第72話 調味料(2)

 翌日、日課のミッションを終え、ダンジョンから屋敷へと戻った僕は皆と昼食を取った。


 その後、洗い物を請け負うついでに、僕は早速キッチンで味噌作りを開始する。


 昨日から漬けておいた豆は、たっぷり水を吸って膨らんで、準備はできていた。


 僕はその豆を鍋にあけ、早速煮立たせた。


 レンズ豆っぽいのは30分くらいでいい感じにドロドロになったが、ひよこ豆っぽいのはもうしばらく茹でる必要がありそうだ。


 とりあえず、レンズ豆の方を容器にあけ、スプーンでぐちゃぐちゃに潰していく。


 後はこれに塩と麹を混ぜればいいのだが……肝心の味噌ができるような麹菌は、これから自分で探さなければならない。


 実験は中庭の地下室で行うつもりだが……。


 どうしよう。


 火を使っている以上、鍋からは目が離せないしな。


「主。何かお困りでござるか?」


 レンがどこからともなくぬっと姿を現した。


「うわっ。レン。いたの?」


「はっ。お邪魔にならないように遠目に見守らせて頂いていたでござる。吾にお手伝いできることがあれば、お申しつけくだされ」


 レンがかしこまっていった。


「そこまでしなくてもいいのに……でも、気持ちは嬉しいよ。じゃあせっかくだから、鍋の火を見ておいてくれるかな。僕は地下室で、発酵菌を探す実験をしたいから」


「承知。豆で調味料というと――ピクルスでも作られるのでござるか?」


「うーん。違うけど、親戚みたいなもの、かな? とにかく、完成したら味見してもらうよ」


 僕は曖昧に答えた。


 基本的にマニスは西洋っぽい気候なので、発酵食品はチーズとパンと、レンが言ってたピクルスくらいしかない。


 実物ができるまでは、味噌や醤油を説明するのは難しい。


「それは楽しみでござるな。昨日のマヨネーズも美味でござった」


「期待に添えるよう、頑張るよ。じゃあ、鍋の方はお願いね」


 片方の豆をレンに任せると、僕は潰したレンズ豆もどきを必要な分だけ容器に取り、中庭に出る。


 そしてそのまま、元はダンジョンの一部と化していた地下室に入った。


 部屋の中のヤバげなものは全部破棄し、毒に関しては水で徹底的に洗浄してあるので、今は清潔だ。


 乾燥している地上に比べて、地下室は気温、湿度がちょうどいい具合に一定に保たれているので、醸造するのにちょうどいい。


 ちなみに、前にダンジョンの一階層へと繋がっていた穴は普通に土でびっちりと塞がっていたが、僕が魔法で穴を空けて、排水溝にした。


 僕は、あらかじめ地下室に用意してあった木製の小型の桝――およそ20個程度に、潰した豆を小分けにする。


 そしてそれらを、拳二つ分くらいの間隔で等間隔で配置した。


「――『ポイズンミスト』」


 僕は魔法を詠唱した。


 菌同士が混ざらないように、また、雑菌が入らないように、桝と桝の間に、魔法的な毒を、殺菌&仕切り代わりに配置する。


 ミストといっても拡散せずに固定するタイプなので、僕が吸い込んだり、桝の中に混入する心配はない。


 万が一混入しても、化学的な毒ではなく、魔法の毒なので、一定時間経てば自然に無害化するので大丈夫だ。


(いい菌がいてくれよ)


 僕はそう願いながら、菌がついていると思われる各種材料を、桝の中に入れていく。


 塩を加え、一緒に混ぜ合わせて、それぞれの桝に蓋をして、重石を乗せた。


「後は――『インクリーズ』、《インクリーズ》」


 僕は準備のできた桝に片っ端から発酵促進魔法をかけていく。


 変な菌も増えるんじゃないかと一瞬心配になるが、叡智審ソフォスの神殿で調べたところでは、僕の『発酵食品を造りたい』という意思に感応して、都合のいい菌しか増えないので大丈夫らしい。


 こういうところは、魔法って本当に便利だと思う。


 地球なら半年~一年くらい寝かせないと味噌はできないのだが、僕は精神力を全開にして最高威力のインクリーズを詠唱しまくり、一桝あたり3分程度の爆速で発酵させてしまう。


(さて――どうだろう)


 僕はポイズンミストを風の魔法で払い、発酵の終わった桝を一つ一つチェックしていく。


 味見もするつもりだが、食中毒になったらまずいので、一応状態異常回復のポーションも準備してある。


 一つ目 × 洗ってない犬みたいな臭いがする。味見する気もおきない。


 二つ目 × お酒っぽい匂い。食べてみたら苦かった。


 三つ目 × 露骨な腐敗臭。


 四つ目 × 油っぽい臭い。


 ……。


 ……。


 ……。

「だめか……」


 20個全ての桝を確認し終えた僕は、ため息をついた。


 一つくらいは上手くいくかと思ったが、やはり発酵はそんなに甘くはないらしい。


 一応、小麦についていた黒カビで発酵させた味噌はかろうじて食べられたが、おいしくなかった。


 少なくとも、僕が『これは味噌です』と自信をもって紹介できるレベルに達していない。


 僕は、実験に使った食材を手に、一端キッチンへと戻る。


(どうしよう……この、実験に使った残り物)


 カビを入手するついでで買った、カビのない普通の果物。


 匂いの癖の強いチーズ――etc、etc……。


 捨てるのはもったいないが、かといって、僕一人で全部食べて処分するのもきつい。


「主。成果はいかがでござったか?」


「上手くいかなかったよ。レン、よかったら果物とかチーズとかいる?」


「ご命令とあれば頂きまするが、基本的には節食を旨としておりまする故」


 手伝ってもらったお礼にどうかと勧めた僕は、そうレンにやんわりと断れた。


 レンもあの攻撃力と素早さを維持するには、色々と苦労があるのだろう。


「いや、無理してもらうのは申し訳ないから、他のメンバーにも聞いてみるよ」


 僕は広間を出て、二階に上がった。


 僕のパーティの中で、一番食べそうな人と言えば――やっぱりミリアだろう。


「ミリア。タクマだけど」


 僕はミリアの部屋のドアを三回ノックする。


「タクマさん? はい、どうぞ。入ってください」


「ごめんね。突然」


 僕は静かに彼女の部屋に入る。


 ミリアは、ベッドに腰かけてローブを繕っているところだった。


「いえ! むしろ、歓迎っていうか、来てくださって嬉しいですけど……何かあったんですか?」


「実は、新しい調味料の実験で使った食べ物が余っちゃってさ。よかったらミリア、処分に協力してくれない?」


 僕は、手に抱えたチーズや果物をミリアに見せつつ尋ねる。


「うわ! それ結構高いチーズじゃないですか! ください! ください!」


 ミリアが嬉しそうに、こちらに駆け寄ってくる。


「助かるよ。好きなだけ食べて。あ、でも無理はしなくていいから」


「いえいえ、これくらい朝飯前ですから! お酒と一緒に頂いちゃえばすぐです!」


 ミリアがチーズをかじりながら、ベッドの下から取り出したワインっぽい酒をラッパ飲みする。


 さすがはドワーフだ。


「すごいなあ。それだけ飲んでも酔わないの?」


「ちょっといい気分になるくらいで酔ったってほどではないですねー。あ、もうなくなっちゃいました。んー、でもまだ飲み足りませんね」


 ミリアは本当にあっと言う間に僕が持ってきたチーズを平らげた。


「下から何かアテを持ってこようか?」


「いえ! 大丈夫です! ぴったりのアテがありますから!」


 ミリアはそう言って、ベッドの下から手の平サイズの瓶を取り出した。


 中には、茶色いジャムっぽいものが入っている。


「それは?」


「鳥の内臓を発酵させたペーストです。他種族の人にはよく気持ち悪いって言われちゃうんですけど、お酒によく合うんですよー。さっき、商会に寄ったら、故郷の家族が瓶詰にして送ってきてくれたのがちょうど届いていたんです」


 ミリアは小さじのスプーンで茶色いそれを取って、美味しそうにペロっと舐めた。


 漂ってくる塩辛のような匂いに、僕の嗅覚が反応する。


 失念していた。


 もしかしたら、僕よりも発酵に詳しい人が身近にいたのかもしれない。


「あのさ、ミリア。もしかして、ドワーフは発酵食品に詳しかったりする?」


「発酵食品ですか? うーん、まあ、お酒の方の発酵は詳しいですね。発酵食品の方はお酒のアテになればなんでもいいって感じで、大したことはないと思います」


 ミリアがちょっと考えてから答えた。


「それでもいいんだ。僕、今、発酵させるもののサンプルを探してて、他にも何か持ってない?」


「今持ってるのは、木の実を発酵させてペースト状にしたジャムと、ピクルスくらいですけど……」


 ミリアはベッドの下から、別の瓶詰を二種類取り出してくる。


「とりあえず、あるだけサンプルをもらえるとすごく助かるんだけど」


「もちろん! タクマさんのお役に立てるなら喜んで!」


 僕の頼みに、ミリアは快く頷いてくれた。


「ありがとう!」


 ミリアから貰ったサンプルを手に、僕は地下室に再び舞い戻り実験を再開した。


 そして――


「できた!」


 僕は、一つの桝で発酵した味噌を口にして、喜びのあまり叫んだ。


 結局、木の実のペーストから培養した菌が『当たり』だったらしい。


 地球で普通に市販しているものよりは若干甘みが強いが、それでも立派に味噌と言っていい味をしていた。


 これで、日本人のソウルフード、味噌汁への道が一歩近づいた。


 もちろん、カツオ出汁や昆布出汁がないから、完全な味噌汁はまだ実現しない。


 でも、現時点でも、味噌を野菜やお肉に塗って焼いたり、マヨネーズとコンボを決めてより味わい深いソースを作ることはできる。


 そして何より――


(醤油が作れる!)


 菌さえ見つかってしまえば後はこっちの物だ。


 味噌は豆で菌を繁殖させたが、醤油の場合はさらにこれに小麦が加わるだけのこと。


 一番のネックが解決された途端、とんとん拍子で作業は進み、レンに鍋を見張って貰っていた方の豆も使って、僕は味噌と醤油の一式を完成させた。


 そして夕飯時。


 僕は屋台で提供するメニューの試作――という名目で、テルマさんを驚かせたくて、料理役を買って出た。


 といっても僕には複雑な料理はできないので、メニューは至ってシンプル。


 醤油と味噌で味付けした野菜炒めを、切れ目を入れたパンの間に挟んだ味噌パン。


 それに加え、野菜だけでは物足りない人のために、豚っぽい肉の炒め物やマヨネーズを追加して総菜パン風にしたものも用意した。


 さらに、冬といえばやっぱり温かい汁物ということで、保存食である乾燥ビッグマッシュルームで出汁を取った、味噌汁もどきも作った。


「お待たせ。今日の晩御飯ができたよ。食べてみて」


 僕は食卓に料理を並べて言った。


「これは考えましたわね。パンの間に具を入れれば歩きながら食べられますし、祭りの日にはもってこいですわ。スープにも肉を入れなければ日持ちする期間がのびますし、廃棄ロスが少なくなります。ただ、ミソの独特な匂いは人を選ぶと思いますわ」


 ナージャはそう言いながらも、味噌汁もどきを二杯くらいおかわりしていた。


「マヨネーズとミソの組み合わせも絶妙でござるな。思わず節制の誓いを破ってしまいそうな美味でございまする!」


 レンも、珍しくパンを二つも食べていた。


「タクマさん!  ずるいです! こんなの! お腹いっぱい食べるしか! ないじゃないですかああああ」


 ミリアはそう叫びながら、呪いにでもかかったかのようにひたすら、パン→味噌汁→パンの無限ループを繰り返している。


「みんな。おかわりはまだまだあるからゆっくり食べてね。……テルマさんはどうですか?」


 僕はやけに無反応なテルマさんをちらっと横目で見る。


 すると――


 ツーっとその頬に一滴の涙が伝った。


 ん?


 え?


 もしかして、泣いてる!?


「あ、あの、もしかしておいしくなかった? だったら無理して食べなくても――」


「ちっ、違う。そうじゃない。嬉しくて。……タクマが私を思って作ってくれたことが分かるから。本当に、生まれてから今まで食べた物の中で一番おいしい」


 テルマさんは首をぶんぶん横に振って、眼尻を手の甲で拭った。


 その言葉がただのお世辞でないことは明らかだった。


 だって、日頃は上品な彼女が、両手にパンを持って交互に食べるなんて、大食いファイターみたいなことをしていたから。


 でも、どうやら僕の意図はテルマさんに見透かされていたらしい。


「全く。主に気を遣わせるなんて本来は僕失格でござるぞ」


 レンがどこか優しい口調で言う。


「それにしても、女一人のためにわざわざ新しい調味料まで作るなんて、本当マメですわね。『女殺』さんは」


 ナージャがからかうように言った。


「ぼ、僕は自分で食べたい物を作っただけだから」


 僕は照れ隠しに自分の頭を掻いた。


「えへへー。照れてるタクマさんもかわいいです」


 口の端にマヨネーズをつけたミリアが、にやにや顔で言う。


 夕食時は和やかに過ぎていく。


 こうして、調味料は完成し、後は来る祭りを待つだけの状態となった。

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