しくしてくれた彼女ならきっと――。


「テルマ! 一つ頼み事をしてもいい?」


「なに!?」


「テルマから、精霊たちにお願いしてくれない? 僕に協力してくれないかって!」


「でも、私は、精霊が見えないのに――」


 テルマがコンプレックスを覗かせる声で逡巡する。


「大丈夫! テルマが見えなくても、精霊はテルマを見てきたはずだよ!」


 僕はテルマを励ますように叫んだ。


「……わかった! タクマがそこまで言うなら。――あまねく精霊よ。私は、あなたたちのことが見えない。だけど、見えないからこそ、敬意を払って接してきたつもり。もし、私の言葉が届いているなら。どうかタクマに力を貸して欲しい。彼は私の一部。私の大切な人だから」


 テルマは意を決したように両手を組み合わせ、瞑目して祈りを捧げた。


『娘。人と森の民、二つの理を継ぐ者。哀れな娘だ。しかし、ひたむきだった』


『……ぼくあの娘の笛の音、好きだったよ。ぼくがまだ切り株の芽だった頃に聞いたんだ。寂しくて、でも優しい曲を。そしてそっとおいしい水もくれた。だから、少しだけ、頑張ってみようかな』


『私は見た。森の西の湖で。人間に殺された四つ足の子を、娘が介抱するのを。あれは今、森の調停者として大いに働いている。私はそれをよみするものである』


『ああん!? よく見れば、あの娘、ド腐れ鉱山の打ち捨てられたかまどの掃除をしてくれた娘じゃねえか!? しゃあねえな! ちょっとだけだぞ!』


 精霊たちが態度を激変させ、僕の下に集まってきた。


 ほら、やっぱり。


 テルマの誠意は、通じていたじゃないか。


 自然は、僕たちに公平に残酷で、公平に優しい。


「ほら! 見て! テルマ! テルマのおかげで、精霊が協力してくれたよ!」


 彼女が評価されたことが自分のことのように嬉しくて、僕は思わず叫んだ。


「タクマ――!」


 テルマが、瞳から一筋の感涙を流す。


「じゃあ――、続きをしましょうか。名前も知らない大男さん」


 再び力を得た僕は、大男と対峙する。


「いや。今日はここまでにしておいてやろう。中々良い物も見られたし、そろそろ、俺の力をもってしても、戻れなくなるからな」


 大男はそう呟くと、大きく後ろに跳躍し、剣先で地面に魔法陣を描いた。


「逆に今、僕があなたを逃がす理由がありますか?」


 僕は渾身の極大炎を大男に向けて放つ。


「ふっ。知らないということは幸せだな。しばらくは時間をやる。せいぜい『奴ら』に鍛えてもらうことだ」


 大男は僕の魔法を軽く剣で振り払うと、意味深な言葉だけを残して、魔法陣の中へと消えていった。


 同時に黒い靄が完全に消え、空から清浄な朝日が降り注ぐ。


(ふう……。助かった)


 僕はようやく胸を撫で下ろし、地面に尻もちをつく。


「母様。私、嫌われてなかった! 精霊から嫌われてなかった!」


 涙で顔をぐしゃぐしゃにして笑うテルマ。


「馬鹿ね。いつもそう教えていたでしょう。良い事も、悪い事も、精霊は私たちの全てを見ているって。とびきり良い子のあなたが、精霊から嫌われるはずがないじゃない」


  そんな彼女を、イリスさんがきつくきつく抱きしめる。


  里の被害は甚大だ。


  謎の大男の存在も気にかかる。


  だけど、今は――こんなにも幸せそうなテルマとイリスさんを見ていられる。


  それだけで、僕は十分に満足だった。


==============あとがき================

拙作をお読みくださり、まことにありがとうございます。

主人公も頑張りましたが色々大変なようです。

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