第79話 相談

「タクマ。私だけど、入ってもいい?」


「どうぞ」


 丁寧なノックの後に投げかけられた言葉に、僕は即座に返答する。


「……リロエからいきさつを聞いた。改めて、私の妹を助けてくれてありがとう。私が彼女の食事の代金を肩代わりする。私のタクマへの借金を増やしておいて」


 しずしずと部屋の中に入ってきたテルマさんは深々と頭を下げて言う。


「いや、あれはリロエちゃんとの間でした正当な取引だから、テルマに肩代わりしてもらう必要はないよ」


 僕はきっぱりと答えた。


「……そう」


 テルマさんがふんわりと微笑む。


「それより、どうする? ――というか、テルマはどうしたい?」


「私としては、リロエを助けてあげたい。けど、正直言って、報酬を払う余裕はない」


 テルマさんは瞑目して俯く。


「いくらくらいかかるの?」


「マニスから私の故郷に行くまでは、旅程が全てスムーズにいったとしても二か月はかかる。往復四か月。旅費はもちろん依頼者持ちで、その間の収入を保証し、加えて危険なダンジョンを攻略する報酬を支払わなければならないとすれば、一人頭、金貨200枚~300枚は必要」


 テルマさんは手のひらに指で文字を書いて、素早く計算する。


「仮に5人パーティを雇うとすると、金貨1000枚~1500枚か。厳しいね」


「……厳しい」


 顔をしかめる僕に、テルマさんも表情を暗くする。


 僕が出してあげられればいいか、今の貯金は金貨300枚そこらしかない。


 これじゃあ一人雇うのが限界だ。


 とすれば……。


「すごい冷たい言い方になっちゃうかもしれないけど、リロエちゃんを家で保護するだけじゃだめかな」


 はっきり言って、今僕たちがとれる一番現実的な選択肢はリロエを保護して、彼女の使命は無視することだ。


 こう言ってはなんだが、僕はエルフの里の問題の解決に対する本気度を疑っている。


 だって、本当に里の存亡に関わるレベルで困っているなら、明らかに色々な意味で未熟なリロエを使者に選ぶはずがないじゃないか。


「……里には母がいる」


 テルマさんはそう言うと、素早く何度か目を瞬かせ、複雑な感情を覗かせる。


「……。そっか。お母さんが。それは放っておけないね」


 マザコンと言う訳ではないのだが、地球でのこともあって、どうも僕は母親という存在を持ち出されると弱い。


 つい何とかしてあげたくなってしまう。


「でも、現実問題、先立つものがない以上、解決する方法はない」


「いや。一つあるよね」


 悟ったように溜息をつくテルマさんに、僕は首を横に振った。


「え?」


「その依頼、僕たちでやればいいんじゃない? 客観的に見て、今のマニスにいるパーティの中でも、僕たちは上位グループなはずだよ」


 僕たちのパーティが一番かは分からない。


 でも、少なくとも前の蟲毒のダンジョンを攻略した感触から言うと、確実に10本の指には入っているはずだ。


「確かに、タクマたちならリロエの要求に応えられると思う。でも、皆にお願いする報酬がないことには変わりがない」


「そんなことはないよ。僕はタダ。レンは、僕が彼女を助けた恩と相殺ってことでお願いするよ。ミリアはテルマと担当官の契約を結んでるから、今後テルマに入るはずの報酬分を前借りすればいい。ナージャの分の報酬は僕が支払う。これで、何の問題もないんじゃない?」


 見ず知らずの冒険者に頼むなら、お金以外の交渉材料はないけれど、それが仲間となれば事情はだいぶ変わってくる。


「でも……これ以上、タクマに迷惑はかけられない。もう、私には、タクマに捧げられるものがなにもないのに」


「じゃあ、諦める? リロエとお母さんをそのままにしておける?」


「おけない。けど……」


 テルマさんは未だ躊躇するように視線を彷徨わせる。


「そんなに難しく考えることはないよ。どうしても気が引けるっていうんだったら、いっそのこと、僕のことを家族と思ってくれればいいよ。家族のことを無償で助けるのは当たり前のことでしょ? ……なんてね」


 テルマさんの気持ちを軽くしようとそんな浮ついたセリフを言ってみた僕だったが、すぐに恥ずかしくなって、つい冗談めかしてしまう。


「タクマ!」


 瞳を潤ませたテルマさんが、感極まったように僕に抱き着いてくる。


「うわっ! ちょっと、テルマ!?」


 その突然の行動に、僕は身体を強張らせた。


「まだ、私がタクマに捧げられるものが一つだけあった。それは、私の心。この先、借金を返し終わったとしても、私は生涯あなただけの味方でいる。これは、私の誓い」


 テルマさんの――テルマの言葉が、そのぬくもりと共に僕の胸に染み渡る。


 彼女を僕に縛り付けたいとは思わないけれど、その気持ちは素直に嬉しかった。


 地球では天涯孤独の身だった僕は、この異世界で見つけることができたのだろうか。


 単なる利害関係じゃない、もっと心の深い所で繋がった存在を。


「大げさだなあ。まだ、テルマの故郷を救えると決まった訳じゃないのに」


 僕はぎこちない手つきでテルマの頭を撫でた。


「それでもいい。分かち合ってくれる人がいれば、苦しみは半分に。喜びは二倍になる」


 テルマはそう呟いて、甘えるように僕の胸に額を擦り付けてくる。


 リロエと接している時のテルマさんは立派にお姉さんだったのに、今はテルマがリロエになったみたいで、それがなんだかおかしかった。



                     *



 相談を終えた僕とテルマは、他の三人が家に帰ってくるのを待った。


 そして、夕食時。


 皆が広間に集まったタイミングで、僕は今日のリロエとのいきさつと、エルフの里の救援の件を切り出した。


「私は賛成です! テルマにはいつもお世話になってますから、恩返しがしたいですし、生命の理を冒涜するアンデッドは、ヒーラーとして許してはおけない存在ですから!」


 ミリアが余り物のバンズを頬張りながら、両腕を挙げて意気込む。


「ありがとう。ミリア」


 テルマさんが、ミリアの手を握って深く頭を下げた。


「そもそも弱き者を助けるのが侠の道。吾は主に喜んでお供するでござる」


 レンは歯切れよくそう宣言する。


「助かるよ」


 僕はレンに向かって頭を垂れた。


 こうして、パーティの内3人の同意が取れ、必然的に皆の視線はナージャに集中する。


「正直申し上げて、現状、ワタクシは行きたくありませんわ」


 しかし、同調圧力に屈しない彼女はきっぱりとそう拒絶する。


「どうして? さっきも話したように相応の報酬は払うよ」


「報酬の問題ではありませんわ。いつくつか理由はありますが、まずなにより、依頼内容が信用できないのがいただけません。もしエルフの里が本当に困っているなら、スリに遭うような力量の娘を使者に選ぶはずがありませんもの。それほど大した事態ではないか、里の内部で外に救援を求めるコンセンサスが取れてないか、どちらかだと推測しますわ」


 ナージャは僕の問いに、滔々と答える。


 ……これは、僕も思ってた心配だから、正直フォローできない。


 一見厳しいようだが、ナージャはナージャなりに、みんなの身の安全を気遣ってくれての発言に違いない。


「――ナージャの懸念は至極当然。私も、身内の話でなければ同じような忠告をしたはず」


 テルマはまっすぐナージャの目を見つめ、深く頷いた。


「あっさり認めますのね」


「認める。だけど、私は行く。理屈じゃない。私がそうしたいから。ナージャが無理なら、同じお金で別の探索者を雇ってでも行く」


 テルマは、彼女にしては珍しい早口でそうまくしたてる。


「ふふ。自分の気持ちに正直な方はワタクシ嫌いじゃありませんわ。ま、ワタクシの他の探索者を見つけるといっても現実的には短期間での確保は難しいでしょうけど」


「……その件に関しても反論はできない」


「そんな捨てられた子犬のような目をなさらないで。ワタクシは必ずしも絶対に行かないと申し上げている訳ではありませんわ。個人的な好みでいえば、4ヵ月なんて、あまりにも拘束時間が長すぎて窮屈です。行先も、華やかで楽しい都会ならともかく、辺境のエルフの里なんですわよね。虫も多そうですし、正直食指がそそられません。ですから、ワタクシを連れて行きたいとおっしゃるなら、そのマイナスを補って余りあるような、素敵なプラスアルファの動機を提示してくださらない?」


 ナージャは優しくテルマに話しかける。


 彼女は、『行かない』ではなく、『行く』方向で考えてくれている。


 これはきっと、ナージャが考えてくれた、精一杯の妥協点なのだろう。


 ナージャは自分を曲げない。


 でも、だからといって、僕たちに仲間意識を持ってくれていない訳じゃない。


 それだけは確信できた。


「……エルフの里には、古代、外界との戦争していた時代に獲得した財宝が蓄えられている。その中には、今では手に入らないような、貴重な服や装身具も含まれている。エルフの里との交渉次第では、それらを手に入れられるかもしれない」


 テルマはちょっと考えてから、絞り出すように呟く。


「――報酬が手に入るか不確定なのは頂けませんけど。まあ、及第点ですわね……。いいですわよ。ワタクシもお付き合いしますわ」


 ナージャは肩をすくめて、小さく頷く。


「ナージャ! ありがとう!」


「慣れ合いは結構ですわ! ――まあ、いくら売ればお金になるとはいえ、せっかく苦労して獲得した豪華客船のチケットを見知らぬ誰かに使わせるのも癪ですし、これでよかったのかもしれませんわね」


 ナージャは握手を求めてくるテルマを暑苦しそうに拒絶してから、僕にちらりと視線を送ってくる。


「うん。きっとみんなで船旅するのも楽しいよ」


 僕は笑顔で頷いた。


 チケットは、一枚で二名まで乗船可になっている。


 残り二人分を払えば、乗船時間が長いとはいっても、きっと旅は苦にはならないだろう。


 こうして話はまとまり、僕たちは再び旅に出ることになった。


 今までの冒険と違い、不明確な部分は多く、不安は大きい。


 だけど、それと同じくらいの期待を覚えてしまうのは、僕が冒険者という稼業に染まってきた証拠だろうか。

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