第84話 エルフの里へ

 ナージャの一件にはひやひやさせられたものの、それ以外はさしたるトラブルもなく、僕たちの航海は至って穏やかなものだった。


 ある意味で休暇のような、長いようで短かい船旅は三週間ちょいで終わり、豪華客船はついに目的地――アルナジャーブの港へと入った。


 マニスでは冬だったがこちらは逆に夏で、ギラつく太陽が僕たちを熱く照らしている。


 所定の手続きを終えた僕たちは、船から降りて、土埃混じりの熱気を胸いっぱいに吸い込む。


「おー、ここがアルナジャーブですか」


 ミリアが物珍しそうに周囲を見渡して言った。


「日焼けしそうで美容にはあまりよろしくはなさそうな国ですわね」


 ナージャは、道行く浅黒い肌の人々を見遣って言う。


 種族にもよるが、特に人間は強い日差しから身を守るためか、肌を覆う服装をしている人間が多い。


 マニスをヨーロッパ風とするなら、こちらはどちらかといえばアラビア風のイメージな街だ。


「そういえば、マニスの冬至の祭りみたいに、アルナジャーブでも何か大きなイベントをやってるの?」


「……奴隷市」


 僕の疑問に、テルマが答えにくそうに呟く。


「えっ。この国では奴隷制度が認められているの?」


「基本的には認められていない。けど、戦闘奴隷は例外」


「――そうなんだ」


 僕も何となくテンションが下がり、低いトーンになる。


「もう。非森の民は野蛮で困っちゃうわ!」


 リロエが呆れたように鼻を鳴らす。


「この地域は古くから魔族との戦いの最前線に立たされている故、綺麗ごとだけでは立ち行かぬ事情がござる。加えて、戦闘奴隷はその名に比して、必ずしも劣悪な待遇に置かれているとは限りませぬ。実力のある戦闘奴隷の中には、一般市民よりも裕福な暮らしをしている者もおりまする故」


 レンが冷徹に目を細めて言う。


 確か地球の世界史でもそんな事例があったな。


 マムルークだっけ。


「そうなんだ。あまり長居はしたくないかな……。渡りはついているんだよね?」


「問題ない。私が事前にこちらの冒険者ギルドと、ミルト商会の支部に話を通してある」


 テルマが頷く。


 食料や細々とした必要物資を街で買い込むと、僕たちは用意されていたホーシィの引く客車に乗って、陸路で南に向かう。


 そこからさらに三週間。


 トウモロコシにも似た、粉末のお粥にも飽きてきた頃、僕たちは辺境の村に辿り着いた。


 周辺に広がるのは、森――というよりジャングルと形容する方がしっくりくる熱帯雨林だった。


 エルフと言うと、どことなく北欧やカナダの針葉樹林っぽいとこに住んでそうなイメージだったが、むしろ真逆のアマゾンのイメージに近い。


 こういう場所で生まれ育ったなら、初対面の時のリロエの服が薄着だったのも今なら納得だ。


「あああああああー! やっと帰ってこられたあああああああ!」


 水を得た魚のごとく――森を得たエルフのリロエが全身で森を感じようと両手を広げる。


「ひっ。なんですのここは! いちいち虫が大き過ぎじゃないですの!?」


 ナージャは飛び交う大きめの羽虫を嫌がって、腰の携帯用の香炉に火をつける。


「おいしい果物が取れそうなところですね。かなり蒸し暑いですし、あまりひどいようならプリファイベールを使って涼しくした方がいいですかね」


 ミリアが手でパタパタと自分を仰ぐ。


「心頭滅却すれば火もまた涼しと申しまする」


 もふもふしているレンは相当熱がこもってそうだが、日頃の鍛錬の賜物か涼しい顔をしていた。


「ここからはまた舟で移動ってことでいいんだよね」


「河を上る。私とリロエが船頭をする」


 僕の確認に、テルマが頷く。


 村で用意してもらったのは、カヌーにも似たオール付きの小舟二艘。


 それに、僕たちは分かれて乗り込む。


「みんなー。久しぶりー。元気だった? え? あははは! そんなことないって」


 リロエはオールを脇に置き、船の先頭で胡坐を掻く。


 虚空と会話し始めたと思ったら、いきなりグンっと舟が進み始めた。


 おそらく精霊魔法を使っているのだろうが、それは彼女にとって、息を吐くように自然なことなのだろう。


「じゃあ出発する。『ウインド』」


 一方のテルマは、普通の魔法とオールを使い分け、舟を動かしていった。


 初めはちょっとぎこちなかったが、やがて昔の感覚を取り戻したのか、動きがスムーズになっていく。


 そこからさらに7日。


 時折野営をして休みながら、僕たちは森の奥へと進んでいった。


 始めは普通の熱帯雨林だったのだが、日増しに植生がおかしくなっていく。


 水色の水玉のついた巨大キノコ。


 根と葉が逆さまになった樹。


 7本の尻尾が生えた極彩色の猿。


 どこからか漂ってくる甘い匂い。


 某ワンダーランドのような怪しく妖しい世界が僕たちを包み込む。


 精霊が見えなくても五感に伝わってくる濃厚な自然のエネルギーに、僕は圧倒される。


「ふう。ようやくここまで来たわね! 後、5日くらいで結界の入り口に辿り着くから、もうちょっと頑張りなさい!」


 リロエがカヌーを川岸に係留しながら言った。


「5日? ここから最短ルートなら3日もあれば着くはずだけど」


「それが……その。ちょっと遠回りしなくちゃいけない事情があってぇ……」


「そう」


 口ごもるリロエに、テルマが何かを察したように頷く。


 こうして僕たちは森の中を歩き始めた。


 僕には道なき道にしか見えないが、リロエとテルマにははっきりと方向が分かっているらしく、迷うことなく進んでいく。


 そしてきっちり5日目。


 僕たちはようやく結界の端に辿り着いた。


 それまではくっきりとしていた前方の空間に、突如薄いもやのようなベールが出現する。


「ただい――!」


 リロエが、躊躇なく結界を通過する。


 自然全てに挨拶するかのような大声は、中に入った瞬間に聞こえなくなった。


「さあ! 一瞬だけそこの結界を緩めるから、早く中に入りなさい!」


 結界の中から顔を出したリロエが僕たちに告げる。


 やがて、もやが半透明くらいに変化した。


 僕たちは急いで歩みを進める。


 飛行機が離陸する時のような圧力が身体にかかったと思った次の瞬間、僕たちはもう結界の中にいた。


「何か涼しくなった?」


 急に変わった空気感に、僕は呟く。


「はい! 気持ちいいです」


「べたつく感じもなくなりましたわね」


 ミリアとナージャが頷く。


 気温どころか、湿度までぐっと下がったような感がある。


 まるでエアコンで空調された室内のように快適だ。


「これがエルフの里でござるか。……積み重ねた年月を感じまする」


 レンが感慨深げに呟く。


「ふふん。すごいでしょ! これも神樹様の御力よ!」


 リロエが誇らしげに見上げる大木。


 それは、一本ではなかった。


 樹齢何千年――どころか何万年と言われても驚かないほどの巨木が無数に林立していた。


 幹と枝は光沢があり、青みがかったサファイアのような輝きを放っている。


 葉は半透明で、どうやら、日光の強さによって色の濃さを変えるようだ。


 曇ればより透明に近づき、晴れれば濁り、明るすぎず、暗すぎない、程よい光量を里にもたらしている。


 樹の中には、うろを持つものがたくさんあり、それぞれが住居や貯蔵庫として機能しているようだ。


 時折住人らしい視線を感じるが、僕たちが見返すと、さっと姿を隠してしまう。


 どうやら警戒されているらしい。


「家の樹は私が里を出た頃と同じ?」


「はい姉さま!」


「そう。じゃあリロエは先に行って、母様に客人を迎える準備をするように伝えてくれる?」


「分かりました!」


 元気に駆けていくリロエ。


 その後ろ姿を見送りながら、緊張したようにギュッと拳を握り締めるテルマさんを、僕は見逃さなかった。

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