第94話 祈り
「――死ね!」
「させない!」
僕の命を奪うはずだった雷撃が、身体一つ分左を通り抜ける。
オルゾの右腕に、一本の矢が突き刺さっていた。
(そんな――まさか! テルマ!?)
「ボクがこの距離で接近に気がつかないなんて――隠蔽の魔法かな? イリスはこんなのも使えたんだ」
オルゾは独り言のように呟いて、樹の陰から魔法でテルマを引っ張り出し、地面へと叩きつける。
「テルマ! どうして来ちゃったの!」
「ごめんなさい! タクマ! 魔族の攻勢が強まって、母様たちは精一杯で! でも、私は――! 私だけは、タクマと最後まで一緒にいる!」
テルマはそう言ってオルゾを睨みつける。
「……君たちは強いね。強くて強くて強くて。だから、弱いボクは君たちを殺さなきゃいけなくなる!」
オルゾは逆説的に叫んで、脅迫観念に駆られるかのようにテルマの首筋に手をかける。
「どうしてテルマを殺すんですか! あなたが愛した女性の娘でしょう!」
僕はオルゾのまだ残っているか分からない良心に語り掛ける。
魔法で即殺しないということはオルゾの中にも、迷いがあるのかもしれない。
「嫌なんだ! こいつを通してイリスの愛した男の姿が見える! ボクにはそれがどうしても我慢できない!」
オルゾは自身の心の中の幻影を振り払うように首を横に振り、力を強める。
「くっ! くあっ!」
苦悶の声を漏らすテルマ。
何とか。
僕が何とかしないと。
「くそっ! 『エクスプロージョン』」
もはや脚も満足に動かせない僕は、強引に爆風で背中を押して、オルゾに斬りかかった。
もうボロボロなのだから、今更骨がさらに二、三本追加で折れようが関係ない。
「無駄だよ」
オルゾが軽く手を払う。
僕は成す術なく神樹に叩きつけられる。
「エクスプロージョン!」
それでも繰り返す。
「だから無駄だって!」
また叩きつけられる。
「エクスプロージョン!」
三度繰り返す。
「ああ! どうして君はそう諦めが悪いんだ!」
また叩きつけられる。
「カハッ」
僕は冗談みたいな量の血を吐き出す。
「た、タクマ――」
テルマが擦れた声を漏らし、やがて意識を失う。
僕も意識が朦朧としてきた。
体力の限界か。
それとも精神力が尽きたのか。
もしくはその両方か。
(あと、僕にできることは……。できることは……)
回らない頭で考える。
でも、何も打開策は思い浮かばない。
万事休す。
「……神様。助けてください。僕のことはいいから。テルマだけでも。どうか。どうかお願いします」
祈りが自然と口をついて出ていた。
病気を患っていた時でさえ、一度も、真剣に神様に祈ったことなんてなかったこの僕が。
(ああ。そうか。祈りは、自分自身のためにあるんじゃなくて、自分以外の誰かのためにあるんだ)
今更ながらに悟る。
(神様。あの時、チートなんていらないって言ってごめんなさい。でも、今は欲しいです。切実に欲しいです。どうかもう一度だけ、僕に姿を見せてくださいませんか。今、もし力が選べるというのなら、僕はテルマを守れるだけの力が欲しい)
と、その瞬間、無力に天を仰ぐ僕を見かねたように、バタバタバタと、極彩色の鳥が、僕の頭上の枝へと降りてきた。
『呼んだかい?』
鳥は、九官鳥のようなカタコトで喋り始めた。
(神様?)
そのただの鳴き声がなぜか、もはやおぼろげになりつつあった、神様の言葉に聞える。
これは現実なのか、それとも死にかけの僕が見ている幻覚なのか、それすら定かではない。
『随分ひどくやられたねえ。ごめん。これは私のミスでもあるんだ。はじめ、精霊のシステムを構築した時、これはまだ未熟な文明に与えるには危険すぎる力だから、制限をかけた方が世界にも君たちのためにもなると思った。だから、私はエルフにだけそれを与えた。その分、あの種族には十分な理性と、慎重さを与えたつもりだった。だけど、時がたてば、それは傲慢と臆病に変わってしまうんだね。誤りだったよ。たとえ痛みが伴ったとしても、子どもたちに全て任せるべきだった』
鳥はまるで謝るように、足で頭をクシクシと撫でる。
「世界とか、エルフとか、どうでもいいです。僕はテルマを助けられるだけの力が欲しい。誤りだったというのなら、人間にも精霊魔法を使えるようにしてください」
僕は上手く喋れているだろうか。
それとも妄想の中で語っているだけなのか。
『残念だけれど、ことはそう単純じゃないんだな。私は君たちが想像するほど全知全能ではないからね。後から世界の理を書き換えるには時間がかかる。君たちの時間で何千、何万という年月が』
鳥が木の葉をついばむ。
「それじゃあ困ります。僕は今、テルマを助けたい。助けなきゃいけないんです」
『話は最後まで聞き給え。『後から』書き換えるのは、ダメだと言っているだけだ。君は気付いていないかもしれないけど、最初から君は僕の信者だったよ。そうじゃなきゃ、わざわざ私が会ったりするもんか。一日何万人もの魂を処理してる輪廻ルーチンにぶちこんで終わりだよ』
「記憶にないです。そんな都合のいいこと」
『そうかい? 私は全ての生き物の生と、生を全うした結果の死を肯定する神だよ。その私の前で、君は堂々と言ってのけたじゃないか。『生きているだけで丸儲け』ってね。これが信仰告白でなくてなんなんだい?』
「……でも、僕は神様の存在を意識してその言葉を述べた訳ではないです。それでもいいんですか?」
僕は正直にそう白状した。
『構わないさ。行動が伴っていればね。口では私への信仰を口にしながら、怠惰に生を弄ぶエルフ。口では私を敬っていないと言いながら、奸計に陥れられ借金で首の回らなくなった娘を助け、行き場のなくなったドワーフに仕事を与え、袖振り合った程度の獣人の命を救い、今は命まで投げだそうとしている君。どちらが精霊を使うのにふさわしい?』
「『善きサマリア人の例え』ですか?」
『そういうこと。つまり、君には精霊を扱う資格が初めから備わっていたんだよ。私に真剣に信仰を捧げたことがないから気が付かなかっただろうけど』
「……命を長らえさせてもらえるなら、僕はこれからも『生きているだけで丸儲け』を信条に歩みます。それがあなたへの信仰を捧げることになるのなら、僕はあなたの信者です」
『いいだろう。地球には『人は二度生まれる』という言葉があるね。いや、君の場合は三度目かな? さあ、新約を始めよう! 世界は君を通して知るだろう! やがて
鳥が枝から飛び立つ。
どれくらいの時間が経ったのか。
そもそも本当に僕は神様と会話していたのか。
一瞬にも永遠にも思える不思議な体験は終わり、僕の世界が再び動き出す。
リンリンリンリンリン。
リンリンリンリンリン。
リンリンリンリンリン。
まるで神の訪れを知らせるかのような鈴の音を響かせて、神樹の枝葉がざわめき始める。
「なんだと! 神樹が、花を! これはまさか伝説の――」
オルゾの瞳が驚愕に見開かれる。
パン!
パン!
パン!
パン!
幹と枝と葉の青がせり上がって、祝砲のごとき破裂音を打ち鳴らした。
そこら中に咲き誇る大輪の花。
透明となった神樹が清浄な白光を放ち、闇を照らし始める。
それまで何もないように見えた空間に、突如出現する、赤、青、緑、茶色、色とりどりの無数の発光体。
『自由だ! 自由だよ!』
『戒めは解き放たれた』
『イカサマエルフが、随分調子に乗ってこきつかってくれたじゃねえか。おう?』
その内で、オルゾの周りにわだかまっていた光が、周囲に拡散していく。
ある者は妖精の姿で宙を舞い、またある者は蜥蜴の姿で地を這い、またある者は虎のごとき威風を備えて地を闊歩する。
姿形も様々な、しかしいずれも超越的な神々しさを
これが精霊だと、感覚的に理解する。
「助けて――くれますか?」
今にも手放しそうな意識を必死につなぎとめ、僕は精霊たちに呼びかけた。
『いいよ! キミ、いい匂いがする! むかしむかし、風が最も自由だったあの頃の!』
妖精の姿をした風の精霊が僕の頭の上に乗った。
身体が急に軽くなる。
『隷従から解き放たれた礼はせねばなるまい』
蜥蜴の形の土の精霊が僕の血をチロチロと舐めながら、身体の中に入っていく。
たちまち傷口が塞がり、痛みが消え失せる。
ふらつきながら、僕は立ち上がった。
失った血は戻っていないようだけど、骨はつながっているみたいだ。
『おう。ガキが。頼りねえが俺様が力を貸してやるからよ。生命の灯を汚す野郎をブッ飛ばせ』
炎の精霊の虎が姿形を変えて、僕の鎧になった。
「精霊たちよ! なぜ人間の味方をする!? どうしてボクから離れていく!? お前たちはこの身体と契約を交わしたはずだ!」
オルゾが焦りを隠せずに叫ぶ。
『キミは気持ち悪いよ! 変な接ぎ木をしたら、幹まで腐っちゃう!』
『墜ちた貴き血よ。仮初の
『俺様はなあ。うすぎたねえ魔族を焼き尽くすためにいけすかねえエルフに従ってやってたんだよ。それが魂を取られたそんな情けねえ姿になっちまってよお』
精霊たちが口々に不平を述べ立てる。
(力の使い方は――、こうでいいのか)
僕は身体にみぎる力を、恐々と振るう。
右手で手招きをすれば、宙に浮いたテルマの身体をこちらに引き寄せることができた。
(脈はある! 生きてる!)
僕は全力でテルマに精霊の癒しの力を注ぎ込む。
「う、ん……」
ゆっくりと目を開けるテルマ。
「大丈夫?」
僕はその澄んだ瞳を覗き込んだ。
「タクマ――これは一体?」
「説明は後で。――待っててね。今、あいつを倒すから」
僕は呆然と見上げてくるテルマを後ろに庇う形で、オルゾと向き合った。
「くそおおおおおお! また神は僕を虐げるのか! 死ね! 死ね! こんな世界は壊れてしまえ!」
オルゾが雷撃を放ってくる。
「効きません」
僕はそれを片手で弾く。
多くの精霊を失った彼の魔法の威力は、もはや、前とは比べるべくもなかった。
「クソッ! なんだ! なんだっていうんだ! 人間の分際で! なぜ精霊魔法を使える!? 君! 一体何をした!」
オルゾが呪詛と共にまき散らす、火、風、石、氷。
その全てを不可視のバリアが向こうにしていく。
「僕は何もしていませんよ」
僕は両腕に青白い炎を纏い、一歩一歩、オルゾへと迫っていく。
「くるな! くるな! くるなあああああああああああ! おかしい! おかしいだろ!? なぜ、君は世界に愛される! 君とボクで何が違うっていうんだ!」
オルゾが消え入りそうな魔法を放ちながら後ずさる。
「違いませんよ」
「そんな訳ないだろう! 君は何か外法を使ったんだ! そうじゃなければ、人間が精霊を使役できるはずがない!」
オルゾが目の前の現実を否認するように、何度も首を横に振る。
「そうですね。強いていえば――」
瞬足で肉迫し、オルゾを掴んで持ち上げた。
「あなたより、僕の方が生きているだけで丸儲けだった。それだけです」
僕はそう呟いて、オルゾを空中に打ち上げる。
青白い極熱が、巨大な竜にも似たうねりとなって、オルゾへと襲いかかった。
「うあああああああああああああああああああああああああ!」
世界の怒りを凝縮したようなその炎が、オルゾの借り物の肉体と魂を、跡形もなく焼き尽くす。
バチバチバチバチバチ、と。
勢いのまま天へと昇り上がった竜がはじけて、祝福の花火を咲かせた。
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