第90話 理由
「ライトニングボルト 《ライトニングボルト》」
よそ見をしたオルゾに、僕は躊躇なく雷撃を放つ。
「それが魔法かい? 無駄だよ! 無駄無駄無駄! 本当の魔法は、こうやるのさ!」
指揮者のように腕を振るうオルゾ。
僕は横に跳ぶ。
瞬間、きらめく光の渦。
速い!
「させないわ!」
イリスさんが咄嗟に風のバリアを張って皆を守る。
僕の放ったライトニングボルトが光線だとすれば、オルゾのそれはもはや濁流だった。
イリスさんの精霊魔法は大したものだったが、それでもオルゾの攻撃を正面から相殺することができず、反射させて角度をずらすのが精一杯のようだ。
側撃雷を受けた神樹が、幹ごと吹き飛ぶ。
もしあれの直撃を受けていたら、僕は間違いなく即死していただろう。
「さすがはボクのイリス! 君は世界一、強くて美しい。だけど、どこまで持つかな? ボクは地獄の中心で、高みの見物をさせてもらうよ」
オルゾはそう言うと、黒い霧のただ中へと飛び去る。
「待ちなさい!」
「エクスプロージョン!」
イリスさんや僕は咄嗟に追撃の魔法を放つが、オルゾはこちらを振り向くこともなくそれを弾いた。
「ああ! なんということじゃ! もうおしまいじゃ! 創造神様! どうかワシらをお助けくだされ!」
長老が膝から崩れ落ち、神樹を拝み伏す。
「……諦めるのは早うござらぬか。エルフはいずれも一騎当千の強者と聞き及んでおりまする。ダンジョン内ならばいざしらず、地上に出てきた輩ぐらい力を合わせれば撃退できるとは考えませぬのか?」
レンが叱咤するように言う。
「無理じゃ! 古代ならいざしらず、今の里の者は、鳥すら殺したことのない者もいる。血の気にはやる若者でも、せいぜい森を荒らす密猟者を追い払うことぐらいしかしてこなかったというのに、あんな恐ろしい魔族を相手どるなど、とてもとても……」
長老は全身を振るわせて、首を横に振る。
「そうだ! それに、里一番の強者たちはすでに殺されたんだぞ! 皆動揺してとてもまともに戦えるような状況じゃない!」
報告に来た別の村人が悲壮な声で叫んだ。
「対抗する手段がないとおっしゃるなら、ひとまず里を放棄して撤退する他ないのではなくて?」
ナージャが警戒するように周囲に視線を配りつつ、冷静な意見を述べる。
「う、うむ! そうじゃ! そなたたち、今すぐワシの名で触れを出して、村の者を集めてきてくれ! 皆で力を合わせて森を出る!」
長老はまだ動揺を隠しきれないながらも、精一杯振り絞るような声でイリスさんたちにそう命令を下す。
「わかりました!」
「はい!」
「任せて!」
エルフの三人が全速力で村中を飛び回り始める。
「私もお手伝いします」
テルマも、地上を必死に駆けまわって、家々の樹を叩いて住民を呼び出し始めた。
「タクマさん。私たちは……?」
「うん。逃げよう。急いで準備をして」
ミリアの窺うような視線に、僕は即座に頷いた。
戦力の差は明らかだ。
今の僕たちでは逆立ちしても敵わない。
エルフは空を飛べるからいいかもしれないけど、僕たちはそうもいかないし、逃げるなら一刻も早い方がいい。
「是非もなし、でござるな……」
レンが悔しそうに歯噛みする。
「いざという時のために、結界の外の森には、いくつかトラップを仕込んでおきましたわ。まあ、魔族相手には無駄でしょうけれど、気休めくらいにはなるのではなくて?」
「さすがだね」
僕たちは寝起きさせて貰っていた洞に直行し、最低限の携行食だけ持ち出す。
テルマたちと合流しようと里の中心に戻ると、すでにそこにはたくさんのエルフが集まっていた。
「長老! 一体、俺たちはこれからどうすれば!」
「私は生まれてからこの方、里の外に出たことがないのです!」
「今はどうすることもできぬ。じゃが、ワシらは里を諦める訳ではない。山向こうのエルフや、丘に住む遠類もおる。ワシたちと人間たちの国の関係は良いとは言えぬが、彼の者たちもこのまま魔族が地上に跋扈するのを許してはおかぬはずじゃ。必ず援軍は得られよう」
長老は浮足立つ皆を鎮めるように語り掛ける。
きっと彼自身、自分の言葉がただの希望的観測に過ぎないことは分かっているのだろう。
それでも、責任ある立場として、言わざるを得ないのだ。
「ああ! まさかこんな日が来るなんて! エルフの里は世界の最後の日まで滅びないと信じていたのに!」
「くそっ! そもそも外の奴らを招き入れるからこんなことになるんだ!」
「いいえ! ペスコが乱暴なやり方をしたからでしょう! 私たちが意思を統一してまとまった報酬を用意して、非森の英雄を招聘していればこんなことには――」
言い争いをする男女。
「犯人捜しをしている場合かい! 今は生き延びる方が大切さ。さあ! 坊や! 飛ぶよ」
そばかすが濃い中年のエルフ女性が二人をたしなめて、子どもの手を引く。
「……飛べないよ」
しかし、子どもはそう呟いて、地べたにしゃがみこんでしまった。
「坊や。怖いのかい? 大丈夫。お母さんが手を繋いでいてあげるから」
「ち、違う。そうじゃないの。お友達の風の精霊さん。どっかに行っちゃった。だから飛べないの」
子どもが半べそをかきながら呟く。
「私も飛べないよ」
「火の精霊さんも逃げちゃった」
子どもたちが、次々とそう告白する。
「どういうことですの?」
「精霊は穢れに敏感だから、魔族とかアンデッドが地上に出てきて逃げ出しちゃうのは分かるんだけど、でも、いくらなんでもこんなに早く減るなんて――あっ! もしかしたら、魔族が大量にやってきたせいで、森に潜んでいたモンスターが活性化して、汚染の区域が急速に広がっちゃってるのかも!」
首を傾げるナージャに、リロエがはっとした顔をして言う。
「テルマ。精霊を失ったエルフは、どれくらい戦える?」
「……おそらく、マニスにいる市井の非冒険者と変わらないくらいしか」
テルマが深刻そうな表情で答える。
「ええい! 子どもの一人や二人! 大人たちで抱えりゃなんとかなるさ!」
「無理だろ! ただでさえペスコたちがダンジョンに潜る時に強い精霊を連れていっちまったばっかりだし、神樹様がやられて俺たちの力も弱まってるんだぞ!」
「もうよい! このままでは皆滅びてしまう! 逃げられる者は先に逃げるのじゃ! 振り返るな!」
長老は喧々諤々の議論を打ち切って、そう厳しい決断を口にした。
すでに村の半分は黒い靄に呑み込まれつつある。
タイムリミットはすぐそこまで迫っていた。
「くっ。必ず救援を呼んで戻ってくるからな!」
「ごめんなさい!」
村の内の半分――主に働き盛りの壮健なエルフたちが、ふらふらと飛翔して結界の外へと出て行く。
必然的に後に残されるのは、弱い者たちだ。
イリスさんとリロエはそのまま残った。
おそらく二人の実力的には逃げられるのではないかと思うのだが、やはりテルマを置いてはいけないのだろう。
「僕たちが先行してモンスターの露払いをします。――でも、いざとなったら自分たちの身を優先すると思います。すみません」
僕は長老にそう断りをいれつつ、スマホのミュージックアプリを起動し、『愉曲』のスキルを発動して、集団の素早さを向上させる。
魔族には敵わないが、僕たちでも道中に立ちふさがるモンスターくらいは対処できるだろう。
「部外者のそなたたちに命を賭けよなどとは到底言えぬ。十分にありがたい」
長老が重々しく頷いた。
こうして、僕たちは黒い靄に背を向けて走り出す。
リロエが僕たちを先導する。
ナージャは森の葉陰に潜む敵を、漏らすところなく見つけ出した。
地上の敵は僕が殺す。
樹上は、身軽に枝と枝との間を飛び回れるレンの担当だ。
ミリアは急ぎの道中で怪我をした村人たちを治してあげている。
最後尾にはイリスさんがフォローについたようだ。
モンスターを斬り捨て、ハメ殺し、道中に立ちはだかる鬱陶しい蔦は、まとめて爆散させる。
僕も魔法が使えなくなるのではないかと心配だったが、こういう時は『残りカス』でも発動できる人間の魔法はしぶとい。
「だめ! このままじゃ間に合わない!」
半日程経った頃、リロエが叫んだ。
本来森はエルフのホームグラウンドのはずなのだが、みんな精霊に頼った移動に慣れ切ってしまっているせいか、徒歩の移動では地の利を十分に活かせないようだ。
既に黒いもやは僕たちの数十歩手前へと迫っていた。
「ふう。……仕方ないわね。こうなったら私が里の方向に戻って敵を食い止めて、時間を稼ぎます」
イリスさんは大きく深呼吸一つして、決然とそう言い放つ。
「母様!?」
「何を馬鹿なことを言ってるの!?」
リロエとテルマが信じられないものでも見たかのように大きく目を見開いた。
「今この中で、まともにオルゾや魔族の相手をできるのは私だけよ。だから私が行くの」
イリスさんは一切ブレのない声で続ける。
その表情は、昔の冒険者時代を思わせるような、母ではない戦士の雄々しさを秘めていた。
「どうして母様がそこまでしなくちゃいけないの!? この人たちの中には母様にひどいを言った人たちもいるのに!」
テルマが今まで僕が見たことないくらいに感情を爆発させる。
村人たちの何人かが、気まずそうに視線を逸らした。
「テルマ。あなたには私のせいで色々辛い思いをさせたわね。だけどね。テルマ。勝手に村を出て、子連れで出戻った私を、里のみんなは追い出さなかったのよ。だから、私はあなたを捨て子にせずに、自分の手で育てられた。そのことに、私は感謝しているの」
「母様! 感謝なら、今じゃなくても返せます! 森の外のことを知っている母様は、これからのみんなに絶対に必要な人です!」
リロエが懇願するように言った。
「――いい? 二人とも。よく聞いて。私の最初の夫は、魔族の奇襲で滅びそうになった村を守るために死んだわ。二番目の夫は、流行り病を治すための薬を見つけ出す代わりに、自分が病気になって逝ってしまった。二人とも、その時に自分のやらなければいけない最大限のことから、絶対に逃げなかったの。だから、次は私の番。そして、私の命はあなたたちが継ぐの。生きるって、そういうことなのよ」
イリスさんはそう言ってほほ笑むと、テルマとリロエを抱き寄せて、その頬にきつく口付ける。
それから、そっと二人を放して、脇目も振らずに元来た方向へと飛んで行くのだった。
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