第85話 母
テルマの母が住む家――というか樹は村の端にあった。
その樹は、他の樹に比べて背が低く、幹も細く、日当たりが悪い場所にある。
それだけで何となく村での彼女の立場が察せられて、僕は胸が苦しくなった。
おそらく、テルマは僕以上に辛い思いだろう。
僕たちは洞にかけられた縄梯子を上っていく。
ちなみに他の家に縄梯子はない。
先行するリロエは普通に生身で飛翔していたから、まともなエルフは全員、精霊魔法で空を飛べるのかもしれない。
洞の中は、畳8畳ほどの空間で、木の洞としてはすごいが、僕たち全員が入るとちょっと狭い。
「母様! 姉様が帰ってきました!」
母親の腰に甘えるように抱き着きながら、リロエがはしゃいだ声を上げる。
「ええ。とっても嬉しいわ」
テルマの母はそう言ってリロエの頭を撫でながら、まなじりを緩ませた。
テルマの母は、リロエと同じ白髪で、外見上の年齢はテルマと同じくらいにしか見えない。
容姿も声もテルマによく似ているが、目元や喋り方はテルマよりも柔らかい感じだ。
父親――リロエの方がテルマの妹だからおそらくエルフのはずだが――の姿は見当たらない。
「母様。お久しぶりです」
「お帰りなさい。元気だったかしら。お仕事の方は上手くいってる?」
「はい」
テルマは小さく頷いて、母親の隣に腰かけた。
リロエと違って、どこか遠慮するように拳一つ分の距離がある。
「そう。それは良かったわ……冒険者の皆さんも、よく来てくれたわね。この子たちの母のイリスよ。よろしく」
イリスさんはそう言ってペコリと頭を下げる。
「どうも。タクマと申します」
「ミリアです! よろしくお願いします」
「ナージャでですわ」
「レンにござる」
「ふふっ。なんかいいわね。昔、冒険者をやっていた頃を思い出すわ」
イリスさんは自己紹介する僕たちに目を細めた。
「そうなんですか?」
「ええ。こう見えても、中々名のしれたパーティの一員だったのよ? マニスのダンジョンなら最高52階層までいけたし、カリギュラのダンジョンも43階層までなら行ったことがあるわ。特にリーダーのジャンは当時は、世界で5本の指に入る英雄でね。あっ、テルマから聞いているかもしれないけど、そのジャンが私の最初の夫で――」
イリスさんは、饒舌に語り出す。
ここら辺の雰囲気は、テルマよりリロエに似ているだろうか。
というか、テルマの父親は冒険者だったんだ。
もしかしたら、テルマがギルド職員という仕事を選んだのもその辺に理由があるのだろうか。
「……母様。昔話もいいけれど、彼らは仕事をしにきたのだから、今の里の状況を教えて」
テルマが話題を変えるように呟いた。
「そうだったわね。ごめんなさい。――リロエからどこまで話は聞いてる?」
「エルフの一人が魔族堕ちして、森に危険なダンジョンが出現したこと。それがアンデッドの跋扈するダンジョンで、エルフの精霊魔法が通じにくい所までは把握している。それ以上のことは、この子は私にも語りたがらなかった」
テルマがリロエを一瞥する。
「ううー。ごめんなさい。姉様! でも、詳しく話たらみんな来てくれないと思ったからぁ……」
リロエが肩身が狭そうに縮こまる。
「――そう。リロエはお役目を果たそうと頑張ったのね。でも、結論から言うと、あなたたちはあまり歓迎されていないわ」
「それは何となく肌で感じていましたが、一応、エルフの里全体で冒険者を雇うと決めた訳ではないんですか?」
「それが微妙なのよね。村の半分は外から冒険者を雇い入れることに賛成したわ。でももう半分は、あくまでエルフだけでの自力解決にこだわったの。一回、外から雇い入れた冒険者がダンジョンの攻略に失敗しているから、今は自力解決派が優勢なくらいかもしれないわ」
僕の質問に、イリスさんは困り顔で答える。
「自力解決でござるか? そもそもそれができれば最初からそのようにしておるはずではござらぬか。エルフは独立独歩の気風が強いのでござろうに」
レンが怪訝そうに首を傾げる。
「さあ。自力解決派のリーダーのぺスコには何か策があるみたいだけれど、私も詳しくは知らないの。リロエがあなたたちを呼びに行くのと同時期に里の外に出て、ついこの間戻ってきたばかりよ」
イリスさんはそう言って肩をすくめる。
「ぺスコ……」
テルマさんが顔をしかめる。
「ウチはあいつ嫌いです! いっつも母様の悪口を言ったり、姉様にいじわるばっかりして」
リロエが髪を逆立てて憤慨する。
「対立勢力の方は分かりましたわ。問題は味方の方ですわよ。本気で救援を求めるなら、このような幼い方ではなくて、もうちょっと世慣れたベテランの方を派遣すべきではなくて?」
ナージャがかねてからの疑問を口にする。
「リロエを派遣することになったのには、いくつか理由があるわ。まず、冒険者を雇い入れることに賛成したエルフも、あくまでことなかれ主義で無難に波風立てずに済ませたいというだけで、積極的に余所者を迎え入れたいと思う人間は少数派なのよ。特に生まれてからこの方、村で生まれ育ったエルフにとって、外の世界は恐怖で、わざわざ行きたいなんてまず思わないから」
イリスさんは淡々と答えた。
彼女は僕たちに対しても気さくで好意的に見えるが、それはよっぽどの特殊ケースなのだろう。
「でも、それでも幼い子どもを一人で旅に出すなんて、他に一人もふさわしい人材はいらっしゃらなかったんですか?」
ミリアが眉をひそめて呟く。
「うーん。まあ当然そう思うわよね。もう一つ――というよりこっちがメインの理由だと思うんだけれど、ぶっちゃけ私のせいよね」
「違います! 母様は――」
「いいの。リロエ。今回魔族堕ちしたエルフ――オルゾって言うんだけど。彼から、私は何度も求婚を受けていたの。でも、それを断り続けていたから、ダンジョンが発生したのはオルゾを傷つけて暴走させた私のせいだなんていう風潮もあったりしてね」
イリスさんがリロエを制して言葉を継ぐ。
「完全に言いがかりじゃないですか」
僕は眉をひそめた。
オルゾというエルフがどんな者かはしらないが、アンデッドいっぱいのダンジョンを発生させるなんて多分まともな奴じゃない。
そんな求婚断って当然じゃないか。
「でもそう思わない人も結構いるのよ。里の掟を破って外に出たはねっ返りの上に、二度も夫を亡くしたいわくつきの寡婦をもらってくれるっていうのに、断るなんて何事だ、なんてね」
イリスさんは茶目っ気ある口調で言う。
やはり、リロエの父親も亡くなっていたのか。
というか、これって要は村の腫物を立場の弱い彼女に押し付けようとしたということなのではないだろうか。
「許せませんわ! 貴族ならともかく、庶民の結婚はあくまで当人同士の自由意志に基づくべきです!」
ナージャが苛立たしげに床を叩く。
リン、と鈴のようないい音がした。
「まあ、田舎って多かれ少なかれそういうものよ。でも、理由はともあれ、誰かがやらなければいけないことであったのは確だわ。本当は私が外に行きたかったんだけどね。私はいざという時の、オルゾへの説得材料+リロエが裏切らないための人質として里に残れってことになっちゃって、やむなくリロエを外に出したって訳」
「いいんです! ウチは母様から外の話を聞いていたし、姉様のいるところにも行ってみたかったから!」
リロエはそう言って強がる。
「……どこの世界も渡世は修羅の道でござるな」
レンがそうイリスさんたちに同情を示す。
「まあ、でも、仕事としては大して難しい話ではありませんわよね。ワタクシたちとしては、その自力で解決したいとおっしゃるエルフの方々が勝手にダンジョンを攻略してくださるなら、それに越したことはありませんわ。楽して安全に任務を達成できるのですから」
ナージャが冷静に言う。
「うん。そうだね。ダンジョンが攻略されるのを見届ける必要はあるから、滞在の許可は得なきゃだめだけど」
僕は頷く。
確かに、イリスさんの扱いとか色々気に食わないこともあるが、パーティの安全を考えるとそれがベストだ。
「えー! ウチがせっかく頑張って呼んできたのに、ペスコたちに一泡吹かせてくれないの!」
リロエが不満げに唇を尖らせる。
僕個人としては、リロエの気持ちも分かる。もしペスコがリロエの言う通りテルマに嫌がらせをするようなエルフなら一矢報いたいが、仲間を巻き込むことはできない。
それにリロエの精霊魔法の力を見ていると、相手が戦闘要員のエルフなら、いくらレベルが高いとはいっても、僕の力が及ばない可能性が高いと分析せざるを得ない。
「――無理を言ってはだめ。そもそも、タクマたちは善意でここまで来てくれたのだから」
テルマがリロエをたしなめるように言った。
「うー、わかりました」
村から持ち出した資産を盗まれてしまった以上、強くは出れないのか、リロエはしゅんとして頷く。
「みんな。とりあえず、宿泊場所の件も含め、長老に相談してみるべき。外から冒険者が来るなんてビッグニュースだから、すでに里中に伝わってるはず。明確なルールを定めずに立場を不安定にしたままなのはよくない」
テルマがそう僕たちに呼びかける。
「じゃあ早速ご挨拶に伺いましょう」
「ウチが案内してあげる!」
リロエが張り切って立ち上がる。
僕たちは洞を出て地上に降りると、リロエの先導に従って、里の中でも一際立派な樹へと足を向けた。
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