第75話 ノーサイド

 背中を擦りむいた僕だったが、待機していた医療班のヒーラーがすぐに治療してくれて、事なきを得た。


 結局、最終的な順位は、一位は僕たち、二位は『翼足』ペア、三位は双子となり、大きな番狂わせみたいなものはなかった。


 そのまま、闘神オルデンの神殿で表彰式が行われる。


「おめでとう! 『女殺』! 今の気持ちを聞かせてくれちゃったりしてくれるかな?」


 空から降りてきたビッグマウスが、賞金の入った革袋と副賞らしい二枚の金属製のチケットを手にして、僕たちに近づいてくる。


 僕とナージャは、繋いだ手で革袋を握って一緒に掲げ、空いた方の手でそれぞれのチケットを受け取った。


「参加者が皆強敵だったので厳しい戦いでしたが、何とか勝つことができて嬉しいです」


 僕は素直な感想を述べる。


 おそらくビッグマウスのスキルで、僕の声も周囲に拡散された。


「おーっと。これは二つ名に似合わない謙虚なお言葉! こうみえて、きっと夜には野獣のようなギャップでご婦人方をとっかえひっかえメロメロにしているに違いない!」


「……試してみますか? 後で二人っきりでみっちり語り合いましょう」


 僕は努めて笑顔を浮かべて言った。


 ビッグマウスは軽口を並べるのが仕事だと分かってはいるけれど、そろそろ僕に一発どつくくらいの権利が発生してもいいのではないだろうか。


「hahaha! 俺にはソッチの趣味はないから勘弁してくれマイブラザー! ――さて、『傾国』! 君はこの豪華な賞金と副賞をどう使う?」


 僕の熱い視線を軽く受け流したビッグマウスは、ナージャに水を向けた。


「そうですわね……。とりあえず賞金の方は、泡銭あぶくぜにですし、パーっと飲み代に使ってしまうつもりですわ。できれば、本日ワタクシたちの好敵手になってくださった、二位と三位の方々とも杯を酌み交わしたいと思っております。もちろん、ワタクシたちのおごりで」


 ナージャはサラっとそう言って、僕たちの右と左にいる二つのペアに微笑みかける。


 常人ならキザになりがちなセリフも、ナージャが言うとどこか自然だった。


 本当にこういう社交性は彼女の強みだと思う。


 少なくとも僕には真似できない。


「おーっと! 『傾国』からのノーサイド宣言! これぞスポーツマンシップ! みんな! 盛大な拍手を!」


 ビッグマウスの扇動に従って、観衆から拍手と口笛の嵐が飛ぶ。


「皆さん、ありがとう! とっても気分が良いですから、特別に他の方々も、お店の席数が許す限りで、ワタクシたちが飲み代を出しますわ。ご興味のある方は、『汐流亭』までいらっしゃって」


 ナージャはそう言って、周囲の観客に向かってウインクする。


 本当に彼女は一晩で賞金を使い尽くすつもりらしい。


 まあ、本来、賞金の使い道に関しては、僕も半分くらいは口を出す権利はあるはずなのだが、特に不満はなかった。


 最近、豪邸を手に入れたりしたこともあって、僕たちはやっかみを受けやすい立場にある。


 たとえデモンストレーションに過ぎないとしても、マニスの大衆を味方につけておくのは大切なことだ。


「これはお大尽! 気前がいい! みんな!? 聞いたか? 今すぐお店に走れ! 第二レースの始まりだ!」


 瞬く間に神殿の盛り上がりは最高潮に達する。


「さあ、ダーリン、ワタクシたちもお店に向かいましょう。せっかく副賞に素敵な客船のチケットを頂いたのですから、ハネムーンの旅行先を相談しませんと」


 ナージャが甘えたような声でそう言って、僕の肩にしなだれかかってくる。


 もちろん、彼女はからかってそう言っているだけだと、僕にはわかっていた。


「ヒュー! これはお熱いことで! 二人の放つ胸やけオーラに、何も食わなくてもビッグマウスはもうお腹いっぱいだあ! ――さあ、これにて今年も『嫁運びレース』は無事終幕! だけど、祭りはまだまだこれからだ! 子どもも大人も男も女も人間もエルフもドワーフも獣人も、みんな思う存分クレイジーになっていってくれ! それじゃあ、またそのうち会おう!」


 ビッグマウスの宣言でもって、嫁運びレースは閉会される。


 観客たちが三々五々と散り始めた。


「はあ、ずるいなあ。いい所は全部ナージャにもっていかれた感じだよ。これじゃあ、僕が本当に女たらしみたいじゃないか」


 僕は小声でそう言って、肩をすくめた。


「ふふ。いいじゃありませんの。タクマの本当の良さはワタクシだけが知っていれば」


 ナージャが悪びれる様子もなく、耳たぶを甘噛みしてくる。


「ラブラブだね。レミ」


「発情期だね。ミレ」


 例の獣人の双子が、そんな僕たちを見遣って囁き合う。


「お二人とも、お食事に付き合うおつもりはございまして?」


「「行く」」


 双子が声を合わせて頷いた。


「ペローさんとカルネさんも一緒に来てくれますか?」


 僕は反対側のペアにそう問いかけた。


 ペローさんはメッセンジャーということで世界各国、色んな場所に行ったことがありそうだし、カルネさんもたくさん逸話を知ってそうだから、僕としては見聞を広めるためにも是非話を聞いてみたい。


「まあ、タダ飯が食えるっていうなら断る手はねえな」


「いいよね! 楽しいよね! おしゃべりしたいな! したいな!」


 二人はそう言って、快く頷いてくれる。


 僕たちはそのまま連れだって、『汐流亭』に移動した。


 すでにたくさんの客がドンチャン騒ぎをしていたが、店側はナージャが神殿で宣言した話を聞きつけたのか、僕たちのための席を確保してくれていた。


「支払いはここからでお願いしますわ。まず大丈夫だと思いますけれど、もし足りなくなったら、そこで全てのオーダーをストップしてください」


「かしこまりにゃー。いつもご贔屓感謝ですにゃ!」


 ナージャが賞金の革袋ごと、豪快に店員に投げ渡す。


 こうして、僕たちの打ち上げが始まった。


 最初はやっぱり今日のレースの話題。


 お互いの健闘を称え合い、やれあそこをこうしてれば良かっただの、もし次のレースに参加するならどうするかだのの議論になる。


 それから、お互いの仕事の話。


 やがて、酒も進んでくると(僕は最初の乾杯以降は飲んでないが)、もうちょっとプライベートな方向へと話題が流れる。


「ねえねえ! それで、二人は本当に付き合ってるの!? 結婚するの!? それともさっきのハネムーン宣言は空気読んだだけ? ねえねえ!」


 カルネさんが僕とナージャを興味津々で見つめてくる。


「やめろやカルネ。人様の恋愛事情にあれこれ口を挟むもんじゃねえよ」


 ペローさんが相方をたしなめる。


 レース中は挑戦的だったけど、平時の彼はかなりの常識人のようだ。


 ちなみに二人は付き合っている訳ではなく、ビジネス上のパートナーらしい。


 物を運ぶのはペローさん。


 書状に残せないような伝言はカルネさんが一言一句間違えずに記憶して、相手方に伝達するのだという。


「やだやだやだ! 気になる! 気になる! 気になる!」


 カルネさんがだだっ子のようにテーブルを叩いた。


「ふふっ。ワタクシは、答えるのにやぶさかではありませんけれど、ご質問の件に関していえば、タクマ次第という他ありませんわね。なにせ、このタクマは4人の乙女を手玉にとって、やきもきさせっぱなしですもの」


「さすが『女殺』だね。ミレ」


「種馬だね。レミ」


 ナージャの軽口に、双子が頷き合う。


「いやいや、勘違いしないでくださいよ。確かにパーティメンバーは女性ばかりですけど、誰にも手は出してませんからね。僕」


「むしろ、何故出しませんの? それぞれ好みはあるでしょうけど、あなたの周りにいる乙女はいずれも世間一般の基準でいえば、間違いなく平均より上の容姿をしていますわ。健康な男性なら我慢できないんじゃなくて?」


「できるよ。そんな動物じゃないんだから、のべつまくなしに手を出したりしないさ。男女関係でパーティが崩壊するってことは、僕よりナージャの方がよく知ってるでしょ?」


 僕も男だし、人並みに性欲はあるが、勢いに任せてことを起こせば、後々面倒なことになるのは分かり切っている。


 少なくとも地球の日本においては、同僚に手を出さないというのは、良識的な行動とされていたはずだ。


 僕は社会に出たことがないからはっきりとしたことはいえないけど。


「確かにそうですけれど、そういう優等生的な回答はいいんですのよ! 誰に恋をしてるか! 誰を愛しているのか! そういう話をしているんですわ!」


 ナージャが興奮気味に酒のジョッキをテーブルに叩きつける。


 だいぶ酔ってるなこれ。


「うーん。正直言うと……恋と友情の違いがわからない。ある意味では、みんな愛してるよ」


 僕にとって、仲間は大切だ。


 自分の命より――なんて大げさなことは言えないけれど、全財産を引き換えにしていいくらいには大事に思っている。


 でも、それが男女間の恋愛感情か、と言われると、どうにも困ってしまう。


 テルマさんは、僕が異世界で生計を立てる術がない時に助けてくれた恩人だし、価値観も合う。彼女と一緒にいると落ち着くし、個人的には家族みたいに思っている。基本的には頼りになるお姉さんみたいな感じだけど、ふとした時に脆さのようなものも垣間見えて、そういう時は『僕が守ってあげなくちゃ』と彼女の兄になったような庇護欲を抱く時もある。


 ミリアは、無邪気で、食いしん坊で、時々おっちょこちょいで、でも憎めなくて、言うなればかわいい妹みたいな存在だ。もしかしたら僕より年上かもしれないから彼女にとっては失礼な話かもしれないけど。


 ナージャは、一緒にいると予想もしていなかったようなことが起きて、刺激的で楽しい。彼女は、自分の知らなかった新たな一面を発見させてくれる存在で、テルマさんとは違った意味で、頼りになるお姉さん的な感じだ。


 レンは、まだ付き合いが短いからよくわからないけど、義理堅いし、心の根底にある信念には僕と通じるものがある気がしている。気の合う後輩――ある分野では先輩。そんな雰囲気だ。


「これですもの。あなたに恋した乙女たちはつらいですわね」


 ナージャは肩をすくめた。


「まるで他の三人が僕に恋しているみたいな言い方をするね」


「してないと思っていらっしゃるの?」


 ナージャが鸚鵡返しに尋ねてくる。


「分からない。僕としては恩に着せるつもりはなかったけど、結果的に三人は僕に借りがある形になっちゃってるから、示してくれている好意を額面通りに受け取ることは危ないと思ってる。もし僕が三人の内の誰かを好きになったとして、彼女たちに迫ったら、三人とも断りづらい状況にあるから」


 テルマさんは借金のことで自称僕の奴隷を名乗っている。


 ミリアも冒険者として僕が仲間にしたことを恩に感じてくれているらしい。


 レンは、カリギュラでの一件があったから、僕を主と仰いでくれている。


 優越的地位にある人間が恋愛関係を迫るのは、一種のパワハラではないのだろうか。


「タクマ。もしかして、お互いが対等にリスペクトし合う恋愛だけが全てだと思ってるんですの? もちろん理想はそうですけれど、現実の恋愛は、必ず支配者と被支配者に分かれてしまうものですわ。恋仲になったとしても、必ずどちらかの方がどちらかを余計に『好き』なものですから。ある意味で、全ての恋愛は永遠に続く片思いですわ」


 ナージャが少し寂しげに悟ったようなことを言う。


 多分、僕より経験豊富な彼女の言うことの方が正しいんだろう。


 でも、そんな風に諦めてしまうには、僕はまだ若すぎた。


 たとえナージャの説が現実だとしても、もうしばらくは恋というものに幻想を持っていたい。


「そうかな。少なくとも僕とナージャは対等に付き合えていると思うけど」


 だから、僕は小首を傾げて、精一杯そう反論した。


 対等じゃなければ、きっと今日のレースは優勝できなかったと思う。


「っ! あなたは本当に――!」


 ナージャは何かを言いかけてから口ごもり、顔を真っ赤にして俯く。


「やっぱり『女殺』だね。レミ」


「触れると火傷するね。ミレ」


「……二つ名っていうのはよくできているもんだな」


「うん! 『女殺』! 『女殺』! 『女殺』!」


 二つのペアが何かに納得したように、一斉に頷く。


 僕は何かおかしなことを言ってしまったのだろうか?

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