第88話 のほほん滞在記
それから一週間ほど、僕たちはエルフの里で思い思いの時を過ごした。
レンはめったにない修練の機会だからと、結界の外を走り回り、たまに僕たちのタンパク源の確保のために鳥を狩ってきてくれたりした。
ミリアは、エルフ謹製の木の実を発酵させた酒があるとイリスさんから聞いて、何とかそれを手に入れようとしていた。でも、エルフは嗜好品を含めて贅沢を忌む風潮があるので大っぴらには酒を造ってないことになっており、中々発見は困難らしい。
ナージャは退屈そうに、自然の材料を作ってアクセサリーを作ったりしていた。
かくいう僕も、手慰みにイリスさんから借りた笛をテルマと一緒に吹いたりして、呑気に時を過ごしている。
未だ村人の多くは僕たちに対してよそよそしかったが、好奇心旺盛な子どもが近寄ってくる程度には打ち解けてきたようには思う。
エルフの子どももやはり皆美形だが、容姿が整い過ぎててある種、性別を超越した神々しさがある。
幼い内は身体の凹凸もないので、みんな中性的で、男女の区別がつかない。
村の外れの切り株に腰かけて、僕はそんな子どもたちと、今日も戯れる。
「お兄ちゃん! 色んな曲を知っていてすごいね!」
僕がスマホに入っていた曲をランダム再生で聞かせてあげると、エルフの子どもたちは無邪気に手を叩いて喜ぶ。
「僕じゃなくてこの宝具がね」
僕はスマホをポケットにしまって微笑する。
「ふーん。そういえば、お兄ちゃん、笛を吹くのは下手だもんね。私の方がずっと上手いよ!」
エルフの子どもの一人が、僕に見せびらかすように笛を吹き始めた。
「私も!」
「私も吹く!」
張り合うように他の子も笛を吹き始め、素敵なアンサンブルが森に木霊した。
子どもも含め、エルフは皆、楽器の演奏に秀でていた。
イリスさんの話によれば、古代、エルフが魔族との戦闘を繰り広げていた時代、様々な種族が入り乱れる軍団の指揮をする際の、命令手段として軍楽の修練が、今のエルフの音楽好きの原因らしい。
共通言語が開発されるまでは、種族ごとに使用する言語も異なっていたため、音楽で指示する方が手っ取り早く、複雑な指示に合わせて多彩な音色を使い分ける必要があった。
それ故に、楽器が上手い=指揮官として優秀ということになり、エルフの間で音楽技術が尊ばれるようになったのだという。
もっとも、今はそれも形骸化し、単に趣味として音楽を嗜む者がほとんどなのだそうだが。
「みんな。上手いね」
今度は僕がエルフの子どもたちに手を叩く番だった。
「お兄ちゃんも吹いて! 吹いて!」
「いや、やめとくよ。僕の本業は冒険者だから。冒険者はね。負ける戦いはしないんだ」
袖を引くエルフの子に、僕はそう嘯いた。
「ずるーい」
「適材適所だよ。どうしてもっていうなら、テルマが吹くから」
「……がんばる」
僕から水を向けられたテルマが、笛の音を奏でる。
「まあまあかな。テルマは、昔に比べて下手になったね。里にいた頃はもっと上手かったのに」
子どもの一人が、大人ぶった口調で言った。
「私はここしばらく不精していたから腕が落ちた」
テルマは苦笑した。
「でも、音が優しくなったよ」
「うん。いい音になった」
別の子どもが擁護するように言った。
一部の大人たちからは差別的な扱いを受けているテルマだったが、総じて子どもには好かれていた。
やはり、差別というものは、生まれつきではなく学習するものなのだと思い知らされる。
「――さて。音楽会はこれくらいにして、今日もダンジョンに行ったエルフのお兄さんたちがどうしているか教えてくれるかな」
演奏会も一段落した頃、僕はやおらそう切り出した。
別に打算で子どもと戯れている訳ではないのだが、情報収集を怠る訳にはいかない。
「昨日の昼、私の友達の風の精霊は、もうすぐ、ペスコたちは悪いエルフがいるダンジョンの奥に辿りつくんだって歌ってたよ」
「ううん。昨日の夜、土の精霊が言ってたよ。もう悪いエルフは倒したんだって」
「もう戻ってくるよ。今朝、火の精霊が、『熱いもの』が近づいてきてるって言ってたもん」
エルフの子どもたちが、顔を見合わせて囁き合う。
「なるほど。よくわかったよ。ありがとう」
僕は子どもたちにお礼を言って、それぞれの頭を撫でた。
「ねえ、ナデナデよりご褒美は?
」
「あれちょうだい!」
「しょっぱいの欲しい!」
子どもたちが、目を輝かせて、シュロのような尖った葉を編んで作った小箱を差し出してくる。
「じゃあ、ちょっとだけね」
僕は懐から小瓶を取り出して、その器に白い粉を注いでいく。
住民に特に喜ばれる贈り物は、塩だった。
事前にテルマとリロエが言っていた通り、森林部では塩分が貴重なのだそうだ。
幸いマニスは海が近いので塩は安いため、多めに買ってきておいて正解だった。
ちなみに、塩を節約しているせいもあってか、エルフの料理は基本的に味が薄い、精進料理に近いものだった。
「わーい。お母さんに芋のスープにしてもらおーっと」
「私はお団子!」
「クッキーの方がおいしいよ!」
子どもたちは塩の入った小箱を大事そうに抱えて、それぞれの家へと飛んで戻っていく。
「……もうすぐ、ダンジョンが攻略されるみたいだね」
そんな子どもたちの背中を見送りながら、僕はぽつりと呟く。
「うん。よかった」
テルマがほっとしたように頷く。
その言葉には、『里が安全になってよかった』以上の何かが含まれている気がした。
「もしかして、早くマニスに帰りたいとか思ってる?」
僕はテルマの気持ちを推し量るように問うた。
「かもしれない」
テルマは曖昧に頷く。
「里にいるのは、気まずい?」
「気まずい、というよりは、申し訳ないと思う。私はちゃんとしたエルフみたいにできないから、どうしても、母やリロエに肩身の狭い思いをさせてしまう。それが心苦しい」
テルマはどの穴も押さえず、意味もなく笛を吹いた。
ピュ―っと間抜けな音が漏れる。
「だから、里を出たの?」
「……それもある。でも、私の父が冒険した世界を見てみたかった。それも確か」
テルマが遥か遠い蒼穹を仰いだ。
「そっか。えらいね」
「えらくない。そもそも、私がいなければ、きっとリロエが危険な旅をするような立場に追い込まれることもなかった。例え父と母が恋仲であったとしても、私という証拠さえ生まれなければ、母は里に戻って少しはねっ返りなだけの普通のエルフとして、普通にリロエを育てることができた。だから、私の存在は母とリロエにとっては迷惑なだけ」
俯くテルマ。
「それは違うよ。絶対に違う」
僕は強めの口調で、テルマの言葉を否定する。
「タクマ……」
「ごめん。僕も結局母には迷惑かけっぱなしで、何も返せなかったんだ。それでも、僕の存在が母にとって迷惑なだけだったなんて、僕は思いたくない。その。これ以上、上手く言えないけど」
「……ありがとう。私がどういう存在であれ、選んだ道は後悔していない。辛いこともたくさんあったけど、生きていたから、こうしてタクマに出会えた」
テルマが微笑む。
「うん。僕もテルマに出会えてよかったよ」
恥ずかしいような嬉しいようなむずがゆい気持ちを持て余しながら、僕は頬を掻いた。
「あの! タクマ!」
「は、はい!」
テルマにガッと肩を掴まれ、僕は思わず背筋を正す。
「わ、私は、タクマのことが――」
「姉様! ……とタクマ! 大変です! ペスコが戻ってきました!」
テルマが何か言いかけた所で、里の東側から爆速でこちらに飛んできたリロエが叫ぶ。
「とりあえず落ち着いて。ペスコが帰還したなら、ダンジョンの攻略に成功したか、もし失敗していてもタクマたちに手番が回ってくるだけのこと。そんなに焦る必要がある事案?」
表情を仕事モードに切り替えたテルマが、リロエの肩に優しく手を置いて尋ねる。
「それが……、なんだか分からないんですけど、精霊がひどく混乱してて――。とにかく、ペスコは長老の家に向かってるみたいですから急いでください!」
リロエがもどかしそうに必死で言葉を繰る。
彼女自身考えを整理する余裕すらなかったようだ。
「行こうか」
「行く」
僕とテルマは頷き合って、切り株から立ち上がる。
それから他の仲間にも声をかけると、僕たちは長老の住む樹へと走った。
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