第93話 生まれながらに
「いいんですか? 僕たちがあなたを倒せば、ダンジョンが崩壊して、魔界への接続が途切れますよ。大人しく奥に引っ込んでいた方がいいんじゃないですか?」
僕は、
「そうするつもりだったんだけどね。ボクもちょっと遊びたくなってきちゃったよ。力を得て、虐げる側に回ると、こんなにも見える世界が違うものなんだね」
玩具の蝶を見つけた子どものように、オルゾは無邪気な残酷さを湛えた瞳で僕たちを見る。
彼は驕っている。
しかし、驕りは往々にして、強者の特権だ。
「出たわね! 変態! 完全に魔族墜ちしたんだったら、母様のことは諦めてさっきのキモい虫にでも求婚してなさいよ!」
「一刻も早く死んで」
「小蠅がブンブンうるさいなあ。殺すよ?」
オルゾがテルマとリロエに鬱陶しげな一瞥をくれる。
「はん! やってみなさいよ! ウチらを殺したら、母様は絶対あんたを許さないんだから! そしたら、あんたの悲願は永遠に叶わなくなるわよ!」
リロエが臆することなく言い返す。
「そうかなあ。種の違う子を殺すのは生物の本能なんだよ。初めの内は悲しくてもすぐに忘れるさ。心というものは、脆くていい加減だからね。試してみようか?」
オルゾは首を傾げる。
「あなたは遊びたいんでしょう? この中で一番強いのは僕ですよ。歯ごたえのない敵を倒してもつまらないでしょう」
僕はオルゾの注意を引くために、挑発的な口調で言う。
「人間か。……気に食わないなあ。君は、英雄の目をしている。イリスを惑わせる奴らと同じ、邪悪な目だ」
「英雄? 僕はそんなに立派な人間じゃないですよ。むしろ、あなたと同じ、羨みも、落ち込みも、いじけもする、普通の卑小な存在です」
狂ってしまうほどの愛は、まだ僕は知らないけれど、ほんの少しだけ、オルゾの気持ちも分かるような気がしていた。
地球での僕は、できることよりもできないことの方が多い人生を送っていた。
普通のことが普通にできる同級生が羨ましくなかったといえば嘘になる。
何で自分だけがこんな目に遭わなくていけないのかと、世界を呪ったことも数え切れない。
もし、あの時の僕にオルゾのような誰かに取って代われるような能力があったなら――いや、たとえそんな力があっても、僕は使わなかっただろう。
僕が他の誰かになるということは、母の子どもじゃなくなるということだ。それは絶対に嫌だ。
でも、彼にはきっといなかったのだ。
僕における母のような存在が。
「ボクと君が? あははははは! そんな訳ないだろう。ボクはエルフだ。精霊魔法が使える。君は人間だ。出がらしの魔法しか使えない! 違うよ! 全然違う!」
「じゃあ試してみてくださいよ。案外、人間もやるものですよ。だって、イリスさんが惚れる人間も世の中にはいるんですから」
僕はそう言いながら、テルマとリロエに目くばせした。
二人が頷いて、そっとこの場を離脱する。
無理かもしれないが、イリスさんをここに呼んでくることができれば、オルゾを倒せる可能性は少しは上がるはず。
それは無理でも、戦闘に巻き込まれないように、二人には少しでも安全な所に逃げて欲しい。
「ふざけたことを――いいだろう! ボクが君に教えてあげるよ。持たざる者の理不尽と、絶望を! ほら、ボクには必要ないけれど、人間風に詠唱もしてやろうじゃないか。『胸焦がす焦熱よ!』」
イリスさんのことを持ち出したのが決定打になったのか。
オルゾが、両手に紅蓮の炎を抱えて僕に投げつけてきた。
「『ギャザーウォーター』 《イリュージョンレイ!》」
僕はデコイ代わりの幻影をばらまきならが、躱す。
空中に粉上の氷を散布して、熱ダメージを抑える。
「幻影魔法か。だが知ってるかい? その魔法はね、かつてはただの人間で、君たちが今は神と呼んでいるソフォスが、精霊魔法を参考に編み出した、ただのエルフの真似事に過ぎない。君のはただの目くらましだけど、僕のにはほら――実体がある。『イドラ』」
瞬間、オルゾは無数に分裂した。
彼が蝋燭の炎を吹き消すように息を吐いただけで、僕の幻影は瞬く間に消滅してしまう。
「さあ。玉投げをしよう。今度はちょっと数が多いよ。『地を這う者の夢』」
実体を持ったオルゾの分身による投石。
「ソイル 《ソイル》 ソイル 《ソイル》」
僕は何重にも張り巡らせた土の壁を大量に造る。
それを避難場所にしつつ、必死にそれを回避した。
しかし、オルゾの投げる石は壁を容易く突破してくる。
頭にだけはくらわないようにしながら、僕はひたすら耐えた。
「はあ。つまらないな。君、逃げてばっかりじゃないか。かわいそうだから、殺す前に一度だけ攻撃させてあげるよ」
オルゾはそう言って分身を解除する。
「エクスプロージョン! 《エクスプロージョン》」
僕は集約した最大威力の魔法をオルゾに向けて放つ。
「確かに、人間としては相当な力だね。だけど、無駄さ。『気まぐれな風は巡る』」
刹那、目の前が弾けた。
僕の魔法が反射されたのだと、本能で悟る。
「ぐっ!」
咄嗟に身を屈めて、盾で頭を庇う。
それでも――ダメだ。
自分の生み出した爆風に煽られて、僕は成す術なく吹き飛ばされる。
背中に衝撃。
痛い――というより熱い。
どこかの骨が折れたか?
早くポーションを――
「『村娘のダンスは無邪気に草花を踏みつける』」
「クハッ!」
真空のカマイタチが、僕が手を伸ばした先にあるポーションをホルダーごと切り裂いた。
太ももがざっくりと割れ、血が溢れ出した。
激痛が脳髄を駆け抜ける。
「どうだい? これが現実だよ。ふざけた話だと思わないか? どんなに努力しようが、始めから優劣は決まってるんだ。ボクたちは皆、生まれてくる場所も、種族も、環境も、自分では何一つ選べない。だとすれば、何とも残酷で理不尽で不公平な奴じゃないか。ボクたちを作ったという創造神とやらは」
オルゾが吐き出すように呟きながら、不可視の重力で僕の腕と脚の骨を折っていく。
傷のせいか、それとも何かの魔法に縛られているからだろうか、僕は身動き一つ取ることができない。
圧倒的な力で僕を蹂躙していても、オルゾはどこか苦しそうだった。
僕にとっての人生は、生きているだけで丸儲けだけど、きっと、彼にとってのそれは、生きているだけで丸損だったのだろう。
それはきっと二つとも両方が生の真実で、嘘じゃない。
ただ、それぞれがどちらの解釈を選ぶかというだけの違いだ。
「そうですね。確かに、世界は残酷で理不尽で不公平だ」
オルゾの吐く呪詛を、僕は否定できない。
地球でも、この異世界でも、僕は確かに見てきた。
オルゾの言う通り、世界には貧乏人と金持ちがいて、奴隷と貴族がいて、レベルの低いのと高いのがいて、決して平等でも優しくもない。
「だろう? だったら、君も魔族にならないか? 勝手に勝者と敗者を割り振る創造神なんかより、働きに応じて何でも与えてくれる魔族の王の方が、よっぽど公平で有意義だ。それに魔族になれば、もうエルフも人間もない。君ともいいお友達になれるよ」
オルゾが誘惑するような口調で僕に語りかける。
それは事実上の降伏勧告だった。
「お断りします」
僕はきっぱりと言った。
確かに僕は生きているだけで丸儲けを信条にしているけれど、『生きている』というのは『心臓が動いている』こととイコールではない。
僕の、『生きている』というのは、自分で働いて得た金で飲み食いし、出来る範囲で人に優しく、毎日を精一杯に生きて、日々ちょっとずつでも成長できる。そんな当たり前で普通で、だからこそ大変な『生きている』だ。魔族になって、そんな生活が送れるとは到底思えない。
自分の生き方の根幹に関わる指針を曲げてオルゾに従うのならば、それはゾンビになるのと同じだ。
「正気かい? なら君は肯定するのか? この理不尽で愚かで不毛で非生産的な世界を」
「はい。確かに、世界はどうしようもなく残酷で理不尽だけれど、でもそれは、誰かの歩んできた人生を乗っ取っていい理由にはならない。あなたはあなたとして生きるべきだった。ペスコが気に食わないなら、あなたがあなたとして戦うべきだった。力で敵わないなら、知力で戦う道もあった。あなたが、本当に頭がいいというのなら」
僕はオルゾを正面から見据えて言った。
もし、オルゾがそういった方向で努力していたのなら、イリスさんも受け入れてくれていたかもしれない。
本気でそう思う。
「こんな状況でもまだ綺麗ごとが言えるんだね。やっぱりボクは君が嫌いだよ――じゃあ、もうさよならだ」
オルゾの右手に、禍々しい雷の渦が収束して、膨れ上がっていく。
(……ここまでかな。ああ。まるで夢みたいな時間だった)
元から死んでいたはずの僕だ。
この異世界での第二の人生は、本当に『生きているだけで丸儲け』のボーナスステージだった。
ちょっと短かったけど、僕はこの生を後悔しない。
この世界でできた仲間たちさえ無事ならば、それで十分だ。
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