第91話 本心

「――姉様! ウチ、母様を追いかけます!」


 リロエがおぼつかない高度で浮き上がる。


「私も! 私も行く!」


「テルマ!」


 僕は駆けだそうとするテルマに駆け寄って、思わずその腕を掴んだ。


「タクマ! 行かなくちゃ! 私は行かなくちゃいけないの! ごめんなさい! ごめんなさい!」


 必死に僕の手を振りほどこうとするテルマ。


「でも――」


 僕はそこで言葉に詰まった。


 『イリスさんはそんなこと望んでいない』


 『行っても足手まといになるだけだ』


 そんな月並な言葉なら、いくらでも思い浮かぶ。


 でも、もし、僕がテルマの立場だとして、死地に向かう母をそのまま放っておくことができるだろうか。


 きっと、今とテルマと同じことをしたんじゃないか?


 そうだと分かっていながら、それでもなお強引に彼女を引き留めるというなら、それはもはやただの僕のわがままだ。


 今動かなければ一生後悔するようなこの状況で、『テルマに無茶して欲しくない』という僕の一方的な気持ちを、彼女に押し付ける権利なんて、ある訳がないじゃないか。


(ああ! もし、僕が心のおもむくままに、彼女についていくことができる立場だったら!)


 僕がテルマについていっても、きっとイリスさんを助けることはできないだろう。


 それでも、テルマの気が済むまで、彼女に寄り添うことはできるはずだ。


 彼女の生還する確率を、10%でも1%でも、上げられるかもしれない。


 でも、今の僕はパーティの一員だ。


 ミリアは貴重なヒーラー職にありながら、僕に義理を感じて、こんな小規模なパーティに加入し続けてくれている。ナージャとレンに至っては、僕の方から誘ってパーティに入ってもらった。


 なのに、当の僕が、いまさら勝手にパーティを抜けるなんて許されるはずがない。


「気をつけてね。……こっちのことは僕たちに任せて」


 だから、僕はテルマの手を離す。


 精一杯の平静を装って、彼女に笑顔を投げかける。


 拳も握り締めないし、唇も噛みしめないし、涙も流さない。


 だって、僕がテルマにとっての、心残りになって欲しくないから。


「タクマ! ありがとう!」


 僕の代わりにテルマの方が、泣きそうにくしゃっと顔を歪めて、リロエの後を追いかける。


「――さあ。先を急ごうか」


 その背中を追わず、僕は進行方向に向き直って、静かに武器を構えた。


「……タクマ。あなたは本当にそれでよろしいんですの?」


 それまでじっと僕たちのやりとりを見守っていたナージャが、やおら口を開く。


「……僕は僕のやるべきことをやるだけだよ」


「ふう。タクマ。意地を張る所が間違ってますわ。常に理性的なのはあなたの美徳ですけれど、たまには、感情に任せて動いてみることも大切ですわよ。あの受付の娘を追いかけたいのでしょう? ワタクシには分かります」


 ナージャは僕の気持ちを見透かしたように言って、肩をすくめる。


 やっぱり、彼女は人をよく見ている。


 人生経験の薄い僕ごときでは、本音を隠し通すのは無理らしい。


「わかった。認めるよ。確かに僕はテルマを追いかけたいと思ってる。でも、実際問題、このまま戦闘能力のない里の人たちを、モンスターがうようよいる森に放置していく訳にもいかないだろう?」


「そんなのは追いかけない理由にはなりませんわ。多少きつくはなりますけど、今までの道中の感触では、ここの森に出現する程度のモンスターなら、ワタクシたちだけでも何とか対処できる範囲です。ですわよね? 皆さん」


 ナージャは同意を求めるように、レンとミリアを見遣った。


「はい。私としては、正直、タクマさんに危ないことはして欲しくないです。でも、テルマさんを放っておけない気持ちもすごくよく分かるので……。とにかく、タクマさんのしたいようにしてください! 私は回復を頑張ります! もしタクマさんが抜けると、前衛のレンさんにはかなり負担をかけてしまうかもですけど」


 ミリアが心配と困惑と決意と、表情を目まぐるしく変化させながら呟いた。


「お気に召されるな。弱き者を守るが侠の道にござる。全ては主命のままに」


 レンが飄々と頷く。


「……みんな。ありがとう」


 ああ。


 本当に僕はいい仲間を持った。


 心からそう思う。


「えへへ。どういたしまして」


 ミリアが照れたように頬を掻く。


「主、ご武運を」


 レンが双剣を火打石のように擦り合わせて言った。


「ふんっ。勘違いしないでくださる? 他の方は知りませんけれど、ワタクシは報酬なしには働きませんのよ。ただ、タクマに作った借りを返す良い機会だったので、利用させてもらっただけのことですわ!」


 ナージャがツンっと鼻をそらしてうそぶく。


「うん。じゃあ、そういうことでよろしく頼むよ。――行ってくる!」


 僕は素直な二人と素直じゃない一人にそう笑いかけ、踵を返す。


 一目散に追いかけるのは、もちろんテルマだ。


 振り返る必要はない。


 なぜなら僕は、彼女たちを信頼しているから。


 『身体強化』をして、森の中を駆け抜ける。


 黒い靄に突入した瞬間、得体のしれない圧迫感が僕を襲った。


 思ったよりも視界は確保されているが、何だか少し息苦しい。


 その居心地の悪さは、里の方に近づくにつれて、徐々にひどくなっていくみたいだ。


 でも、この程度で臆してはられない。


 僕は自分を奮い立たせるようにスピードを上げる。


 幸い冒険者ではないテルマにはすぐ追いつくことができた。


 その傍らにいるリロエも、精霊の力を失ったのか、今は徒歩になっていた。


「KIKIKIKIKIKIKI!」


「KIKIKIKIKIKIKI!」


「KIKIKIKIKIKIKI!」


「KIKIKIKIKIKIKI!」


 見たことのない三つ目の蝙蝠型のモンスターの群れが、二人にたかっている。


「くっ! 邪魔よ!」


「ウインド!」


 リロエは弓で、テルマは魔法で応戦しているが、情勢は芳しくないようだ。


「エクスプロージョン! 」


 僕は二人を巻き込まないようにちょっと上めに魔法を放つ。


 群れの八割方が消失した。


「何!?」


 リロエがこちらを振り向く。


「この声は――」


 テルマが目を見開く。


「『ソイル』《ソイル》 大丈夫?」


 残った敵を投石で処理しながら、二人に話しかけた。


「やっぱり、タクマ! どうして来たの! あなたまで私に付き合う必要はない!」


 テルマは一瞬嬉しそうに頬を緩ませた後、咎めるような視線を僕にぶつけてきた。


「必要あるとかないとか関係ない! 僕は来たかったからきたんだ!」


 開き直って叫ぶ。


 仲間が無理をしてまで僕を応援してくれたのだ。


 もう理屈はいらない。


「あんた、中々見所あるじゃない! さすがお姉様が見出した冒険者だけはあるわね!」


 リロエが破顔した。


「とにかく急ぐよ!」


 僕は二人の先頭に立ち、道を駆け抜ける。


 往路ですでに切り開いた道だから、通行に支障はない。


 それよりも気になるのは――


「何か森の様子が変わってる?」


 水色の水玉のついた巨大キノコは髑髏の形となり、極彩色の猿の目玉が赤く血走る。


 どこからか漂ってくる甘い匂いは、腐臭にとって代わった。


 前はへんてこながらもどこか愛嬌のあった森が、どんどん禍々しくなっていく。


「周辺が魔界化し始めている!」


 テルマが危機感を募らせて叫んだ。


「今は創造神様の御力で何とかこの程度で済んでるけど、もし神樹様が奴らに乗っ取られたら、シャレにならないわよ!」


 リロエはそう叫ぶと、凶暴化して襲い掛かってきた猿を弓で撃ち落とす。


 どんどん強くなってくるモンスター。


 まだ僕でも何とか戦える範囲だが、今でもレベル30クラスはあるのではないだろうか。


 雑魚でこれなら、本物の魔族はどれほど強いというのか。


 蟲毒のダンジョンに出たような奴が、群れ単位で襲ってくるのか?


 とそんな懸念を抱いた次の瞬間――


「息苦しさがちょっと楽になった?」


 肩の重荷が取れたような感覚に、僕は首を傾げる。


「里に入ったから! まだ結界の力が残っている!」


 テルマが僕の疑問に答えて頷く。


「姉様! 向こうから母様の使役している精霊の気配がします!」


 リロエが、里の東側の一画を指さして叫んだ。


「早く行かないと! タクマ。あなたには悪いけれど、ここまで来たなら最後まで付き合ってもらう」


 テルマが僕を見つめて呟く。


 それはいつも遠慮がちなテルマが僕に初めて見せた『甘え』。


「うん。いいよ。だって僕はそのために来たんだから」


 快く頷く。


 もしこれが単なるビジネス上の関係なら、絶対にテルマは僕を頼ったりはしなかったはずだ。


 つまり、それは彼女が僕を本当の家族同然に思ってくれてるということ。


 こんな状況だというのに、その事実が、今の僕には素直に嬉しく思えるのだった。

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