第71話 調味料(1)

 屋敷の引っ越しも落ち着いてから数日。


 いつものようにダンジョンで簡単なミッションをこなした僕は、仲間と別れ、叡智神ソフォスの神殿に足を伸ばしていた。


「おお! タクマ様ではないですか! 遅くなりましたが、カリギュラの神殿の方で皆伝されたとのこと。まことにおめでとうございます」


 神官さんがペコリと頭を下げて言う。


 前は割と若めの神官さんが対応してくれたのだが、今応対してくれているのはかなり年配の方だ。


 呼び方も前は確か『さん』付けだった気がするが、今は『様』付けに変わっている。


 皆伝したので、敬意を払われているのだろうか。


「ありがとうございます。神官の皆様に色々ご教示頂いたおかげです」


 僕は深く頭を下げた。


「本当に謙虚な方だ。我々も見習わなければなりませんね。それで、本日はどのようなご用件ですか?」


「前に習得できなかったスキルを少々。後は、手慰みにちょっとした料理に使える魔法を覚えようと思いまして」


「なるほど。タクマ様もすっかりマニスの住民として落ち着かれましたな――では、仲間を呼んで参ります」


 神官さんは微笑ましげに言って、奥に引っ込んで、他の神官さんを引き連れて戻ってくる。


「ほら新人。ソフォス様への厚い信仰心を感じられるいい機会だ。かなりクルから心しろよ!」


「はい! よろしくお願いします――あああああああああああ!」


「ぬらああああああああああ!」


「うおおおおおおおおおおお!」


「これは! いつにもまして中々――!」


 神官さんたちがかなり苦しそうにしていた。


 しばらく来ない内に、かなり信仰が溜まっていたみたいで申し訳ない。


 こうして信仰を確認した僕は、いつもよりちょっと多めに神官さんにお布施を渡すと、新たな魔法の習得に移った。


 今回習得したのは


「初級相当


 醸造学・・・酒、パン、チーズなど、日常生活で消費する程度の食品に関する基礎的な発酵の知識を得る。(アンブロシアやネクタールなど、食用者の能力を一時的に底上げするような上位の嗜好品の製造は、別に酒神レケベールを信仰する必要がある)


 中級相当


 インクリーズ――菌に魔力を注ぎ込み、発酵を促進する魔法(植物学+動物学+鉱物学+錬金学+醸造学の習得が前提となる)。


 ポイズンミスト――中毒効果のある悪性の魔力の霧を、広範囲に散布、または固着させる魔法(ポイズンに加え、風・水・土の基礎魔法の習得が前提となる) 


 イリュージョンレイ――複数人の視覚にリンクさせ、共同の幻覚を見せる魔法。(イリュージョンに加え、火・風・水の基礎魔法の習得が前提となる)  

                                       」


 必要な魔法を習得した僕は、そのまま市場に足を伸ばした。


 マニスはさすが商業都市と呼ばれるだけあって、食材に関しては世界各国のものが集まっているのでありがたい。


 卵。植物性のオイル。お酢(ワインビネガー・果実酢)。香りづけの柑橘類。塩と胡椒――は、すでに屋敷に買ってあるからいらない。


 作りたいのは、異世界モノの定番ともいえるマヨネーズ。


 こちらは製造法も簡単だし、まず失敗しないだろう。


 もう一つの目標は、味噌と醤油の製造。


 と、なるとまず欲しいのは豆だ。


 一番いいのは大豆だが、しばらく探してもそれっぽいのはなかった。


 もっと詳しく探せばあるのかもしれないが、ある程度安定的に入手できないと意味がないので、代替品を探す。


 結果、大豆より一回り小粒で黄色みの強い、地球でいうところのレンズ豆に近いものと、逆に大豆より一回り大きくて白っぽい、地球でいうところのひよこ豆っぽいのを購入することにした。


(後は、麹菌だけど……都合よく味噌に合うやつなんて売ってないよなあ)


 こればっかりは数を当たって探すしかない。


 ブルーチーズっぽいカビのついた上級者用のチーズ。


 カビの生えた腐りかけの果物(普通の果物を買ったおまけという形でもらった)。


 挽く前のそのままの小麦の束(房の一部が、黒っぽくなったやつ)。


 その他諸々。


(よし。ひとまずこれで材料は揃ったかな)


 両手に戦利品を抱えて、僕は屋敷に帰還する。


 広間と連結しているキッチンに食材を降ろした僕は、早速下準備を開始した。


 味噌の方は、とりあえず豆をふやかさないといけない。


 なので、それぞれの豆をしっかりと洗って、ポリタンクくらいの大きさの容器に入れ、たっぷりの水に漬けておく。


 後は、『触らないで』の注意書きを張り付けておいて、このまま一晩放置だ。


 さて、マヨネーズの作り方だが、こっちは笑っちゃうくらい簡単だ。


 まず、買ってきた直方体の木製の容器に、植物性のオイル以外の材料を全てをぶち込む。


「ウインド」


 まずは魔法でミキサーのごとく、材料を攪拌する。


 そして、植物性のオイルとちょろっと加える。


「ウインド」


 また攪拌。


 オイルを加える。


 攪拌。


 オイルを加える。


 攪拌。


 全体がクリーム状で重たい感じになってきたら、残りのオイルを一気に加え、攪拌する。


 これで完成だ。


(さて、味は……うん。おいしい)


 ダンジョン産のいい卵を使ったからか、下手をすれば、地球の市販のマヨネーズよりも濃厚でおいしいかもしれない。


 その後、僕はオイルや酢が何種類かあるので、一応、数パターンのマヨネーズを完成させる。


 それらの容器に蓋をした僕は、さらに一回り大きな容器にまとめて格納する。


 一応、保存のために、容器の下には魔法で作った氷を敷き詰めてある。


 そして、夕方。


 皆が夕飯を食べに集合した一階の広間に、僕はマヨネーズを持ち込んだ。


「あ、みんな。食べ始める前にちょっといいかな。前に言ってた、屋台に使える調味料を試作してみたんだ。マヨネーズっていうんだけど、試しに使ってみて、感想を聞かせてもらえないかな」


 僕はテーブルに試作のマヨネーズを並べて、やおらそう切り出した。


 テーブルの上には、パンとサラダ、そして、鶏肉とキノコ(ビッグマッシュルーム)の炒め物といったオーソドックスなメニューが並んでいる。


 ちなみに、料理をしたのはテルマさんだ。


「クリームソースですか。どのお料理につければよろしいんですの?」


「このメニューなら、どれにつけてもおいしいと思うよ。でも、一般的にはサラダにかけるのが無難かな」


 僕は、ナージャの疑問に答えるように、自分の分のサラダを取り分けて、マヨネーズをつけて食べる。


 うん。


 おいしい。


 今までは、サラダのドレッシングといえば、ビネガーと塩くらいしかなかったから、僕的には雲泥の差だ。


「タクマさん。私も貰ってもいいですか?」


 ミリアが興味津々に言う。


「うん。食べて食べて」


 僕はマヨネーズの入った器を、ミリアの方に押し出す。


「では――! !? これ、おいしいです! なんだろう! 濃厚で、塩気が効いてて、でもちょっとだけすっぱい感じもするのでしつこくないですし!」


 マヨネーズをつけたサラダを頬張ったミリアが叫ぶ。


「確かにおいしいですわ! 味が強いので、繊細で高級なお料理には合いませんけど、庶民がメインの客層である屋台なら、かなり人気になると思いますわよ」


 ナージャが冷静に分析して言う。


 美食家の彼女がそう言うなら、とりあえずは安心だろう。


「たとえ貴族でも、晩餐会のような格式ばった場所ならばともかく、普段の食事なら喜んで使うと思いまする。少なくとも、吾は大変気に入り申した。獣人は味付けの濃いものを好む故」


 レンはパンにはあまり手をつけず、サラダと肉にマヨネーズをかけて食べている。


 もしかしたら、彼女は身軽さと筋力を維持するために糖質制限でもしているのだろうか。


「んぐんぐ――っていうか、これ! すごいですよ! タクマさんのおっしゃる通り、パンにも! お肉にも! 野菜にも! 何にでも合います!」


 ミリアが頬いっぱいに食事を詰め込んで言う。


 全ての料理にマヨネーズをたっぷりかけて、もはや料理を食べているのか、マヨネーズを食べているのか分からない状態だ。


(よかった! パーティメンバーには好評みたいだ。だけど――)


 ただ一人、テルマさんだけは一度サラダにマヨネーズをつけて食べると


「おいしい……」


 とただ一言発したっきり、それ以上は使おうとはしなかった。


 もしかしたら、テルマさんはハーフエルフなので、卵を使っているマヨネーズはあまり口に合わないのだろうか。


(味噌と醤油を上手く作れたら、テルマさんも喜んでくれるかな? あっちは肉も卵も使わないし)


 今のままだと、何となくテルマさんが仲間外れになっているみたいで、僕は嫌だった。


 やっぱりどうせだったら、僕の作ったもので仲間全員においしく食事をしてもらいたい。


 そんな野望を胸に秘め、僕は食事を終える。


 いつの間にか、マヨネーズの容器は空になっていた。

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