第89話 妄執

「はあ。はあ。結局、どうなったんでしょうか」


 ミリアが走りながら、息を切らして呟く。


「さあ。でも、里のご婦人の話によると、まだダンジョンは崩壊してないそうですわよ」


 ナージャが涼しい顔で答える。


「私もご一緒していいかしら」


 空から飛んできたイリスさんが僕たちに合流する。


「母様もいらっしゃるんですか?」


「ええ。私も先ほど長老から遣いがきたのよ」


 テルマの疑問にイリスさんが頷く。


「ということは、長老は母様に葬送の儀を?」


「多分そうでしょうね」


 リロエとイリスさんが納得したように頷き合う。


「とにかく、急ごう」


 僕たちは足を速めて進み、やがて長老の住まう樹へとたどり着く。


 家の前には、すでに長老とペスコがいて、何やら話し込んでいた。


 前にみた他の4人のエルフや、戦闘奴隷たちの姿は見当たらない。


「ふん。来たか」


 ペスコは鼻を鳴らす。


 その手には、エルフの生首が一つ。


 エルフにしては不細工――という訳ではないが、鷲鼻が異常に肥大した、戯画化された魔女にも似た顔をしている。あれが例の魔族堕ちしたというオルゾの亡骸か。


 魔法で冷凍されて運ばれたのだろうか。唇が紫に変色していた。


「イリス。見ての通りじゃ。オルゾは死んだ。こやつは決して許されぬ間違いを犯したが、死ねば皆ひとしく森に還るがエルフの定め。色々思うところもあるじゃろうが、オルゾは独り身じゃ。ここは里の掟に従って、あやつが一番、親しく思っておったお前の手で、亡骸を神樹様の下に葬ってやってはくれぬか」


 長老が哀切を訴えるような声でイリスさんに語り掛ける。


「はい。承りました」


 イリスさんは淡々と頷いて、オルゾの生首を受けとろうとペスコに近づいていく。


「……ご苦労様ね」


「さっさと持っていけ」


 二人は目を合わさず、言葉を交わす。


 イリスさんの伸ばした手が生首に触れる――その直前。


「離れてください! その人はアンデッドです! 『レクイエム』!」


 何かを疑うようにじっとペスコを見つめていたミリアが、唐突に叫ぶ。


「――っ」


 イリスさんが咄嗟に後ろに跳んだ。


 ミリアの詠唱と共に出現した光の輪がペスコに向かって放たれる。


 しかし、それより数瞬早く、ペスコは生首を投げ捨てて飛翔していた。


「おっと。危ない危ない。なるべく魂の気配が漏れないようにしていたのに、バレてしまったか。低レベルのヒーラーとはいえ侮れないものだね。それとも、ボクのイリスへの愛が強すぎて抑えきれなかったせいかな?」


 神樹の天辺てっぺんへと着地したペスコが悠然と呟く。


 いや、彼は本当にペスコなのか?


 口調や態度がまるで別人のようだ。


「……その喋り方、まさかオルゾ? オルゾなの!?」


 イリスさんが目を見開く。


「そうだよ。さすがはイリスだね。ボクのことは何でもお見通しだ!」


 ペスコ――ペスコの身体を持ったオルゾは、狂気に満ちた笑みを浮かべ、両腕を広げる。


「なんじゃと!? まさか! 同族の魂を汚すなど、そのような恐ろしいことを……」


 長老が身体を震わせる。


「ええ!? それじゃあ本当のペスコは――」


「……もう死んでる」


 リロエとテルマがお互いを庇い合うように身を寄せ合った。


「要するに、『ゾンビ狩りがゾンビに』というやつですの?」


 ナージャがレイピアを構えながら呟く。


「ゾンビだなんて、不粋な表現はやめて欲しいな。ペスコのような力を持ったエルフの死体を、綺麗なまま確保するのは中々大変だったんだから」


 オルゾは肩をすくめて吐き捨てた。


「――なぜこんなことをしたの?」


「なぜ? なぜって、君のために決まってるじゃないか! ペスコは君をいじめて、根も葉もない噂を振りまいていた諸悪の根源だ。だからボクが殺してあげたんだよ。それに、こいつは見た目だけは悪くないから一石二鳥だろ? ボクはようやく手に入れたって訳だ。イリス。君にふさわしい肉体を」


 オルゾは高揚を隠し切れないまま、さも当然のように独白する。


「ごめんなさい。私にはあなたの言っていることが花びらの一片ひとひらほども理解できないわ」


 イリスさんが明確な拒絶の意思を露わにして、オルゾを睨みつける。


「イリスこそ何を言ってるんだい? 君の一番目の夫は、人間の英雄だった。君はその強さに惹かれたんだろう? なら、まずその点はクリアだ。ただの人間の英雄より、エルフの強者であるペスコの身体の方が強いに決まってるから。君の二番目の夫は、病弱なエルフだった。奴は頭が良くて薬草学に優れてはいたけれど、それはボクだって同じ。ボクが奴に負けていた所といえば、顔くらいだ。でも、今のボクはご覧の通りの男前さ。これでもう一つの問題もクリアだ。ほら。これでもう君がボクを拒む理由はなくなった。そうだろう?」


 まるで数学の公式を埋めるかのように、オルゾは偏執的な愛の理屈を並べ立てる。


「――拒む理由はあるわ。私が伴侶に求める条件は、ただ一つだけ。娘たちを大切にしてくれるかどうか。あなたは決して悪い人じゃなかったけれど、人の親となるには幼過ぎたのよ。オルゾ」


 イリスさんはオルゾを憐れむような視線で見遣る。


「娘? 子どもなんて、これからいくらでも作れるじゃないか! ボクたちがこれから何百年の時を生きると思ってるんだい? おかしい! そんなの理由にならないよ! 結局、君はボクに優しくするフリをして、心の中では馬鹿にしてたんだ! なら! 初めから放っておいて欲しかった! こんな気持ち、知らない方が幸せだった!」


 オルゾが悲痛な叫びを上げる。


 魔族墜ちした影響なのか、それとも元来の性格なのか、彼は情緒が不安定なようだ。


「黙って聞いていれば、勝手なことぬかすんじゃないわよ変態! あんたがいっつも陰気で引き籠りでみんなと打ち解けられずに寂しそうだったから、母様が気を遣って食事に誘ってあげたんでしょう!? それを逆恨みして――」


「やめなさい。リロエ。――確かに、オルゾの言うことにも一理あるわ。あなたを勘違いさせるような行動をしたのは、私の過ちだった。心から謝罪するわ。だから、もうこんな里のみんなと、あなた自身を貶めるようなことはやめて」


 イリスさんは抗議、深々と頭を下げた。


 僕はイリスさんのことをまだよく知らない。


 でも、娘のテルマを通して彼女を推し量ることが許されるのだとすれば、きっとイリスさんは優しすぎたのだろう。


「うるさい! うるさいうるさいうるさい! 許さない。許せないよ。イリス。ボクは君を諦めない。君がボクを拒絶するなら、ボクは君の全てを破壊する。娘も、この腐った里も、世界すらもブチ壊して、ボク以外に頼る者がいなくなったら、君はボクを愛さざるを得ないはずさ! ははははは! ははははは!」


 オルゾの哄笑が里中に響き渡る。


 全てを呪うかのようなその不気味な声に、僕は鳥肌が立った。


「オルゾ。あなたはもうそこまで……」


 イリスさんが、取り返しのつかない現実を前に、悲しげに瞑目する。


「そんなことさせません! 皆さん! 協力してあの人を足止めしてください! アンデッドなら、格上でも私は浄化できます!」


 ミリアが杖を構えて意気込む。


「ふふふ。勇ましいね! 小っちゃなドワーフさん。でも、アンデッドだけがボクの戦力だと思うのは、余りにも浅慮だよ? そもそも、ボクがどうやってペスコたちを倒したと思うんだい? 魔族成りして力を得たとはいえ、日頃から戦闘の訓練を積んでいたペスコたち5人を相手に、文弱のボクが勝てるはずがないのに――そろそろかな」


 オルゾが卑屈に笑って言う。


「ちょ、長老! ダンジョンから魔族が、魔族が溢れ出してきます!」


 まさにタイミングを見計らったかのように、村人の一人が駆け込んでくる。


「なんじゃと!? そんな馬鹿な!」


「まさか。ダンジョンに魔界との直通チャネルを――」


 テルマは彼女自身が口にした推測を恐れるように口を噤んだ。


「そこの半人は気がついたみたいだね。ペスコの奴がボクのダンジョンに奴隷を連れてきてくれていて、ちょうどよかったよ――というか、まあ、それはボクの計算通りだから当然なんだけど」


「ペスコが戦闘奴隷から追い出した魂を悪用したわね。ペスコへの憎しみを煽り立てて、復讐のために魂を魔族に捧げるように促した。召喚の代償にしたんだわ」


 イリスさんが軽蔑したように言った。


 その瞳に、もはや同情の色はない。


「さすがはボクのイリス。理解が早くて助かるよ。ともかく、激しい憎しみに染まった10の魂に、さらにおかわりで強力なエルフの魂が5つ。にえとしては十分だ。おまけに、どうも魔族たちが大盤振る舞いしてくれたみたいでね。すごいのがゴロゴロ出たよ。ほら、なんせ、この里は、創造神の御膝下の重要拠点だから。魔族たちも壊したくて壊したくてしょうがないんじゃないかな」


 オルゾはどこか他人事のようにそう言って、東の空を見遣る。


 まるで昼を夜に塗り替えるかのような黒い瘴気が、僕たちに迫りつつあった。

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