第92話 役割

 イリスさんのいる場所はすぐに分かった。


 よどむ世界の中で、彼女のいる周りの空間だけがすっぽりと切り取られ、まるで生の尊さを肯定するがごとく、美しく光り輝いている。


 台風の目のようになったイリスさんの背後に、逃げ遅れた鳥や小動物が集まって、その矮躯を震わせていた。


 弓と体術と精霊魔法の三つを駆使して獅子奮迅の活躍をするイリスさんの前には、彼女の何倍もの巨体を誇る魔族の屍が幾重にも積み重なっている。


 イリスさんは致命傷こそないものの、身体のそこかしこに裂傷が見られ、それは今この瞬間にも増え続けていた。


 それでもなお絶望は止まず、闇の向こうから、間断なく敵は現れ続ける。


「母様!」


「助けに来ました!」


 テルマとリロエが、イリスさんの背中に呼びかける。


「二人とも何してるの! どうしてお母さんの言うことがきけないの!?」


 全身にびっしりと目が張り付いた無謬の悪魔に回し蹴りを食らわせるついでに、二人の娘を視界に入れたイリスさんが、困惑気味に叱りつける。


「どうしてって――! 聞けるわけない! いつも私たちのために自分を犠牲にしてくれた母様をこんな形で失ったら、私、きっと一生後悔する!」


「姉様の言う通りです! 母様は勝手です! 少しは守られる方の気持ちにもなってください!」


 姉妹は昂然と、正論なのか暴論なのか分からない言葉で言い返す。


「全くもう、この子たちは――! はあ。でも、まあ、私の子だから頑固なのはしょうがないか。――これは、より一層、負けてあげる訳にはいかなくなっちゃった……わね!」


 イリスさんは不敵に笑って、放つ光の矢が、数体の魔族をまとめて串刺しにする。


 この窮地にあってなお、彼女の動きは精彩を放っていた。


「あの、僕にも何か手伝えることはありませんか。一応、30階層クラスのダンジョンマスターは倒したことがあるので、その程度の敵なら何とかできるかと思うんですが」


 僕は控えめにそう申し出た。


「……部外者のあなたまで巻き込んでしまったの? ごめんなさい」


「タクマは部外者じゃない。私の大切な人」


「あら。そういうことなの? まさか万年草より奥手なテルマが――知らない内に子は育つものね……。――わかった。なら、タクマくんは娘たちと一緒に、村の西部を回って、神樹を汚す別動隊を潰してくれるかしら? そいつらなら、あなたたちでも倒せると思うから」


 イリスさんは何かを得心したかのように頷いて、僕たちに指示を下す。


「了解です! 行こう! 二人とも!」


 僕たちは反転して、イリスさんから離れる。


「行く! リロエ。弓を貸して。あなたはこの里の中ならまだいくらか精霊魔法を使えるでしょう?」


「はい! 姉様!」


 リロエが弓と矢筒をテルマに受け渡す。


 村の西部には、確かにイリスさんの言っていた通り、モンスターが浸食していた。


 美しい神樹に、カメムシを大きくしたようなモンスターが無数に取り付いている。


 寄生された樹は、美しい青色から、紅葉して落ちた葉っぱみたいな黄色へと変色を始めていた。


 いくつかの神樹は、すでに濁った赤褐色になってしまっている。


 あれが乗っ取られるということなのだろうか。


「おほほほほほ! さあ! 食らえ食らえ! 創世の大樹なぞ、滅多にないごちそうぞえ!」


「どこかで聞いたことがある声だな」


 虫をまき散らしながら高笑いする甲虫のような見た目の魔族に、僕は見覚えがあった。


 色がちょっと紫がかっているけど、蟲毒のダンジョンの最下層にいたアレにすごくよく似ている。


「はて。アチキの同胞はらからを知っておるのかえ? ――そなたらがここにおるということは……。ムエエエエエエエエエエエエエエエエ!」


 僕がダンジョンマスターを殺したことを悟ったのか、魔族が激昂して体当たりをしかけてくる。


「あいつ多分、酸に弱いと思うんだけど、そういうのある?」


「任せないさい! ……うん。そうそう。あの腐った湖の酸っぱい水。いける? よし!」


 リロエが瞬時に降らせた、酸の超局地的なゲリラ豪雨。


 僕たちに肉薄しようとしていた魔族が、シュウシュウと煙を立てて溶け始める。


「キョエエエエエエーーー! アチキのアチキの美しいお肌がああああああ!」


「ウインド」


 テルマが矢を放って装甲に傷をつける。


「ソイル 『ソイル』 ソイル 『ソイル』」


 そこに僕は躊躇なく投石をぶち込んだ。


「ヒギャ! ヒャベ! ピュボ!」


「ライトニングボルト」


 原型がなくなるまでグチャグチャにした後、とどめの雷撃を放つ。


「ヒャアアアアアアアア!」


 風切り音にも似た断末魔の悲鳴を上げて、魔族は黒焦げになった。


「ざまあみなさい! 神樹を汚した罰よ!」


 リロエが快哉を叫ぶ。


「それより、現在進行形で神樹に取り付いているあいつらを何とかしないと。火は使っちゃだめかな?」


「神樹は燃えないから大丈夫」


「なら問題ないね――『メイクファイア』 ウインド」


 僕は風と火の魔法を組み合わせた即席の火炎放射で、巨大カメムシを駆除していく。


 ザシュ!


 唐突に背中を貫かれる僕。


「タクマ!」


「ちょっ! あんた! 大丈夫!?」


「ふん。騒がしいと思って来てみれば。エルフの戦士の他にも、我らに抗わんとする愚か者共が残っていたか」


 影に紛れて姿を現したのは、カマキリ型の魔族。


 腕と一体化した鎌に滴る血を眺めながら、そう勝ち誇る。


「それ、幻影だから」


 奇襲を仕掛けてきた魔族の首を、剣で斬り飛ばす。


 張り巡らせておいたイリュージョンレイが役に立ったようだ。


「もう! タクマ! びっくりさせないで!」


「ごめん。戦いながらだと調整が難しくて」


 怒るテルマに僕は軽く頭を下げた。


「まあ無事ならいいわよ。でも、案外こいつら大したことないじゃない!」


 リロエが少しほっとしたように言う。


 油断してはいけないが、確かにこの辺りに出現する魔族はあまり強くはないようだ。


 先ほどの甲虫型も、今のカマキリ型のも、どちらも体感でレベル30~40といったところで、僕でも何とか戦える程度の敵である。


「どんどん行こう!」


「当たり前でしょ!」


 片っ端から神樹を狙うモンスターを片付けていく。


 僕とリロエが大規模魔法でごそっと数を減らした後、テルマが殺し損ねたモンスターにとどめを刺していく。


 魔族の攻撃がイリスさんに集中しているからだろうか、僕たちはあっという間に脅威を無効化していった。


「これで西側は終わり!」


 テルマが仕上げとばかり矢を放つ。


「――不粋で困るなあ。ボクとイリスの晴れ舞台を邪魔しないでよ。雑魚の分際でさあ」


 くらい声がする。


 神樹の陰からぬらりと姿を現し、素手で矢を掴んだ人影――オルゾを、僕たちは真っ向から睨みつけた。

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