第82話 ギャンブラー

「……ナージャ。これって僕の分も使い込んだってこと?」


 僕は頬を引きつらせてナージャの肩を掴み、強引にこちらに向かせる。


「おほほほ、ダーリン。女のわがままをどれだけ受け入れられるかで男の価値が決まるんですのよ?」


「そういうどちらかの性に一方的に都合のいい男女観って、僕、嫌いだな」


「だって、仕方ないじゃありませんの! ここ最近、賭場にも通ってなかったですし、運が溜まってると考えて当然じゃなくて!?」


 ナージャが逆切れしたように言った。


 運って溜まるのか?


 比喩的な表現なのか、それとも本当に信仰的な何かが蓄積しているのか、僕には判然としない。


「はあ。まあもう使ってしまったものはどうしようもないね。旅費はもってきてるんだし、係の人に払って、またチャージして貰えば、目的地に着くまでは何とかなるよ」


 僕はため息一つ肩を落とした。


「それがそうもいかないんですな。そちらのお嬢さんは私に借金されておりましてな」


 ナージャの相手方となっていた獣人の中年男性が、その立派なヒゲを撫でつけながら呟く。


「ええ……」


 僕はさすがにドン引きしつつナージャに視線を遣る。


「ちょーっと、ちょっとだけですのよ? 本当にちょーっとだけ、そちらのジェントルマンに用立てて頂いたんですの」


「ふーん。それで、借金はナージャの手持ちで返せる金額なの?」


 僕はジト目でナージャを見た。


「そ、れは、ちょっと、厳しい、かも、しれません、わね?」


 ナージャはロボットのような抑揚のない声で呟く。


「つまり返せないと。困りましたなあ。まあ、私も魔族ではない。ご婦人の身ぐるみを剥がしてまで取り立てようとは思いません」


「さすがおじさま話が分かるぅー」


 紳士然としていう男性に、ナージャが媚びたような声を出した。


「ただ、そうなれば、男としての自然な感情として、一晩の愛情を期待しても神罰は当たらないでしょうな」


 男性が好色そうな笑みを浮かべてナージャを見る。


「ちっ! タクマ! 目の前で自分の女が取られようとしているんですのよ!? 助けたいと思わないんですの!?」


 ナージャは態度を豹変させて男性に舌打ちすると、縋るような表情で僕を見る。


 いつからナージャは僕の女になったんだろうか。


 でも、今回は力でどうにかできる問題じゃないしなあ。


「そう言われてもなあ……。まあ、とりあえず、店員さんにもらったチップが一枚あるから、これ、ナージャにあげるよ」


 僕はさっき入り口で受け取ったチップをナージャに差し出す。


「本当ですの!? ありがたく――いえ。やめておきますわ。そのチップは、タクマがお使いになって」


 ナージャは反射的に伸ばしてきた手をすっと引っ込めた。


「どうして僕が?」


「流れを変えるためですわよ! 賭け事には流れが大切なんですの!」


 ナージャは拳を握りしめ、根拠のない自論を力説する。


「それ、完全にダメ人間の理屈だと思うけど」


「物は試しじゃないですの! とりあえず一度でいいですから、タクマがあのヒゲと勝負なさって!」


「でも、僕、このゲームのルールを知らないし」


「完全運任せのゲームですから、ルールを知らなくても大丈夫ですわ!」


「うーん。じゃあ、本当に一回だけだよ?」


 ナージャが手を合わせて懇願するので、僕は渋々頷いた。


 まあ、これも人生経験か。


「それでは、タクマ様は勝負をご希望ということでよろしいですね?」


 監視役が確認するように問う。


「はい。お願いします」


 僕は頷いた。


「それでは、ゴルト様、お受けになりますか?」


「良いでしょう。チップ一枚では物足りませんが、ここで受けなければ男がすたります」


 男性――ゴルトが頷く。


「よろしいですか? よろしいですね? それでは、ゴルト様が親です――勝負を!」


 監視役が器から三つのサイコロを取り出して、ゴルトに手渡す。


「ふんっ!」


 ゴルトが器の中にサイコロを転がした。


 目は、1・2・3。


「きましたわ!」


 ナージャが快哉を叫ぶ。


「『人生』の目で親の負け。総倍付けで交代です」


「ふむ。中々ついておられますな」


「あっ。僕勝ったんですね」


 2枚のチップを受け取る。計3枚となった。


「では、次の勝負をなさいますか?」


 監視役が僕の顔を窺って尋ねてくる。


「タクマ! いきなさい! ツキを逃してはいけませんわ!」


「うーん。でもなあ」


「お連れの方。勝ち逃げはよくありませんぞ」


「じゃあ、もう一回お願いします」


「よろしいですか? よろしいですね? それでは、代わってタクマ様が親です――勝負を!」


「こう、ですか?」


 僕は渡されたサイコロを、見様見真似で振った。


 目は4・5・6。


 さっきは連番で親の負けだったな。


 ということは僕の負けか?


「『成り上がり』の目で親の勝ち。子は倍額を親に払ってください」


 え? 勝ったの?


「ほう。中々おもしろくなってきましたな」


 男性がにやりと笑う。


「さすがワタクシのダーリンは『持って』ますわあああああああ!」


 ナージャは小躍りして喜んでいる。


 またチップが9枚になった。


「まさかここでやめるとは言わせませんぞ」


「はあ、じゃあもう一回で。親は交代するんですか?」


「親が勝った場合はそのままです。……よろしいですか? よろしいですね? それでは、タクマ様――勝負を!」


「はい」


 僕はまたサイコロを投ずる。


 5・5・5。


 ゾロ目だ。


 なんかよくわからないけど縁起がよさそうだ。


「『世界』の目で親の勝ち。子は3倍額を親に払ってください」


 3倍!?


「なんですと!?」


 ゴルトが右眉を上げる。


「きたきたきたきましたわあああああああああ!」


 背中に温もり。


 ナージャが後ろから抱き着いてきた。


 ……。


「親、3の目。子、2の目で親の勝ちです。賭け金と同額をお支払いください」


 ……。


 ……。


「親、2の目。子、目なしで親の勝ちです。賭け金と同額をお支払いください」


 ……。


 ……。


 ……。


「おい! みろよ! あっちのテーブル!」


「すごいことになってんな!」


「さっきのぼろ負けしていた姉ちゃんのツレか?」


 僕が連勝を重ねていく内、段々とギャラリーが集まってくる。


「なんと! 素晴らしい豪運なことか。それとも、運以外の何かの力が働いているのか」


「タクマがイカサマしているとでもおっしゃるんですの?」


「不正はありえません」


 監視役の女性はそう言って、確認を取るように左右の別の船員を見た。


 いつの間にか男の監視役が二人増えている。


 賭け額が増えてきたからだろうか。


「コホン。邪推するのはやめたまえ。私はもちろん根拠もなく人を疑うことはしないとも。さ、続けてくれたまえ」


 ゴルトが取り繕うように咳払いする。


「……よろしいですか? よろしいですね? それでは、タクマ様――勝負を!」


「いきます」


 僕は、今日何度目かになるギャンブルへと挑む。


 目は――また4・5・6。


「『成り上がり』の目で親の勝ち。子は倍額を親に払ってください」


「やりましたわ! これで完全に負けを取り戻すどころか、差し引きプラスですわよ!」


 ナージャが僕の頬にキスの嵐を降らせる。


「ぐぬぬぬぬぬ……!」


 ゴルトが歯噛みした。


「はははは……」


 僕は苦笑いを浮かべた。


(イカサマはしてない。してないけど……。これってもしかして、僕のチートが――)


 さすがにこれだけ幸運が続けば、僕も薄々感づき始めていた。


 もしかして、運の方にも『生きているだけで丸儲け』の影響が及んでいるんじゃないかって。


 言うまでもなく、僕が現在把握しているステータスは、テルマが感知したものを彼女の主観で数値化したものだ。


 では、もしテルマの――というより、常人では感知できないステータスがあるとしたら?


 真相は分からない。


 もしかしたら、本当にただ偶然が重なっているだけかもしれない。


 でも、今の所、この幸運に合理的な説明を加えるとすれば、そう考えるしかない。


(でも、別に僕の日常では、そんなに運がいいことがある訳でもないしな)


 当たり前だが、日常生活でステータスアップした力が問答無用でフル稼働するなら、コップは握りつぶしてしまうし、ちょっと触っただけで人を傷つけてしまうような事態になる。


 なので、僕も含め、この世界の住人は多かれ少なかれ無意識的に力をセーブしている訳だ。


 もしかしたら、『運』のステータスも同様で、『運』を使いたいと思った時にだけ発動するのかもしれない。


(うーん。でも結局これも仮説にすぎないな)


 仮に『運』というステータスがあったとしても、それが恒常的に僕の運勢を向上させてくれるものなのか、それとも精神力のように消費されるものなのか分からない。


 ナージャは『運が溜まっていると思ってた』と言っていた。


 僕の感覚的にも、消費される方がしっくりくるし、自分にとって都合が悪い方を想定していた方が安全だろう。


 だとすると、ここで無闇に『運』を使うのは危険か。


「あの、もう負けた分は取り戻したようですし、ここで終わりにします」


 僕は監視役の人に、そう申し出る。


「ま、待ちたまえ。こんな中途半端な結末ではギャラリーも納得しないだろう。もう一戦、全てをかけた大一番といこうじゃないか」


 損失を取り戻したくて必死なのか、ゴルドがそう言い募る。


「そうだそうだ!」


「逃げるな!」


「やれやれー!」


 無責任なギャラリーが僕たちをはやし立てる。


「ですが……」


「そもそも、私が最初に君との勝負を受けたのは慈悲の心からだ。今度は私に哀れみをかけてくれないかね?」


 そう言われると僕としても心苦しい。


 確かに、彼が最初勝負を受けてくれなければ、僕たちはかなり困ったことになっていただろう。


「わかりました。勝負はします。でも、全額は無理です。借金をお返しして、最悪でもお互いのチップがマイナスにはならない状況にはさせてもらいます。そうじゃなければ受けません」


「いいだろう」


 ゴルドがにやりと笑って頷く。


 早速僕はナージャに出目と詳細なオッズの関係を聞いて、最終決戦への準備を整えるのだった。

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