第73話 冬至の祭り(1)

 そして、あっという間に季節は巡り、冬至の祭りが始まった。


 開始を告げるのは、天空に打ち上げられる魔法の花火。


 火の魔法と幻影魔法を組み合わせたイリュージョンが空を覆い、神話をモチーフに、今も連綿と続くヒトと魔族との戦いが、延々と繰り広げられる。


 人の熱気と叡智が寒気と長夜を吹き飛ばし、夜を昼に、昼を天国に変えた。


 瞬間と永遠、夢と現の境を曖昧にするような狂乱が、街を包み込む。


 通行量は平時の何倍にも膨れ上がり、貴族と物乞いとスリと商人と冒険者と聖職者を一緒くたに飲み込んで、マニスはその最盛期を迎える。


(みんな、『生きている』って感じがするなあ)


 僕は興奮と共に、屋敷の自室から通りを眺める。


 ここらへんは高級住宅街なので、見回りの兵士が定期的に巡回して、怪しい人間を追っ払っているので人は少ない方なのだ。


 それでも祭りの勢いには勝てず、とても騒がしい。この様子なら、目抜き通りは推して知るべしだろう。


 屋内にいるのに、人々の営みが生み出す熱量にあてられてしまいそうだった。


 コンコンコン。


「はい」


 背後から聞えるノックの音に、僕は振り向く。


「ナージャですわ。入ってもよろしくて?」


「どうぞ」


「失礼しますわ」


 ナージャが颯爽と部屋の中に入ってくる。


「どうしたの?」


「他の女性たちとも相談したのですけれど、せっかくのお祭りですから、タクマを一日交替で独占することになりましたわ」


 ナージャが規定事項のように言う。


「……僕は相談されてないよ?」


「――されてない方がよろしいと思いますわよ。あの現場に居合わせたいと思う殿方は、多分この世におりませんわ」


 ナージャが引きつった笑みを浮かべてそう言うので、それ以上僕は何も追及できなくなってしまった。


 一体裏で何があったのか。


 まあ、一人で街を巡るのも寂しいからちょうどいいか。


「――それにしても、お祭りなのに、ナージャがオシャレをしないなんて珍しいね」


 僕は深く追求するのを諦め、ナージャの格好を観察して言う。


 ナージャの格好は、日頃の冒険者の格好から、革鎧を引き算しただけのシンプルなものだった。


 宝石の類も、今日は取り去られている。


「ええ! だって、これからワタクシたちは『嫁運びレース』に参加するんですもの。身軽な格好じゃありませんと」


 ナージャが鼻息荒く言う。


「嫁運びレースってなに?」


「男女のペアで街中のチェックポイントを巡る競争ですわ。もっとも早くゴールしたペアには、賞金が出ますの。マニスの祭りのプロローグを飾る一大イベントですわね」


 僕の疑問に、ナージャが端的に答える。


「嫁運び要素は?」


「レース中、ペア同士は常に体の一部分を触れ合わせてなければいけないという特殊ルールがありますのよ。最初に魔法をかけられてお互いが離れたら自動的に失格になりますわ」


「へえ。……で、それに出るの? 僕と、ナージャが?」


「ええ。レース中、ワタクシとずっと密着できるのですから、光栄に思ってくださってよろしいですわよ?」


 ナージャが悪びれる様子もなく、昂然と鼻をそらした。


「――まあ、いいか。お祭りの時はバカにならなきゃ損だよね!」


 僕は深く考えるのをやめた。


 平時なら、こんな恥ずかしいレースに参加するのは躊躇しただろうが、せっかくのお祭りなら全力で楽しむ方がいい。


「ふふ、タクマは、日頃は堅物の癖に、こういう時はノリがいいから好きですわ」


 ナージャが上機嫌で抱き着いてくる。


 僕も、結局ダンジョンに挑む格好から、武具と防具をとっぱらったような動きやすい服装で、市街へと出た。


 スタート会場となるのは、港の波止場だった。


 僕たちが到着した頃には、すでに参加者のほとんどが集結して、ウォ―ミングアップを始めているところだった。

 。

「なんかあれ、ずるくない?」


 めちゃくちゃ速そうな筋骨たくましい獣人の人の方に、すごく軽そうなハーフリングの女性が乗っかっている。


「あれは本職のメッセンジャー飛脚ですわね。基本的には、あの方々のように、大小でペアを組んで、大の方が小の方を荷物のように運ぶパターンと、両方体格の似た速い者同士で組んで併走するパターンの二つが効率的だと言われております」


「へえ。それで僕たちは?」


「もちろん、ワタクシと手をつないで併走して頂きますわ。まあ、ダンジョンの連携に比べれば、命の危険がない分だけ楽なものです」


「まあそうだけど、ナージャの方が速いから迷惑をかけちゃうかもよ」


「スキルを使わない状態の基礎ステータスでは、すでにタクマの速さはワタクシに匹敵するものがありますわ。少なくとも平均レベルでは、他のペアのどなたにも負けませんからもっと自信をお持ちなさい」


 ナージャは僕をそう励まして、受付へと向かっていく。


「おう。来たか」


 僕たちの応対をしてくれたのは、仏頂面のシャーレだった。


「シャーレ! 祭りの手伝い?」


「まあな。下っ端は手伝いに駆り出されるんだよ。んで、一応、仕事だから注意事項な。レースにおいては、魔法もスキルも使用が認められているが、他人を傷つけるような行為は禁止だ。それと、本レースで生じた一切の損害に対して、祭りの実行委員は責任を負わない」


 シャーレは説明口調で警告文を読み上げる。


「シャーレはこんなこと言っておりますけれど、直接攻撃はなくとも、危険な妨害行為は普通にありますから、気を付けなければなりませんわよ」


「それも含めて自己責任だ。同意するなら、名簿に名前を書け」


 シャーレはぶっきらぼうにそう言って、名簿の紙を差し出してくる。


 僕たちはそれに名前を書くと、そのまま横にスライドして、係員みたいな人と契約魔法を交わす。


 離れたら失格の状態になった僕たちは、手をつなぎ合ったままスタート地点に戻った。


『さあ、今年もやってきたぜマニス名物『嫁運びレース』。実況はこの俺! 声も器も超絶でけえ! 誰が呼んだか、ビッグマウスだ! 早速、注目選手を紹介するぜ! まずはなんといっても昨年の優勝者! 千里の道も三日で走るご存じ『翼足』ペローと、口も体重も超軽い『おしゃべり人形』カルネのペア。そして、こちらも名物、どっちがどっちか分かんねえ! 仲良し兄妹『双星』 レミ&ミレ。そして、お次は超新星ルーキー! ヤベー貴族が隠していたヤベーダンジョンのヤベー魔族をぶっ殺したヤベー奴。マニスの英雄一味、『傾国』ナージャと、『女殺』タクマペアだ。奥さん夫を隠しな。破産するぜ。お嬢さん方。目を合わせちゃいけない。妊娠するぜ――』


 シャーレの近くに座っているトサカ頭の男の人が、小気味のいい口調で言う。


 拡散に絞って楽神ミューレの上位スキルを習得しているのか、声の通りがすごくいい。


 この声は、街の大半の地域にまで届いているのではないだろうか。


「僕たち注目選手なの? なんかキャラ付けがとんでもないことになってるけど」


「まあ、マニスの有力者たちが都市の戦力を誇示するために、ワタクシたちの戦功を大げさに喧伝しておりますから、それなりに有名人なことは間違いありませんわ」


 ナージャは風聞には慣れているのか、特に気にすることもなく、腕と足首をグルグル回す。


 僕も巻き込まれるように、軽く身体をほぐした。


「へっ。あんたらが噂の『傾国』と『女殺』か。ダンジョンではどうか知らねえが、このレースはレベルが全てじゃねえぞ。運び屋のプロの意地を見せてやる」


 オーガ並に体格の大きい獣人の男性――多分、『翼足』が挑戦的に僕たちを見遣った。


「そうですか? ダンジョンの異常な地形を踏破することに比べたら、このレースなんて遊びみたいなものですけどね」


 僕も一応、挑発で返しておいた。


 本心としては、この『翼足』さんはメッセンジャーとして、都市間の郵便網を担ってくれている人ということなので、『いつもお仕事お疲れ様です』としか思わない。


 だけど、こういう勝負事で真っ向から対抗心を受け止めないのは、逆に失礼だろう。


「よろしくね! よろしくね! 二人は付き合ってるの? それとも、身体だけの大人な関係? 教えて! 教えて! 誰にも言わないから!」


 その肩に乗った、地球の幼稚園児並に小さいクセっ毛のハーフリングの女性が、九官鳥のように喚く。


「ご想像にお任せしますわ」


 ナージャが柳に風と受け流した。


「今年は去年よりも人が多いね。勝てるかな? レミ」


「勝てるといいね ミレ」


 どちらが男か女が分からない、中性的な容姿をした獣人の兄妹が僕たちを一瞥して呟く。


「さあ! 賭けた! 賭けた! ペロー&カルネ 2・1倍 レミ&ミレ 3・2倍 ナージャ&タクマ 5・2倍――」


 合法なのか違法なのかよくわからない怪しげな賭博師が、盛んに金を集う。


『さあ。それじゃあ、ごたくはここまで! 早速アゲアゲなレースを始めようじゃねえか! 空にぶちあがる創造神様のありがてえ御姿がファンファーレだぜ! カモン!』


 バーンと――ビッグマウスの言葉に従うように、大輪の花火が舞う。


 空に描かれた神様の姿は、僕の知っているものと違って、絶世の美女だった。


 信仰対象が様々なこの異世界において、全員のコンセンサスが取れる祭りのシンボルが、創造神様ということらしい。


「さあ! 行きますわよ! タクマ!」


 ナージャが僕の手を引く。


「お手柔らかにね」


 僕も深呼吸をして、一歩前に踏み出した。

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