第80話 乗船

 それから約一週間後、旅支度を済ませた僕たちは、波止場へと足を向けた。


 マニスの冬至の祭りの終わりに合わせて、船が出るからだ。


 屋敷の方は、すでにミルト商会に頼んで、僕たちがいない間の管理をお願いしてある。


 小春日和の快晴。


 冷え冷えとした朝の冷気が、僕たちの頬を引き締める。


「おおー。これが噂のゴッドマリノリア号ですかー」


 ミリアが港に停泊している巨大な船を、感慨深げに仰ぎ見る。


 ゴッドマリノリア号は、船乗りの間で信仰されている神様の名前を冠した豪華客船だ。


 その威容も名前に負けず劣らず立派なもので、全長300メートルを超える船体に、魔法の術式らしい複雑な紋様が、まるでアートみたいに描かれている。


 天を衝くような帆柱が5本、守護神のごとく並んでいた。


「……リロエ。チケット代を払ってくれたレンにお礼は?」


 テルマがリロエの後ろに立ち、耳元でそう囁いた。


「獣人! あなた、中々お金の使い道を分かってるじゃない! 誉めてあげるわ」


「――リロエ?」


 テルマがリロエの態度を咎めるように、肩をきつく掴む。


「あ、ありがとう。とても感謝しています」


 リロエがかしこまってそう言い直す。


「どういたしましてでござる。吾はどのみち銭を溜めても、せいぜい武器を買うのに使うくらいで、残りは施しに使ってしまう故、気にされることはござらん」


 レンが微笑を浮かべて頷く。


 僕はナージャに支払う分の報酬を確保するために懐具合に余裕がない(といっても彼女もさすがに前払い金の一部だけを受け取り、それを旅費に当てただけなのだが)。ミリアも自分の分のチケット代の負担、仕送りその他でカツカツ。結果的にパーティの中で一番余力のあったレンが、リロエのチケット代を肩代わりすることになった。


 ちなみに、チケットは記名のチャージ式になっていて、表面には名前が、裏面には数字が記載されている。


 この数字は、船内で現金の代わりとなるポイントだそうで、基本的な乗船にかかる料金の他、船内での宿泊、食べた料理などの消費に応じてポイントが減少していく仕組みになっている。


 まあ地球でいえば、電子マネーに近いイメージだろうか。


 船内に大量の現金を持ち込むと、スリや海賊に狙われやすくなるなど、色々とリスクが高いので、こういうシステムになっているのだそうだ。


 僕がナージャと一緒に獲得したチケットには、最初から、浪費をしなければ一年くらい(つまり二人×半年で世界一周分)は乗船できる額がチャージされていた。


 ちなみに、記名は、相談の結果、一枚目のチケットは、僕+ナージャ、二枚目のチケットはテルマ+リロエ、三枚目はミリアとレンとなっている。


「とにかくよかったよ。祭りの期間中で」


 ゴッドマリノリア号は世界の名立たる港湾都市を年中周遊している。


 客船なので、旅程の合う限りは、当然、何某かのイベントがある時期を狙ってそれぞれの都市を訪れることになる。


 マニスの場合は、まさに冬至の祭りがそれで、もしこの機会を逃したら、さらにもう半年は待たなくてはいけなかっただろう。


「チケットを拝見します」


 船の入り口へとつながる階段前で、水兵のような服を着た船員らしき男性が待ち構えていた。


「よろしくお願いしますわ」


 ナージャが意気揚々とチケットを差し出した。


 船員の男性がチケットに触れると、その表面に特殊な紋様が浮かび上がった。


 事前に登録した時の説明では、それぞれの人間の発する魔力の波形を判別しているとのことだが、詳しいことはセキュリティー上の観点からか、教えて貰えなかった。


「二名様用のチケットですね。ナージャ様の方、確認させて頂きました。お連れのタクマ様は」


「あ、僕です」


 僕は小さく手を挙げて応える。


「確かに。こちら、ご存じかとは思いますが、二名様用のチケットは必ず同室となります。ご注意ください」


 チケットが人数ごとに分かれているのは、どうやら部屋数の関係らしく、全客室をきっちり埋めるために、発行枚数を分けているのだという。


「わかりました」


「いつも一緒ですわね。ダーリン」


 ナージャがまたふざけて僕の腕に抱き着いてくる。


「仲がおよろしいようで――もしかして、新婚さんですか?」


 ドレスを着て、ばっちり気合いの入った格好をしているナージャを見て言う。


 もちろん、武具の類は持ち込むつもりだが、人目にはつきにくいようにしてあるので、一見しては僕たちが冒険者だと分からないのかもしれない。


「あら? 分かります?」


 ナージャが満更でもなさそうに言った。


「ええ。とってもお似合いなので。新婚さんでしたら、中でお祝いのワインが一杯無料サービスとなりますので、是非ご利用ください」


 船員の男性がにこやかに告げる。


「あら! それは素敵ですわね!」


 ナージャが機嫌よく手を打つ。


「終わったなら、次、お願いしてもいい?」


 後ろに控えていたテルマが急かすように尋ねる。


「あ、はい。こちらも二名様用のチケットですね。テルマ様と、お連れのリロエ様は」


「ウチよ!」


 リロエが勢いよく手を挙げた。


「彼女は私の妹。そして、そちらのタクマとも家族なのだけれど、家族用のサービスはある?」


「じゃあ、えっと、私は、私は――タクマさんの初めての女です!」


 またミリアは語弊のある言い方をして……っていうか、今言うことじゃないよね?


「然らば、吾は主の僕なのでござるが、主従専用のサービスもござるか?」


 レンがチケットを見せながら言う。


「あ、あははは。私共の船では、全てのお客様に満足して頂けるように誠心誠意サービスを提供しております――それでは、良い船旅を!」


 船員の男性は、笑顔と事務的な返答で全力スルーを決め込み、僕たちを送り出した。


 階段を上って、船内に入る。


 受付みたいなところでまたチケットを見せて、僕たちはそれぞれの部屋の鍵を受け取った。


 僕たちが選んだのは、どれもランクとしては中くらいの部屋で、それぞれ隣り合ってはないが、歩いて一分もかからないくらいの近い距離に配置されている。


瀟洒しょうしゃだね。床はふかふかだし、天井もキラキラしてる」


 僕は辺りを見回して言う。


 床には赤い絨毯がまんべんなく敷かれている。


 天井はシャンデリアこそないものの、かなりの面積がガラス張りになっていた。


 差し込む陽光のプリズムが、七色の輝きを演出している。


「すごいですよね! 昨日、パンフレットをチェックしたんですけど、船底の一部もガラス張りになっていて、お魚さんや、船を引っ張ってくれる動物さんを見られるそうなんです! 私、それが楽しみで!」


 ミリアが無邪気にはしゃぐ。


 この豪華客船は、畜力+風力+魔法で動いている。


 風力はもちろん自然の風も利用するが、逆風でも風の魔法でゴリ押しできるくらいの人員を揃えているらしい。


 また、潮流や天気を読めるスキルを持った人間も常駐しており、一度も海難事故を起こしたことがないのが、この船の自慢だという。


「ウチも! ウチも見たい!」


 リロエが興奮気味に両腕を振り回した。


「まずは荷物を置いて、いざという時の避難方法を確認してから」


 テルマが冷静にリロエをたしなめる。


「吾は、鍛錬室なるものがあるとのこと故、そちらに向かうつもりでありまする。何かあればお申しつけくだされ」


 レンはそそくさと呟いて、速足になる。


 彼女にとっては、むしろ豪華な船内の方が居心地が悪いのかもしれない。


「わかったよ。それで、ナージャはどうする?」


「もちろん、カジノに決まってますわ!」


「……決まってるんだ」


 そんなことを話ながら、僕たちはそれぞれの部屋に荷物を運び込む。


 それから、非常事態が発生した時の対応や集合場所などを共有した。


 そうこうしている内に、船が出航するというので、僕たちは甲板に出た。


 キュイイーン!


 キュイイーン!


 と、船を曳く海獣たちの鳴き声が、祭りが終わった後のどこか物寂しいマニスの街に響く。


 港から手を振る物見遊山の見知らぬ見物客に、手を振り返したりなんかしている内に、船はどんどん陸から遠ざかり――そして、海上の人となる。


 僕たちは出航後もしばらく甲板から海を眺めて雑談していたが、やがて、『とりあえず食事くらいは一緒に食べよう』といった程度の漠然とした予定だけ決めて、一時解散した。


 早速、他のメンバーが各々の興味に従って、船内を散策し始める。


 さて、僕はどこに行こうか。

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